シナモンは人を選ぶ(13)

文字数 1,159文字

 「だめだ、トイレに行く」

老父は立ち上がり、お手洗いへ向かう。

その足取りは、ふらついて、時々、足がもつれる。

老婦は老父に介助しようと隣に行く。

「わしは大丈夫だ! 老人扱いしやがって」

老父は老婦を一喝し、突き飛ばす。

老婦はその場に取り残される。

老父はお手洗いに入った。

しばらくして、老父はお手洗いから出てきた。

付けていたマスクが無く、表情がはっきりとうかがえる。

その表情は震え上がり、青ざめている。

老父は客の皆の方向へ顔を向けると突然興奮する。

「お前達は誰だ!」

老父は叫んだ。

その瞳は揺れ動き、動揺しているのがわかる。

老父はお手洗いに備え付けられていたモップを持つ。

モップを武器に客の皆に近づいてくる。

「お前達は、わしを殺そうとしている」

モップの柄を頭上に振るいかざし、足早に近づいてくる。

しかし、その足取りはふらついている。

老婆は、ひぃっと顔を引き攣り、身をのけぞる。

このままでは、家族が危ないと察した時。

私は無意識に老父を止めに向かっていた。

「どうしたんですか、私達ですよ」

私は振るいかざしたモップを両手で握り、制止を試みる。

よく見ると、老父の歩いてきた軌跡には足跡があった。

その足跡は、赤黒く血痕に見える。

擦りながら歩いてきたために、足跡が擦れている。

その血は穿いているズボンの裾の中から流れていた。

「その血、どうしたんですか!」

私は老父を制止しながら言う。

「皆よ、近づいてはならん」

老婆が険しい顔で言う。

私は老父を制止しながら、老婆を見た。

老父は全力で私を振り払おうとする。

「悪魔に感染したのだ」

老婆は言う。

娘が泣く声が聞こえる。

妻は、その娘を抱きしめて、泣き止まそうとする。

老父は、もごもごと口を動かすも、声を作れない。

老父の左の口角から、血が滲み出て、床に滴る。

がはっと、老父は大きくむせると、大量に吐血した。

その瞬間、老父は魂のぬかれたマリオネットのように床に崩れ倒れた。

動かない。

気が付けば、私は老父の吐血の多くを浴びていた。

私は恐る恐る、老父の口元に手を近づける。

息をしていない。

私は後ずさりする。

その私の行動に、客の皆は老父が死んだ事を悟った。

「やかんに残っているシナモンティーの半分を勇敢なあの者に。残りの半分は死体にかけなさい」

老婆は言う。

私は衝撃的な光景を目の当たりにして、老婆の声がよく聞こえない。

妻はすかさず、やかんを老婦から貰う。

老婦はただ黙って、光景を見ている。

その両手は小刻みに震えている。

妻は老婦を気にも止めず、私にシナモンティーを渡す。

私は動揺してコップを口元に持っていくことすら出来ない。

妻は私の口元に無理矢理コップの縁を付ける。

そして、私の口の中にシナモンティーを流し込む。

私はコップ一杯のシナモンティーを飲み干す。

妻は急いで残りのシナモンティーを横たわる老父の全身にかけた。
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