【四丁目】「とある事件の解決に、ぜひみなさんの力をお借りしたいのです」

文字数 4,385文字

「…というように、人間の食事の席では、以上のようなマナーがあります」

 降神町(おりがみちょう)役場・会議棟。
 棟といっても、簡素な大型プレハブに近いこの建物では、今日も今日とて、特別住民(ようかい)のみなさんを対象に、人間社会に慣れるための無料定期研修会が行われている。
 この研修会の受講者は、設定されたステージをクリアしていくことで、人間社会への適合性の高さが上がっていき、より人間に近い妖怪として、様々な分野で人間と協力する職業に就業できるのだ。
 無論、強制ではなく、希望者のみが受講するもので、これを受けなければ、人間社会での就業が不可能という訳ではない。
 ただし、より優位な形で就職活動が望めるため、受講希望者の数は例年増えてきている。
 今日は「人間の食事のマナー」についての講義である。
 講師はこの道30年、地元で料理教室なども開催している人間の女性講師だった。
 受講者の面々は、思い思いにメモをとったり、訳知り顔で頷いたり、あからさまに面倒くさそうにしていたり、反応は様々だ。
 …しかし、毎回思うけど、姿がほぼ人間に近いから、パッと見たら普通のマナー講座にしか見えないなぁ。

「ここまでで何か質問はありますか?」

 講師の問いに、ババババっと手が挙がる。

「はーい、しつもーん。このおしぼりって、尻尾も拭いていいんですか?」

 …いや、ダメでしょ。三池(みいけ)さん(猫又(ねこまた))。

「このフィンガーボウルって、飲み物なんですか?」

 …それは指を洗うものです、紅水(くれみず)さん(赤舌(あかした))。

「ナイフより、手で切った方が早いんだけど」

 …それができるのは君だけだよ、太市(たいち)くん(鎌鼬(かまいたち))。

「お、おかわりは何杯目までセーフ…?」

 …切実すぎます、植照(うえてる)さん(餓鬼憑(がきつき))。

「あー、俺、(かに)喰いてぇんだけど、蟹」

 …実地訓練はないです、真白(ましら)さん(猿神(さるがみ))。

「それはおいらに対する挑戦か!?

 …気持ちは分かりますが落ち着きましょう、波佐見(はさみ)さん(蟹坊主(かにぼうず))。

 常にワイワイ、ガヤガヤして収拾がつかなくなるのも、この研修会の見慣れた風景である。
 女性講師は頬をヒクつかせつつも、丁寧に対応を行っていく。
 人間社会に順応するということは、妖怪にとって過酷な試練だが、受け入れる人間側にも多大な忍耐力が要求される。
 しかし、それを乗り越えなければ、現代で両者の共存は成立しないのである。
 何より、役場に就職して一年、僕はそれを身をもって知った。

「え~?お皿なめちゃダメなの~?」

「あ、俺、蟹は生がいい、生」

「挑戦だなッ!?やっぱり挑戦してるんだなッ!?

「お、お持ち帰りは?どれだけならセーフ?」

 …あ、女性講師が目で助けを求めてる。
 仕方ない。手助けに行くとしよう。
 溜息をつきながら、僕は椅子から立ち上がった。

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 どうにか研修会も終わり、女性講師を労う。
 毎度ながらとはいえ、人間相手とは勝手が違うため、想像よりキツイだろうに彼女は、

「でも、みなさんの熱意は本物ですよ」

 と、笑って帰って行った。
 妖怪を警戒する人間は、いまだに多いが、受け入れようとする人間も多い。
 いまはまだ仲良くはできなくても、身近に感じられる存在として、妖怪たちもだんだんと僕たちの社会に馴染んでいる。
 少なくとも、僕はそう信じたい。

十乃(とおの)、ちょっといいか」

 女性講師をロビーで見送った僕は、階段で黒塚(くろづか)主任(鬼女(きじょ))に呼び止められた。
 今日もビシッときまったビジネススーツと眼鏡で全く隙がない。

「何でしょう、主任」

「実はちょっと頼みたいことがある。間車(まぐるま)と一緒に、二階の会議室へ来てくれ」

「あ、はい」

 …?
 主任、いつもに増して真剣な表情だったな。
 よし、とにかく間車さんを呼んでこよう。

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「失礼します」「ちゃーす」

 僕と間車さん(朧車(おぼろぐるま))が会議室に入ると、黒塚主任の他に市民部の部長と特別住民支援課の課長がいた。
 ちなみに特別住民支援課は市民部に属する。
 つまり、二人は僕らの課の直属の上司となる。
 それともう一人、見知らぬ男性がいた。
 制服姿から警察関係の人間に見える。
 厳しい顔立ちの大柄な男性だ。
 僕は、思わず横にいる間車さんに視線を向ける。
 勤務中、交通ルールを「スレスレの線で」かいくぐっている間車さんは、警察関係者…特に交通課では要注意人物となっていると聞いた。
 この警官は、その関係で役場に来たのかも知れない。
 だが、そんな僕の心配をよそに、

「おう、(りん)!元気にしとるか?」

「よー、何だ、(ごん)ダンナじゃんか!」

 いかつい顔の警官が、間車さんを見て、急に相好を崩す。
 間車さんも、二カッと笑って手を挙げた。
 …えーと、お知り合い?

「何だよ、ダンナ。あたしゃ最近おとなしくしてるぞ」

「そりゃ結構。さては、歳で腕が鈍ったか?」

「ちげーよ。こちとら公務員なんだ。安全運転が基本だっつーの」

「ほー、こないだ四丁目の路地で爆走していた奴が、随分と殊勝な心掛けだな」

 ピキーン

 瞬間、間車さんが凍りつく。
 四丁目の路地で爆走…心当たりがありすぎる…
 確か何日か前に、三池さんを保護した時、その辺を走ったよーな…

「…よ、四丁目…?爆走…?な、なんだ、しょりゃ?」

 間車さん…その滝のような汗と噛みっ噛みの台詞で、モロバレです。
 見れば部長と課長の顔色が変わっている。

「ほう。随分と愉快そうな話だな…詳しく聞きたいぞ、間車」

 黒塚主任に至ってはどす黒いオーラに加え、角と牙を見せて笑っている。
 しかし、目が笑っていない。

 ひぃいぃッ!
 アレは久々に見る本気の鬼婆モードっ!

 いつだったか、課で催された飲み会で、間車さんが泥酔し、ふざけて(と、思いたい)車を運転して帰ろうとしたことがあった。
 言うまでもなく、妖怪だろうが何だろうが「飲酒運転、ダメ、絶対」である。
 その時、課長が注意するより早く、黒塚主任が彼女の首根っこをふん捕まえて、夜の街に消えていった。
 翌朝、怯えたウサギのようになった間車さんが出勤してきたのを見て、課の全員が戦慄したものだ。
 あの晩、何があったのか…いまだ、彼女は語ろうとしない。
 ただ一言、焦点の合わない目で「鬼婆伝説の再現になるところだった…」と呟いたという。

 …さよなら、間車さん。
 貴女のことは忘れません。

 そんなモノローグを心の中に浮かべていると、警官は笑いながら手を挙げて、鬼女丸出しの黒塚主任を制した。

「いや、その件については今回不問でいきましょう」

 黒塚主任は、男性のその言葉に、とりあえず鬼婆モードを解除した。

権田原(ごんだわら)警部…?」

「実は、今日は別件でお邪魔した次第です」

「別件…とは?」

 眼鏡の部長が怪訝そうに聞き返す。
 男性…権田原警部は居住まいを正した。

「とある事件の解決に、ぜひみなさんの力をお借りしたいのです」

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 唐突だが、降神町東部には、蛇尾山(じゃびさん)という山がある。
 南側が海、残り三方を山で囲まれた降神町と、隣町をつなぐ国道が走る山だ。
かつては、貴重な交通網として頻繁に利用されていたが、近年、山を貫くように整備された新道の利便性に押され、かつての賑わいは見られない。
 訪れる者といえば、地元の小学生が遠足でやってくるくらいで、たまにカップルなどの姿があればいい方だった。

 ただし、週末の夜になると状況が変わる。

 山に沿った時に厳しく、時に緩やかなカーブが点在するため、地元のみならず、他所からも腕自慢の走り屋たちが集結し、“スネークバイト”という、私的なレースを開催しているのである。
 人里から離れた場所にあり、交通量もまばらとなれば、正にうってつけのレース場だ。
 たまに思い出したかのように警察のパトカーが巡回にやってくるが、それもめったに苦情が来ないため、形式上のものになっていた。
 僕が高校生の時、いや、それより前から、この山で行われている“スネークバイト”は有名だった。

 その“スネークバイト”で、最近不穏な動きがあると、警察にタレコミがあったという。

 “スネークバイト”に集う走り屋たちは、もともと純粋にレースを楽しむ連中が主だった。
 権田原警部の話では、イタチごっこではあったようだが、警察の注意を受ければ、素直に解散していたし、レースも自分達なりのルールを設けて、一線を越えることは無かったという。
 しかし、最近台頭してきた一人の走り屋のもと、過激な行動をとる者が出てきたらしい。
 危険走行、エキサイトしていくレースルール…このまま放っておけば、死傷事故が発生するのは時間の問題だという。

「…問題がもう一つ」

 権田原警部は、声をひそめた。

「そのリーダーになっている走り屋が、どうも妖怪らしいのです」

 全員の顔が強張った。
 繰り返すが、妖怪たちを人間社会に迎え入れるために支援を行うのが、僕たち特別住民支援課の仕事だ。
 その妖怪が、犯罪の道に走ろうとしているならば、僕たちとしても全力で阻止したいのが本音である。

「そいつは、明らかに人間を凌ぐドライビングテクニックを持っていて…恥ずかしながら、ウチの白バイ隊員も歯が立たなかったそうです。それに…」

「権田原警部」

 不意に黒塚主任が、固い声でその先を制止した。
 警部を正面から見据えて、凛然と尋ねる。

「まさか、うちの間車を疑っておいでですか…?」

 警部はその視線を真正面から受け止める。
 しばし、静寂が部屋を支配した。
 黒塚主任は無言だが「自分の部下がそんな真似をする訳がない」と目で告げていた。

「…その線もありましたな」

 ニヤリと笑う警部。
 しかし、すぐに首を横に振った。

「いや失敬。自分はこの歳まで、随分な数の悪い奴を見てきました。色んな奴がいましたよ、本当にね」

 そして、間車さんに目をやり、

「それだけ見てきたから、何となく鼻も効くし、人を見る目も肥える…ま、コイツはそんなタマじゃないでしょう。誰よりも、俺自身が保証しますよ、黒塚さん」

「…いえ、こちらこそすみませんでした」

 誠実に頭を下げる黒塚主任。
 部下を守り、信じようとする姿勢。
黒塚主任のこういうところが、人を惹きつけるんだなぁ…

「話を戻しましょう」

 部長が仕切りなおす。

「我々の力を借りたい、とのことでしたね?」

「ええ。それです」

 身を乗り出す権田原警部。

「その走り屋を…負かして欲しいのです」 
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登場人物紹介

■十乃 巡(とおの めぐる)

 種族:人間

 性別:男性

 「妖しい、僕のまち」の舞台となる「降神町(おりがみちょう)」にある降神町役場勤務。

 主人公。

 特別な能力は無く、まったくの一般人。

 お人好しで、人畜無害な性格。

 また、多数の女性(主に人外)に想いを寄せられているが、一向に気付かない朴念仁。


イラスト作成∶魔人様

■黒塚 姫野(くろづか ひめの)

 種族:妖怪(鬼女)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 人間社会に順応しようとする妖怪をサポートする「特別住民支援課」の主任で、巡の上司。

 その正体は“安達ヶ原の鬼婆”こと“鬼女・黒塚”。

 文武両道の才媛で、常に冷静沈着なクールビューティ。

 おまけにパリコレモデルも顔負けの、ナイスバディを誇る。

 使用する妖力は【鬼偲喪刃(きしもじん)】


イラスト作成∶魔人様

■間車 輪(まぐるま りん)

 種族:妖怪(朧車)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(送迎・運転担当)。

 その正体は“朧車(おぼろぐるま)”

 姉御肌で気風が良い性格。

 本人は否定しているが、巡にほのかな好意を寄せている模様。

 常にトレードマークのキャップを被ったボーイッシュな女性。

 使用する妖力は【千輪走破(せんりんそうは)】


イラスト作成∶魔人様

■砲見 摩矢(つつみ まや)

 種族:妖怪(野鉄砲)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(保護担当)。

 その正体は“野鉄砲(のでっぽう)”。

 黒髪を無造作に結った、小柄で無口な少女。

 狙撃の達人でもある。

 自然をこよなく愛し、人工の街が少し苦手で夜型体質。

 あまり表面には出さないが、巡に対する好意のようなものが見え隠れすることも。

 使用する妖力は【暗夜蝙声(あんやへんせい)】


イラスト作成∶魔人様

■三池 宮美(みいけ みやみ)

 種族:妖怪(猫又)

 性別:女性(メス)

 降神町に住む妖怪(=特別市民)。

 正体は“猫又(ねこまた)”

特別住民支援課の人間社会適合プログラムの受講生の一人。

 猫ゆえに好奇心は旺盛だが、サボり魔で、惚れっぽく飽きっぽい気まぐれな性格。

 使用する妖力は【燦燦七猫姿(さんさんななびょうし)】 


イラスト作成∶きゃらふとを使用

■妃道 軌(ひどう わだち)

種族:妖怪(片輪車)

性別:女性

 走り屋達が開催する私設レース“スネークバイト”における無敗の女王。

 正体は“片輪車(かたわぐるま)”

 粗暴な口調とレースの対戦相手をおちょくる態度で誤解を生み易いが、元来面倒見が良く、情が深い。

 使用する妖力は【炎情軌道(えんじょうきどう)】


※「片輪車」の呼び名は、資料に忠実な呼び名を採用しており、作者に差別的な意図はございません。


イラスト作成∶Picrewを使用

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