第29話 『蛇』の獲物
文字数 3,361文字
私は少し、後悔していた。
昨日会った少年が、あんまりにも哀れに愚かしくて、少し話過ぎてしまった。あの少年、東矢、だったかしら。不思議な子だった。きれいな顔をしていて、眉際までのびた柔らかな髪の奥の、朝の湖のように静かで不思議に薄い瞳で、まっすぐに私を見つめていた。キーロのために来たといっていた。しかもキーロは友達の友達。優しいけど、馬鹿なんだろうな。
蛇に半ば同化した私には、あの少年を見たときの蛇の悦びと高ぶりが痛いほどわかる。蛇の興味は明らかに私から少年にうつった。
せめて、蛇がキーロの位置がわかることは黙っておけばよかった。
私が復讐する前に、キーロに自殺でもされたら意味がない。蛇も少年を煽りすぎだろう。あれじゃぁ、誰でも死にたくなる。
夕方にようやく蛇が起きてきたとき、私はキーロがまだ生きているか尋ねた。蛇はチロチロと二股に分かれた舌を出し入れして探る。
「生きて、いる、よ。く、く、昨日、の、お客、と、一緒、の、よう、だ」
それなら、早く殺しにいこう。勝手に死んでしまわないうちに。
私は無関係な者がいることがわかって、その上で苦しみを与えて殺している。だから私は苦しんで死んでも仕方がないと思っていたし、一応覚悟はしていた。だが、蛇は私をとっとと殺して少年をいたぶりにいくんだろう。拍子ぬけだ。少年がかわいそうだな、とは思ったが、私はその分助かった。なんだか救われたような、不思議な、申し訳ない気分だ。
蛇は私をいざない、目的地に向かう。
そこは、新谷坂山の麓の林の奥。蛇はこの山に立ち寄るのに少しのためらいを見せたが、場所が山頂ではなくふもとであると理解すると、むしろ先を促された。蛇は断片的に、長い間ここの山に閉じ込められていたから、ここは嫌いだと語った。
日は大分おちて、微かなオレンジ色が少し残るくらいで、空は藍色に染まっている。あつらえたような逢魔が刻。たくさんの不幸が行動を開始する時間。
まもなくすっかり日は落ちて、あたりは闇に沈むだろう。私は何も見えなくなるが、蛇はもとより目が見えない。キーロを殺すのに支障はない。私も耳が聞こえれば、キーロの苦しみは把握できる。苦しめて殺したいけど、今更苦しむ姿自体をわざわざ見たいとも思わない。それより闇に紛れてこっそり近づけた方が得策だ。
到着地点は小さな洞窟のようだった。入り口の高さは2メートルほどだろうか。山肌は自然に崩れたというよりは、防空壕のように誰かが堀ったものを思わせる。昨日今日のことには思われないほどには古いもののようだ。洞窟内は湿っていた。
それにしても、やはりあの少年は愚かだ。隠れているつもりか。見つからないとでも思ったか。こんな逃げ場所のないところに隠れるなんて、殺してくれといっているようなものだ。
「蛇、私が殺したいのはキーロよ。終わるまで、あの子には手を出さないで」
「わかって、い、る」
ザラザラとした蛇の声は期待に打ち震えていた。
洞窟の中は少し湿って、変な匂いがした。
私と蛇はなるべく音をたてないように洞窟に足を踏み入れたけれど、真っ暗だったからやはり何かを踏んで、パキっと音がしてしまう。
「サニーさん……?」
少し先から、おどおどと怯えたような声がする。昨日聞いた少年の声だ。洞窟で音が響いているせいか、妙に現実感のない声だった。
「昨日ぶりね。私はあなたには用はないわ。だから少し出て行ってもらえたほうがありがたいのだけど」
洞窟の中を声が反響する。
「蛇も今出ていくなら、あと3日は待ってくれると思うわ。いまキーロを殺して、私が死んだら、歯止めが効かなくなるわよ」
実際、蛇からはそんな雰囲気を感じる。
「さに、い。余計、な、こと、は、いう、な」
蛇は耳元で私にだけ聞こえる小さな声でささやき、ずるずると私の背中から長い胴体を吐き出していく。
「ふ、ん、狭い、な」
洞窟の幅は高さも幅も2メートルくらい。高さがない分、動きにくくはあるだろう。だが蛇は蛇だ。ロープのようなしなやかな身体は自在に動くし、絡めとられればむしろ逃げようがない。だから私たちは獲物を逃さないよう、基本的にはせまい通路を選んだ。本当に、愚か。
「そこで止まって。サニーさん、僕は正直、死にたく、ない。キーロさんも、死んでほしくない」
少年のひどく怯えた声が響く。私は思わず足を止める。
「昨日も言った通り、それは無理よ。あなたには気の毒に思うけど」
「やっぱり、殺されるんだよね……」
少年の声に諦めが混じる。
「僕は生きていると、蛇はまたここに封印される可能性があるから」
そうなの? それは初耳だわ。
「でも、死ぬならせめて、痛いのはいやだ。苦しまないように、……死なせてくれないかな」
少年の願いに哀れげな響きが混じる。残念ながら、それは蛇には逆効果だ。
私は正直、少年には同情していたし、感謝もしていた。少年の願いならばなるべく叶えてあげたい。どうせあと1人だ。少なくとも妹を殺した3人のうち2人は苦しみを与えて殺すことができた。キーロは参加者の中で一番人を殺しそうなタイプからは程遠かったし、無関係の可能性は高いんだろう。グループLIMEでもブレスレットには反応していたけど『向日葵』の柄には反応がなかった。それならまあ、私の手で殺せれば、それで妹の復讐は果たされるように思える。
ただ、蛇を説得するのは無理だ。少年の言葉でより興奮している。吐息が少し熱い。
「私は別に、キーロが殺せればそれでいいわ。でも、あなたは無理でしょうね」
「痛いのは嫌……」
声にさらに絶望が混じる。ああ、だから逆効果なのに。背中からしゅるしゅると音がする。蛇はこの会話をとても楽しんでいる。
「……僕……苦しいのは嫌で、いっその事と思って昨日……死のうとした。でもナイフが刺さらなかった。だからもう、サニーさんにお願いするしかなくって。キーロさんも苦しむよりは自殺するって毒を口に含んでる」
自殺、という言葉に再び足が止まる。それは、困る。
「でも、キーロさんは僕を巻き込んだからって言ってくれて、サニーさんが僕とキーロさんが苦しまないように殺すよう蛇に頼んでくれるなら、キーロさんはサニーさんに殺されてもいいっていってる」
その懇願するような、ひどく哀れげな声に蛇はシューシューと音を立て、ぽたぽたと唾液を垂らす音がした。小さな声が聞こえる。
「ぁ、あ、ぁ、堪ら、ない、我慢、できそうに、ない、な」
「だめよ蛇。キーロが先、でも自殺は困るわ。せっかくの復讐なのに」
私は考える。キーロに自殺されては困る。私がキーロを殺すのでなければ復讐にならない。困ったわ。何よりさっきからキーロは一言も話さない。すでに毒を口に含んでいるなら、毒によっては一瞬でことが済んでしまう。蛇に少年を楽に殺すという選択肢はない。だから少年の選択には乗れない。それなら、話を引き伸ばして、キーロが毒で死ぬより早く蛇が殺すしかない、か?
少年の哀れな懇願は続いている。
「封印、の、せいか、よく、わからぬ、が、2つの呪い、の、反応、のうち、手前、の大き、い、反応、が、客人、で、そこから、1メートル、程、後ろに、いる、のが、キーロ、だ、ろう、よ。体温、で、位置、は、よく、わか、る」
「いつも、通り、手前、に、いる、客人を、毒で、動けなく、して、すぐ、に、後ろ、に、いる、キーロ、を、絞め殺し、て、お前、を、食べ、て、僕は、客人、で、遊ぶ」
蛇の息が荒い。
「真っ暗、だ。キーロに、客人の、様子など、わからぬ、よ。腹、から、締めあげ、れば、毒なぞ、吐き、出す。どう、だ? く、ふ」
「わかったわ。それで構わない」
「ふ、ふ、短か、かった、が、それなり、に、楽し、かった、さに、い」
蛇はそう言って首を伸ばし、少年に毒を吐きかけ、そのまますり抜けて後ろのキーロを全力で締め上げようとしたその時、雷に打たれたような衝撃が走り、わたしの体ごと蛇は痙攣して、動かなくなった。
そして、バタリと人が倒れる音、そしてその後ろから、キーロさん大丈夫!? と叫ぶ少年の声がした。
昨日会った少年が、あんまりにも哀れに愚かしくて、少し話過ぎてしまった。あの少年、東矢、だったかしら。不思議な子だった。きれいな顔をしていて、眉際までのびた柔らかな髪の奥の、朝の湖のように静かで不思議に薄い瞳で、まっすぐに私を見つめていた。キーロのために来たといっていた。しかもキーロは友達の友達。優しいけど、馬鹿なんだろうな。
蛇に半ば同化した私には、あの少年を見たときの蛇の悦びと高ぶりが痛いほどわかる。蛇の興味は明らかに私から少年にうつった。
せめて、蛇がキーロの位置がわかることは黙っておけばよかった。
私が復讐する前に、キーロに自殺でもされたら意味がない。蛇も少年を煽りすぎだろう。あれじゃぁ、誰でも死にたくなる。
夕方にようやく蛇が起きてきたとき、私はキーロがまだ生きているか尋ねた。蛇はチロチロと二股に分かれた舌を出し入れして探る。
「生きて、いる、よ。く、く、昨日、の、お客、と、一緒、の、よう、だ」
それなら、早く殺しにいこう。勝手に死んでしまわないうちに。
私は無関係な者がいることがわかって、その上で苦しみを与えて殺している。だから私は苦しんで死んでも仕方がないと思っていたし、一応覚悟はしていた。だが、蛇は私をとっとと殺して少年をいたぶりにいくんだろう。拍子ぬけだ。少年がかわいそうだな、とは思ったが、私はその分助かった。なんだか救われたような、不思議な、申し訳ない気分だ。
蛇は私をいざない、目的地に向かう。
そこは、新谷坂山の麓の林の奥。蛇はこの山に立ち寄るのに少しのためらいを見せたが、場所が山頂ではなくふもとであると理解すると、むしろ先を促された。蛇は断片的に、長い間ここの山に閉じ込められていたから、ここは嫌いだと語った。
日は大分おちて、微かなオレンジ色が少し残るくらいで、空は藍色に染まっている。あつらえたような逢魔が刻。たくさんの不幸が行動を開始する時間。
まもなくすっかり日は落ちて、あたりは闇に沈むだろう。私は何も見えなくなるが、蛇はもとより目が見えない。キーロを殺すのに支障はない。私も耳が聞こえれば、キーロの苦しみは把握できる。苦しめて殺したいけど、今更苦しむ姿自体をわざわざ見たいとも思わない。それより闇に紛れてこっそり近づけた方が得策だ。
到着地点は小さな洞窟のようだった。入り口の高さは2メートルほどだろうか。山肌は自然に崩れたというよりは、防空壕のように誰かが堀ったものを思わせる。昨日今日のことには思われないほどには古いもののようだ。洞窟内は湿っていた。
それにしても、やはりあの少年は愚かだ。隠れているつもりか。見つからないとでも思ったか。こんな逃げ場所のないところに隠れるなんて、殺してくれといっているようなものだ。
「蛇、私が殺したいのはキーロよ。終わるまで、あの子には手を出さないで」
「わかって、い、る」
ザラザラとした蛇の声は期待に打ち震えていた。
洞窟の中は少し湿って、変な匂いがした。
私と蛇はなるべく音をたてないように洞窟に足を踏み入れたけれど、真っ暗だったからやはり何かを踏んで、パキっと音がしてしまう。
「サニーさん……?」
少し先から、おどおどと怯えたような声がする。昨日聞いた少年の声だ。洞窟で音が響いているせいか、妙に現実感のない声だった。
「昨日ぶりね。私はあなたには用はないわ。だから少し出て行ってもらえたほうがありがたいのだけど」
洞窟の中を声が反響する。
「蛇も今出ていくなら、あと3日は待ってくれると思うわ。いまキーロを殺して、私が死んだら、歯止めが効かなくなるわよ」
実際、蛇からはそんな雰囲気を感じる。
「さに、い。余計、な、こと、は、いう、な」
蛇は耳元で私にだけ聞こえる小さな声でささやき、ずるずると私の背中から長い胴体を吐き出していく。
「ふ、ん、狭い、な」
洞窟の幅は高さも幅も2メートルくらい。高さがない分、動きにくくはあるだろう。だが蛇は蛇だ。ロープのようなしなやかな身体は自在に動くし、絡めとられればむしろ逃げようがない。だから私たちは獲物を逃さないよう、基本的にはせまい通路を選んだ。本当に、愚か。
「そこで止まって。サニーさん、僕は正直、死にたく、ない。キーロさんも、死んでほしくない」
少年のひどく怯えた声が響く。私は思わず足を止める。
「昨日も言った通り、それは無理よ。あなたには気の毒に思うけど」
「やっぱり、殺されるんだよね……」
少年の声に諦めが混じる。
「僕は生きていると、蛇はまたここに封印される可能性があるから」
そうなの? それは初耳だわ。
「でも、死ぬならせめて、痛いのはいやだ。苦しまないように、……死なせてくれないかな」
少年の願いに哀れげな響きが混じる。残念ながら、それは蛇には逆効果だ。
私は正直、少年には同情していたし、感謝もしていた。少年の願いならばなるべく叶えてあげたい。どうせあと1人だ。少なくとも妹を殺した3人のうち2人は苦しみを与えて殺すことができた。キーロは参加者の中で一番人を殺しそうなタイプからは程遠かったし、無関係の可能性は高いんだろう。グループLIMEでもブレスレットには反応していたけど『向日葵』の柄には反応がなかった。それならまあ、私の手で殺せれば、それで妹の復讐は果たされるように思える。
ただ、蛇を説得するのは無理だ。少年の言葉でより興奮している。吐息が少し熱い。
「私は別に、キーロが殺せればそれでいいわ。でも、あなたは無理でしょうね」
「痛いのは嫌……」
声にさらに絶望が混じる。ああ、だから逆効果なのに。背中からしゅるしゅると音がする。蛇はこの会話をとても楽しんでいる。
「……僕……苦しいのは嫌で、いっその事と思って昨日……死のうとした。でもナイフが刺さらなかった。だからもう、サニーさんにお願いするしかなくって。キーロさんも苦しむよりは自殺するって毒を口に含んでる」
自殺、という言葉に再び足が止まる。それは、困る。
「でも、キーロさんは僕を巻き込んだからって言ってくれて、サニーさんが僕とキーロさんが苦しまないように殺すよう蛇に頼んでくれるなら、キーロさんはサニーさんに殺されてもいいっていってる」
その懇願するような、ひどく哀れげな声に蛇はシューシューと音を立て、ぽたぽたと唾液を垂らす音がした。小さな声が聞こえる。
「ぁ、あ、ぁ、堪ら、ない、我慢、できそうに、ない、な」
「だめよ蛇。キーロが先、でも自殺は困るわ。せっかくの復讐なのに」
私は考える。キーロに自殺されては困る。私がキーロを殺すのでなければ復讐にならない。困ったわ。何よりさっきからキーロは一言も話さない。すでに毒を口に含んでいるなら、毒によっては一瞬でことが済んでしまう。蛇に少年を楽に殺すという選択肢はない。だから少年の選択には乗れない。それなら、話を引き伸ばして、キーロが毒で死ぬより早く蛇が殺すしかない、か?
少年の哀れな懇願は続いている。
「封印、の、せいか、よく、わからぬ、が、2つの呪い、の、反応、のうち、手前、の大き、い、反応、が、客人、で、そこから、1メートル、程、後ろに、いる、のが、キーロ、だ、ろう、よ。体温、で、位置、は、よく、わか、る」
「いつも、通り、手前、に、いる、客人を、毒で、動けなく、して、すぐ、に、後ろ、に、いる、キーロ、を、絞め殺し、て、お前、を、食べ、て、僕は、客人、で、遊ぶ」
蛇の息が荒い。
「真っ暗、だ。キーロに、客人の、様子など、わからぬ、よ。腹、から、締めあげ、れば、毒なぞ、吐き、出す。どう、だ? く、ふ」
「わかったわ。それで構わない」
「ふ、ふ、短か、かった、が、それなり、に、楽し、かった、さに、い」
蛇はそう言って首を伸ばし、少年に毒を吐きかけ、そのまますり抜けて後ろのキーロを全力で締め上げようとしたその時、雷に打たれたような衝撃が走り、わたしの体ごと蛇は痙攣して、動かなくなった。
そして、バタリと人が倒れる音、そしてその後ろから、キーロさん大丈夫!? と叫ぶ少年の声がした。