【三十丁目】「君、逃げて…!」

文字数 5,346文字

 妖怪“野鉄砲(のでっぽう)”こと、砲見(つつみ) 摩矢(まや)は、夜の街が嫌いだった。
 かつて彼女が棲んでいた北の深山は、夜になれば漆黒の(とばり)が辺りを優しく包み、その(かいな)の中を動物達が「生命(いのち)」を謳歌(おうか)する楽園だった。
 月や星の明かりが煌々と山野を照らす中、(ふくろう)の鳴き声がこだまし、川のせせらぎが悠久の旋律を奏でる。
 強きものも弱きものも、自然の見えざる摂理に従い、生と死の下を歩み行くのが日常だった。

 だが、人の街は違う。

 下品な人工の光が夜の闇を侵し、美しい夜を台無しにする。
 喧騒が止むこともなく、闇の中の異形を恐れもしない人々が、我が物顔で闊歩(かっぽ)する。
 (ここ)では生も死も関係ないかのように、生命としての堕落がまき散らされていた。
 醜い、と摩矢は思う。
 生命とは、自然の中で研ぎ澄まされた野性を(かて)に、生き抜こうとする「意思」に他ならない。
 だからこそ尊く、だからこそ光り輝くのだ。
 現代、人間(ひと)は繁栄を手にし、野性を忘却した。
 それは、生命の否定にしか思えなかった。

(存外、退屈せんぞ?)

 自分を(ここ)に誘った鬼女の言葉を思い出す。
 この町に来てはや数年。
 その意味を摩矢はまだ見出せていない。
 あの鬼女は、金属(かね)と光に汚されたこんな場所で、人間の何を知れというのだろうか。

(せめて、迷いが消えるまでは)

 今度は、一人の同僚の言葉がよみがえる。
 力も無く、意思も揺らぎ、途方に暮れた先で、

はそう口にした。
 野性が尽きたこの町に、不格好でも足掻いていこうと、彼は決めたのだ。
 彼の示した「意思」は、生命の律動に似ていた。
 摩矢は、自分の心音を意識する。
 堕落した人間の中に、たった一筋、しかし(かたく)なな「意思」を持った者が生きている…それを知った時、摩矢は得も知れぬ胸の高鳴りを感じたものだ。
 だから、彼女は去ることなく、まだここに居る。
 人間の醜さと気高さ…相反する二つの事象が、摩矢を乱していたのである。

「…人間の、くせに…」

 そう呟いてから、ハッとなって周囲を見回す。
 だが地上十数m、深夜のビルの屋上には人影など見当たらない。
 彼女の独り言を耳にする者など、居るはずもなかった。
 だが、独り言を聞かれてしまうことよりも、摩矢はそれを呟いた自分を恐れた。
 彼女は生粋の狩人である。
 敏感な野の獣を相手に、狩りを行うのが生業(なりわい)だった。
 彼らを仕留めるのには、尋常でない根気と我慢強さが必要である。
 それこそ、一昼夜の間、草木山石と同化するなぞ、当たり前のことだった。
 不用意な独り言などしようものなら、あっという間に自分の姿がばれてしまう。

(…自分も(ここ)に来て、()ちた…か)

 嘆息する摩矢。
 その時だった。

「離して、離してください…!」

 遠く。
 地上から、一人の女の声が、摩矢の耳に届いた。
 鷹の眼に匹敵する視力で、地上を睥睨(へいげい)する。
 すると、人通りもない路地で、一人の若い女が、数人の男に取り囲まれているのが見えた。
 男の一人が、嫌がる女の手を掴んでいる。

「…」

 興味を失い、摩矢は視線を外した。
 獣の雄なら、雌にはもっと上手く求愛するのに、人間の男は、時に強引な方法で女を屈服させようとする。
 全く理解ができない。
 雄にとって、雌は自分の子を孕む重要な存在だ。
 それを強引に扱い、傷つけようとするなど、理に適わない求愛方法である。
 それ以前に、今は職務の最中だ。
 目的の店に入った二人の同僚は、まだ出てこない。
 いざとなれば、支援役の自分が動く必要がある。
 そう、余計ないざこざに首を突っ込む暇などない。
 摩矢は、音も無く跳躍し、屋上を後にした。

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 全く、思い返してみれば今日は朝から最悪な日だった。

 起床して髪をとかしたら、上手くまとまらない。
 その上、少なからぬ枝毛があった。
 気分を変えようと、お気に入りのブラとパンツを探したら、間違って洗濯かごに入れてしまっていたし。
 部屋から出て、階段の途中でコケて、転げ落ちそうになった。
 その後も、せっかく焼いた目玉焼きの一つは、黄身が割れて、不格好になってしまい。
 極めつけに「夕食には兄の好物を用意しよう」と思っていたら「今日は残業」ときた。
 不自然な兄の雰囲気を怪しみ、変装して仕事上がりを狙い尾行してみたら、女性と夜の街を歩いているし。

 挙句…

「なあ、ちょっとだけよ。いい店に案内するからサ」

 …こんな、社会のクズみたいな奴らに絡まれるし。

「離してくださいって言ってるんです!」

 果たして私…十乃(とおの) 美恋(みれん)の主張は、目の前のバカ四人組に通じるか。

「うんうん、一緒に来てくれたら離すよぉ?」

「安心して、俺ら紳士だし?手取り足取りリードするよ?」

「ついでに腰まで取っちゃったりして」

 下品なジョークに、一斉に馬鹿笑いする四人組。
 あかん。
 コイツら、人語通じないわ。
 きっと、頭の中では発酵した脳みそにウジ虫が湧いているに違いない。
 大体、私とそう違わない歳なのに、こんな夜遅くに徘徊してるんだから、品行の良い人種ではないだろう(今日に限っては、他人のことは言えないが…)
 私は溜息をついた。

「…離してください」

「『離してくだちゃい』だって♥いーね、ムラムラくるわー、コレ。サイコー♪」

 気色悪いウラ声で、そうのたまう男に、他の三人が追従して笑う。
 私は深呼吸してから、顔を上げた。

「ウ○コのニオイが付くから、離せって言ってんの。この便所虫」

 極めて冷酷に。
 (さげす)むようなジト目で。
 一言一句ハッキリと告げる。
 クズ共の顔色が変わるのは、それはもう見ものだった。

「…んだと、コラ」

 雰囲気が一変する四人組。
 何か余程痛い所を突かれたのか、殺気すら漂い始める。
 私の手を離し、男の一人が訳知り顔で頷いた。

「OK、OK。つまりアレだ…ここでブチ込まれたい訳だ、お前」

 その台詞を合図に、一人が通りに繋がる通路に向かう。

「通り、塞いどくわ。後で回せよ?」

「おう。頼むわ」

「おーし…顔は殴るなよ?()えるからな」

 前と左右。
 下卑た笑いが私を取り囲む。
 …まずは、三対一、か。
 得物を取り出す様子はない。
 よしよし。
 まだ、こちらをナメているな。

「んじゃ、おっ始めるか」

 左の男が不用意に手を出した瞬間、私は自分からその懐へと踏み込み、男の手を取った。
 そして、そのまま相手の手首の関節を極め、地面へと引き倒す。

「あだっ!?

 痛みを逃がそうと動いた相手の力を利用し、きれいに一回転させ、地面に叩きつける。
 同時に、足刀を男の喉に叩き込んだ。
 一瞬で絶息し、意識を失う男。
 組手では拳でやるのだが、こっちも余裕はない。

「てめえ!」

 背後…最初に右側にいた男が、掴みかかってくる。
 羽交い絞めになった私は、足を後方に振り上げ、躊躇(ちゅうちょ)せず金的を見舞ってやった。

「おぼ!?

 素っ頓狂な吠え声を上げ、地面をのたうち回る男。
 …あー、ホントに痛そう。
 こういう時、男の人って損よね。
 急所を体外に持ってんだから。

「…!」

 振り向いた私の目に、最後の一人が映る。
 その右手には、冷たく光るナイフがあった。

「…嫁にいくのは諦めな」

 低く笑う男。

「あら、お嫁になんていかないわ。私はもう、(めぐる)っていう(ひと)のものだもの」

 髪を掻き上げ、挑発するように言う私。
 だが…見せている程、余裕がある訳ではない。
 チンピラといえ、刃物を持った相手は初めてだったし、日頃、修練している合気道でしのげるかどうか…

「なら…そいつに面白い動画でも送ってやるか!」

 男が突進してくる。
 思ったよりも身をたわめ、腕を取りにくくしていた。
 体格を生かした体当たりに近い攻撃だ。
 しかも、ナイフを微妙に死角へ隠している。
 くっ、コイツ、場馴れしてるな!
 私が対策を思案したその瞬間、

ドスン!

 男の頭上に、何かが降ってきた。

「…!?

 見ると、一人の女の子が男の頭を踏みつけて立っている。

「着地成功」

 髪の毛を無造作に結い上げた、ポニーテールの少女が無表情に呟く。
 このくそ暑いのに、毛皮のベストのような上着を羽織った、マタギか女忍者みたいな少女である。
 背中には細長い何か…って、あれって、猟銃!?

「尋ねる」

 足元でピクピク痙攣(けいれん)する男を見降ろし、マタギ少女が続けた。

「君達、あっちの黒い店から出て来た。さっき店の中に入った若い男女、どうしてるか知ってる?」

 少女が顎で指す方向には…確か、お兄ちゃんが女の人と入っていった店がある。
 中に入る訳にもいかず、やきもきしながら見張っていた私が記憶する限り、あの店…バー「Kreuz(クロイツ)」に入っていった若い男女は、お兄ちゃん達だけのはず。
 …まあ、それで店から出てきたこいつら馬鹿四人組に見つかって絡まれたんだけど…

「…聞いてる?」

 応えの無い相手に、マタギ少女は、小首を傾げた
 いや、無理でしょ。
 完全に無防備な頭上から、全体重をかけた一撃を喰らったら、普通、ヒグマでも卒倒する。

「ふむ…」

 嘆息するマタギ少女。

「やはり都会は冷たい」

「いやいやいや、違うから。完っ全に失神してるし、ソレ」

 思わず、手を振りながら、そうツッコミを入れる私。
 マタギ少女は、くりん、と私の方を見た。
 …よく見れば、私よりずっと背も低くて、幼い感じだ。
 でも、顔立ちは整っていて、気品みたいなものを感じる。

「君…」

 少女の表情がほんの少し険を含んだ。

「動くな」

 予備動作も無く、一瞬で背中の猟銃を構える少女。
 狙いは…え、ちょ…私ぃ!?

「うそ、ちょっ、待っ…」

タン!

 軽快な発砲音が、夜の裏通りに響く。
 思わず目をつぶった私は、静寂の訪れに恐る恐る目を開いた。

ドサッ…!

 すぐ背後で何かが倒れる音がする。
 振り向くと、先程金的を喰らわした男が、背後で倒れていた。
 察するに、性懲りもなく私の背後に忍び寄っていたようだ。
 どうやら、今の弾丸はコイツに命中…した?

「…!?

 状況を理解し、悲鳴を上げそうになる。
 や、やばい…!
 こ、これって、人殺し…!

「死んでない」

 猟銃を仕舞いながら、マタギ少女がビシ!と親指を立てる。

「山椒混合麻痺弾」

 よく見れば。
 撃たれた男は、出血も無く、僅かに呻き声を上げている。
 それも舌が回っていない感じで、だ。

 …
 ……
 ………

 何ともリアクションに困る展開だ。
 いきなり現れた年端もいかぬマタギ少女が、チンピラをのし、挙句、銃刀法無視の発砲を行う。
 しかも何やら怪しげな弾丸を使い、手慣れた感じで…
 理性を追いつかせるため、私はしばらく頭を押さえた。

「……えー、あー、まあ、いいわ。うん、そうね。悪いのはこいつらだし」

 私はマタギ少女を見やった。

「その、助けてもらったみたいだし、お礼を言います。どうもありがとう」

 そのまま頭を下げる。
 顔を上げると、マタギ少女は少しだけ目を見開いていた。
 何だろう?
 私の顔に、何か付いているのかな?

「なあに?どうしたの?」

「…君、あの子に似てる…」

「えっ?」

 問い返すのと、マタギ少女の背後…通りの方から、一人の男が突進してくるのに気付くのが一緒だった。
 ヤバ!
 そういえば、もう一人いたんだっけ!

「…え?」

 こちらに向かって来るのは、間違いなく先程の四人組のうちの一人だ。
 仲間がやられたのを見て、怒って突進してきたのかと思ったが…何やら様子が変だ。
 まるで、背後から来る何かに脅えるように、泣き叫びながらダッシュしてくる。

シャラン…

 不意に。
 金属が打ち鳴らされるような音が響いた。
 同時に、周囲の気温が低下していくのが分かる。
 ヒンヤリ、という生易しいものではない。
 気付けば、歯が噛み合わないほどの悪寒が全身を襲った。

「な、何…」

シャラン

 金属の音が近くなる。
 恐怖の表情を浮かべ、逃げて来る男。
 その足がもつれ、盛大に転んだ。

「ひ、ひぃぃぃっぃぃっぃ…!」

 口から泡でも吹きそうな勢いで、男が這いつくばってこちらに逃げて来る。

シャラン!

 金属音は止まらない。
 もう、すぐ目の前から聞こえる。

シャラン!!

「た、助け…」

 這いつくばって、それでも前に逃げていた男の身体が、ピタリと静止する。

…ズッ

 まるで見えない何かに足を掴まれ、引きずり戻されるように、男の身体が動いた。
 発狂したように叫ぶ男。
 私は、悪夢を見ているかのように立ち尽くすことしか出来ない。

ズズズズズ…!

 引きずられるスピードが増していく。
 後方には暗闇。
 …嘘だ。
 さっきまで、通りのネオンが見えていたはず…

ジャキ…

 見ると、マタギ少女がいつの間にか猟銃を構えている。
 無表情だった少女の貌に、明確な敵意があった。

タン!タン!

 発砲音が再びこだまする。
 狙いは…男の背後の暗闇だった。
 が、放たれた弾丸を受けても、男の身体は止まらない。
 失神したのか、男の叫び声は途絶えていた。

「君、逃げて…!」

 鋭いマタギ少女の叱咤(しった)
 私は目の前にある悪夢のような光景から、一歩身を引いた。
 そして、そのまま、弾かれたように後ろも見ずに駆け始める。
 残してしまった少女のことは。
 「恐怖」という暗幕で覆われ、ついに頭の中からかき消えていた。
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登場人物紹介

■十乃 巡(とおの めぐる)

 種族:人間

 性別:男性

 「妖しい、僕のまち」の舞台となる「降神町(おりがみちょう)」にある降神町役場勤務。

 主人公。

 特別な能力は無く、まったくの一般人。

 お人好しで、人畜無害な性格。

 また、多数の女性(主に人外)に想いを寄せられているが、一向に気付かない朴念仁。


イラスト作成∶魔人様

■黒塚 姫野(くろづか ひめの)

 種族:妖怪(鬼女)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 人間社会に順応しようとする妖怪をサポートする「特別住民支援課」の主任で、巡の上司。

 その正体は“安達ヶ原の鬼婆”こと“鬼女・黒塚”。

 文武両道の才媛で、常に冷静沈着なクールビューティ。

 おまけにパリコレモデルも顔負けの、ナイスバディを誇る。

 使用する妖力は【鬼偲喪刃(きしもじん)】


イラスト作成∶魔人様

■間車 輪(まぐるま りん)

 種族:妖怪(朧車)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(送迎・運転担当)。

 その正体は“朧車(おぼろぐるま)”

 姉御肌で気風が良い性格。

 本人は否定しているが、巡にほのかな好意を寄せている模様。

 常にトレードマークのキャップを被ったボーイッシュな女性。

 使用する妖力は【千輪走破(せんりんそうは)】


イラスト作成∶魔人様

■砲見 摩矢(つつみ まや)

 種族:妖怪(野鉄砲)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(保護担当)。

 その正体は“野鉄砲(のでっぽう)”。

 黒髪を無造作に結った、小柄で無口な少女。

 狙撃の達人でもある。

 自然をこよなく愛し、人工の街が少し苦手で夜型体質。

 あまり表面には出さないが、巡に対する好意のようなものが見え隠れすることも。

 使用する妖力は【暗夜蝙声(あんやへんせい)】


イラスト作成∶魔人様

■三池 宮美(みいけ みやみ)

 種族:妖怪(猫又)

 性別:女性(メス)

 降神町に住む妖怪(=特別市民)。

 正体は“猫又(ねこまた)”

特別住民支援課の人間社会適合プログラムの受講生の一人。

 猫ゆえに好奇心は旺盛だが、サボり魔で、惚れっぽく飽きっぽい気まぐれな性格。

 使用する妖力は【燦燦七猫姿(さんさんななびょうし)】 


イラスト作成∶きゃらふとを使用

■妃道 軌(ひどう わだち)

種族:妖怪(片輪車)

性別:女性

 走り屋達が開催する私設レース“スネークバイト”における無敗の女王。

 正体は“片輪車(かたわぐるま)”

 粗暴な口調とレースの対戦相手をおちょくる態度で誤解を生み易いが、元来面倒見が良く、情が深い。

 使用する妖力は【炎情軌道(えんじょうきどう)】


※「片輪車」の呼び名は、資料に忠実な呼び名を採用しており、作者に差別的な意図はございません。


イラスト作成∶Picrewを使用

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