夜の息づかい(11)

文字数 806文字

 悪魔と戦い勝利した肯定感から、篠生は、よし! よし! と、両手を握り、膝の上でガッツポーズをしている。

老婆は、がたがたと体を震わせている。

長椅子にも食器の破片や割れた木屑が散乱している。

娘に靴を履かせたまま、長椅子の上に両足で立たせた。

私と妻と娘は郷珠の居る四人席に居る。

人との距離を保てる程、皆はもう冷静ではなくなっていた。

老婆も、震える手で分厚い本を持つので精一杯だった。

娘は、郷珠の持つ、白杖を指でつんつんと突いた。

「こら」

妻が娘を叱る。

絶望の漂う雰囲気の中でも、叱る仕方は変わらない。

ほんの少しだけ、いつもより低い声だった。

「構いませんよ」

郷珠は白杖を突く娘の手ををぽふぽふと撫でる。

娘にほんの少し、笑みが滲む。

数時間前まで、何気なく見ていた娘の笑顔がとても尊くて懐かしい。

「目が見えないの?」

娘は聞く。

「そうだよ」

郷珠は答える。

「どんなふうに見えるの? 真っ暗?」

娘が言うとすかさず妻が間に入る。

「いいの、そう言うのは聞かないの」

「お母さん、構いませんよ。そうだね、見えているよ、君の事も」

郷珠は穏やかに言う。

その声はゆったりとしていて、どこか気品を感じる。

この殺伐とした中でどうして冷静で居られるのかわからなかった。

その冷静な郷珠は、隣に居る私の動揺した姿を露呈させているように思えた。

「じゃあ、わたしの髪は長髪? 短髪?」

娘は言う。

郷珠は両手で娘の両頬に触れ、辿るように頭へ手を伸ばす。

「そうだね、短髪かな」

お母さんは冷や冷やしながら見ている。

「当たり! 凄いね! じゃぁ、髪の色は何色?」

娘は心を躍らせて、弾んだ声で言う。

「そうだね、黒髪かな」

「当たり! お母さん! 目無しのおじさん、凄いよ。見えてないのに、見えてるの」

「はは、目無しのおじさんか」

郷珠はふわりと口角を上げて笑みを浮かべる。

「本当に申し訳ございません」

妻は気まずい表情を浮かべて、小さく頭を下げる。

その表情も郷珠には見えない。
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