第47話 私の人間関係

文字数 4,986文字

藤友君は、僕の部屋にアイさんを置いてすぐに出て行った。
本当に話を聞きたくないんだろう。

「それで、アイさん。あなたは藤友君に危害を加えたりするの?」

僕は少し緊張しながら、机の上に乗ったアイさんに問いかける。
ぷるぷると揺れるお饅頭が紺の風呂敷に包まれている姿は、ちょっとかわいいかも。

「加えません」

「ええと、例えば藤友君の気持ちにそぐわないことをしたり、邪魔をすることも含めて?」

僕の頭にあったのは、5月初めの花子さんとのこと。

「危害とは、『身体や生命に及ぼす危険・損害』ではないのですか?」

うーん、花子さんのときとダブるけど、何かもっと、根本的な違和感がある。
あ、ひょっとして花子さんたちと違ってそもそも人間って設定されていないのかな。

「アイさん、あなたは何?」

「私はアイ」

「人間ではない?」

「人間ではないけど、人になりたいのです」

その後のやりとりで僕は理解した。
アイさんは人間ではない。そして、厳密にいえば生き物でもなかった。例えるなら、自然現象に近い。
アイさんはもともと空から降ってきた何か、がバラバラになったもの、のかけら。もともとが何だったか。それはかけらの部分アイさんには、もはやわからない。
今のアイさん自身は、バラバラになって雨と風にまじりあって排水溝に流れ落ちてきたいくつかのかけらがまた集まって、空気中の微粒子と辛うじてまじりあって存在している何か。
寒気団と暖気団が拮抗するわずかなすき間にたまたま高濃度に滞積した空気中の不思議な微粒子として微かに存在していたところを、坂崎さんが光を当てて引っ張りあげた。この間藤友君が昼休みに言っていた、チンダル現象のようなものなのかな。

だからアイさんはもともと、夏の訪れ、つまり気圧の拮抗が失われる梅雨の終わりとともに消失する。アイさんの形を保つための微粒子が夏の高温によって存在を保てなくなるから。春が来れば雪だるまが溶けてなくなるように。
新谷坂の怪異を閉じ込めるニヤも、アイさんのことを、「そこにはなにもない」と言いきる。「ただの影だ」とも。

アイさんは梅雨の初めに坂崎さんに拾われて、坂崎さんを見て人を真似たいと思うようになった。
よりによって坂崎さん。最近僕はあの人が人間なのか少し疑問に思っている。

アイさんと話した結果わかったこと。
アイさんは、僕にとっても、藤友君にとっても悪いものじゃない。そして、アイさんは僕らに危害は加えない。でも。だけど。このままじゃ。僕は困惑する。
アイさんは僕が関与しないといけない新谷坂の怪異ではないけれども、放っておいていい問題じゃないように思う。
アイさん自身は悪い人じゃ全然ないし、僕の友達の藤友君を助けてくれてるんだから。

昨日見た光景を思い出す。
僕は昨日、新谷坂の書店で本を買った帰りに坂崎さんとアイさんを見かけた。2人は、卑屈な笑みを頬に張り付かせたサラリーマン風の男とにこやかに話していた。なんていうか、うだつが上がらない感じの40代くらいの男性。2人とそのおじさんの温度差がすごい。
気になって見ていると、坂崎さんは軽く手を振ってアイさんを残して立ち去り、アイさんは男に手を引かれて路地に入る。そこにはチンピラっぽい長身の男がいて、2人を怒鳴り散らす。金を返せとか、ふざけんじゃねぇとか叫んでいて、サラリーマン風の男は縮み上がっている。すごい迫力で、遠くから聞いている僕でも結構怖い。

アイさんはすたすたと怒鳴る男に近づき、おもむろに手に持ったナイフで男の腹を刺した。男は驚き、懐からとり出したナイフで、後ろ姿からはっきりとはわからなかったけど、野郎、とつぶやいてアイさんの胸を刺した。けれども、アイさんは全く動じず、男の腹部から刺したナイフを引き抜く。男は口から粘りのある血を吐きながら体をくの字に曲げたあと、アイさんをにらみつけてその頭を殴りつける。けれどもアイさんの頭部はまるで粘土細工のように半分ほど欠けて凹んだだけだった。
化け物を見るように驚き固まる男の胸にアイさんは再度ナイフを突き刺し、男は崩れ落ちた。多分、致命傷。
それを見ていたサラリーマン風の男は、ヒィァと叫んで一目散に逃げ出した。

アイさんは腕を触手のようにばらけさせて倒れた男を包み込み、飲み込んだ。アイさんから伸びた触手は最初、人を覆う形をしていたけど五分もするとその膨らみはしぼんでなくなった。触手はあたりの地面をはいまわり、男からこぼれた血液も回収する。そのあとアイさんは触手を腕の形に戻し、頭の形も修復した。

僕は何が起こったのかわからずに固まっていると、いつのまにか坂崎さんが現れて、アイさんの手を取って立ち去った。


僕はナナオさんとの会話を思い出す。末井來々緒(まついななお)さんは僕の同級生で、怪談話好き仲間。

「最近、新谷坂でなんでもお願いを聞いてくれるお化けのうわさがあるんだ。願いをかなえてもらえるには、本気で願いながら街BBSの願い事スレを探せば見つかるんだけど、本気じゃないと見つからない。私も探したけど見つからなかったよ」

僕はアイさんのことを調べたいと本気で思って街BBSに目を走らせた。あった。



あなたのお願いかなえまーす♡

1 名前: アンリ♪ 投稿日: 06/10(月) 16:57:56 ID:kgaw93Tw

あなたのお願い、できる範囲で何でもかなえるよ!
お願いある人は内容を書いて、メールちょうだい♪

時間は朝から23時くらいまで
場所は23時に新谷坂に帰ってこられる範囲でよろしく♪

2 名前: アンリ♪ 投稿日: 06/13(木) 12:41:06 ID:kgaw93Tw
ていきあげー

3 名前: アンリ♪ 投稿日: 06/17(月) 08:00:42 ID:kgaw93Tw
ていきあげー



タイトルと定期ageだけで、他人の書き込みはない。
でもこれは絶対坂崎さんが立てたスレッドだ。
お願いの内容は直接メールで坂崎さんに連絡が来て、朝か放課後二人で会いにいく。

坂崎さんも原因なんだろうけど、アイさんは人になりたくて、一般的な人間の平均値を探している。
アイさんの外見は既に人間にそっくり。これ以上真似るというと、欠けているのは人の内面なんだろう。内面がわかるくらい誰かとつきあうのは普通は長い時間がかかるしアイさんのリミットには間に合わない。

でも、アイさんから聞いた坂崎さん紹介の平均値は、殺し屋とか風俗とか殴られ屋とかそんなものばかり。
前に藤友君は坂崎さんを『善意だけど結果を考えない』といっていた。坂崎さんが『善意』で一番手っ取り早く解決しようとした結果がこれなんだろうな。
強い願いは人の内面を強く映し出すけど、人にはそうじゃない部分だってたくさんあるはず。僕はそういう、小さな希望や思いとか、目立たず息を潜めているところこそが、人じゃないかなと思うんだ。多分。

「アイさんは完全に人の真似ができたら、どうするの?」

「真似ができたら、わかるはず」

アイさんは集めたデータを集積して、人になろうとしている。でもそのデータは偏り過ぎている。
せめて、アイさんの欠落、人間の中央値を少しでも埋めてあげたい。
人間の中身は外見以上に個体によって全く違うこと。辞書的な意味と実際使われる言葉は異なることも多いこと。これまでアイさんが出会ったと思われる個体は、人間の平均値からは随分外れているケースばかりであること。

アイさん自身がズレを感じていたこともあって、僕の説明に一応納得したようだったけど、じゃあどう違うのかっていう点については僕はどう説明したものかわからなかった。
1番欠けているものは一般的な人生哲学とかエログロとかの受け止め方なのかな……。
藤友君はアイさんにパッドを渡していたけど、多分意図的にフィルターをかけていたんだと思う。多分、坂崎さんがいなければ、間違ってはいなかったんだろうけど。
結局アイさんは意味がわからないまま坂崎さんによって18禁の奥底の方から人間関係をスタートさせたんだよね。
どうしたらいいんだ、これ。

仕方がないので僕はフィルターを外したパッドを渡した。とりあえず日本昔話とかの普通の子どもが見るようなやつと、R15くらいの穏当なホラー映画とかから初めて、普通の人間の恐怖に対する捉え方とかを学習するのがいいのかな。あとはちょっとエロいサイトとか?

それから、僕はアイさんのこれまで会ったと思われる人間の対極にあたるであろう、ナナオさんを紹介することにしよう。
昼間に坂崎さんがアイさんを連れ出すのは止められないけど夕方からは僕とナナオさんでリカバーしたい。

放課後、ナナオさんに事情を話した。
アイさんは怪異で人間を真似したいと思っているけど、藤友君と坂崎さんしか知り合いがいない。ナナオさんは、への字口をして、あの二人を真似るのは無理だろと言った。

僕は行きつけになりかけているライオ・デル・ソルでナナオさんとアイさんとお茶をする。お店の名前はスペイン語なのに白い壁に青い扉のお洒落な北欧風の喫茶店。
店内は木の匂いで満ちている。雨が降っていなければオープンテラスも気持ちいい。

本当はコーヒー1杯800円するお店で僕の懐にはかなり厳しいんだけど、ちょくちょく来ているせいか、学割を導入してくれた。なんと半額の400円。たまに試食で感想聞かせてっていって、お菓子をつけてくれることもある。
今日も1/3サイズのひとくちルバーブタルト。フィンランドの初夏の味で、ルバーブっていう砂糖漬けのピンクのフキみたいなものが表面に敷き詰められていて、タルト生地の甘い香りとルバーブの甘酸っぱさがたまらない。色もすごく奇麗。
ほんと、店長さんいい人。

「なぁ、アイっていうんだっけ、お前なんで人間の真似したいの?」

「わからない」

「なんで? どっか真似したいとこがあるから真似したいんだろ?」

「ぜんぶ真似したいです」

微妙に会話がかみ合わない。アイさんがじっとナナオさんを観察しているのはわかる。

「ナナオさん、いまアイさんが真似をしているものは、結構ひどいんだ。だからどうせなら普通の人間を真似てほしいなと思って」

「あー。ハルキじゃなぁ。よっしゃ引き受けた。とりあえず明日はカラオケでもいくか?」

酷いのは坂崎さんのほうなんだけどね。
ナナオさんはアイさんからいろいろ聞き出す。
ナナオさんはすごい。視点と切り口の強引さが。僕はどこかアイさんを怪異として扱っていたけど、ナナオさんはアイさんを完全に人として扱っている。これがコミュ力の差か。

アイさんのこれまでの生活で1番好ましかったのは坂崎さんの友達の話をいろいろ聞いたこと、多分、お願いという目的じゃなくてアイさん自体に興味を持たれた瞬間。それから藤友君の部屋に藤友君といるとき。

これを聞いたとき、ナナオさんは、ヒュゥ♪ と口笛を吹いた。でもよく聞くと、藤友君とはただたんに、家主と店子という関係性で、同じ部屋にいてもろくに会話はないみたい。
でもアイさんの人付き合いは、そんな関係性を持つこと自体がないものだから、人間との関係を持つこと自体が興味深いらしい。
ナナオさんは、じゃあこれからだなっ、といって、ニヒヒッと白い歯をみせる。

これまでの生活で1番好ましくなかったのは、ネットで検索する人間の情報と実際会った人の情報に乖離があり、ラーニングが進展しないこと。
でもこれは、ナナオさんの協力を得れば少しは埋まる気がする。
ナナオさんはそれからもアイさんに、すきな食べ物、好みの男子、すきな場所、将来なりたいもの、奇麗だと思うもの、とかいろいろ聞いた。
アイさんの答えはほとんど「わからない」だったけど、ナナオさんはふとアイさんの前の空になったルバーブタルトのお皿をフォークで示す。

「そのケーキ、よかった? わるかった?」

しばらく間を置いて、アイさんは「よかった」とつぶやく。

「おお、じゃあ好きなもんできてよかったな。また食べような」

ナナオさんは太陽のように笑った。
多分アイさんは栄養摂取的な意味で肯定したのだとおもうけど、最初の好きってそういうものなのかもしれない。アイさんにとっての好ましいもの、栄養。
今日、アイさんの好きなものリストの一番上に「ライオ・デル・ソルのルバーブタルト」が登録された。
そして僕とナナオさんは、アイさんの人間関係リストの2番目に、「友達」として登録された。
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登場人物紹介

東矢一人。

新谷坂の封印を解いた代わりに、自身の半分以上を封印される。再度封印を施すため、新谷坂の怪異を追っている。

不思議系男子。

末井來々緒。

「君と歩いた、ぼくらの怪談」唯一の良心。姉御肌の困った人は見過ごせない系怪談好きギャル。

坂崎安離。

狂乱の権化。ゆるふわ狂気。歩く世界征服。

圧倒的幸運の星のもとに生まれ、影響を受ける全てのものが彼女にかしづく。

藤友晴希。

8歳ごろに呪われ、それからは不運続きの人生。不運に抗うことを決めた。

坂崎安離の幸運値の影響によって多少Lackが上昇するため、だいたい坂崎安離に同行し、新たな不幸に見舞われる。

サバイバル系考察男子。

赤司れこ。

twitter民。たまにつぶやく。

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