何もない(2)

文字数 615文字

霧は、私の足元を冷やす。

迫り来る白い霧の壁。

この霧の中に悪魔が居るだろう。

悪魔はまだかと期待が膨らむ。

思わず、にやりと笑みを作った。

鼓動は高鳴り、高揚感から息が上がる。

霧は私の足元を隠した。

見る見るうちに、膝、腰、腕を白く隠した。

手元が見えなくなった。

しかし、ここで、演奏を間違える事は出来ない。

指の腹の感覚に集中する。

不意に、曲の速さが増しているのを感じた。

慌てるな。

視界で捉えられない指を感覚で従わせる。

その時、ひとつ、押さえる弦を間違える。

再び演奏を始めようとしても、指がどの弦に置いているのかがわからなかった。

演奏を続けるのはもう難しかった。

私はギターをおろした。

私の周囲は真っ白に覆われていた。

何も見えない。

妻も娘も皆も霧に飲み込まれ、姿が見えない。

白を認識しているのか、それとも、視力を失ったのかすらわからない。

今、レストランに居ると認識しているのは、レストランに居た記憶があるだけ。

その記憶が無ければ、どこに居るのかさえ、わからない。

次第に自らの記憶を疑い始める。

そうだ。

このまま、レストランに来た記憶すら無くなれば、また、普段の生活戻るのではないか。

ならば、これは、夢だったと認識すれば良いのだ。

脳は脳のよりどころを探していた。

しかし、ふと思った。

私は生きているのか?

真っ白の中では、私の影すら映らない。

鏡も水溜りもガラスも無くて、自らを認識できない。

誰も居なければ、私は生きていると認識する手段がわからなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み