第4話 大きな口の、小さな口だけ女
文字数 3,876文字
「口だけ女?」
ちょっと変な声が出た。なんとなく、妖怪モッチにそんなのがいた気がする。目鼻がなくて口だけだけどかわいいの。
とりあえず、僕は震えるナナオさんに僕の上着をかけて、何が起きたのか尋ねる。
ナナオさんは絵馬の代わりになるものを探して、裏山の方に分けいったようだ。
ナナオさんの明かりは携帯だよりだから大丈夫だったのかと聞いたら、登り道の方なので後ろを振り向けば夜景が見えるだろうから、神社には帰れると思った、といっていた。それはさすがにうかつでは。ここの山の木はわりと高いから、ちょっと上るとわからなくなる気がするんだけど。チャレンジャーだな。
ともかく、ナナオさんはたぶん闇雲に探していたんだろうけど、しばらくしたらどこからか子どもの声が聞こえたらしい。子供はしくしく泣いていて、その声が木々の間に響いていたそうだ。
「なに考えてるんだよ、こんな時間に山に子供がいるとしたら幽霊とか妖怪でしょ?」
「だろ? そう思ったから声のする方に行ってみたんだ」
少し復活したのか、ナナオさんはなぜか腰に手を当てて得意そうにいう。普通と発想が逆じゃないかな。
「そんでさ、探してみると、ボロっちい着物きた8歳くらいの女の子がいてさぁ……それがすっごい悲しそうな声で泣いててさ」
ものすごくテンプレートな展開だ。
ナナオさんは思い出すように頭をかいて僕から目を逸らす。なんとなく、この後の展開が読めてきた。少し頭が痛くなる。ナナオさんは困ってる人を放っとけない人だ。
「思わず、どうしたの、って声かけちゃった。そしたら振り返って目があって、結構かわいい子だなって思ったら急にさぁ……」
ナナオさんは思い出して目元が少し泳ぎ、顔色が青くなる。
「なんか急にメリって口裂け女みたいに口が耳まで裂けた。耳まで裂けたら今度は口が上下に大きく開いていって、ええと、なんていうかな、下唇が顎 のほうに、上唇が頭の方にゴリゴリ開いてってさ、メリメリいいながら最後にはべろんって、頭の皮が全部めくれて頭全体がひっくり返した口の中みたいになった。それから、ゴム手袋をひっくり返したときみたいにどんどん口の中の部分が外に広がって腰くらいまでめくれて垂れ下がって」
「最後には、なんていうんだろ、直径1メートルくらいのてらてらした口の中みたいな皮のてっぺんに穴が開いててそっから太い舌がでてて、ふちの外周にぐるっと歯が並んでて、それから手とか足とかが生えてる化け物になった」
背筋を悪寒が駆け上がる。僕はナナオさんの表現におののく。そんなに具体的に聞きたくなかった。口だけ女、恐ろしすぎる。そんなもの直視したら耐えられない気がする。
「よくそれで逃げられたね」
「うん、一目散に逃げ出したよ。口だけ女はいろいろゴツゴツぶつかりながら追いかけてきたけどあんまり足は早くなかったみたい。口だけだと目がないから走りづらいのかも」
「でもこの辺でこけちゃって。もう駄目かと思ったら、10メートルくらい離れたところで口だけ女は止まってて、こっちに入ってこなかった。ボッチーが突っ込んでいきそうだったから慌てて止めた」
危なかった。危機一髪だ。僕の額からも冷たい汗が流れる。
「ここはもう神社のすぐそばだから、神社の封印が守ってくれたのかもね」
「神社の封印?」
少しの沈黙。
「……なんでキョトンとしてるんだよ!? ナナオさんが教えてくれたんでしょ!?」
「お、おう、そうだった。」
ナナオさんは僕の勢いにびっくりしている。
僕は誘われた理由を忘れられててびっくりだ。
とりあえず、一息つこう、と水筒の水をナナオさんにすすめる。
「ありがとな、そんでどうする?」
「うーん、ここが安全なら、少なくとも朝までは神社にいた方がいいかな。真っ暗な帰り道で襲われたらどうしようもなさそうだし、第一迷いそうだもの」
山で迷う一番の原因は、闇雲に下ることだ。
登り道は最終的には頂上に向かってるけど、降りる時はどの方位にも降りられるわけで、道があっても迷う。いつのまにか獣道が途絶えてて、どこにいるかわからなくなることも多いらしい。月は明るいけれど、下れば間に林がある。迷うかもしれない。
明るくなって下りれば、新谷坂 山はハイキングコースだから、人にも会えるし、遠足でも来たから大丈夫だと思う。
「……あの子、なんで泣いてたのかな」
気遣うような声音の、ナナオさんの驚愕の発言。ナナオさん……襲われたばかりなのに……。
「ナナオさんを襲ってきたならおなか空いてたんじゃないの?」
「うーん、そんな感じじゃなくて、最初はすごい悲しそうな声だった。子どもが泣いてるのって、ほっとけないじゃん?」
ナナオさんは困ったように眉を下げて僕を見るけど、さっきの口だけ女の話からは、そんな想像は難しい。
「でも、結局襲われたんでしょう? どうしようもないんじゃないのかな」
ううん、とナナオさんは腕を組んで暗い森のほうを見つめた。
僕はだんだん、なんだか嫌な予感がしてきた
「そうだ、ここが安全なら、ここから呼びかけちゃだめかな」
ナナオさんは、とてもいいことを思いついた、というようにニカッと笑った。
僕はナナオさんを止められず、結局、ギリギリ安全なところから、近づかずに呼びかけよう、ということに決定された。
僕らはおそるおそる、神社と裏手の森を分ける冷たい石畳に陣取る。
確かに、この石畳の先の森は、神社の神聖な雰囲気とは無縁で、何かが潜んでいるようなおどろおどろしい雰囲気を秘めていた。
ナナオさんは意を決して、よしっと小さく握り拳を固めたあと、作戦を開始した。
「おおーい、さっきの子、いまちょっとお話できるかな」
驚くほど、普通の呼びかけ。
「おーい、聞こえてたら返事をしてー」
そのまま、20分くらい、何度か大声で呼びかけて、無理じゃないかな、と思った時だった。
正面の暗がりから、カサカサっと小さな音がした。風や木の音とは違う、何か生き物が動いたような音。
僕らはごくりと唾を飲み込む。ナナオさんは先程と違う、少し緊張した声でもう一度呼びかけた。
「……えっと、さっきの子かな?」
しばらくしてから、闇の向こうから小さな声がする。
「……あの……怒ってない?」
確かに女の子のような、鈴が転がるような声だった。少し戸惑っているような。ナナオさんはうなり声じゃなくてほっと胸をなでおろす。この女の子の声で泣いてたら、確かにナナオさんじゃなくても様子を見にいくかもしれない。
「あ、うん、ちょっとびっくりしちゃったけど、……大丈夫かな」
ナナオさんは安心させるように優しい声で話しかけるけど、大丈夫というのは嘘だ。ナナオさんは無意識だろうけど、さっきから僕の手をすごい力で握りしめている。
「よかった……ごめんなさい、私、動いているものを見ると何がなんだかわかんなくなっちゃうの。だから、お姉さんもこっちに近づかないでね」
「……オッケーオッケー。この距離なら大丈夫かな」
「うん、見えないと大丈夫だし、私そっちに近づけないから」
「そっかそっか、よかった」
ナナオさんはほっと息をつく。僕の手を握っていたのに気がついて、慌てて手を離す。
僕たちはやわらかな暗闇を挟んで会話を続けることにした。
「それで、なんで泣いてたのかな、よかったら、お姉さんに相談してみない? 解決はできないかもだけどさ、気持ちは楽になるかもよ」
「気持ち……」
少しの時間があり、闇は話始める。
「……私、お母さんを探してるの。お母さんはここのお山に閉じ込められててでて来れないの、私、お母さんに会いたい……」
少し先の闇は、しくしく泣き始めた。それは、心を締め付けるような悲しそうな声。やっと、ナナオさんか気にかける理由が少しだけわかった。
ナナオさんは眉を寄せて困った顔をしている。
「お母さん、か……それってここの封印を解けば会えるのかな」
「ちょっとナナオさん!」
僕は小さな声でナナオさんの肩を引く。
「あの子がかわいそうなのはわかるけど、あの子のお母さんがあの子みたいな生き物だったとしたら、たくさんの人が犠牲になると思う。僕らも無事じゃすまないかもしれない。やめたほうがいいよ」
ナナオさんは、でも、といって目を泳がせる。その目は、だって可哀想じゃないか、と主張している。
「私はそっちのほうに行けないから、どうしていいかわからないの」
闇から小さな声がする。
ナナオさんは、うう、と小さくうめいて、僕の耳元でささやく。
「ボッチー、封印をといたら大変なことはわかるんだけどさ、せめて手紙のやり取りとか、様子を知らせるとか、できないのかな、あの子、悪い子じゃなさそうだし」
手紙……か……。
なんだか、ナナオさんは『口だけ女』という怪異じゃなくて、近所の子どもみたいに思っているように感じる。悪い子じゃないといいつつ、さっき襲われたんじゃないの?
「あの、さ。私らも封印のことはよくわかんないから、とりあえず神社の中調べてみるよ。うまくいくかは全然わからないから、期待せずにちょっと待っててくれるかな?」
さわさわと優しい風と一緒に声が届く。
「……お姉さん。ありがとう」
少しだけ嬉しそうな、女の子の声が風に乗って響いた。
次話【地神の暇つぶし】
ちょっと変な声が出た。なんとなく、妖怪モッチにそんなのがいた気がする。目鼻がなくて口だけだけどかわいいの。
とりあえず、僕は震えるナナオさんに僕の上着をかけて、何が起きたのか尋ねる。
ナナオさんは絵馬の代わりになるものを探して、裏山の方に分けいったようだ。
ナナオさんの明かりは携帯だよりだから大丈夫だったのかと聞いたら、登り道の方なので後ろを振り向けば夜景が見えるだろうから、神社には帰れると思った、といっていた。それはさすがにうかつでは。ここの山の木はわりと高いから、ちょっと上るとわからなくなる気がするんだけど。チャレンジャーだな。
ともかく、ナナオさんはたぶん闇雲に探していたんだろうけど、しばらくしたらどこからか子どもの声が聞こえたらしい。子供はしくしく泣いていて、その声が木々の間に響いていたそうだ。
「なに考えてるんだよ、こんな時間に山に子供がいるとしたら幽霊とか妖怪でしょ?」
「だろ? そう思ったから声のする方に行ってみたんだ」
少し復活したのか、ナナオさんはなぜか腰に手を当てて得意そうにいう。普通と発想が逆じゃないかな。
「そんでさ、探してみると、ボロっちい着物きた8歳くらいの女の子がいてさぁ……それがすっごい悲しそうな声で泣いててさ」
ものすごくテンプレートな展開だ。
ナナオさんは思い出すように頭をかいて僕から目を逸らす。なんとなく、この後の展開が読めてきた。少し頭が痛くなる。ナナオさんは困ってる人を放っとけない人だ。
「思わず、どうしたの、って声かけちゃった。そしたら振り返って目があって、結構かわいい子だなって思ったら急にさぁ……」
ナナオさんは思い出して目元が少し泳ぎ、顔色が青くなる。
「なんか急にメリって口裂け女みたいに口が耳まで裂けた。耳まで裂けたら今度は口が上下に大きく開いていって、ええと、なんていうかな、下唇が
「最後には、なんていうんだろ、直径1メートルくらいのてらてらした口の中みたいな皮のてっぺんに穴が開いててそっから太い舌がでてて、ふちの外周にぐるっと歯が並んでて、それから手とか足とかが生えてる化け物になった」
背筋を悪寒が駆け上がる。僕はナナオさんの表現におののく。そんなに具体的に聞きたくなかった。口だけ女、恐ろしすぎる。そんなもの直視したら耐えられない気がする。
「よくそれで逃げられたね」
「うん、一目散に逃げ出したよ。口だけ女はいろいろゴツゴツぶつかりながら追いかけてきたけどあんまり足は早くなかったみたい。口だけだと目がないから走りづらいのかも」
「でもこの辺でこけちゃって。もう駄目かと思ったら、10メートルくらい離れたところで口だけ女は止まってて、こっちに入ってこなかった。ボッチーが突っ込んでいきそうだったから慌てて止めた」
危なかった。危機一髪だ。僕の額からも冷たい汗が流れる。
「ここはもう神社のすぐそばだから、神社の封印が守ってくれたのかもね」
「神社の封印?」
少しの沈黙。
「……なんでキョトンとしてるんだよ!? ナナオさんが教えてくれたんでしょ!?」
「お、おう、そうだった。」
ナナオさんは僕の勢いにびっくりしている。
僕は誘われた理由を忘れられててびっくりだ。
とりあえず、一息つこう、と水筒の水をナナオさんにすすめる。
「ありがとな、そんでどうする?」
「うーん、ここが安全なら、少なくとも朝までは神社にいた方がいいかな。真っ暗な帰り道で襲われたらどうしようもなさそうだし、第一迷いそうだもの」
山で迷う一番の原因は、闇雲に下ることだ。
登り道は最終的には頂上に向かってるけど、降りる時はどの方位にも降りられるわけで、道があっても迷う。いつのまにか獣道が途絶えてて、どこにいるかわからなくなることも多いらしい。月は明るいけれど、下れば間に林がある。迷うかもしれない。
明るくなって下りれば、
「……あの子、なんで泣いてたのかな」
気遣うような声音の、ナナオさんの驚愕の発言。ナナオさん……襲われたばかりなのに……。
「ナナオさんを襲ってきたならおなか空いてたんじゃないの?」
「うーん、そんな感じじゃなくて、最初はすごい悲しそうな声だった。子どもが泣いてるのって、ほっとけないじゃん?」
ナナオさんは困ったように眉を下げて僕を見るけど、さっきの口だけ女の話からは、そんな想像は難しい。
「でも、結局襲われたんでしょう? どうしようもないんじゃないのかな」
ううん、とナナオさんは腕を組んで暗い森のほうを見つめた。
僕はだんだん、なんだか嫌な予感がしてきた
「そうだ、ここが安全なら、ここから呼びかけちゃだめかな」
ナナオさんは、とてもいいことを思いついた、というようにニカッと笑った。
僕はナナオさんを止められず、結局、ギリギリ安全なところから、近づかずに呼びかけよう、ということに決定された。
僕らはおそるおそる、神社と裏手の森を分ける冷たい石畳に陣取る。
確かに、この石畳の先の森は、神社の神聖な雰囲気とは無縁で、何かが潜んでいるようなおどろおどろしい雰囲気を秘めていた。
ナナオさんは意を決して、よしっと小さく握り拳を固めたあと、作戦を開始した。
「おおーい、さっきの子、いまちょっとお話できるかな」
驚くほど、普通の呼びかけ。
「おーい、聞こえてたら返事をしてー」
そのまま、20分くらい、何度か大声で呼びかけて、無理じゃないかな、と思った時だった。
正面の暗がりから、カサカサっと小さな音がした。風や木の音とは違う、何か生き物が動いたような音。
僕らはごくりと唾を飲み込む。ナナオさんは先程と違う、少し緊張した声でもう一度呼びかけた。
「……えっと、さっきの子かな?」
しばらくしてから、闇の向こうから小さな声がする。
「……あの……怒ってない?」
確かに女の子のような、鈴が転がるような声だった。少し戸惑っているような。ナナオさんはうなり声じゃなくてほっと胸をなでおろす。この女の子の声で泣いてたら、確かにナナオさんじゃなくても様子を見にいくかもしれない。
「あ、うん、ちょっとびっくりしちゃったけど、……大丈夫かな」
ナナオさんは安心させるように優しい声で話しかけるけど、大丈夫というのは嘘だ。ナナオさんは無意識だろうけど、さっきから僕の手をすごい力で握りしめている。
「よかった……ごめんなさい、私、動いているものを見ると何がなんだかわかんなくなっちゃうの。だから、お姉さんもこっちに近づかないでね」
「……オッケーオッケー。この距離なら大丈夫かな」
「うん、見えないと大丈夫だし、私そっちに近づけないから」
「そっかそっか、よかった」
ナナオさんはほっと息をつく。僕の手を握っていたのに気がついて、慌てて手を離す。
僕たちはやわらかな暗闇を挟んで会話を続けることにした。
「それで、なんで泣いてたのかな、よかったら、お姉さんに相談してみない? 解決はできないかもだけどさ、気持ちは楽になるかもよ」
「気持ち……」
少しの時間があり、闇は話始める。
「……私、お母さんを探してるの。お母さんはここのお山に閉じ込められててでて来れないの、私、お母さんに会いたい……」
少し先の闇は、しくしく泣き始めた。それは、心を締め付けるような悲しそうな声。やっと、ナナオさんか気にかける理由が少しだけわかった。
ナナオさんは眉を寄せて困った顔をしている。
「お母さん、か……それってここの封印を解けば会えるのかな」
「ちょっとナナオさん!」
僕は小さな声でナナオさんの肩を引く。
「あの子がかわいそうなのはわかるけど、あの子のお母さんがあの子みたいな生き物だったとしたら、たくさんの人が犠牲になると思う。僕らも無事じゃすまないかもしれない。やめたほうがいいよ」
ナナオさんは、でも、といって目を泳がせる。その目は、だって可哀想じゃないか、と主張している。
「私はそっちのほうに行けないから、どうしていいかわからないの」
闇から小さな声がする。
ナナオさんは、うう、と小さくうめいて、僕の耳元でささやく。
「ボッチー、封印をといたら大変なことはわかるんだけどさ、せめて手紙のやり取りとか、様子を知らせるとか、できないのかな、あの子、悪い子じゃなさそうだし」
手紙……か……。
なんだか、ナナオさんは『口だけ女』という怪異じゃなくて、近所の子どもみたいに思っているように感じる。悪い子じゃないといいつつ、さっき襲われたんじゃないの?
「あの、さ。私らも封印のことはよくわかんないから、とりあえず神社の中調べてみるよ。うまくいくかは全然わからないから、期待せずにちょっと待っててくれるかな?」
さわさわと優しい風と一緒に声が届く。
「……お姉さん。ありがとう」
少しだけ嬉しそうな、女の子の声が風に乗って響いた。
次話【地神の暇つぶし】