濃霧(8)

文字数 1,320文字

 状況を理解する時には、老婆が店内へ入った後だった。

私は驚きを隠せない表情のまま、後尾に振り向く。

列に並ぶ人達の視線が私の顔に集中する。

私は後尾の人達に小さく頭を下げた。

私達の次の人は、いえいえと手を横に振る。

その後ろの人達は、私が頭を上げた頃には視線を外していた。

「なんだよ、あの婆さん」

後尾の若い男性が高圧的に言い捨てる。

その男性は腕を胸の前で組み、出入り口を見る。

賑やかだった列はまるで葬列のようだった。

ひやりとした湿った風が体の隙間をぬめりと通り抜ける。

「お待たせしました。次のお客様どうぞ」

店員は、私達を店内へ誘導する。

店内は屋外よりも薄暗い。

出入り口の前にある会計カウンターの横を通る。

私達は、店内の奥へ歩いていく。

内装は、木を基調としたウッドハウスのようだった。

天井は、梁や軒桁(のきげた)が剥き出しになっている。

壁も木材で統一されている。

床も木材のフローリングが広がっている。

一つ一つの木材は、焦げ茶に黒くくすんでいる。

おそらく、表面を焼くことで耐久性を上げているのだろう。

店内の中央には、噴水のモニュメントがあった。

滞りなく水が小さく噴き出ている。

更に奥へ進んでいく。

外観で思っていた大きさよりも、店内は広かった。

店内は賑やかなで家族やカップルが多くいる。

個々で会話を楽しみ、笑顔を溢している。

最近では、スマートフォンを片手に食事をする人を多く見かける。

しかし、こちらでは誰もスマートフォンを操作する者が居ない。

「こちらでよろしいでしょうか」

店員は、掌(てのひら)で席を指す。

そこには四人席があった。

「はい、大丈夫ですー」

妻は答える。

私と妻は対面して座り、娘は妻側の席の窓際に座った。

私達が席に座ると、店員は一礼して離れた。

私達の席の頭上には大型のテレビが設置されている。

子供の背丈位の大きさがある。

そのテレビは、たわいもないニュースを映していた。

交通事故や事件などを取り上げている。

テレビは身の回りには関係のない内容を延々と映す。

内容が住まいが同じ県だと、何となく親近感を覚える。

しかし、それ以外は、いつもと変わり映えがない。

「あそこに居るよ、あの婆(ばあ)」

妻が右の方向に顔を向けて言う。

私達の席と向かい側の席の間には、通路がある。

その向かい側の席から更に三つ奥へ進んだ席に、先程の老婆が座っていた。

その老婆は、四人席を一人で座っていた。

メニューを開くこともなく、持っていた分厚い本を広げて見ている。

視力が良くないのか、老婆は分厚い本のページに顔を近づけている。

その距離は、三センチも無い。

ページの細部まで見ているのではなく、一点を凝視している。

一向にページを捲らない。

私は異様な気味の悪さに視界から外そうとする。

しかし、ふと気がつくと、ついつい目を向けてしまう。

「気にしないで食べよ?」

妻は私の警戒する目の動きに気が付いて言う。

妻は私に向けて、メニュー表を開く。

「ああ、ごめん。そうだね、食べて早く出ようか」

私は妻に言う。

「うん」

妻は唇を閉じて小さく頷くと、もう一つのメニュー表を開いた。

妻は娘と二人でそのメニュー表を見始めた。

愉快な話し声が店内を飛び交う。

その声は笑顔が下がった私達には、雑音にしか聞こえなかった。
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