シナモンは人を選ぶ(5)

文字数 808文字

 「お腹空いたー!」

田堂の息子が突然叫ぶ。

呼気を全て使いきり、深呼吸する。

その空気の吸い込みと同時に、ずびびびと鼻が鳴る。

「お腹空いたー!」

再び叫ぶ。

「どうしたの? 突然」

田堂の母は微笑んで、なだめる。

その笑みは固い。

「お腹空いたー!」

再び叫んだ時、老婆の眉が上がる。

老婆は立ち上がり、篠生からテープを奪い、田堂へ近づく。

田堂の息子は、老婆が近づいてくるのを見て怯えた表情を見せる。

眉を下げて、丸く目を開き、瞳が左右に揺れ動く。

「怖いよ! 怖いよ」

田堂の息子は老婆から少しでも離れようと、上体をのけぞる。

「黙りなさい!」

老婆は般若のような表情で怒鳴る。

老婆は、田堂の母にテープを突き出す。

「口をテープで閉じよ」

老婆は目を細めて言う。

「そんな事できないわよ」

田堂の母は抵抗する。

田堂の母は賛同を求めて、客の皆に目を送る。

しかし、誰も賛同する事は無かった。

私も賛同しなかった。

大きな声が外に漏れれば、悪魔に見つかってしまう。

そうなれば、家族も、私も、助からない。

私は田堂の母の眼差しから目をそらした。

そらした先に、篠生が居る。

篠生は私の顔を見ていた。

私は罪悪感の念に唇を噛む。

「皆、助かりたいから仕方ないんです」

篠生は私の心情を察して、優しく言う。

篠生の優しさにより、私の行いが際立つ。

「くそっ」

私の口から、どうしようも無い憤りが吐き出された。

私の手は固く拳を握っている。

私の複雑な心境に迷っている姿を田堂の母は見ている。

田堂の母は、私に期待しているようだった。

その眼差しは私の心に突き刺さり、かき乱す。

私は奥歯を噛み締めて、左手でギターの弦を押さえた。

右手は弾く事を拒む。

その手は細かく震えている。

田堂は落胆し、一つ目線を下げると、渋々、テープを受け取った。

少しずつ少しずつ、使う分のテープを出していく。

私は田堂の母の様子を横目で見る。

その目に涙がどんどん満たされていく。

ダムのように涙袋が平常心をなんとか保っている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み