第44話 奇妙な人型

文字数 3,846文字

時刻は午後9時半。
東矢の部屋をノックしたが返答はなかった。おかしい。あいつは飯を食ったらだいたい部屋でごろごろしているはずだ。
『なんとかなる目処』が失敗したのか。一か八かで安全マージンの欠片も考えてなさそうだからな。
急ぎ携帯を取り出してかけると、東矢は3コール目で電話に出た。

「東矢、大丈夫か」

「大丈夫だよ? 何かあった?」

思わず舌打ちがでる。なんでこんなにのん気なんだ。
……いや、八つ当たりだなこれは。
冷静になれ、俺。今日は本当に何かおかしいな。

「何かあった、じゃない。寮の飯の時間が終わっても部屋にいないようだったから心配した」

「あっ、ごめん、でも大丈夫だよ、心配しないで」

電話口から葉擦れの音や鳥の鳴き声が聞こえた。どういう状況なんだ? これ。

「……鳥の鳴き声がする、お前今どこにいる」

「ああ、今新谷坂神社にいるんだ。でも、問題は解決したから、気にしないで、朝には帰るよ」

「なんでそんなとこにいる」

「まぁ、いろいろ」

こいつ、気まずくなるとすぐごまかすからな。また何かやらかしたのか。問題は解決したなら危険はないんだろうか?
東矢は無意味な嘘はつかない。解決は、したんだろう、おそらく。なら東矢の問題に俺が巻き込まれる可能性もないか?
仕方がない。

「……腹減ってるだろ、迎えに行くから待ってろ」

俺はそう言って電話を切った。ため息が出る。
俺はなにをやっているんだ。イライラする。部屋にいたくない。疲れた。ちょっと、精神的に限界が近い気がする。
首筋に嫌な感じはない。山に登っても平気だろうか。だがアイからも異常は感じない。ひょっとしたらこの感覚も壊れているのかもしれない。
わからない。いろいろと限界を感じる。

フゥ。

一度深呼吸して2、3度頭を振る。やはり、迎えに行こう。というよりアイと一緒に部屋にいたくない。アイ自体は悪いものではなさそうだが、自分の姿を見続けるのが何か耐えられない。少なくとも一人になりたい。
一人で山に登る間は頭を整理できる気がする。それに、東矢と話していると少し落ち着く。
これが友達、なの、かな?


部屋に戻ると、映画はちょうどジーンケリーがデビーレイノルズを抱擁し、雨の中をタップダンスで歌い踊りだすシーンだった。
Sing’in in the rain.
ジーンケリーが歩む先では、土砂降りの雨の中でも、どこにだって太陽が輝いている。
そう思って窓を見る。窓の外に静かに広がる闇からは雨の音は聞こえなかった。だが、俺の中では冷たい雨が降り続いていた。昔からずっと。
軽快な音楽にいたたまれなくなる。

「出かける。朝になったら帰る」

「いってらっしゃい」

心なしか、この短時間でアイの会話がスムーズになっていた。
……この映画の中に暴力表現はなかったように記憶している。基本的に、愛の映画だ。

そういえば、帰ってきた時にアイがジーンケリーになっていたら暑苦しくて嫌だな。せめてデビーレイノルズがいい。
アイの俺を見ないようにしながら懐中電灯や必要なものを手早くショルダーバッグに詰める。ふと思い出し、夜食用に買ったケーキも小さな箱に詰めて部屋を出た。

待ち合わせアプリを起動して東矢の位置情報を確認する。新谷坂神社にいるのは間違いないらしい。
新谷坂高校は新谷坂山の麓にあるから、町に下りずに山に登れる。開けた山だし危険性は少ないが、突然の不幸が降りかかるのがこの俺だ。警戒をしながら進み、ハイキングコース手前の最後のコンビニで軽食と飲み物を買う。
ジジジとなるコンビニの電灯を見上げると、大きな蛾がまとわりついていた。ヤママユガだろうか。汚れた電灯に哀れにしがみつく蛾が、なんとなく俺の姿のように思えた。

地図アプリを開き最短を登る。
真っ暗な山道を細く照らす懐中電灯の灯り。さすがにこの時間は誰もいない。ザッザッと響く俺の足音。時折、遠くで鳥の鳴く声や動物が動くような音が聞こえる。動物は暗闇でも、自分の歩く道を知っている。安らげる場所も持っている。俺はおそらく、どこにもたどり着くことができない。この先も、道は途中で途切れている。途切れているのがわかるのに、そこまで歩かなければならないのだろうか。いや、これは俺が歩くと決めたんだ。
暗い道を懐中電灯の光が切り裂く。小石や小枝が現れては消えていく。この光は呪いのようなものだ。光があるから、俺は足を進める。少しの先までしか照らされていないのに。地図に書かれた途切れた道の先に、本当に迂回ルートがないのか確かめるために。光さえなければ、俺はここで足を止めても良いのだろうか。いや、しかし。

「藤友君?」

足はいつのまにか参道に入っていて、細い石段の上から声が聞こえた。
つられて、声のする方を見上げた。その瞬間、視界全体にたくさんの小さな星の瞬きが広がった。ふいに、世界にひびが入ったように吹き下ろす風に空気が揺れた。
その光景に息を飲む。とても静かに降り注ぐあまたの小さな灯。どこまでも続く星空の広がり。そっと首を伸ばすと、柔らかな風が耳をくすぐり、ゆるやかな夜の匂いを運んで通り過ぎた。無意識に噛み締めていた奥歯の力がゆるむ。目の前の霧がさらりと晴れたような、時が過ぎるのがゆっくりになったような、そんな感覚。
茫然とあたりを見渡す。夜の山は静謐で、星空と同じようにただただそこに優しく広がっていた。
星を見るなんて、ずいぶん久しぶりだ。上を見上げるのもいつ以来だろうか。思えば、下ばかり向いて歩いてきた気がする。

「本当に来てくれたの?」

星空から東矢の嬉しそうな声が聞こえた。口から漏れたため息は、いつもより少し暖かかった。少なくともこの道には、ゴールがあった。
アンリはその圧倒的幸運で俺を焼き焦がす灼熱の太陽だ。だが、東矢は不安定な俺の道を小さく照らす、道標の星なのかもしれない。北極星のように。柄にもなく、ふと、そう思った。
東矢は俺より先に燃え尽きてしまいそうだが。

「ありがとう、本当に。実はおなかすいてた」

「恩にきろ。何も食ってなかったんだろ?」

神社入り口の鳥居の下に座る東矢に軽食を渡す。
ここはなんだか不思議な場所だな。妙におちつく。

「それからこっちはデザート」

東矢は目を輝かせて喜ぶ。こいつ本当に甘いもの好きだな。なんだか面白い。自然と頬がゆるむ。
東矢の隣に腰を落ち着ける、石段からは星がよく見えた。神津(こうづ)や辻切の夜景が乱雑に闇を切り裂いていたが、そんなものより全天を覆う幽けき星の光の集合体。こちらの方が俺の目にはよほど眩しく思えた。

「星なんて眺めるのはずいぶん久しぶりだ」

「そうだね。僕は父さんと一緒にキャンプにいくことがあるから、たまに見る」

「そうか、いいな」

俺がそんなふうに自然に誰かと話したのは、いつが最後だっただろうか。いつも目の前の不運に気を取られて、相手を敵かどうか警戒せずにはいられない。

「あ、ごめんっ」

一瞬何に謝られたのかわからなかったが、そういえば東矢は俺に親がいないことを知っていたんだったな。

「気にしなくていい。もともと一緒に星を見るような親じゃなかった」

神津や辻切の夜景を目に入れたくなくて寝転がる。石段の冷たさも心地いい。目の前に広がる星明かり。動かない静かな世界。静寂と静穏。そっと目を閉じると、そのまま地面に溶けていくような安らぎを感じた。
隣で東矢も寝転んだ音がした。

「ここ、いいな。なんか落ち着く」

「ここは新谷坂の封印の場所だから悪いものは入ってこれないんだ」

「そうか」

ここは、悪いものがこないのか。静かに息を吐き尽くして、澄んだ空気をゆっくり吸い込む。体の中の毒が少しずつ薄らいでいくような感覚がある。いつも感じていた胃の痛みが少しだけ軽くなった。
隣に人がいるのに落ち着いていられるのも久しぶりだな。寝転んだまま隣に目を向ける。暗くてよく見えないな。

「藤友君は星とか好き?」

暗闇から声がする。

「……どうかな、あんまり考えたことはなかったが、悪くない」

「僕は昔キャンプに行った時、流れ星をみたことがあるんだ、それでね、確か」

中身のない会話。なにも考えずに自然と口から出る言葉と一緒に、小さく凝り固まった嫌な感情が、ぶくぶくと泡のように口から逃げ出していく。目を閉じていろいろなことを話した。ただ単に、好きなもの。不幸じゃなかった昔のこと。いろいろな小さな欠片が、まだ俺の中に残っていた。

星空は気が付かないほどゆっくりと、けれども少しずつ確実に姿を変えていく。この静かな時間もだんだんと終わりに近づいていく。最後に、これまで聞くのをためらっていたことを口にだす。

「東矢、俺とお前は友達かな?」

「あたりまえじゃない」

一拍の間を置くこともなく、明瞭な返事が返ってきて、すぐに別の話題に流れた。そうか。友達か。俺を縛る呪いの欠片が一つだけ外れたように、ふわりと心が軽くなった。
そうか、友達か。

そのうち、視界の端に明るさがにじんだ。静かな闇が終わりを迎える。

「日の出を見るのは初めてだ」

禍々しい世界の変革。闇は無残に切り払われ、太陽という強大な暴力が世界を赤く染め上げる。静かな夜が終わり、太陽に押されて人間の営みが始まってしまう。
新しい缶コーヒーを開けて、夜の終わりを追悼する。
夜の余韻が消え去るまで、俺はその名残を惜しんだ。

「帰ろうか」

東矢の声が聞こえる。俺も立ち上がる。
少しは立ち直れた気がする。
東矢とともに石段を下る。
そうだな、やはり、道がある限りは歩き続けよう。俺はそう決めたんだから。そして俺は戻った。俺の道を探しに。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

東矢一人。

新谷坂の封印を解いた代わりに、自身の半分以上を封印される。再度封印を施すため、新谷坂の怪異を追っている。

不思議系男子。

末井來々緒。

「君と歩いた、ぼくらの怪談」唯一の良心。姉御肌の困った人は見過ごせない系怪談好きギャル。

坂崎安離。

狂乱の権化。ゆるふわ狂気。歩く世界征服。

圧倒的幸運の星のもとに生まれ、影響を受ける全てのものが彼女にかしづく。

藤友晴希。

8歳ごろに呪われ、それからは不運続きの人生。不運に抗うことを決めた。

坂崎安離の幸運値の影響によって多少Lackが上昇するため、だいたい坂崎安離に同行し、新たな不幸に見舞われる。

サバイバル系考察男子。

赤司れこ。

twitter民。たまにつぶやく。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み