【百十一丁目】「害虫退治だ」
文字数 3,845文字
異界「
その宗主ともいえる
“川蛍”は、千葉県
雨の日、夜中に沼の上をホタルのような光が漂うという伝承が残されている。
もっとも、伝わっている伝承の中では、これ程の数の“川蛍”が出現したという記載はない。
この大量の“川蛍”の原因は、ここ「幽世」にあるようだ。
妖怪達が持つ妖力の源でもある「神秘」が満ちたこの「幽世」では、余程妖力が増強されるらしく、この夜光院を中心に、相当数の“川蛍”の光が常時飛び交っているという。
“川蛍”は、人を惑わすという西洋の“
薄闇の中を舞うその姿も、とても幻想的で美しい光景である。
だが、数が数だ。
風に舞うタンポポの綿毛のように、ふわふわと浮かぶ大量の光球をずっと見詰めていると、少しばかり空恐ろしくなる。
「怖いくらいにきれいだろう?雨が降るとな、もっと数が増えるんだ」
大広間の開け放たれた障子から庭を見詰めていた僕…
「昼のないこの世界では、貴重な光源でね。お前さんがたの世界と違って、
「そうなんですか…」
僕は群れなす光球に視線を戻した。
「…でも、いくらきれいだからって、限度がありますよね」
苦笑する北杜さん。
「そうだな。限度って奴は大事だよ」
そう言うと、北杜さんは膝に頬杖をついて、うって変わって溜息を吐きながら視線を正面に向ける。
「…んで、こっちもそろそろ限度ってのを考えた方が良いんじゃないかな」
その先では、僕の友人…
織原さんの傍らでは、彼女の友人である
「一体何考えてんだよ!?」
雄二が
「こんな所に女二人だけで来るなんて!何かあったらどうすんだ…!?」
怒鳴る雄二には聞こえないよう、北杜さんが明後日の方向を見ながらボヤく。
「…『こんな所』で悪かったね」
「何よ!心配だったから、わざわざ追っ掛けて来たんじゃない!」
詰め寄る雄二に対して一歩も引かず、織原さんが怒鳴り返す。
「大体、あんな話聞かされて『あとはよろしく!』で全部押しつけられても、こっちだって始末に困るってーの!」
「そこを何とかするのが、男の留守を守る女の役目だろ!」
「はあ!?何よ、それ!どこの前時代的アホ宇宙の無茶ぶり法則よ!?」
激昂したまま火花を散らす二人。
さっきから繰り広げられているこの舌戦は、そろそろ三十分を経過しつつある。
そもそもの発端は、この夜光院を目指した僕達を追い掛けて、織原さんと早瀬さんが
まったく、女の子二人で、何とも無謀な真似をしたものである。
幸い、ケガ一つ無かったものの、彼女達がこの「幽世」に不用意に飛び込んだことは、雄二には余程衝撃だったらしい。
二人の無事に安堵したのも束の間、一転、説教を始めたのだ。
が、それに織原さんが反発し、凄絶な口喧嘩が勃発。
現在に至ったりする。
両者一歩も引かない激しいその応酬は、夜光院の宗主たる北杜さんをして
雄二が吠える。
「うるせー!とにかく女の身で無茶するなっての!お前はいいとして、水愛ちゃんまで巻き込むな!」
「あ、あんたねぇ!そもそもあたし達がここまで来たのは、水愛があんたのことを…モガガ…!」
不意に、血相を変えた早瀬さんが織原さんの口を咄嗟に塞ぐ。
「ご、ごめんね、七森君!今後気を付けるから…」
上目づかいで、しおらしく小声でそう言う彼女に、雄二は納得いかないように憮然となってそっぽを向く。
「…勘弁してくれよな、こういうのはよ」
「うん…本当に、ごめんね…」
泣きそうになりながら、
そこにパンパンと北杜さんが手を叩いた。
「よーし、そこまで。お嬢さん方の素性も大体分かったし、侵入者の疑いも晴れた。なら、こっちはそれでいい。七森、お前さんもそこまでにしとけ」
「北杜さん…」
何か言いたげな雄二を、北杜さんは目で制した。
「事情はともかく、男がいちいち細かいことに目くじらを立てるもんじゃないぜ?聞きゃあ、このお嬢さん方はお前さん達のことを心配してはるばる
無精ひげを撫でながら、北杜さんはニンマリ笑った。
「いい女は男を立てる。んで、いい男ってのは女を守るもんだ」
「…分かりました」
雄二は納得いかないまでも、どうやら、ひとまずは気分を落ち着けたようだった。
雄二には、
そのせいか、時々、女の子に対して過保護になることがあるのだ。
今回の件も同様だろう。
笑顔のまま一つ頷く北杜さん。
「そうそう、聞き分けがいいのも、いい男の条件さ…さて、カタがついたところで一服にするか。さんざん怒鳴りあったんだ、お前さんがたも喉が乾いたろう?」
そう言いながら、北杜さんが腰を浮かしかけた時だった。
ゴオーン
不意に。
夜光院の鐘が、大きく鳴り響く。
同時に、にこやかだった北杜さんの表情が一変した。
「やれやれ…何て間の悪い」
北杜さんのその呟きが終わらないうちに、障子が開け放たれ、
「北杜!」
「分かってる。
南寿さんに向かって一つ頷くと、北杜さんは僕達に向き直った。
「悪いな、少し野暮用ができた。お前さんがたは、この部屋で自由にくつろいでいてくれ」
と、そこで北杜さんは有無を言わせぬ口調で付け加えた。
「ただし、絶対に外には出るな」
「何でです…?」
事情が分からず、顔を見合わせる雄二達を尻目に、僕は敢えてそう問いただす。
そう。
僕には北杜さんがそう告げる意味が、何となく理解できている。
「幽世」に来る前に、
その点と点が、僕の頭の中で不安と共に繋がっていく。
真剣な顔で見詰める僕に、何かを感じ取ったのか、北杜さんは仕方なくといった感じで言った。
「…実はな。ここ最近、夜光院に妙な連中がちょっかいを掛けて来ているんだ」
「妙な連中…?」
「ああ。詳しくは教えられんが、実は
無精ひげを撫でつけながら、北杜さんは続けた。
「俺達は、その『あるもの』を守るために、この夜光院を居城にして、盗人どもと戦ってきたのさ。で、あの鐘の音はな、そうした盗人どもが夜光院の周囲に現れたことを告げる警報なんだよ。さっき西心が見回りに出ていたのは、お前さんがたがここに来る少し前に、あの鐘が反応したからなんだ」
僕は、明王滝に辿り着いた時に鳴り響いていた鐘の音を思い出した。
あの時も、何者かが夜光院に侵入しようとしていたということだろうか?
「連中の正体が何だかは知らないが、俺が展開する夜光院は無敵さ。だが、万が一ということもある。お前さんがたは、俺達が連中を追っ払うまで、ここで大人しくしていてくれや」
北杜さんはそう言うと、ニカッと笑った。
神無月さんの「
しかし北杜さんの言う「妙な連中」が、神無月さんが教えてくれた「K.a.Iの実行部隊」と合致する可能性は高い。
そして、その目的はどうやら太市君の捕獲ではなく、夜光院に眠る「あるもの」を手に入れるためと考えられる。
彼らが狙う「あるもの」の正体は分からないが「
妖怪達に危害を及ぼす「何か」に利用しようとしている可能性は捨てきれない。
そう考えた瞬間、僕は思わず言った。
「北杜さん、僕も一緒に行っては駄目でしょうか?」
そんな僕を、北杜さんはすぅっと目を細めて見詰めてくる。
それはまるで、僕の心の中を見透かしているような視線だった。
「
先程、北杜さんに投げ掛けたの問いを切り返され、雄二達をチラリと見てから、無言になる僕。
ダメだ…雄二や織原さん達がいる前で「
連中は殺し屋まで差し向けてくるような連中である。
そんな相手に皆を関わらせるわけにはいかない。
「十乃、お前さんが何を知っているのかは知らんが、
そう言うと、北杜さんは背中を向けた。
「ま、込み入った話は後にしようや。まずやるのは…」
北杜さんの声が固く響いた。
「害虫退治だ」