シナモンは人を選ぶ(3)

文字数 1,037文字

 不穏な空気が漂う。

篠生は徐にギターをギターケースへしまう。

ギターケースの蓋を閉じ、留め具に手をかける。

「もしよかったら、ギターを教えてください」

私は問いかけた。

「え?」

篠生は怪訝そうな面持ちで私を見る。

「実は学生時代にほんの少しだけギターを弾いていたんだ。教えてくれませんか?」

私は言う。

篠生は渋々、頷く。

実は、ギターを学びたい気持ちは全く無かった。

理由を付ける事で演奏が店内に広がる。

絶望感に満たされた店内を明るさせる事が出来る。

配達員の死。

私が安易に考えた結果、死んだ。

この事実を受け入れられない、私の脳。

何かをしていないと気が狂いそうだった。

だから、ギターを教えて欲しいと頼んだのだった。

私は、娘の居た席に篠生を手招きする。

篠生は、その席に座った。

私と篠生は、通路側の席に座る。

席と席の間にある仕切りを境に、通路側に身を傾ける。

篠生は何をしたら良いか戸惑っている。

「さっきの曲、妻も娘も好きで、私も弾けるようになりたい」

私は小声で言う。

「わかりました」

篠生は答えるとギターを私に渡した。

私はギターを受け取る。

「まずは、左手の人差し指がここで、中指がここで…」

篠生は弦を押さえる指の位置を丁寧に教えていく。

それを老婆は細い眼差しで見ている。

ギターの練習に向き合っていると不思議と時間を忘れてしまう。

「何だか、体が怠くて目眩がするな」

突然、老父がそう言いながら、席の背もたれに体を預ける。

その声は、先程の勢いは無くなり、元気を失っている。

「大丈夫ですか?」

老婦は、老父の顔を窺い、言う。

その老婦の表情は大きく深刻ではなかった。

「最近、多くてな」

老父は気力の無い声で言う。

「あ、そう言えば、お薬の時間ですよ。あなた」

老婦はそう言うと、カバンから粉薬を取り出す。

「まーた、そんなに持ち歩いて。日帰り旅行なんだから、三袋だけ持ち歩けば良くないか?」

老父は茶化す。

しかし、先程までの高圧的な言動は失い、角が丸い。

「病院から、何か月分も貰ってきて、そのまま持ってきているんですよ」

老婦は淑やかに答える。

「まあ、いいや。薬を早くくれ。こんなに怠いのは初めてだ」

老父は眉間にしわを寄せて言う。

そのしわに冷や汗が滲む。

老婦は薬の袋を破り、老父へ渡す。

老父は、ぱっと受け取ると、粉薬を勢い良く口へ入れる。

そして、シナモンティーを一気に流し込む。

「ふう、これで一安心だ。良かったよ、食前に飲む薬で。今は何も食べられないから、食後の薬だったら飲めなかった」

老父はそう言って、額の冷や汗を拭う。
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