シャワーとか、歴史とか 5-(2)

文字数 811文字

「切るよ。そろそろ彼女が出てくる」
 シャワールームの水音が止まるのを耳にして、ミハイルは通話を切り、ワイヤレスイヤホンをしまった。
「おかえり」
 そうミハイルが声をかけるも、彩那は一向に出てくる気配がない。

 意気揚々と部屋に戻ろうとしていた彼女だったが、ミハイルの出迎えに、重大なことを思いだしたのだ。彩那は洗面所の壁に隠れたまま立ちつくしていた。
「どうしたの?」
 ミハイルは目を丸くする。
「メ、メイク落としたから……」
 彩那は小さい声で返事をした。すっかり忘れていたが、今はすっぴんだった。
「シャワー浴びたんだもの。メイクは落とすでしょ?」
 さも当然と笑うミハイルに、彩那はますます壁のうしろに縮こまった。
「シャンプーしたんでしょ? 早く乾かさないと風邪引くよ」
 正論をつきつけられ、彩那はおどおど顔を出す。
「可愛いね。アヤ」
 聞き流してしまうほど、自然とはなたれた言葉に一瞬思考が停止した。
 ——王子様ってすごいな
 ひとの気をそらさずにそういうことを言えるなんて。こうなると特別な誉め言葉ではなく、あいさつに近いのかもしれない。ドライヤー片手に「乾かすからおいで」とやる気まんまんの笑みを向けられ、断ったものの——押し問答の末、結局ミハイルに乾かしてもらうことになった。
 男のひとに、しかも人気モデルで本物の王子様に髪を乾かしてもらうなんて。緊張と期待の両方が入り混じってのぼせそうだった。
「やっぱり、つやがあってきれいだね」
「頑丈なだけが取り柄の剛毛だよ」
「こんなにきれいなのに」
 ほめすぎだと思う。彼の指が髪をすくたびに、いちいち鼓動が跳ねる。当てられる温風にも胸の高鳴りをあおられているみたいだった。
「ごめんね。変な話して。なんかどうでもいいのに」
 馬鹿らしくなって彩那は自虐気味につぶやく。わざわざコンプレックスを申告する必要なんてなかった。ビジネスライクな関係なのに、個人的な話をされて迷惑だったかもしれない。
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