耳元のささやき、真実はまどろみに溶ける 1

文字数 553文字

「どんな本が読みたいの?」

「え? え~と」

 図書室内の通路を歩きながらミハイルがたずねる。適当な回答が思い浮かばない。

「あ、赤ずきんとか?」

 言ってから自分でも無理がないかと内心でつっこむ。「グリム童話全集なら、こっちだったかな」そうつぶやきながらミハイルは書架のほうに向かう。本当に自分のこと以外はちゃんと覚えている。

 生まれ育った場所だから自然と思い出されたこともあるだろう。少しずつ取り戻されていく彼に、うれしいと同時に切なくなる。

 どうして。

 不可思議な感情を横に置いて彩那はミハイルの後をついていった。


***


「う!」

 読書スペースで本を開いた彩那は固まった。ふだん日本語を話せるミハイルたちに囲まれているからすっかり忘れていた。

 よくよく考えたらここって欧州だ。日本語の本があるわけがない。

「アヤ?」

「……ごめん。せっかく探してもらったのに。わたし読めない」

 ああ、もう泣きそうだ。完全に本末転倒だ。

「日本語とドイツ語どっちがいい?」
「え?」
「読んであげるよ」
「……じゃあ日本語で」

 王子様に絵本読んでもらうってどうなんだろ。ミハイルは表紙を開き音読していく。

 ファイルを読んでくれたときと同じ、やさしくて心地よい声が鼓膜をくすぐる。

 だんだん本の内容が音としか聞こえなくなり、彩那は目を閉じた。
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