シナモンは人を選ぶ(2)

文字数 1,372文字

 「あなた、いつもと同じじゃないですか」

老婦は答える。

「そうかあ?」

老父は小言を言いながら、また一口啜る。

老父はシナモンティーを飲み込むとお腹をさすっている。

突然、ほろんとギターの弦を弾く音が聞こえた。

篠生がギターの弦を弾いている。

指の腹でそっと弦を弾く、とても小さな音だった。

老婆は目を細めて見る。

老父はシナモンティーを飲み干して口を開いた。

「おいおい、何してるんだよ、悪魔が来たらどうするんだよ」

老父は言う。

「すみません。皆を励まそうと思って」

篠生はびくっと指を止めて言う。

「音楽なんて娯楽、今は必要ないんだよ。わしらは命が関わっているんだ」

老父は一喝する。

「いいえ。ギターを演奏しなさい」

突然、郷珠が話の間に入った。

これまで、一言も発しなかった口が静かに動く。

「音楽は皆の気持ちを一つにする力があります」

郷珠は続けて言う。

郷珠の声は中性的で淑やかな印象。

さらさらと小川が流れるような繊細な声質。

しかし、その声の中には芯がある。

絶対的な根拠があるように揺るぎない何かを感じた。

「はは、喋れるのか。郷珠だっけか? 郷珠は目が見えない。今置かれている状況がどうなっているかもわからないだろう?」

老父は怒鳴る。

「愚かだ」

郷珠はため息に言葉を吐き出す。

「くそ、お前! 何か言ったか?」

老父は立ち上がり、郷珠へ突っかかる。

私は咄嗟に間に入り、老父と郷珠の距離を保つ。

娘は郷珠の背後に隠れて、私と老父を覗く。

老婆は驚いた表情を見せるも、すぐに険しい表情へ変わる。

老婆は分厚い本のページを見ながら、ぶつぶつと何やら呟く。

妻は私を心配そうにする。

篠生は、わたわたと忙しなく体動する。

私は、老父の体を全身を使って押しのける。

老父の伸ばした左手が郷珠の着ている服の襟を掴む。

郷珠は胸ぐらを掴まれるも動じていない。

「もう一回言ってみろ!」

老父は目を尖らせて、眉を立てて怒鳴る。

「愚かだと言いました」

郷珠は平然と言った。

「くそ野郎! いっぺん殴らないと気がおさまらねえ」

老父は右手に拳を作る。

「やめてください!」

田堂の母が叫んだ。

客の皆が田堂の母を見る。

老父も田堂の母に顔を向ける。

老父の右手のいきり上がった拳が緩む。

「争っている場合ではないでしょ? 私だって、息子が水をかけられたのは許していません。でも、まずは助け合わないといけないのではないですか?」

田堂の母は両肩を首元に上げて緊張している。

「じゃあ、音を鳴らして、悪魔を呼び集めろって言うのか」

老父は怒鳴る。

「あなたの声のほうがよっぽど大きい声です」

田堂の母は言い返す。

老父は言葉を詰まらせる。

老父の剣幕は次第に穏やかになっていく。

それに伴って、私の押しのける力も緩めていく。

老父は肩を左右に揺らしながら、怠そうに歩いて席に戻る。

老父は大袈裟に頭を掻き、不機嫌を見せている。

「それで、篠生の音楽を聞きたい人はこの中にいるのかい」

老父は言う。

「私は聞きたい。静かになると怖くなるんだ」

私は言った。

他の客の皆は意思表示をしてはいないが、否定的な表情では無かった。

「婆さんは、これでいいんですか?」

老父は老婆に訊ねる。

老婆は、ぶつぶつと呟き続けている。

「アーガ! アーが助けてくれる!」

老婆は天井に顔を向けて叫んだ。

その表情は怯えているようにも見える。

「アーね。そうかい、好きにしてくれ」

老父は言葉を放り投げた。
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