第5話 地神の暇つぶし
文字数 2,511文字
少し、飽いていた。
いや、飽いていたのとも少し違う。
なんだか、この役目が意味がないもののように思われたのだ。
我は長い年月、この新谷坂山で悪しきものの封印を守ってきた。
彼の方は我をそのように造られたし、封印こそが我が役目である。そこには何の不満もない。
彼の方は遠い昔、この場所にさまざまな怪異が集まり不幸の温床となったとき、それを憂いて命と引き換えに怪異を閉じ込め、封印された。
我はその封印のふたである。腹の下にうごめく怪異がどのようなものかは詳しくは知らぬが、我はその上に座し、長い年月この土地やそこで暮らす者を見ていた。
彼の方のいいつけなのか、時おり近く住む人間が供え物など持ってくることがあった。そんなものはなくてもよいし、祈りをささげられてもただの封印のふたである我には意味はない。特に豊作や安産を祈られても我にはどうしようもない。ただたまに、悪いものを払ってほしいという願いについては、彼の方がこの地の安寧を願っていたのもあるゆえ、気が向くままに足を運び、とらえて穴から封印に投げ入れた。人は移り変わり、時には村ごと滅ぶこともあったが、我は特に何を思うこともなく、封印のおもしであり続けた。
状況が少しかわったのは今から100年ほど前だろうか。
封印を破ろうとする人間が現れる。
ふたである我を無視してこの山の脇を掘り、封印を破ろうとしたのだ。我はその人間を観察したが、怪異をまき散らそうとしている様子でもなく、いぶかしく思われた。だが、我はしょせんふたにすぎぬ。ふた以外のところから封印を開けようとするのであれば、それはそれで仕方がない。我の関することではないし、放置した。
すると案の定、封印の横っ腹にほんの小さな穴が開き、怪異の内の一つが封印をするりと抜け出した。一旦 抜け出した怪異は、外に出した者でなければ封印はできぬ。理屈はよくわからぬが、解放した者が開けた穴から出るゆえなのか、解放した者と怪異の間に縁 ができるようだ。ようは解放した者が穴の鍵を持つのだ。解放した者が求めぬ限り、再び同じ穴に押し込め閉じることは難しい。
その人間が封印したいというのであれば手伝おうと思って見ていたが、その怪異は、あっという間にその人間を食らいつくした。これではもう我にはどうしようもない。逃げ出した怪異は我には封印できぬ。捨て置くことにした。
我は山の横っ腹に開かれた新しい穴をどうするか少し考えたが、彼の方の願いを思い出し、とりあえずその穴はふさいでおくことにした。
それからしばらくの後、また山を崩そうという人間が現れた。我はまた、このまま人間が穴をあけて怪異を解放しようというのであればかまわぬと思い見ていたが、今度は以前に逃げ出した怪異が人間たちを襲い始めた。どうやら怪異はどこかに去ったのではなく、山の裾あたりに住みついていたらしい。
怪異と人間たちの攻防はしばらく続いたが、いつしか人間たちは退いたようだ。攻防といっても、どうやら怪異の力は弱く、たまたま一人になった人間や無人の資材を襲っているだけのようであったが。
その後も山にはぽつりぽつりと人間が立入り、家や道路というものを作っていった。これらは山の表面を少し削る程度であったから、封印には問題ない。逃げた怪異は人間が立ち入らぬ間は山の獣を喰 っているようであった。
我は奇妙に思う。
この封印は人間を厄災から守るためのものだ。なぜわざわざ壊そうとするのだろうか。それとも、いつのまにか我の役目は人間にとって意味のないものになってしまったのだろうか。
とはいえ、我の役目は封印のふたである。人間の意図など関係ない。封印がある限りこの上に横たわっているだけだ。役目に不満はないが、少しだけ、この封印は彼の方が守ろうとした人間達にとって不要なものとなったのか、と思う。それであれば、むしろ求められれば明け渡した方がよいのだろうか、そのようにも思われた。そのほうが、彼の方の意思にも沿うのかもしれぬ。
我は人間の世を観察した。
もともとこの山に登る人間は多い。古くは薪 や山の鳥獣を求めて人間は立入っていたし、最近では山裾の方が開かれて人間が歩き回っている。
我は仮初 の姿で山や街を巡った。人間の世は昔と異なり、驚くほど怪異は窮屈に押し込められていた。
なるほどこれであれば封印は要らぬのかもしれぬ。
とはいえ、我の役目は封印のふただ。役目がある限りは全うしよう。
その月の明るい夜、参道を登る者が2人いた。
一人は騒がしく、もう一人は大人しそうだ。大人しそうな方はどことなく、彼の方に少しだけ雰囲気が似ていた。そういう者は町にも稀にいるが、ここまで登ってくる者は珍しい。
我は気まぐれに、仮初の姿でその者の前に姿を現す。
「ここでなにをしておる。ここは危ない」
この山には逃げ出した怪異が潜んでおる。あまり長居をするべきではない。言葉が通じぬことは知っておったが、我は気まぐれにそう忠告した。
その者はしばらく我を見つめ、
「友達の付き添いできたんだよ。もう少ししたら帰るから」
と優しげな声で述べた。まさか正しく返答が返ってくると思わなかったので少し驚いた。偶然とはいえ、応答が合致するのは何百年ぶりだろう。
「ならばよい。速 く立ち去られよ」
どことなく、我は彼の方とまた話ができたような心持で、珍しく、少しよい気分になった。
そのとき、社の裏手から逃げ出した怪異の気配を感じた。あれがこの辺りまで来ることは珍しい。
おそらく山裾から二人について来たのであろう。二人であったため襲われなかったが、いまは別れているので騒がしい方を襲いに行ったのやもしれぬ。
我はちらりと大人しい方を見る。社の内側のここにいる限りは大丈夫であろう。
こやつらが怪異に食われようと食われまいと、我の関与することではないが、我は怪異を封印するふたである。我に封印はできぬとはいえ、役目がら、一応は様子を見にいくことにした。
次話【口だけ女と夜食をともに】
いや、飽いていたのとも少し違う。
なんだか、この役目が意味がないもののように思われたのだ。
我は長い年月、この新谷坂山で悪しきものの封印を守ってきた。
彼の方は我をそのように造られたし、封印こそが我が役目である。そこには何の不満もない。
彼の方は遠い昔、この場所にさまざまな怪異が集まり不幸の温床となったとき、それを憂いて命と引き換えに怪異を閉じ込め、封印された。
我はその封印のふたである。腹の下にうごめく怪異がどのようなものかは詳しくは知らぬが、我はその上に座し、長い年月この土地やそこで暮らす者を見ていた。
彼の方のいいつけなのか、時おり近く住む人間が供え物など持ってくることがあった。そんなものはなくてもよいし、祈りをささげられてもただの封印のふたである我には意味はない。特に豊作や安産を祈られても我にはどうしようもない。ただたまに、悪いものを払ってほしいという願いについては、彼の方がこの地の安寧を願っていたのもあるゆえ、気が向くままに足を運び、とらえて穴から封印に投げ入れた。人は移り変わり、時には村ごと滅ぶこともあったが、我は特に何を思うこともなく、封印のおもしであり続けた。
状況が少しかわったのは今から100年ほど前だろうか。
封印を破ろうとする人間が現れる。
ふたである我を無視してこの山の脇を掘り、封印を破ろうとしたのだ。我はその人間を観察したが、怪異をまき散らそうとしている様子でもなく、いぶかしく思われた。だが、我はしょせんふたにすぎぬ。ふた以外のところから封印を開けようとするのであれば、それはそれで仕方がない。我の関することではないし、放置した。
すると案の定、封印の横っ腹にほんの小さな穴が開き、怪異の内の一つが封印をするりと抜け出した。
その人間が封印したいというのであれば手伝おうと思って見ていたが、その怪異は、あっという間にその人間を食らいつくした。これではもう我にはどうしようもない。逃げ出した怪異は我には封印できぬ。捨て置くことにした。
我は山の横っ腹に開かれた新しい穴をどうするか少し考えたが、彼の方の願いを思い出し、とりあえずその穴はふさいでおくことにした。
それからしばらくの後、また山を崩そうという人間が現れた。我はまた、このまま人間が穴をあけて怪異を解放しようというのであればかまわぬと思い見ていたが、今度は以前に逃げ出した怪異が人間たちを襲い始めた。どうやら怪異はどこかに去ったのではなく、山の裾あたりに住みついていたらしい。
怪異と人間たちの攻防はしばらく続いたが、いつしか人間たちは退いたようだ。攻防といっても、どうやら怪異の力は弱く、たまたま一人になった人間や無人の資材を襲っているだけのようであったが。
その後も山にはぽつりぽつりと人間が立入り、家や道路というものを作っていった。これらは山の表面を少し削る程度であったから、封印には問題ない。逃げた怪異は人間が立ち入らぬ間は山の獣を
我は奇妙に思う。
この封印は人間を厄災から守るためのものだ。なぜわざわざ壊そうとするのだろうか。それとも、いつのまにか我の役目は人間にとって意味のないものになってしまったのだろうか。
とはいえ、我の役目は封印のふたである。人間の意図など関係ない。封印がある限りこの上に横たわっているだけだ。役目に不満はないが、少しだけ、この封印は彼の方が守ろうとした人間達にとって不要なものとなったのか、と思う。それであれば、むしろ求められれば明け渡した方がよいのだろうか、そのようにも思われた。そのほうが、彼の方の意思にも沿うのかもしれぬ。
我は人間の世を観察した。
もともとこの山に登る人間は多い。古くは
我は
なるほどこれであれば封印は要らぬのかもしれぬ。
とはいえ、我の役目は封印のふただ。役目がある限りは全うしよう。
その月の明るい夜、参道を登る者が2人いた。
一人は騒がしく、もう一人は大人しそうだ。大人しそうな方はどことなく、彼の方に少しだけ雰囲気が似ていた。そういう者は町にも稀にいるが、ここまで登ってくる者は珍しい。
我は気まぐれに、仮初の姿でその者の前に姿を現す。
「ここでなにをしておる。ここは危ない」
この山には逃げ出した怪異が潜んでおる。あまり長居をするべきではない。言葉が通じぬことは知っておったが、我は気まぐれにそう忠告した。
その者はしばらく我を見つめ、
「友達の付き添いできたんだよ。もう少ししたら帰るから」
と優しげな声で述べた。まさか正しく返答が返ってくると思わなかったので少し驚いた。偶然とはいえ、応答が合致するのは何百年ぶりだろう。
「ならばよい。
どことなく、我は彼の方とまた話ができたような心持で、珍しく、少しよい気分になった。
そのとき、社の裏手から逃げ出した怪異の気配を感じた。あれがこの辺りまで来ることは珍しい。
おそらく山裾から二人について来たのであろう。二人であったため襲われなかったが、いまは別れているので騒がしい方を襲いに行ったのやもしれぬ。
我はちらりと大人しい方を見る。社の内側のここにいる限りは大丈夫であろう。
こやつらが怪異に食われようと食われまいと、我の関与することではないが、我は怪異を封印するふたである。我に封印はできぬとはいえ、役目がら、一応は様子を見にいくことにした。
次話【口だけ女と夜食をともに】