何もない(4)

文字数 639文字

パキッ。

突然、前方で床に砕けたガラスを踏む音が鳴った。

瞬く間に、雑音は止み、映像も消えた。

周囲はただ白いだけで、視力は意味をなさない。

耳で周囲をくまなく確認していく。

パキッ。

再び鳴った。

パキッ。

その音は、ゆっくりと、私に近づいている。

パキッ。

耳が、その音の正体がもう目の前にいることを知らせる。

目の前にじわりと黒い影が現れた。

黒い影は、獣のような荒々しい呼吸をしている。

悪魔だと確信した。

ようやく、妻と娘のもとへ行けると思い、心が穏やかだった。

そして、遂に姿が見えた。

一匹の犬、ドーベルマンだった。

毛並みは黒く、長い尾は垂れ下がり、尾の先が僅かに上を向いている。

悪魔は、わざわざ、私の苦手な犬に姿を変えてきたのだろうか。

人によって、悪魔は姿を変えるのだろうか。

私は、目を閉じて、殺されるのを待った。

あれ程、怖かった犬が目の前に居るのに、私は、とても穏やかだった。

これで終わると思うと、洞窟を抜けた先に青空が広がっているような、心地よささえ感じる。

ゆっくりと深呼吸した。

その時を待つ。

突然、右肩をがしっと掴まれる感覚に襲われた。

遂にその時が来た。

「大丈夫ですか」

男性の声が聞こえ、掴まれた右肩を大きく揺さぶられる。

私は、人の声が聞こえる事は予期していなかった。

不意に目を開けて、その声の聞こえた方向を見た。

そこには、一人の男性が立っていた。

男性は警察官の装いで、胸元には、バッジが付いている。

目の前に居る犬は、首輪を付け、リードに繋がれている。

リードは、その男性が短く持っていた。
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