第8話 井戸の底の星空
文字数 4,092文字
僕は懐中電灯を片手に、井戸の底にある高さ1.5メートルくらいの横穴を、中腰でおそるおそる進む。
少しのカビ臭さと、湿った土の匂いがする。井戸の部分までは石で組まれていたけど、この横穴はなんというか、天然の洞窟のようで、鍾乳洞のようにつるつるした滑らかな岩穴になっている。
ここは井戸の上と違ってとても静かで、僕が歩くヒタヒタという足音と水が跳ねる音しかしかせず、足音は岩に反響するのかふわりと跳ね返り、不思議な音色を奏でている。
地下水なのか、足元には薄く水が張られていて、歩くたびにできる波紋は、懐中電灯で照らされた前方に、僕を導くように一歩毎にゆっくりと広がっていく。明かりと言えば、ヒカリゴケなのか、ライトをあてるとところどころ壁がエメラルドグリーンに反射するところがあり、なんだか幻想的だった。日中は太陽の光が井戸を経由してここまで届くのだろうか。不思議な場所。
しばらく、おそらく10メートルくらい歩いただろうか、少し天井が高くなっていき、そのまま少し広い空洞に出た。
「ここで、行き止まり、かな?」
ざっとライトを回してみると、直径5メートルほどの円形の空間になっていたけど、とりたてて何もないようだった。僕は何もなかったことに、かえって安堵する。
その時、僕の背後から、にゃぁ、という小さな声がした。
振り返ってライトで照らすと、闇から浮き出るように黒い猫が現れた。鳥居の下で会った黒猫だろうか。
「あれ? 君どこから入ったの?」
僕はしゃがみこんで、思わず猫に問いかける。
僕が来た井戸は猫が上り下りできるところじゃないと思うんだけど。真っ暗な通路に思えたけど、どこかに横道があるのかな。そうしたらちょっとまずいかも、帰りに迷うかもしれない。不安に心臓がどくんと鳴る。外に出るには入り口を知っているこの猫を追いかけるのがいいのかな。
猫はそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、そのまま僕の脇を通り過ぎ、まっすぐに歩いて行く。僕は黒猫の後ろ姿をライトで照らす。黒猫はぴょんと1mほど飛び上がり、正面の岩棚の上によじ登った。
先ほどは気づかなかったけど、その岩棚の上にはいろいろなものが置かれていた。猫の家なのかな……そう思って見ると、古くてぼろぼろになっているけど、壊れた木の台や器なんかが散らばっていた。そして、ライトをさらに上にあげ、僕は驚いてしりもちをつく。
即身仏……。
少しあがったところにある岩棚の中には、ぼろぼろの、おそらく袈裟 をまとったミイラが静かに座っていた。
驚いて心臓がキュッとなったけど、水の冷たさが僕を少し冷静にした。
改めて見ると、その即身仏はどこか不思議と優しく神聖な雰囲気をかもし出していた。黒猫が即身仏の隣に座って金色の目を細め、とても親しそうに見ていたからかもしれない。なんとなく、このまま見続けるのは失礼に感じて、僕はライトの光を外した。
『もともと新谷坂 山はいい山で、昔えらい人が超悪いのをたくさん封印して、その後も悪いことがおこんないように見守る山だったんだって』
ナナオさんの言葉が思い浮かぶ。この人が、新谷坂山の災厄を封印した人なのかな。ということは、ここは災厄が封印された場所。僕は足元のことを思い、少し足がすくんだ。
「にゃぁお」
黒猫は僕に話しかけるように鳴いた。
「ごめん、君の大切な場所をあらすつもりはなかったんだ。外で困っている子がいて、僕の友達が助けたいっていう話になって」
ああ、なんだか言い訳くさいな。
「えっと、そうじゃない。僕も何かできないかなって思って、ここまできちゃった。その、あなたたちの邪魔をしようとか、全然考えてない」
僕はなんだか、彼らの神聖な場所を汚しているようで、とても気まずい気持ちになった。
闇の中から、にゃぁ、と鳴く声が聞こえる。それなら何をしに来たんだ、というように聞こえた。
なんで意思疎通ができてるように思うんだろう。足元を照らす細いライトと反射する水たまり、そしてハウリングするような自分と黒猫の声。そんな不思議な空間が、そういう風に思わせているのかもしれない。
「ええと、僕はその人がした封印を解こうと思っているわけじゃないんだ。外の子が、封印の中にいるお母さんに会いたいっていっていたから。……手紙の交換とか、そのお母さんの様子を伝えるだけでもできたらいいなと思って」
なんでこんなこと話してるんだろう、という気持ちもあるけど、彼らの大切な場所に僕が勝手に入り込んだんだから理由を話さないといけない気になってた。
しばらくして、岩棚の下のほうを照らしていたライトの中に、トン、と黒猫が現れた。
とことこと僕の足元にやってくる。
黒猫は僕を心配そうに見上げた。本当にいいのか、と問いかけている気がする。
「だめ……かな……?」
黒猫は僕の近くによってきて、僕の手をひっかいた。
痛っ。
ぽとり、と僕の血が水面に落ちた瞬間。
奇妙なことがおこった。
僕の血は、水面におちたところから、僕を中心に黄色や黄緑の蛍光塗料のような色を帯びて、まるで油膜が広がるようにゆっくりと薄く部屋全体に広がっていく。波紋のように部屋の端まで到達すると、一瞬水面全体がぱっと眩しく光ったあと、光はガラスが割れるように固まって砕け、そのままばらばらと粉のように辺り一面に飛び散って床の底に吸い込まれた。
そのたくさんの光が足の下で瞬いている。星空が広がるような光景に思わず息を呑 む。まるでさっき井戸の外で見た星空を上から見下ろしている気分。でも、その星空の下には、何かたくさんのものが動いていた。
黒猫はこつこつと水面をたたき、星空の下に蠢 くものの一つを指し示す。僕はそれを見た瞬間、全身が凍りついた。
『口だけ女』……。
それは確かに、ナナオさんが言った通りの姿をしていた。ひっくり返った肉色の粘膜はテラテラとした透明な唾液に塗れ、唾液は口蓋 の端から下方にねとりねとりとこぼれ落ちている。中心から生えた舌と思われる赤黒い肉塊がもぞもぞと緩慢に動くごとに小さな泡が生まれ、それが粘膜にぶちぶちとぶつかるごとにつぶれ、周縁にぐるりと並ぶ歯にあたって散らばり下方に落ちてゆく。まるでぐちょぐちょとした音が聞こえてくるようだ。真上からなので手足は見えないが、そのおぞましさは僕を戦慄させるのに十分だった。
にゃあ、と黒猫が鳴く。僕が求めているのはこれとの意思疎通だ、と。所詮、怪異と人は相容れないものだ、と。
その大きな『口だけ女』は僕に気づいたようで、ゆらりゆらりとゼリーの海を泳ぐように水面、僕の方に近づいてきた。思わず僕は後ずさる。
ごめん、ナナオさん、これは無理だ。
そう思った時、背後からダンッダンッと何かを蹴る勢いの良い音がして、バチャッという水が跳ねる音がした。
まさか……。
「ボッチーどこだっ!? 大丈夫か!?」
「ナナオさん!? なんで来た!?」
ナナオさんは僕の声と床に散らばる星空のような灯りを頼りに、一直線にこちらに向かって走ってくる。
黒猫が慌てたように、にゃぁ、と鳴いてナナオさんの方に向かう。
「ナナオさん入ってこないで!」
僕は黒猫の様子から、何かまずいと思ってそう叫んだが、遅かった。ナナオさんは部屋の入り口で突然、とぷり、と床に沈んだ。まるで、突然海に落ちたように。
「なん……これ……」
僕が慌てて駆けつけたけど、手が届く寸前にナナオさんは頭の上まですっかり床の底に沈んでしまう。全身の血の気が失せる。血が全部氷になったように。
僕はドンドンとナナオさんが落ちた床をたたくけど、表面でピチャピチャと水が跳ねるばかりで星空の下には届かない。ナナオさんはブクブク言いながらこちらに手を伸ばした。
「ねぇ、なんで!? なんでなの!? なんで届かないの!?」
僕は焦って黒猫に怒鳴るが、黒猫は首をふる。
そのうち、大きな『口だけ女』がぶくぶくとゆっくりナナオさんのほうに泳ぐように近づいてきた。
「ナナオさん!? 逃げて!! 反対側に!!」
声が届くのかはわからないけど、ナナオさんも『口だけ女』に気づいて反対方向に逃れようともがく。でも、液体の粘度が高いのか方向転換もままならない。
僕は急いで『口だけ女』のほうに移動してどんどんと床をたたいて注意を引き付けようとしたけど、『口だけ女』はこちらには見向きもせずにナナオさんのほうにゆっくりと向かっていく。冷たい床はアクリル板のように僕の手を固く跳ね返し、びくともしない。それでも僕ができることは、必死に床をたたくことしかない。
ぐるおお、という低いうめき声が聞こえ、ナナオさんの表情が絶望に染まる。
「ねぇ! お願いだから何とかして! 僕にできることならなんでもするから! お願い!」
僕は黒猫に向かって声を絞る。
黒猫はふと、即身仏のほうをみた。
その後、にゃお、と僕に言った。
本当にいいの?
僕にはそう聞こえた。僕は大きくうなずく。
その瞬間、黒猫の姿は床をすり抜け、星の瞬く闇にとけた。
床の下の星空のきらめきがすぅときえて真っ暗になった。
その瞬間、僕とナナオさんを隔てていた透明な床ははらりとほどけ、繊維状に拡散し、僕の体に何重にも絡みつく。それと同時に僕も粘度の高い液体の中へどぼんと落下した。
ちょうど、『口だけ女』とナナオさんの中間あたりに。
真っ暗なのに、不思議とその液体の中では周囲がよく把握できた。
「その者が持つ物を遠く投げよ」
唐突に頭に声が響く。ナナオさんの手を見ると何かを握りしめている。僕はそれを奪い取ってなるべく遠くに放り投げた。
そうすると、『口だけ女』はふよふよとそちらに向かって漂っていった。
そのあと、どうどうという大きな何かが動く音がして、僕らの体はふわりと浮き上がり、僕は意識を失った。
次話第1章最終話【僕という怪談】
少しのカビ臭さと、湿った土の匂いがする。井戸の部分までは石で組まれていたけど、この横穴はなんというか、天然の洞窟のようで、鍾乳洞のようにつるつるした滑らかな岩穴になっている。
ここは井戸の上と違ってとても静かで、僕が歩くヒタヒタという足音と水が跳ねる音しかしかせず、足音は岩に反響するのかふわりと跳ね返り、不思議な音色を奏でている。
地下水なのか、足元には薄く水が張られていて、歩くたびにできる波紋は、懐中電灯で照らされた前方に、僕を導くように一歩毎にゆっくりと広がっていく。明かりと言えば、ヒカリゴケなのか、ライトをあてるとところどころ壁がエメラルドグリーンに反射するところがあり、なんだか幻想的だった。日中は太陽の光が井戸を経由してここまで届くのだろうか。不思議な場所。
しばらく、おそらく10メートルくらい歩いただろうか、少し天井が高くなっていき、そのまま少し広い空洞に出た。
「ここで、行き止まり、かな?」
ざっとライトを回してみると、直径5メートルほどの円形の空間になっていたけど、とりたてて何もないようだった。僕は何もなかったことに、かえって安堵する。
その時、僕の背後から、にゃぁ、という小さな声がした。
振り返ってライトで照らすと、闇から浮き出るように黒い猫が現れた。鳥居の下で会った黒猫だろうか。
「あれ? 君どこから入ったの?」
僕はしゃがみこんで、思わず猫に問いかける。
僕が来た井戸は猫が上り下りできるところじゃないと思うんだけど。真っ暗な通路に思えたけど、どこかに横道があるのかな。そうしたらちょっとまずいかも、帰りに迷うかもしれない。不安に心臓がどくんと鳴る。外に出るには入り口を知っているこの猫を追いかけるのがいいのかな。
猫はそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、そのまま僕の脇を通り過ぎ、まっすぐに歩いて行く。僕は黒猫の後ろ姿をライトで照らす。黒猫はぴょんと1mほど飛び上がり、正面の岩棚の上によじ登った。
先ほどは気づかなかったけど、その岩棚の上にはいろいろなものが置かれていた。猫の家なのかな……そう思って見ると、古くてぼろぼろになっているけど、壊れた木の台や器なんかが散らばっていた。そして、ライトをさらに上にあげ、僕は驚いてしりもちをつく。
即身仏……。
少しあがったところにある岩棚の中には、ぼろぼろの、おそらく
驚いて心臓がキュッとなったけど、水の冷たさが僕を少し冷静にした。
改めて見ると、その即身仏はどこか不思議と優しく神聖な雰囲気をかもし出していた。黒猫が即身仏の隣に座って金色の目を細め、とても親しそうに見ていたからかもしれない。なんとなく、このまま見続けるのは失礼に感じて、僕はライトの光を外した。
『もともと
ナナオさんの言葉が思い浮かぶ。この人が、新谷坂山の災厄を封印した人なのかな。ということは、ここは災厄が封印された場所。僕は足元のことを思い、少し足がすくんだ。
「にゃぁお」
黒猫は僕に話しかけるように鳴いた。
「ごめん、君の大切な場所をあらすつもりはなかったんだ。外で困っている子がいて、僕の友達が助けたいっていう話になって」
ああ、なんだか言い訳くさいな。
「えっと、そうじゃない。僕も何かできないかなって思って、ここまできちゃった。その、あなたたちの邪魔をしようとか、全然考えてない」
僕はなんだか、彼らの神聖な場所を汚しているようで、とても気まずい気持ちになった。
闇の中から、にゃぁ、と鳴く声が聞こえる。それなら何をしに来たんだ、というように聞こえた。
なんで意思疎通ができてるように思うんだろう。足元を照らす細いライトと反射する水たまり、そしてハウリングするような自分と黒猫の声。そんな不思議な空間が、そういう風に思わせているのかもしれない。
「ええと、僕はその人がした封印を解こうと思っているわけじゃないんだ。外の子が、封印の中にいるお母さんに会いたいっていっていたから。……手紙の交換とか、そのお母さんの様子を伝えるだけでもできたらいいなと思って」
なんでこんなこと話してるんだろう、という気持ちもあるけど、彼らの大切な場所に僕が勝手に入り込んだんだから理由を話さないといけない気になってた。
しばらくして、岩棚の下のほうを照らしていたライトの中に、トン、と黒猫が現れた。
とことこと僕の足元にやってくる。
黒猫は僕を心配そうに見上げた。本当にいいのか、と問いかけている気がする。
「だめ……かな……?」
黒猫は僕の近くによってきて、僕の手をひっかいた。
痛っ。
ぽとり、と僕の血が水面に落ちた瞬間。
奇妙なことがおこった。
僕の血は、水面におちたところから、僕を中心に黄色や黄緑の蛍光塗料のような色を帯びて、まるで油膜が広がるようにゆっくりと薄く部屋全体に広がっていく。波紋のように部屋の端まで到達すると、一瞬水面全体がぱっと眩しく光ったあと、光はガラスが割れるように固まって砕け、そのままばらばらと粉のように辺り一面に飛び散って床の底に吸い込まれた。
そのたくさんの光が足の下で瞬いている。星空が広がるような光景に思わず息を
黒猫はこつこつと水面をたたき、星空の下に
『口だけ女』……。
それは確かに、ナナオさんが言った通りの姿をしていた。ひっくり返った肉色の粘膜はテラテラとした透明な唾液に塗れ、唾液は
にゃあ、と黒猫が鳴く。僕が求めているのはこれとの意思疎通だ、と。所詮、怪異と人は相容れないものだ、と。
その大きな『口だけ女』は僕に気づいたようで、ゆらりゆらりとゼリーの海を泳ぐように水面、僕の方に近づいてきた。思わず僕は後ずさる。
ごめん、ナナオさん、これは無理だ。
そう思った時、背後からダンッダンッと何かを蹴る勢いの良い音がして、バチャッという水が跳ねる音がした。
まさか……。
「ボッチーどこだっ!? 大丈夫か!?」
「ナナオさん!? なんで来た!?」
ナナオさんは僕の声と床に散らばる星空のような灯りを頼りに、一直線にこちらに向かって走ってくる。
黒猫が慌てたように、にゃぁ、と鳴いてナナオさんの方に向かう。
「ナナオさん入ってこないで!」
僕は黒猫の様子から、何かまずいと思ってそう叫んだが、遅かった。ナナオさんは部屋の入り口で突然、とぷり、と床に沈んだ。まるで、突然海に落ちたように。
「なん……これ……」
僕が慌てて駆けつけたけど、手が届く寸前にナナオさんは頭の上まですっかり床の底に沈んでしまう。全身の血の気が失せる。血が全部氷になったように。
僕はドンドンとナナオさんが落ちた床をたたくけど、表面でピチャピチャと水が跳ねるばかりで星空の下には届かない。ナナオさんはブクブク言いながらこちらに手を伸ばした。
「ねぇ、なんで!? なんでなの!? なんで届かないの!?」
僕は焦って黒猫に怒鳴るが、黒猫は首をふる。
そのうち、大きな『口だけ女』がぶくぶくとゆっくりナナオさんのほうに泳ぐように近づいてきた。
「ナナオさん!? 逃げて!! 反対側に!!」
声が届くのかはわからないけど、ナナオさんも『口だけ女』に気づいて反対方向に逃れようともがく。でも、液体の粘度が高いのか方向転換もままならない。
僕は急いで『口だけ女』のほうに移動してどんどんと床をたたいて注意を引き付けようとしたけど、『口だけ女』はこちらには見向きもせずにナナオさんのほうにゆっくりと向かっていく。冷たい床はアクリル板のように僕の手を固く跳ね返し、びくともしない。それでも僕ができることは、必死に床をたたくことしかない。
ぐるおお、という低いうめき声が聞こえ、ナナオさんの表情が絶望に染まる。
「ねぇ! お願いだから何とかして! 僕にできることならなんでもするから! お願い!」
僕は黒猫に向かって声を絞る。
黒猫はふと、即身仏のほうをみた。
その後、にゃお、と僕に言った。
本当にいいの?
僕にはそう聞こえた。僕は大きくうなずく。
その瞬間、黒猫の姿は床をすり抜け、星の瞬く闇にとけた。
床の下の星空のきらめきがすぅときえて真っ暗になった。
その瞬間、僕とナナオさんを隔てていた透明な床ははらりとほどけ、繊維状に拡散し、僕の体に何重にも絡みつく。それと同時に僕も粘度の高い液体の中へどぼんと落下した。
ちょうど、『口だけ女』とナナオさんの中間あたりに。
真っ暗なのに、不思議とその液体の中では周囲がよく把握できた。
「その者が持つ物を遠く投げよ」
唐突に頭に声が響く。ナナオさんの手を見ると何かを握りしめている。僕はそれを奪い取ってなるべく遠くに放り投げた。
そうすると、『口だけ女』はふよふよとそちらに向かって漂っていった。
そのあと、どうどうという大きな何かが動く音がして、僕らの体はふわりと浮き上がり、僕は意識を失った。
次話第1章最終話【僕という怪談】