第11話 幕間 不幸な俺の日常 2/2
文字数 3,615文字
昼休み、アンリは情報を持ってきた。
「みんなにいろいろ聞いてみたけど、額に怪我してる人は見つかんなかった」
「そうか」
アンリの本気の情報収集力でわからないなら、在校生ではいないのかもな。そうすると卒業生とかか。
「私、見に行っていい?」
何を? と思って俺は気がついた。これは案外いいアイデアかもしれない。アンリは常軌を逸して運がいい。アンリが会いたいと思えば犯人に会える気がする。犯人が早く捕まれば、俺は安泰だ。そしてアンリの近くにいると俺はアンリの幸運のおこぼれに与れるから、相対的に危険も減る。アンリは狂っていて、アンリのせいでおかしなことに巻き込まれることも多いが、収支は圧倒的にプラスだ。
放課後に現場に行ってみようということになった。
◇
放課後、少年が住んでいると聞いた駅で降りる。初めて降りる駅だ。駅舎を出るとロータリーが広がり、二つのバス停とコンビニがあった。
あとは少し大きめの通りに面してチェーンの喫茶店とかファミレス、それから雑居ビルが少し。そのほかは一軒家やアパートといった、住宅街が広がっていた。
どうするのがいいか、と見回していると、さっそく昨日の少年と出会う。やはりアンリのラックは尋常じゃない。
「あ……昨日はごめんなさい。どうしてここに?」
「友達が心配してくれてな、俺に似たやつが悪いことをしてるなら心配だ、と」
俺はアンリを指差す。本当は面白がって見に来てるだけだが。少年は納得したような、申し訳なさそうな顔で俺を見る。
「そう……なんだ。よかったら、姉さんが襲われたところを見に行く? すぐ近くだから」
アンリがいると本当にトントン拍子だな。俺はうなずき、少年の後に続く。駅からすぐの路地、夕方で少し寂しい普通の住宅街だった。
「ここで姉さんが殴られた。殴られた傷はもう治ってて検査では悪いところはないっていわれたんだけど、いまもずっと辻切センターの病院で寝てる」
昨日も今日も、お姉さんのお見舞いに行くところだったらしい。
「姉さんと一緒にいたのは友達1人だけで、他に誰も目撃した人がいないんだ。だから警察もあまり調べてくれない」
一軒家に挟まれた幅3メートルくらいのありふれた路地。見通しが悪いわけではないが、今も人はいない。見回しても監視カメラの類も設置されていないようだ。被害届は出したようだが、これでは探しようがないかもしれない。すぐ近くの電信柱に、ここで女子中学生が殴られたことと目撃者は連絡がほしいという旨の張り紙が貼られていた。
そこに中学生くらいの女の子が通りかかる。
「あ、あの人が目撃した友達で……」
「あのひとが突き飛ばしたんだよ」
唐突にアンリの声が被る。少年はぽかんとした顔でアンリを見て、女の子を見る。
女の子は少年に気付いてビクッとして、俺の方に目をそらし、俺を見て驚き目を大きく開け一歩後ずさった。
明らかに様子がおかしい。俺はとっさに携帯を録音モードにして、逃げ出される前にと距離を詰め、女の子の手首をつかむ。女の子は離してと暴れるが、さすがに男子高校生と女子中学生の体格差はいかんともしがたい。そうしているうちに少年とアンリが駆け寄ってきた。2人がいなかったら俺が逮捕される案件だな。
「あの、この人は姉さんの親友なんだけど」
「えっでもあなた、この子のお姉さんを突き飛ばしたでしょう?」
「そんなことしてないっ!!」
「ええー? だって突き飛ばしたらそこの壁にぶつかって血が出たんでしょう?」
アンリが指差すブロック塀の角には、確かに最近欠けたらしい跡があった。
「あ……あなた見てたの……?」
その言葉に少年の顔色がサッと変わり、どういうことだよ、と女の子に詰め寄る。女の子は眉を寄せて、しまった、という顔をする。少年が女の子につかみかかろうとしたのをなんとか押しとどめ、話を聞くことにした。
なお、アンリは当然ながら現場を見ていたわけでもなく、そんな気がしたから見ていたように話しただけだ。アンリが狂ってなければ世の中に探偵はいらないな。
よくよく聞いてみると、この路地でちょっとした口論になり、思わずお姉さんを突き飛ばしたら、よろけて壁にぶつかって倒れたらしい。頭から血が出るし打ち所が悪かったのか目を覚さない。焦っていたところで通行人が現れ、怖くなって知らない人に殴られたと言ってしまった。
警察に詳細を聞かれてまた怖くなって、知ってる人や近所の人に似ている人の姿を報告するとまずいと思った。それでとっさに、以前神津に遊びに行った時にたまたま印象に残っていた人の姿を新谷坂の制服を着ていたことにして詳細に話してしまった。場所も制服も違うから、警察が探しに行ったりしないと思ったそうだ。
つまり、神津で制服を着たちょっと怖そうな顔の男子が、道に荷物をばらまいたおばあさんを助けて荷物を拾い、手を引いて道路を渡っていた。風が吹いて、額に大きな傷痕が見えたのも印象に残った。
ああ、心当たりがあるな。それ、俺だわ。
口元に手を当てると、思わずため息が出た。疲労感がすごい。ひょっとしたら警察に呼び出されていたかもしれない。まあアリバイはあるから大丈夫だとは思うが。
俺の不幸はどこまで手を伸ばしているのだろう。勤勉すぎる。
女の子は冷静になった後、そのことをすごく悔いた。その頃には少年の家族も含めて同じような話を何人かにしていたし、今更嘘だと言い出せなかった。でもどうしていいか分からなくて、ここの現場に何度も見に来ていた。うつむいたまま憔悴した声で女の子は言う。
「本当にごめんなさい。私これから警察に行って正直に話す」
「えぇ〜なんで〜?」
アンリがすかさず間抜けな声を出す。少年と女の子は驚いた顔でアンリを見た。
「警察が嫌なんでしょう?」
「それはっ、嫌だけど、本当のことをいわないと……」
「あたりまえだろっ!?」
「あなたはお姉さんが治ればいいんでしょう?」
アンリは心底わけがわからないという顔で2人を見る。確かに、少年の希望はお姉さんが治ることで、この女の子を牢屋に入れたいわけではないだろう。
お姉さんの検査結果は、脳や神経に損傷があるというものではないようだ。器質的な問題でなければ、あるいは、アンリならばなんとかなるのかもしれない。
俺は、今の会話は録音してあるからいつでも警察に行ける、その前にお姉さんのお見舞いにいかないか、と誘った。女の子もお姉さんに謝りたいと言っていたし、逮捕されると謝れないから、と付け加えて。
アンリ1人だけ普通に俺と会話をして他は針の筵、というカオスな状況で昨日と同じように電車に乗り、辻切の総合病院にたどり着く。
アンリは案内もないのに病院の白い廊下をすたすた歩いて行き、するりと一つの病室に入りこむ。少年によく似た女の子がベッドに横たわっていた。
アンリは女の子の手をそっと取って、さわさわさすりながら、
「なおれ〜なおれ〜」
とつぶやく。次の瞬間には、女の子はうっすら目を開けていた。運命はアンリに味方する。
それまで怪訝な表情を浮かべていた少年はベッドに駆け寄り、涙をこぼしてお姉さんに話しかける。
女の子は呆然として俺に尋ねた。
「この人、聖女かなんかなの?」
「さぁな、愉快犯の類だろ」
夕方のやわらかい光の差し込む白いカーテンたなびく病室で、ベッドの上の女の子の手を取る美少女と涙を浮かべる少年。絵面的には聖女にみえるかもしれないが、誤解は正さなければならない。どっちかというと悪魔憑きだ。
◇
帰り道でアンリは、なんとなく治るんじゃないの? と思った、と言っていた。やはりアンリは度し難い。
この話の終着点。
お姉さんは結局、意識を失った時何があったのか覚えていなかったし、お姉さんは女の子を変わらず親友として扱っていた。
俺は録音データは少年に渡したが、お姉さんを除く家族で相談して、消去することにしたようだ。被害届も取り下げられ、俺が警察に呼び出される心配もなくなった。些少だが、といわれて少年の両親からそれなりの金額を受け取り、アンリと山分けした。断ろうとも思ったが、正直懐が厳しい。
アンリは何も起こらない人生はつまらないといって次々と狂ったトラブルを引き起こす。
俺は何もない人生こそ一番だと思う。俺の不運は平穏を遠くへ追い払う。今回のような、俺が気を付けてもどうにもならない事件もしょっちゅうだ。俺はいつか不運から逃げて逃げて逃げきって、平穏を手にいれることができるのか。それともそのうち追い付かれて不運の中で人生を閉じるのか。
それはわからないが、微かにでも道が見えている限りは抗おうと決めている。
次話【第2章 恋する花子さん 荒ぶる魂の襲来】
「みんなにいろいろ聞いてみたけど、額に怪我してる人は見つかんなかった」
「そうか」
アンリの本気の情報収集力でわからないなら、在校生ではいないのかもな。そうすると卒業生とかか。
「私、見に行っていい?」
何を? と思って俺は気がついた。これは案外いいアイデアかもしれない。アンリは常軌を逸して運がいい。アンリが会いたいと思えば犯人に会える気がする。犯人が早く捕まれば、俺は安泰だ。そしてアンリの近くにいると俺はアンリの幸運のおこぼれに与れるから、相対的に危険も減る。アンリは狂っていて、アンリのせいでおかしなことに巻き込まれることも多いが、収支は圧倒的にプラスだ。
放課後に現場に行ってみようということになった。
◇
放課後、少年が住んでいると聞いた駅で降りる。初めて降りる駅だ。駅舎を出るとロータリーが広がり、二つのバス停とコンビニがあった。
あとは少し大きめの通りに面してチェーンの喫茶店とかファミレス、それから雑居ビルが少し。そのほかは一軒家やアパートといった、住宅街が広がっていた。
どうするのがいいか、と見回していると、さっそく昨日の少年と出会う。やはりアンリのラックは尋常じゃない。
「あ……昨日はごめんなさい。どうしてここに?」
「友達が心配してくれてな、俺に似たやつが悪いことをしてるなら心配だ、と」
俺はアンリを指差す。本当は面白がって見に来てるだけだが。少年は納得したような、申し訳なさそうな顔で俺を見る。
「そう……なんだ。よかったら、姉さんが襲われたところを見に行く? すぐ近くだから」
アンリがいると本当にトントン拍子だな。俺はうなずき、少年の後に続く。駅からすぐの路地、夕方で少し寂しい普通の住宅街だった。
「ここで姉さんが殴られた。殴られた傷はもう治ってて検査では悪いところはないっていわれたんだけど、いまもずっと辻切センターの病院で寝てる」
昨日も今日も、お姉さんのお見舞いに行くところだったらしい。
「姉さんと一緒にいたのは友達1人だけで、他に誰も目撃した人がいないんだ。だから警察もあまり調べてくれない」
一軒家に挟まれた幅3メートルくらいのありふれた路地。見通しが悪いわけではないが、今も人はいない。見回しても監視カメラの類も設置されていないようだ。被害届は出したようだが、これでは探しようがないかもしれない。すぐ近くの電信柱に、ここで女子中学生が殴られたことと目撃者は連絡がほしいという旨の張り紙が貼られていた。
そこに中学生くらいの女の子が通りかかる。
「あ、あの人が目撃した友達で……」
「あのひとが突き飛ばしたんだよ」
唐突にアンリの声が被る。少年はぽかんとした顔でアンリを見て、女の子を見る。
女の子は少年に気付いてビクッとして、俺の方に目をそらし、俺を見て驚き目を大きく開け一歩後ずさった。
明らかに様子がおかしい。俺はとっさに携帯を録音モードにして、逃げ出される前にと距離を詰め、女の子の手首をつかむ。女の子は離してと暴れるが、さすがに男子高校生と女子中学生の体格差はいかんともしがたい。そうしているうちに少年とアンリが駆け寄ってきた。2人がいなかったら俺が逮捕される案件だな。
「あの、この人は姉さんの親友なんだけど」
「えっでもあなた、この子のお姉さんを突き飛ばしたでしょう?」
「そんなことしてないっ!!」
「ええー? だって突き飛ばしたらそこの壁にぶつかって血が出たんでしょう?」
アンリが指差すブロック塀の角には、確かに最近欠けたらしい跡があった。
「あ……あなた見てたの……?」
その言葉に少年の顔色がサッと変わり、どういうことだよ、と女の子に詰め寄る。女の子は眉を寄せて、しまった、という顔をする。少年が女の子につかみかかろうとしたのをなんとか押しとどめ、話を聞くことにした。
なお、アンリは当然ながら現場を見ていたわけでもなく、そんな気がしたから見ていたように話しただけだ。アンリが狂ってなければ世の中に探偵はいらないな。
よくよく聞いてみると、この路地でちょっとした口論になり、思わずお姉さんを突き飛ばしたら、よろけて壁にぶつかって倒れたらしい。頭から血が出るし打ち所が悪かったのか目を覚さない。焦っていたところで通行人が現れ、怖くなって知らない人に殴られたと言ってしまった。
警察に詳細を聞かれてまた怖くなって、知ってる人や近所の人に似ている人の姿を報告するとまずいと思った。それでとっさに、以前神津に遊びに行った時にたまたま印象に残っていた人の姿を新谷坂の制服を着ていたことにして詳細に話してしまった。場所も制服も違うから、警察が探しに行ったりしないと思ったそうだ。
つまり、神津で制服を着たちょっと怖そうな顔の男子が、道に荷物をばらまいたおばあさんを助けて荷物を拾い、手を引いて道路を渡っていた。風が吹いて、額に大きな傷痕が見えたのも印象に残った。
ああ、心当たりがあるな。それ、俺だわ。
口元に手を当てると、思わずため息が出た。疲労感がすごい。ひょっとしたら警察に呼び出されていたかもしれない。まあアリバイはあるから大丈夫だとは思うが。
俺の不幸はどこまで手を伸ばしているのだろう。勤勉すぎる。
女の子は冷静になった後、そのことをすごく悔いた。その頃には少年の家族も含めて同じような話を何人かにしていたし、今更嘘だと言い出せなかった。でもどうしていいか分からなくて、ここの現場に何度も見に来ていた。うつむいたまま憔悴した声で女の子は言う。
「本当にごめんなさい。私これから警察に行って正直に話す」
「えぇ〜なんで〜?」
アンリがすかさず間抜けな声を出す。少年と女の子は驚いた顔でアンリを見た。
「警察が嫌なんでしょう?」
「それはっ、嫌だけど、本当のことをいわないと……」
「あたりまえだろっ!?」
「あなたはお姉さんが治ればいいんでしょう?」
アンリは心底わけがわからないという顔で2人を見る。確かに、少年の希望はお姉さんが治ることで、この女の子を牢屋に入れたいわけではないだろう。
お姉さんの検査結果は、脳や神経に損傷があるというものではないようだ。器質的な問題でなければ、あるいは、アンリならばなんとかなるのかもしれない。
俺は、今の会話は録音してあるからいつでも警察に行ける、その前にお姉さんのお見舞いにいかないか、と誘った。女の子もお姉さんに謝りたいと言っていたし、逮捕されると謝れないから、と付け加えて。
アンリ1人だけ普通に俺と会話をして他は針の筵、というカオスな状況で昨日と同じように電車に乗り、辻切の総合病院にたどり着く。
アンリは案内もないのに病院の白い廊下をすたすた歩いて行き、するりと一つの病室に入りこむ。少年によく似た女の子がベッドに横たわっていた。
アンリは女の子の手をそっと取って、さわさわさすりながら、
「なおれ〜なおれ〜」
とつぶやく。次の瞬間には、女の子はうっすら目を開けていた。運命はアンリに味方する。
それまで怪訝な表情を浮かべていた少年はベッドに駆け寄り、涙をこぼしてお姉さんに話しかける。
女の子は呆然として俺に尋ねた。
「この人、聖女かなんかなの?」
「さぁな、愉快犯の類だろ」
夕方のやわらかい光の差し込む白いカーテンたなびく病室で、ベッドの上の女の子の手を取る美少女と涙を浮かべる少年。絵面的には聖女にみえるかもしれないが、誤解は正さなければならない。どっちかというと悪魔憑きだ。
◇
帰り道でアンリは、なんとなく治るんじゃないの? と思った、と言っていた。やはりアンリは度し難い。
この話の終着点。
お姉さんは結局、意識を失った時何があったのか覚えていなかったし、お姉さんは女の子を変わらず親友として扱っていた。
俺は録音データは少年に渡したが、お姉さんを除く家族で相談して、消去することにしたようだ。被害届も取り下げられ、俺が警察に呼び出される心配もなくなった。些少だが、といわれて少年の両親からそれなりの金額を受け取り、アンリと山分けした。断ろうとも思ったが、正直懐が厳しい。
アンリは何も起こらない人生はつまらないといって次々と狂ったトラブルを引き起こす。
俺は何もない人生こそ一番だと思う。俺の不運は平穏を遠くへ追い払う。今回のような、俺が気を付けてもどうにもならない事件もしょっちゅうだ。俺はいつか不運から逃げて逃げて逃げきって、平穏を手にいれることができるのか。それともそのうち追い付かれて不運の中で人生を閉じるのか。
それはわからないが、微かにでも道が見えている限りは抗おうと決めている。
次話【第2章 恋する花子さん 荒ぶる魂の襲来】