シナモンは人を選ぶ

文字数 1,407文字

 客の皆は席に座り、沈黙が続く。

配達員を外に出した罪悪感と後悔が、私の脳を追い詰める。

私は肩を落とし、足元を見ている。

漬物石を背負っているように体が重い。

私は人を殺してしまった。

その事実に耐えきれず、私の脳は言い訳を探す。

あの時、私が選択したから、悪魔が居る証拠をつかめた。

しかし、それは、絶望が確証になっただけで解決にはならない。

この霧では、自衛隊の救助も来ないだろう。

山の中腹では尚の事、救助は遅くなる。

ここに居る皆で助け合って生き残らなければならない。

私は重たい顔を前に向けて、客の皆を見る。

その時、誰かが私の背を撫でる。

驚いた私は背を撫でてくれる人に目線を向けた。

そこには、妻が居た。

私の居る四人席に妻が座っていた。

「少しの間なら大丈夫でしょ」

妻はそう言いながら、私の背を撫で続ける。

老婆は開いた分厚い本を机に広げて見ている。

こちらの様子は見ていない。

老父は、私と妻の光景を目にするも、目線を外す。

篠生は、かたかたと体を震わせる。

震えた唇は、死にたくない死にたくないと小さく呟き続ける。

娘は郷珠の隣に居る。

娘は何となく居心地が良い様子だった。

郷珠は席に座り、両膝で挟んで白杖を持っている。

娘はその白杖を人差し指で、つんつんしている。

郷珠は何やら娘に声をかけているがよく聞こえない。

日が暮れるにつれて、店内は冷えてくる。

皮膚に触れる空気がひんやりとして肌寒い。

老婦が口を開く。

「肌寒くなってきたわね。温かい飲み物があるか厨房を見てくるわね」

老婦は客の皆に言うと、立ち上がる。

「お前にしては気が利くじゃないか」

老父は言う。

その言葉は、棘のある言い方だった。

老婦は老父の言葉を無視して、キッチンへ向かった。

ガスコンロに火を着ける音が聞こえる。

そのガスコンロに金属の何かを乗せる音。

ぷくぷくと沸騰し始める音。

静かな店内には心地良い雑音だった。

その聞き慣れた日常的な雑音を楽しむ。

ガスコンロの火を止める音が聞こえた。

複数のコップを取り出す音。

ぽこぽこと、コップに熱々のお湯が注がれる音。

さらさらと、粉が流れる音。

準備を終えた老婦が厨房から出てきた。

老婦はお盆を両手で持っていた。

お盆に人数分のコップがある。

コップからは、白い湯気が細く立つ。

老婦は、客の皆に渡していく。

私にもコップが届いた。

私は小さく会釈する。

私の辛い気持ちが表情を石のように強張らせ、上手く感謝の言葉を作れない。

仄かに甘い匂いを感じて、鼻が更に匂いを求める。

甘さの中に香辛料のような刺激が薄っすらと感じた。

とても良い匂いだった。

一瞬だけ、辛い思いを忘れさせてくれた。

「良い匂い」

私の頬が緩むと同時に声が漏れ出た。

「お疲れ様。あなたは何も悪い事はしていないのよ。これはね、シナモンの香り。リラックス効果があるの」

老婦の温かさに、私は涙を滲ませる。

老婦は配っていく。

老婆へ配ろうと老婦は近づく。

老婆はそれを察知して、分厚い本を勢い良く閉じ、見られまいとする。

老婆もコップを素直に受け取る。

そして、最後に老父へ渡した。

「まーた、シナモンティーか。お前はどこ行っても持ち歩いてるんだな」

老父は、客の皆に聞こえるように、なぶる。

老婦は無視する。

老父はコップの淵に口をつけて、一つ啜る。

「ん? なんだか、いつもより濃くないか?」

老父は渋い表情を見せる。

老婦はちらりと横目で、老父の表情を確認した。

老婦も自らのコップを手に取り、シナモンティーを少しだけ口に含む。
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