第36話 6月7日 (2) 昇降口で靴を履く
文字数 3,744文字
無理に協力してもらうこともできる、と言われてしまうと、穏当にすませるしかないじゃないか。
彼は僕を無表情に観察し続けている。何を考えているかわからない。やっぱりヤバい人なのかも。どうしよう、無視して無理やり逃げて帰ったほうが良かった。足は早くはなさそうだし。今からでも走れば逃げ切れるかな。
でも、僕の口から出たのは違う言葉。
「あの、協力って、具体的に何をすれば?」
「その足、ちょっと貸してくれればいいんだ。捕まえたら、すぐ返すから。取っちゃうとだめなのはわかったから、必要な時に少し、俺が使えるようにしたい。何かお礼もする。だから、ちょっと失礼」
彼はふいに左手を僕の背中に回して左膝をつかむ。
ギィッッ…ァ、あ…… ゔ、グ……
突然左膝に走る激痛に目の前が真っ白になって息が止まる。なんだ……これッ……。何かが膝の内側に侵入し、僕のふくらはぎは硬直しびくびくと痙攣を始める。鋭い痛みはすぐに消えたけど、その後に膝蓋骨と靭帯の間に無理やり穴を開けられて、そのすき間から脛骨の髄にぞりぞりと何かが潜り込み、押し開かれていくような強い不快感。麻酔をした後に歯を削られている、そんな骨に響く違和感。
「大丈夫大丈夫、痛いのは最初だけでもう平気でしょ? 反対も失礼」
ガッ ァ、……ッう
右手で僕の右くるぶしをつかむ。抵抗するまもなく右くるぶしの下の隙間に鋭い痛みが走り、僕の背骨は跳ね上がる。やはり、ぞりぞりと骨の中に何かが忍び込む。足の甲を中心にまき起こる痙攣。
ふっ、ハァッ
息が、できない。気持ち悪い。いや、やめて、助けて。僕の足が何か違うものに作り替えられていくような、おぞましい感触。
僕の足はしばらくビクビクと痙攣した後、麻酔をかけられた後のようにすうっと何も感じなくなる。左膝から先と右足首から先が全てなくなってしまったような、喪失感。
僕を抱きすくめるように包む彼の体には体温がなく、耳元に当たる口からも、呼吸音はしない。恐怖で動けない、とてつもなく、怖い。
しばらくして彼は両手を離す。僕の制服の左膝部分と右足首、それから彼の両手には少し血がついていた。物理的に足に穴を開けた……?
「うん、大丈夫かな。君の足はなんか薄いから、やりやすい。俺の足が気にいるのもわかる」
「今……のは……何……?」
ハァハァと荒くなった呼吸の合間に、僕は恐る恐る尋ねた。
「ちょっと、場所を借りた。急にごめん。足を捕まえたらすぐもとに戻して返すから。」
「……本当に、元に戻るの?」
「うん、大丈夫。この間の子はぎっしり詰まってたから無理だったけど、君の足は隙間が多いから、うまく入った。ちゃんときれいに全部回収するから安心して。」
そういえば2年女子の足は手のあざがついててねじ切られたようだったと聞いた。
安心なんてできないよ……。目の端に涙がにじむ。
「あの、せめて、何がどうなったのか、教えてほしい」
「あぁ、それもそうだね、ええと、あ、その前に、立てる?」
膝がカクカクするしちっとも力が入らないけど、さっきの違和感は消えていて、足の感触は元に戻っていた。
ふらふらと床を支えに立ち上がる。うまく動かないけど、なんとか立つことはできる。
「うん、大丈夫そうだね、よかった」
全然良くないよ……
「ええと、何がどうなってるか、か。ちょっとまって、検索するから」
検索?
「そうそう外骨格っていうのか。俺は外骨格なんだ」
「外骨格? って虫とかの?」
彼は左手首をポキリと折り取ると、手首の中からとろりと銀色の液体が漏れ出した。彼の足と同じもの。
「これが俺の本体で、本体を守るために、ここで一番僕に近い生き物の外骨格をナビゲーターに選んでもらったんだ。でも移動の時に事故があって、こっちにきた途端バラバラになっちゃった。急いで拾い集めたんだけど、足だけ逃げてっちゃって。一応ステルス機能をオンにするまではできたんだけど」
「ナビゲーター?」
「うん、世界を渡る時に調整してくれる役目の人」
世界を渡る。そうすると、やっぱり怪異なのか。外側が見た目だけなら、表情が動かないのも道理かもしれない。
「それで、今俺の一部を君の骨に入れた。君の骨の中にいるから、俺の気配は外に出ない。足が油断して君を捕まえようとしたら、俺が足を捕まえる」
「言ってることはなんとなく分かるんだけど、捕まえるってどうするの? また痛いの?」
「足を捕まえるときは、ええと、オートで電磁的? にやるから痛くないはず。命令を通すことができれば、足を俺の制御下における。あぁでも、俺を君の骨から取り出すときは少し痛いかな、でも今度は先に痛くなくするから、大丈夫。君たち本当にこの信号が苦手なんだね」
さっきの麻酔みたいなのを先にかけるってことかな……あの痛みをもう一度体験するのは……考えるだけで頭がチカチカする。嫌だけど、ずっと居座られることを考えると……仕方がない、のか。
「あなたが僕の足に入ってることはわかった。足が僕の意思に反して動いたりとか、そういうことはない?」
「それはないよ、心配しないで。最低量、罠を仕掛けられるレベルしか入れてないから。あんまり入れて足にバレると困るし。だいたい一つのパーツを動かすのに複数の指示系統があったらうまく動かないでしょ? あ、でも骨自体は丈夫になってるから、多少は便利だと思う」
便利って……そんなのいらないよ。
「あの、さっきお礼するって言ってたけど、足を回収したら元の世界に戻ってくれないかな」
「えぇー。それはちょっと。せっかくきたばかりなのに。でも、俺はしばらくいたら、どっちみちまた世界を渡って移動する。それじゃダメかな?」
「えっと、じゃあせめて、ここにいるあいだは不用意に他の人を傷つけないでいてもらえないですか。もちろん、襲われた時とかは別として」
「……俺もここで快適に過ごしたいから、そんなつもりはもともとないよ? 俺は旅人で侵略者じゃない。今は、緊急事態で君に迷惑をかけて悪いと思ってるけど。ええと……緊急避難ってやつ?」
それなら、いいのかな。表情はまるで変わらないけど、少し声に申し訳なさそうな響きがあった。
「あの、あなた、名前は?」
「名前? うーん。俺らは波形パターンで個体識別するからなぁ。名前というのは特にないけど、ああ。じゃあ『外骨格』ってよんで」
それ、名前なのか。
「そう、僕は東矢、それで、足が僕を捕まえるのをまって、引き渡す、でいいのかな」
「そうそう。捕まえたら俺に伝わるようになっているから、すぐに回収にいくよ」
僕は昇降口を出て傘をさす。
足はまだ力が入りづらいけど、歩くことに問題はなさそう。なんでこんなことになってしまったんだろう。やっぱり話を聞いてしまったのがまずいんだよな。
僕はどうしていつもこうなんだろう。断りきれずに、いつも後で後悔する。
◇
寮に戻ってご飯を食べていると、藤友君がやってきた。藤友君は疲れた様子で、無言で僕の前の席につく。
ざわざわと少し騒がしい食堂で、二人して静かにご飯を食べる。
「あの、坂崎さんから聞いたんだけど、アイちゃんっていうの?」
「あ? あぁ、今のところ大人しい」
もぐもぐ。話が続かない。
「もし困ったら、ぼくも手伝えることがあれば手伝うけど」
「……ありがとう。今のところほとんど動かないから大丈夫だ」
「そういえばミノムシなんだっけ」
藤友君は少し目をさまよわせて考える。
「いや、今は饅頭だ。動かないのは変わらないが」
「饅頭……?」
なんでミノムシが饅頭に? 藤友君もわけのわからない事態になってそう。
「お前もすげぇ顔色悪いな」
「まぁ」
藤友君のアドバイスを無視して話した結果だから、いいづらい。
「……藤友君、異世界転移って信じる?」
「あ? イセカイテンイ?」
「そう、他の世界からやってくるの」
「……足だけ来たりはしないよな、そうすると男の方か。またちょっかい出したのか」
藤友君は小さくため息をついて眉間に眉をよせる。なんでもお見通し。
「うん、残念ながらそう。まあ、発端は坂崎さんでもあるんだけど。なんか、絡まれてる」
「それは……お互い災難だな。見つかって、絡まれたなら、どうするかな。そいつはお前を害そうとするやつか?」
「そんな感じじゃなさそうだけど、考え方がわからない」
「まあ、常識は違うだろうからな。とりあえず昆虫とでも思っていた方がいい。当たり障りなく対応して、なるべく関与を避けるのがいいだろう」
うん、それ実に的確だよね。でも、なまじ人の姿をしていると、僕はちょっと割り切るのは苦手。それに、僕の体の中にはもう彼が入ってしまっていて。関与は既にばっちりだ。それなら、早く望みをかなえて縁を切るのがいいのかな。
僕らは同時にため息をつくと、僕らの元凶がやってきた。
「ねぇ、わらびもち、もらっていい?」
坂崎さんは返事も待たずに僕らのデザートを取り上げた。
彼は僕を無表情に観察し続けている。何を考えているかわからない。やっぱりヤバい人なのかも。どうしよう、無視して無理やり逃げて帰ったほうが良かった。足は早くはなさそうだし。今からでも走れば逃げ切れるかな。
でも、僕の口から出たのは違う言葉。
「あの、協力って、具体的に何をすれば?」
「その足、ちょっと貸してくれればいいんだ。捕まえたら、すぐ返すから。取っちゃうとだめなのはわかったから、必要な時に少し、俺が使えるようにしたい。何かお礼もする。だから、ちょっと失礼」
彼はふいに左手を僕の背中に回して左膝をつかむ。
ギィッッ…ァ、あ…… ゔ、グ……
突然左膝に走る激痛に目の前が真っ白になって息が止まる。なんだ……これッ……。何かが膝の内側に侵入し、僕のふくらはぎは硬直しびくびくと痙攣を始める。鋭い痛みはすぐに消えたけど、その後に膝蓋骨と靭帯の間に無理やり穴を開けられて、そのすき間から脛骨の髄にぞりぞりと何かが潜り込み、押し開かれていくような強い不快感。麻酔をした後に歯を削られている、そんな骨に響く違和感。
「大丈夫大丈夫、痛いのは最初だけでもう平気でしょ? 反対も失礼」
ガッ ァ、……ッう
右手で僕の右くるぶしをつかむ。抵抗するまもなく右くるぶしの下の隙間に鋭い痛みが走り、僕の背骨は跳ね上がる。やはり、ぞりぞりと骨の中に何かが忍び込む。足の甲を中心にまき起こる痙攣。
ふっ、ハァッ
息が、できない。気持ち悪い。いや、やめて、助けて。僕の足が何か違うものに作り替えられていくような、おぞましい感触。
僕の足はしばらくビクビクと痙攣した後、麻酔をかけられた後のようにすうっと何も感じなくなる。左膝から先と右足首から先が全てなくなってしまったような、喪失感。
僕を抱きすくめるように包む彼の体には体温がなく、耳元に当たる口からも、呼吸音はしない。恐怖で動けない、とてつもなく、怖い。
しばらくして彼は両手を離す。僕の制服の左膝部分と右足首、それから彼の両手には少し血がついていた。物理的に足に穴を開けた……?
「うん、大丈夫かな。君の足はなんか薄いから、やりやすい。俺の足が気にいるのもわかる」
「今……のは……何……?」
ハァハァと荒くなった呼吸の合間に、僕は恐る恐る尋ねた。
「ちょっと、場所を借りた。急にごめん。足を捕まえたらすぐもとに戻して返すから。」
「……本当に、元に戻るの?」
「うん、大丈夫。この間の子はぎっしり詰まってたから無理だったけど、君の足は隙間が多いから、うまく入った。ちゃんときれいに全部回収するから安心して。」
そういえば2年女子の足は手のあざがついててねじ切られたようだったと聞いた。
安心なんてできないよ……。目の端に涙がにじむ。
「あの、せめて、何がどうなったのか、教えてほしい」
「あぁ、それもそうだね、ええと、あ、その前に、立てる?」
膝がカクカクするしちっとも力が入らないけど、さっきの違和感は消えていて、足の感触は元に戻っていた。
ふらふらと床を支えに立ち上がる。うまく動かないけど、なんとか立つことはできる。
「うん、大丈夫そうだね、よかった」
全然良くないよ……
「ええと、何がどうなってるか、か。ちょっとまって、検索するから」
検索?
「そうそう外骨格っていうのか。俺は外骨格なんだ」
「外骨格? って虫とかの?」
彼は左手首をポキリと折り取ると、手首の中からとろりと銀色の液体が漏れ出した。彼の足と同じもの。
「これが俺の本体で、本体を守るために、ここで一番僕に近い生き物の外骨格をナビゲーターに選んでもらったんだ。でも移動の時に事故があって、こっちにきた途端バラバラになっちゃった。急いで拾い集めたんだけど、足だけ逃げてっちゃって。一応ステルス機能をオンにするまではできたんだけど」
「ナビゲーター?」
「うん、世界を渡る時に調整してくれる役目の人」
世界を渡る。そうすると、やっぱり怪異なのか。外側が見た目だけなら、表情が動かないのも道理かもしれない。
「それで、今俺の一部を君の骨に入れた。君の骨の中にいるから、俺の気配は外に出ない。足が油断して君を捕まえようとしたら、俺が足を捕まえる」
「言ってることはなんとなく分かるんだけど、捕まえるってどうするの? また痛いの?」
「足を捕まえるときは、ええと、オートで電磁的? にやるから痛くないはず。命令を通すことができれば、足を俺の制御下における。あぁでも、俺を君の骨から取り出すときは少し痛いかな、でも今度は先に痛くなくするから、大丈夫。君たち本当にこの信号が苦手なんだね」
さっきの麻酔みたいなのを先にかけるってことかな……あの痛みをもう一度体験するのは……考えるだけで頭がチカチカする。嫌だけど、ずっと居座られることを考えると……仕方がない、のか。
「あなたが僕の足に入ってることはわかった。足が僕の意思に反して動いたりとか、そういうことはない?」
「それはないよ、心配しないで。最低量、罠を仕掛けられるレベルしか入れてないから。あんまり入れて足にバレると困るし。だいたい一つのパーツを動かすのに複数の指示系統があったらうまく動かないでしょ? あ、でも骨自体は丈夫になってるから、多少は便利だと思う」
便利って……そんなのいらないよ。
「あの、さっきお礼するって言ってたけど、足を回収したら元の世界に戻ってくれないかな」
「えぇー。それはちょっと。せっかくきたばかりなのに。でも、俺はしばらくいたら、どっちみちまた世界を渡って移動する。それじゃダメかな?」
「えっと、じゃあせめて、ここにいるあいだは不用意に他の人を傷つけないでいてもらえないですか。もちろん、襲われた時とかは別として」
「……俺もここで快適に過ごしたいから、そんなつもりはもともとないよ? 俺は旅人で侵略者じゃない。今は、緊急事態で君に迷惑をかけて悪いと思ってるけど。ええと……緊急避難ってやつ?」
それなら、いいのかな。表情はまるで変わらないけど、少し声に申し訳なさそうな響きがあった。
「あの、あなた、名前は?」
「名前? うーん。俺らは波形パターンで個体識別するからなぁ。名前というのは特にないけど、ああ。じゃあ『外骨格』ってよんで」
それ、名前なのか。
「そう、僕は東矢、それで、足が僕を捕まえるのをまって、引き渡す、でいいのかな」
「そうそう。捕まえたら俺に伝わるようになっているから、すぐに回収にいくよ」
僕は昇降口を出て傘をさす。
足はまだ力が入りづらいけど、歩くことに問題はなさそう。なんでこんなことになってしまったんだろう。やっぱり話を聞いてしまったのがまずいんだよな。
僕はどうしていつもこうなんだろう。断りきれずに、いつも後で後悔する。
◇
寮に戻ってご飯を食べていると、藤友君がやってきた。藤友君は疲れた様子で、無言で僕の前の席につく。
ざわざわと少し騒がしい食堂で、二人して静かにご飯を食べる。
「あの、坂崎さんから聞いたんだけど、アイちゃんっていうの?」
「あ? あぁ、今のところ大人しい」
もぐもぐ。話が続かない。
「もし困ったら、ぼくも手伝えることがあれば手伝うけど」
「……ありがとう。今のところほとんど動かないから大丈夫だ」
「そういえばミノムシなんだっけ」
藤友君は少し目をさまよわせて考える。
「いや、今は饅頭だ。動かないのは変わらないが」
「饅頭……?」
なんでミノムシが饅頭に? 藤友君もわけのわからない事態になってそう。
「お前もすげぇ顔色悪いな」
「まぁ」
藤友君のアドバイスを無視して話した結果だから、いいづらい。
「……藤友君、異世界転移って信じる?」
「あ? イセカイテンイ?」
「そう、他の世界からやってくるの」
「……足だけ来たりはしないよな、そうすると男の方か。またちょっかい出したのか」
藤友君は小さくため息をついて眉間に眉をよせる。なんでもお見通し。
「うん、残念ながらそう。まあ、発端は坂崎さんでもあるんだけど。なんか、絡まれてる」
「それは……お互い災難だな。見つかって、絡まれたなら、どうするかな。そいつはお前を害そうとするやつか?」
「そんな感じじゃなさそうだけど、考え方がわからない」
「まあ、常識は違うだろうからな。とりあえず昆虫とでも思っていた方がいい。当たり障りなく対応して、なるべく関与を避けるのがいいだろう」
うん、それ実に的確だよね。でも、なまじ人の姿をしていると、僕はちょっと割り切るのは苦手。それに、僕の体の中にはもう彼が入ってしまっていて。関与は既にばっちりだ。それなら、早く望みをかなえて縁を切るのがいいのかな。
僕らは同時にため息をつくと、僕らの元凶がやってきた。
「ねぇ、わらびもち、もらっていい?」
坂崎さんは返事も待たずに僕らのデザートを取り上げた。