【四十八丁目】「子作り、かぁ…」

文字数 3,156文字

 最近、兄…(めぐる)の様子がおかしい。

 兆候は、先週開催された、特別住民(ようかい)を対象とした合宿旅行から帰った後からあった。
 仕事から帰って来ると妙にぼうっとしている事が多くなり、こちらが話し掛けても上の空でいる事が増えた。
 こないだなんか、家族で食卓を囲んでいる時、お刺身におしょう油と間違えてソースをかけたのに、魂が抜けた様に箸をすすめていた。
 二階の自室に帰る際に、階段から転げ落ちそうになるし。
 トイレに二時間も籠城していた事もあった(ちなみに本人は10分足らずと感じていたらしい)。
 新聞は逆さになったまま虚ろな目で見ているし。
 私が夏休み前から密かに練っていた「いやーん!お風呂場でドッキン♡大作戦」にも、ノーリアクションだった(これはハッキリ言って屈辱だった)。

 私…十乃(とおの) 美恋(みれん)は、ここに至り、考察する。

 家庭内では、今のところとりたてて目立った環境変化は無い。
 せいぜい、飼っている猫のナベシマさんが家出して、昨日帰って来たくらいである。
 となれば、答えは一つだ。

 職場である。

 兄はここ、妖怪が人間と共存する降神町(おりがみちょう)の町役場に勤めており、特別住民支援課…要は人間と妖怪が共存できるように、様々な公共サービスを行い、妖怪達をサポートする課に配属されている。
 妖怪を相手にしているだけあって、その業務はなかなかにハードなようだが、兄は「やり甲斐がある」と、彼にしては珍しく、やる気に満ちて勤務している。
 いずれは退職して主夫となり、私と二人暮らしをしてもらう予定でいるので、今は好きに仕事をしていてもらっても構わない。

 構わないのだが…

 その職場には、人間ではない妖怪の職員もいる。
 しかも、しかもだ。
 最近、密かに諜報活動を行った結果、これがまあ何とも見目麗しい女性職員ばかりなのである…!
 ざっと報告すると…

 対象①:間車(まぐるま) (りん)
 “朧車(おぼろぐるま)”という妖怪で、運転のエキスパート。
 ボーイッシュな外見に、均整のとれたプロポーションが印象的な、快活な女性だ。
 言葉使いは乱暴だが、最も兄と組む事が多い当たり、侮る事は出来ない。
 見る限りでは、兄に悪い感情は持っていないと見た。
 危険度は★★★☆☆
 経過観察といったところか。

 対象②:砲見(つつみ) 摩矢(まや)
 “野鉄砲(のでっぽう)”という妖怪で、射撃の名手。
 背が小さく、幼い外見だが、ただならぬ雰囲気を持っており、常時銃を担いでいる。
 一見するとマタギみたいな外見だが、顔立ちは不思議な気品がある。
 実は以前、とある場所で会った事があり、面識がある唯一の職員だ。
 危険度は★★☆☆☆
 その気はなさそうだが、兄に対する距離感が、他の男性職員と比較して近い気がする。

 対象③:二弐(ふたに) 唄子(うたこ)
 “二口女(ふたくちおんな)”という妖怪で、窓口業務を担っている。
 兄の話では、役場に入ってから最初の先輩として色々世話になっているらしい。
 ほんわかした雰囲気の女性だが、話しだせば驚異のマシンガントークで苦情も封殺するベテラン職員だ。
 長い髪と柔らかな顔立ちで、母性豊富そうな女性である。
 ついでに言えば、恐らく発禁寸前のプロポーションの持ち主と見た。
 危険度は★★☆☆☆
 何かと兄を気に掛けているのか、積極的な情報収集に動く姿が不気味な存在だ。

 対象④:黒塚(くろづか) 姫野(ひめの)
 “鬼女(きじょ)”こと「安達ヶ原(あだちがはら)の鬼婆」その人。
 実質、兄の上司に当たる才色兼備の完璧超人。
 世の中にこんなきれいな女性が存在するのか、という程の美女だ。
 ビジネススーツを着こなし、毅然と歩く姿からは、往年の人食い鬼の姿が思い浮かばない。
 モデルすらかないそうもないプロポーションにスラリとした頭身が、実に羨ましい。
 危険度は計測不能。
 兄も彼女の事はよく話すし、彼女がその気になれば、兄も一瞬で籠絡されるに違いない。目下、最強の敵として認知している。

 ふうう…
 ざっと挙げても、これだけ粒ぞろいがいる職場だ。
 人間ではないとはいえ、その女子力スペックは破格に近い。
 押しに弱い兄では、どの相手でもかなうまい。
 特に、夏は男女の間で過ちが多い季節だ。
 兄の貞操を死守するのは、妹の責務でもある。

 …いいの!
 そう決まってるの…!

 ンんっ!
 とにかく、だ。
 こちとら、兄の写真だけでどんぶり飯三杯はイケるクチだ。
 いくら美人揃いでも、人外娘なぞに大切な兄をくれてやるものか…!

「子作り、かぁ…」

 ばぶうーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!

 夜。
 二人でテレビを見ている時、不意に口にした兄のその一言に、私は口の中にあった麦茶を盛大に噴き出した。
 少子高齢化を取り扱ったその番組では、母親に抱かれた赤ん坊の姿が映っていた。
 私は、ぎぎぎぎぎ…と首をめぐらせ、兄を見る。
 ギャグ漫画みたいな私のリアクションを目の前にして、兄は相変わらずぼうっとした目で、テレビ画面に見入っていた。

「…出し抜けに何?」

 声の震えを押さえつつ、私は雑巾で畳を拭きながら、普段通りの冷たい表情でそう尋ねた。
 兄は魂の抜けた声で答える。

「いや、さ。女の人って、どういう時に赤ちゃんが欲しくなるのかなぁ…と思ってさ」

 ブチブチッ!

 やってしまった…
 縁側で絞っていた雑巾が、きれいに千切れている。
 とある出来事の後、兄の事で心を乱されると、何故か力の加減が出来なくなる事が多い。
 おろしたての厚手の生地の雑巾も、ロールケーキをねじ切るように一瞬で分断してしまった。

 落ち着け。
 落ち着くんだ、私!
 確かに、今夜は両親が結婚式に呼ばれて不在だが、離れにはおじいちゃんとおばあちゃんが居るのだ。

 …いや。
 もう離れの電気が消えている。
 夏場は暑いので、早朝に起きて畑仕事をしている二人だから、とっくに就寝しているのだろう。

 …
 ……
 ………
 …………待て。
 では、ナニか?
 今、この家で起きているのは私の兄だけ。
 加えて、母屋で就寝している両親も今夜は不在。

 来た。
 来てしまった。
 千載一遇のチャンスがッ…!

 何があったかは知らないが、兄からこんなフリが来るなんて、この先ほとんどあるまい。
 だが、こんな事もあろうかと、既にお風呂は済ませてある。
 下着だって、お気に入りの可愛いやつを装備済みだ。
 そう、恋する乙女はいつだって緊急出動(スクランブル)体勢なのだ!

 しかし、焦りは禁物である。
 ここでがっつく様では相手に幻滅されてしまう。
 こういう場合は、やはり男性にリードしてもらうのが理想だ。
 恥じらう女性に、男性の気持ちは昂たかぶる筈なのだ。
 仕方がない。
 夏は男女の間で間違いが起こりやすい季節なのだから…!

(…よし)

 思わず出そうになる(よだれ)を拭い、私は縁側の廊下に足を横に崩して座る。
 下品にならない程度に足を晒し、背中を向けたまま、自分の肩を抱いた。
 薄手のキャミソールの肩ひもが、完璧なタイミングで「ハラリ」とズレ落ちた。

「他の女性は分からないけど…」

 意識して、艶っぽい声でそう呟く。
 よし!これはグッとくる感じだ!

「…私は、こんな夜なら…欲しくなる…よ?」

 チラリと、流し目で背中越しに兄を見やる。
 決まった!
 これなら、朴念仁の兄でも絶対オチる!

 第七章、完!
 皆さん、ごめんなさい。
 「妖しい、僕のまち」は今怪で完結します。
 次怪からは「美恋☆LOVEダイアリー」始まるよっ♪

 その熱視線の先で。
 兄は…立ち去った後だった。

「なーん」

 兄が座っていた座布団の上で、ナベシマさんが私を見ながら一声鳴く。

「…居ねぇし」

 私は虚脱感に耐えかねて、甲子園の負け投手の如く崩れ落ちたのだった。
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登場人物紹介

■十乃 巡(とおの めぐる)

 種族:人間

 性別:男性

 「妖しい、僕のまち」の舞台となる「降神町(おりがみちょう)」にある降神町役場勤務。

 主人公。

 特別な能力は無く、まったくの一般人。

 お人好しで、人畜無害な性格。

 また、多数の女性(主に人外)に想いを寄せられているが、一向に気付かない朴念仁。


イラスト作成∶魔人様

■黒塚 姫野(くろづか ひめの)

 種族:妖怪(鬼女)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 人間社会に順応しようとする妖怪をサポートする「特別住民支援課」の主任で、巡の上司。

 その正体は“安達ヶ原の鬼婆”こと“鬼女・黒塚”。

 文武両道の才媛で、常に冷静沈着なクールビューティ。

 おまけにパリコレモデルも顔負けの、ナイスバディを誇る。

 使用する妖力は【鬼偲喪刃(きしもじん)】


イラスト作成∶魔人様

■間車 輪(まぐるま りん)

 種族:妖怪(朧車)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(送迎・運転担当)。

 その正体は“朧車(おぼろぐるま)”

 姉御肌で気風が良い性格。

 本人は否定しているが、巡にほのかな好意を寄せている模様。

 常にトレードマークのキャップを被ったボーイッシュな女性。

 使用する妖力は【千輪走破(せんりんそうは)】


イラスト作成∶魔人様

■砲見 摩矢(つつみ まや)

 種族:妖怪(野鉄砲)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(保護担当)。

 その正体は“野鉄砲(のでっぽう)”。

 黒髪を無造作に結った、小柄で無口な少女。

 狙撃の達人でもある。

 自然をこよなく愛し、人工の街が少し苦手で夜型体質。

 あまり表面には出さないが、巡に対する好意のようなものが見え隠れすることも。

 使用する妖力は【暗夜蝙声(あんやへんせい)】


イラスト作成∶魔人様

■三池 宮美(みいけ みやみ)

 種族:妖怪(猫又)

 性別:女性(メス)

 降神町に住む妖怪(=特別市民)。

 正体は“猫又(ねこまた)”

特別住民支援課の人間社会適合プログラムの受講生の一人。

 猫ゆえに好奇心は旺盛だが、サボり魔で、惚れっぽく飽きっぽい気まぐれな性格。

 使用する妖力は【燦燦七猫姿(さんさんななびょうし)】 


イラスト作成∶きゃらふとを使用

■妃道 軌(ひどう わだち)

種族:妖怪(片輪車)

性別:女性

 走り屋達が開催する私設レース“スネークバイト”における無敗の女王。

 正体は“片輪車(かたわぐるま)”

 粗暴な口調とレースの対戦相手をおちょくる態度で誤解を生み易いが、元来面倒見が良く、情が深い。

 使用する妖力は【炎情軌道(えんじょうきどう)】


※「片輪車」の呼び名は、資料に忠実な呼び名を採用しており、作者に差別的な意図はございません。


イラスト作成∶Picrewを使用

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