【百二十六丁目】「帰りたい…」
文字数 5,470文字
さすがに名のある大妖達である。
一癖も二癖もある上、その言動が常識の枠外にあった。
「何を安堵しておる」
そんな僕へ、
「玉緒達より、もっと厄介な連中がまだ来ておらんのだぞ?気を抜くのはまだ早いわ、
「は、はい」
御屋敷町長の言う通りだ。
この「
妖怪が現代に復活してから今日に至るまで、日本で最も危険視されている大妖達。
「魔王」
「妖王」
そして、気性の荒いことで知られる鬼族の中でも、特に名高い「鬼王」
この三体の妖怪は、本来ならば、人間が無防備なまま、その前に立つことは
そもそも、それぞれの伝承に残るエピソードも瞠目すべきものだ。
まず、山本五郎左衛門は『稲生物怪録』という絵巻物にその名を残す大妖である。
勇敢な若者として知られていた
最後には平太郎の勇気に敬意を表し、
そして、彼が平太郎の元を去る際、彼が乗った
その正体は、結局のところ全く不明。
さらに、山本五郎左衛門自身の言葉によれば、彼はインド、中国をも渡り歩いた大妖であるらしく、その権力の全容は計り知れない。
そして、その山本五郎左衛門のライバルが、神野悪五郎である。
山本五郎左衛門が登場する「稲生物怪録」の中では、その名前だけが語られる存在ではあるが、有する勢力は山本五郎左衛門と肩を並べるほど。
山本五郎左衛門によれば、彼と神野悪五郎は、この時「魔界の王の座をかけて、勇気のある少年を100人驚かせる」という賭けをしていたという。
一見、悪ガキが考えそうな勝負方法に聞こえるが、それが彼ら大妖の感性なのだろう。
結局、山本五郎左衛門は、その86人目として平太郎を驚かそうとしたが、彼が動じなかったことで積み上げてきたカウント数は0へ。
本来なら、激怒して平太郎を手にかけそうなものだが、前述のとおり、山本五郎左衛門は彼の勇気を称えて去っていった。
彼らの勝負がどのような結果になったのかは定かではないが、勝敗がついたという伝承がないところをみると、まだ決着がついていないのかも知れない。
そして、最後の一体…「日本三大悪妖怪」の一つに数えられる酒呑童子だが、その名前と伝説は広く知られるところだ。
丹波国の大江山(または山城国京都と丹波国の国境にある大枝(老の坂))に住んでいたと伝わる鬼の頭領で、無類の酒好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていた。
無数の鬼たちを率いて都を荒らし、貴族の令嬢や宝物を奪い、歯向かった人間を皆殺しにした極悪非道の大鬼。
この悪逆極まる鬼の所業に立ち上がったのが、平安時代最強の魔物退治の逸話を持つ、源頼光率いる「頼光四天王」である。
彼らは変装すると、酒呑童子の居城に客人として潜り込み、見事退治してのけた。
その代の酒呑童子は、討ち滅ぼされたというが、現代の酒呑童子はその血筋に連なる鬼らしい。
さすがにかつての蛮行を繰り返してはいないようだが、鬼族の覇権を巡り「
いわば、人間でいう暴〇団みたいな存在だろうか。
いずれにしろ、真っ当な人生を歩んでいたら、絶対に関わりなど持ちえないし、持ちたくない手合いであるのは間違いない。
いくら「無礼講にして抗争禁止」なルールが敷かれた「
そう考え、僕は改めて身震いした。
「…なあ、坊よ。お主、緊張しているんじゃよな…?」
そんな僕を見上げていた御屋敷町長が、ふとそんなことを聞いてきた。
僕は、思わず御屋敷町長を見返した。
「え?ええ、そりゃあ緊張しますよ。伝説に謳われる魔王や鬼が、今からここに来るんですよ?こんな機会またと無いし、失礼があれば、どんなトラブルになるか…ああ、考えたくない」
「そうか…うん、そうじゃよな」
「?」
首を傾げる僕から視線を外すと、御屋敷町長は顎で、空を示した。
「ほれ、噂をすれば何とやらじゃ。来おったぞ『伝説の中の住人』が」
僕は慌てて目で追った。
空はほとんど夕闇に包まれている。
もっとも、昏くなってはいたが、晴天の夜空だった。
しかし、僕の視線の先には、今まで無かった黒い雲が、湧き上がるようにその身を広げていく。
同時に、豪奢な両開きの門が出現、軋みを上げつつ開かれていった。
突然の怪異にどよめく人間一同に対し、御屋敷町長は冷静に告げた。
「慌てんでよい。あれは
その言葉と共に、稲光が走り、轟音が轟く。
そして、開ききった門の中から、巨大な生き物が這い出してきた。
「あ、あれは何だ!?」
「
居並ぶお偉方全員が、目を剥く。
黒々とした雲の中から這い出してきたのは、何と巨大な蜘蛛だった。
全身が茶色の剛毛で覆われており、長い足を蠢かして、徐々にこちらへと這い寄ってくる。
「お、大きい…!」
僕は目を疑った。
落下もせずに空中を歩いてくる巨大蜘蛛。
その距離からみても、全長30メートルは下らないだろう。
「雲の中から蜘蛛」なんて駄洒落のような展開だが、徐々に接近してくるその様は悪夢以外の何でもない。
虫嫌いな人が見たら、まさしく卒倒ものである。
皆がどよめく中、御屋敷町長だけが表情一つ変えず呟いた。
「ほう“
「“土蜘蛛”!?あれが…!?」
僕は驚きと共に改めて巨大蜘蛛を見た。
“土蜘蛛”は、古代日本において朝廷に恭順しなかった土豪たちを示す名称である。
が、別の意訳として、巨大な蜘蛛の妖怪としても知られている。
絵巻物『土蜘蛛草紙』でも、獣の首をした巨大な蜘蛛の姿で描かれており、源頼光が家来の渡辺綱を連れて京都の洛外北山の蓮台野に赴いた際、美女の姿で惑わすものの、最終的に正体を見破られ、彼らに討たれたとされる。
その死体の腹からは、1990個もの死人の首が出てきたといわれており、存在した時代の古さもさることながら、凶暴さでも群を抜く妖怪だ。
見れば、伝承通り、その頭には虎に似た猛獣の首があり、こちらを見下ろしていた。
「“土蜘蛛”が出て来たなら、まずは神野の到着じゃな」
「えっ?」
「“土蜘蛛”は、奴の
御屋敷町長が指さす先…“土蜘蛛”の背中に、一人の人物の姿があった。
平安貴族のような白い
女性と見まごう秀麗な顔立ちが、何とも雅な雰囲気を醸し出しているが、その眼光は僕たちを威圧するような鋭さがあった。
その威圧感に、僕は思わず呟いた。
「あ、あれが、神野悪五郎…」
「
紅を指した唇が、僕達人間のメンバーにとって、聞き捨てならない台詞を吐く。
“土蜘蛛”…どうやら、朱闇という名前らしいが…は、それに呼応するように「キシャアア!」の一鳴きすると、長い足を蠢かし、何かをこねるような仕草をしつつ、宵ノ原邸の庭に下り立った。
そこでようやく気付いたが、どうやら朱闇は無数の糸を紡ぎ、それを張り巡らせつつ、空中を渡ってきたようだ。
ほとんど目でとらえられないほどの細い糸で、よくもまあ、あの巨体を支えていたものだと、場違いな感心をする僕だった。
そうこうしているうちに、朱闇の背から、神野悪五郎が降り立つ。
一言でいえば、美しかった。
女性も羨むような、夜の闇の如き長い髪に、白雪のような白磁の肌。
下品にならない程度にひかれた
平安時代の絵巻から抜け出してきたかのようなその装いと相まって、いわば「リアル光源氏」
何より、人間を超越した圧倒的なその存在感と、立ち昇る王者の風格に、思わず僕は膝をつきそうにさえなる。
しかし。
居並ぶ一同が抱いた感嘆と
「待たせたわね、人間共♪人呼んで『妖王』神野悪五郎、かつてない流麗かつ美麗な旋風を巻き起こし、今ここに推♡参♡」
同時に、周囲に深紅の花吹雪が振り撒かれる。
土蜘蛛からは、紙テープ代わりの白い糸が吹き上がり、その背後にはピンクの煙と共に派手な爆発が発生。
轟音が辺りに響き渡った。
…記憶が確かなら。
この時の呆気にとられた一同の顔は、まさに「やっちゃった」感丸出しだった。
黙っていれば、厳かな空気のまま進んでいった物語が、ちゃぶ台返しを食らって一瞬でコントに成り下がったような。
そんな空気だった。
誰しも顔を見合わせ、お互いに「おい、どーすんだよ、この空気」という探りを入れあう中、ウィンクしたままの神野悪五郎のこめかみに、スゥっと血管が浮く。
それを見た御屋敷町長が、突然僕を肘で小突き、小声で言った。
(坊!早く奴を誉めろ!何でも、どうでもいいから!)
(ええっ!?どういうことです!?)
合わせるように小声で囁くと、御屋敷町長はゲンナリしつつ、
(奴はな、アーティスト気取りで、極度の
(…マジですか…あの、神野悪五郎がナルシストだったなんて…)
イメージ崩壊も甚だしい。
しかし、御屋敷町長は真顔で、
(マジじゃよ、大マジじゃ。ほれ、早く奴を誉めい!)
(そんなこと急に言われても…)
見ると、神野悪五郎は笑顔のまま固まっている。
が、微妙な空気をようやく察したのか、こめかみの血管が増えていた。
(いかん!早く何とかせい!でないと、降神町が地図から消えるぞ!)
慌て始める御屋敷町長。
その表情だけ見ると、どうやらマジなピンチらしいが…
(ち、地図から消えるって、そんな、いくら何でも…)
すると、御屋敷町長はジロリと僕を見た。
(坊は、歴史で『
突然のことに、僕は目を瞬かせた。
(へ…?え、ええ、それはまあ…習いましたけど)
そう答えると、御屋敷町長は暗い笑みを浮かべつつ、爆発寸前の神野悪五郎を見やった。
(…何で蒙古軍が、二度も嵐で遠征失敗したか、真相を教えてやろうか…?)
「…素晴らしいです!」
僕は唐突に、盛大かつ大仰に拍手をした。
全員がキョトンとした表情で、僕を見る。
「流石です!ブラボー!ビューティホー!未だかつて、こんな美麗な登場があったでしょうか!いや、無い!無いです、絶対!はい、無いに決まった!」
「あら♡」
浮かんでいた血管を消しつつ、神野悪五郎が、僕を見やる。
僕は拍手を続けつつ、周囲のお偉方に必死で目で訴えかけた。
皆さんも「元寇」とその結末はご存知だろう
鎌倉時代、二度に渡り、日本へ来襲した
思うに。
今の御屋敷町長の口振りからすると、当時、神野悪五郎が何らかの理由で
だとすれば、彼の気分を損ねることは、とても危険だということだ。
何せ、十五万近い兵力を誇ったモンゴル帝国軍を壊滅させるほどの天変地異を起こす大妖である。
彼の機嫌が損なわれつつある今、ここでの対応は、まさに町の…いや、下手をしたらこの国の存亡が掛かっているといえた。
何がなんでも、この場を乗り切らなければならない…!
僕の決死の思いを込めたアピールが伝わったのか、パチパチと拍手が起こり始める。
それは、流れに乗って大きな歓声と共に響き渡った。
「あらあら、嬉しいじゃない♡こんなに反響があるなんて、夢にも思わなかったわ♡」
打って変わった上機嫌で、口元をほころばせつつ、歓声と拍手に応える神野悪五郎。
「もう、人が悪いわね、あなた達。私の渾身の演出が理解できないようだったから、思わずこの町を地図から消し去ろうかと思っちゃった♡」
「はは…あはは…すみません…あまりにセンスがブッ飛ん…いえ、センスに溢れた演出でしたので、脳が理解を拒ん…じゃなくて!理解するのが遅れてしまって…」
引きつった愛想笑いを浮かべる僕に近付くと、神野悪五郎は再びウィンクして見せた。
「ウフフ…でも、低能なサルにしては、貴方は見込みがあるわね。今度、アタシの
そう言い残し、鼻歌交じりに上機嫌で宵ノ原邸の中へ進んでいく神野悪五郎。
立ち尽くす僕に御屋敷町長が言った。
「ご苦労じゃった、坊。
そう言いながら、溜息を吐く町長。
「間違いなく、だーれも知らんがな」
「帰りたい…」
脱力し、へたり込むしかない僕だった。