【二十九丁目】「…ホント!?お兄ちゃん!」
文字数 7,143文字
出し抜けに身も
理由も発端もない。
物心がついた時には、兄を好きになっていたのだ。
ちなみに、ここでいう「好き」は「Like」ではなく「Love」である(これ、重要なので)。
運命の出会いとか、ドラマティックな展開があった訳でもなく、ごく普通の日常の中で、燃え上がっていった想いだった。
この感情が、世間で言う「異常」であることは自覚している。
自覚はあるが、それで諦める私ではない。
法的な問題など、解釈次第でどうにかなろう。
いや、してみせる。
そのために勉強に勉強を重ね、学校でもトップを堅持している。
このまま一流大学や大学院も総ナメにし、将来は法学者として、現在の下らない法律を一蹴してやるのだ…!
で、件の兄だが、簡単に紹介しよう。
兄である
①顔…凡庸さの中に光るものがある。童顔だが、ハッキリ言って好み以外の何物でもない。特に笑顔がいい。実にいい。
②身長…現在、175cm。昨年より1cm伸びたのを深夜、寝入った折りに部屋に侵入し、計測した。寝顔も良かった。
③体重…現在、72.3kg。昨年より0.2g増加だが、健康的にも問題ない。これは日常の会話の中で、知り得たデータだが、差異はあるまい。
④性格…やや気弱だが、とても優しい。これは大いに心配な部分だ。誰にでも優しく、差別もしない人格者なのはいいが、その優しさ・押しに対する弱さにつけ入ろうとする
⑤趣味…釣り。休日になれば日がな一日、釣り糸を垂らしている。釣果を気にしていない「
⑦趣向…食べ物は納豆以外は何でも食べる。傾向としては和食派。納豆は「見た目から腐っているから苦手」だそうだ。なので、私も兄の前では絶対に食べない。でないと、偶然キスなんかしてしまった場合、口を拭われてしまう。それは嫌だ。
⑧好みの女性……………現在、鋭意調査中。一方で、最近どうも職場がキナ臭い。女の勘が割とレッドシグナルを発する時がある。
etc、etc…
…おっと、このまま続くと、この話が兄の情報で終わってしまうので、ここまでにしておこう(私は一向に構わないが)。
とにかく。
私の想いは、兄も知らないうちに加速していく。
狂おしいこの想いが、いつか実を結ぶ日まで、私は絶対兄の純潔を守りとおさなければならない。
誰にも渡すものか…!
こちとら、母の胎内に居た時から、兄一筋なのだ!(断言)
「美恋、しょう油とって」
その声で、我に返る。
我に返れば、そこは見慣れた十乃家の朝の食卓。
早起き故に既に朝食を済ませ、畑に行ってしまった祖父母と、昨日から町内会の旅行に行ってしまった両親の姿はなく、台所には私と兄のみが居た。
高校生の私は夏休み中だが、兄は社会人なのでこれから出勤である。
私が無言でしょう油を手渡すと、受け取った兄は目玉焼きにサッと一振りする。
「目玉焼きはしょう油」というのは「ソース派」の自分には理解が及ばないが、もぐもぐと嬉しそうに頬張る兄を見ていると、自然に頬が緩む。
ああ…この笑顔を私のものだけにできる日が早く来ないだろうか。
そうなったら、兄には役場を退職して、専業主夫になってもらおう。
私の収入だけで愛する兄を養うのだ。
私は外でバリバリ働き、キャリアを積む。
そうして、疲れて帰って来た私を、兄が笑顔で出迎え、癒してくれる。
『お帰り、美恋。今日も御苦労さま。疲れたろう?』
そして、優しく抱きしめ、頭を撫でてもらったりなんかして。
それだけで一日の疲れなぞ吹き飛んでしまうだろう。
…いや…いっそ「お帰りのキス」なんかも…
うんうん、それくらいはいいよね…?
「うん。いいよ」
「…ホント!?お兄ちゃん!」
頷く兄に思わず
「…うん?ああ、本当だよ」
にっこり笑う兄。
頬をつねる私。
…痛い。
夢ではない…!
では…
では…ついに…私の想いが!!!
「本当に味もいいし、美味しいよ、この目玉焼き。美恋も料理が上手くなったね」
…
……
………
黙って着座する私。
「…そんなの、料理のうちには入らないよ」
いつもの調子で、いかにも関心なさそうに答える私。
…うう…お兄ちゃんのバカ…
妄想にトリップして、勘違いしたのは私だけど…
「そ、そうか」
兄は少しシュンとした表情になった。
ハァ…そんな憂いの表情も、いい。
ほんの少し、加虐心が刺激されてしまう。
私は、この兄への想いを必死に
そのせいか、兄は妹が距離を取りたがっていると思っているのだろう。
小さい頃は、感情に任せて兄にベッタリだったが、世間の目というものが分かってきた今は、そうはいかない。
何より…自分だけがこの想いに苦しんでいるのは割に合わない。
「兄離れする妹」を演じ、ちょっとでも寂しさを味わってもらわなければ…何というか…釣り合いが取れない気がする。
「そうだ。美恋、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
ネクタイを緩めながら、そう聞いてくる兄。
今年の夏の猛暑は、朝から全く容赦がない。
「美恋の学校で失踪した同じクラスの女の子がいただろ?その娘このこと…その…教えてくれる…かな?」
顔から不機嫌さが滲み出ていたのだろう。
兄の言葉は、徐々に消え入りそうになった。
「…何で?」
我ながら、暗雲垂れ込めた空のような低い声だ。
仕方があるまい。
愛して止まない兄が、他の女性の話をするのを喜ぶブラコン妹なぞ、一体どこの世界にいるというのか。
「いやその…うちの職場の先輩が知り合いみたいでさ。何か情報がないか、探してるみたいなんだ」
嘘だ。
兄は、嘘をつくときに回答に微妙な間を入れる癖がある。
本人も気付いてないようだが、見くびらないでもらいたい。
こちとら、自我が目覚めた直後から兄を見ていたのだ(宣言)。
私は溜息をついた。
面白くはないが、兄の頼みでは無視できない。
「いいけど…でも、別段親しかったわけでもないし、知ってることは少ないよ?学校にもほとんど来てなかったしね」
「そういえば前にも言ってたな。あんまり素行も良くなかったって」
「うん。何か、家庭が荒れてて、それが原因みたいだけど…まぁ、うちの担任も煙たがってたし、学校生活が
ちなみにその馬鹿担任は、私とクラス一同で痛い目を見せてやって、もう学校にはいない。
元々、セクハラ・パワハラ・えこ
「その娘、親しい友達とかいたのかな?」
「うーん…不登校になってから、何かあんまりよろしくない連中とつるむようになったって、彼女のお母さんが嘆いてたけど…よく分かんない」
実際、学校に来ない彼女を心配し、私達も何人かのクラスメイトと共に彼女のお宅へ訪ねて行ったことがある。
その時、彼女のお母さんが疲れたように告白してくれたのだ。
「…彼女、よく行ってた場所とかある?」
「さあ…そこまでは」
「そうか…ありがとう」
兄は礼を言うと、身支度を整え始めた。
少し、暗い表情なのは、目ぼしい情報がなかったためか、それとも失踪した彼女の身を思ってか。
…やれやれ。
「これは噂だけど…」
暇そうな
「駅前の繁華街に『
靴を履き終え、立ち上がった兄は、少しスッキリした顔になっていた。
「ありがと、美恋」
屈託なく、ニッコリ微笑む兄。
くっそう。
コレに弱いんだ、コレに。
「ああ、そうだ」
玄関の引き戸を開けた兄が振り返る。
「今日は残業で遅くなるから、晩御飯はお祖父ちゃん達と済ませてくれ」
同じ笑顔で、そう言いやがった。
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大体が駅前商店会に属する店で、明朗会計がモットーの優良店がほとんどだが、中には経営者不明でそうした付き合いもなく、いかがわしい雰囲気の店も幾つかあった。
バー「
日々平穏を愛する僕…
が、今夜は仕方なく、
全ては、市内で発生する連続失踪の手掛かりを得るためである。
「…とはいえ、こんな
僕は店の黒い看板から浮かび上がるように描かれた
店舗は地下に下りていく形態になっており、薄暗く入口は全く見えない。
「へぇ、まるで
間車さんはまるで動じた様子がない。
さすが「前歴:ヤバ目の筋の運び屋」である。
「場所に合わせる」といって、今夜の間車さんは、愛用のキャップにサングラス、革のジャケットにタンクトップ、足も露わなホットパンツという、思い切りラフな出で立ちだ。
一方の僕は、いつもの夏場に着る半袖のワイシャツにスラックスで、不釣り合いなことこの上ない。
…いや「チンピラの女性にカツアゲされる会社員」という設定なら、きっとしっくりくるだろうな…
「何か言ったか?」
「イイエ、ナニモ」
「よし、んじゃ、早速乗り込むとするか」
何の
恐る恐るついていく僕。
下まで辿り着くと、黒いカーボン製の扉が見える。
間車さんが押すと、簡単に開いた。
店内は黒を基調とした高級そうな造りだった。
天井には豪奢なシャンデリアが、影を強調するように、仄かな明かりをもたらしている。
強いアルコールの香りに煙草の香り、それに
店内は、思いのほか人がいた。
まず、目を引いたのが黒壇のカウンターに数人の若者。
談笑しながら、酒を
皆さん、お世辞にもあまり人相がよろしくない。
他にはソファーに高級そうな背広を着たやくざ風の男。
それを取り巻くように派手な服装の女性が数人いる。
奥には、アメリカのバイカーみたいな革ジャン軍団の群れが、ポーカーに興じているのが見えた。
…うわあ。
以前参加した〝スネークバイト〟でもそうだったが、正にその筋の方の見本市のような光景だ。
そうこうしていると、客達の視線が
まるで、猛獣の檻に迷い込んだウサギをみるような目だった。
そんな視線をものともせず、間車さんがカウンターに向かう。
その先にはグラスを磨いている黒人のバーテンダーがいるが、愛想もなく、手にしたグラスを磨いている。
「ちょいと探し物があるんだけど」
気さくに話し掛ける間車さん。
だが、巨漢のバーテンダーは無言でグラスを磨き続ける。
「女の子、知らない?
バーテンダーの手が止まる。
「ナニナニ?彼女、人探しぃ?」
「ボクらも協力しよっかぁ?」
カウンターの若者達が冷やかすように声を上げる。
間車さんは、チラリと一瞥しただけで、再びバーテンダーに向き直った。
「あー…ニホンゴ、ワカル?」
下から覗き込むように再度伺う。
バーテンダーは、手にしていたグラスを置いた。
「注文は?」
間車さんは、肩を
「おっと、失礼…んじゃ、あたしは烏龍茶ね。キンキンに冷えた奴。巡はどうする?」
「あ、じゃ、じゃあ、同じのを」
無愛想なバーテンダーは、オーダーを確認すると、無言で店の奥に引っ込んだ。
それを見届けると、カウンターにたむろしていた若い男達が、僕と間車さんを取り囲む。
「ねぇねぇ、人探ししてんだろ?」
「俺らが手伝ってあげるって」
「俺ら、この界隈じゃ、ちっとは知れた顔だしぃ」
ヘラヘラと笑う若者達。
未成年のようだが、いずれもガラが悪い。
間車さんは、無言で若者達を見回す。
「へへ…なぁ、いいよな、彼氏さん?」
若者の一人が、馴れ馴れしく僕の肩に腕を回してくる。
強いアルコールの臭いに、僕は顔をしかめた。
実は
酒は全く受け付けない。
飲めば、一瞬で意識も記憶も失ってしまう。
「安心してよ。彼女は俺らがちゃあんと面倒みるからサ」
「そうそう、俺ら紳士だよ。女性の扱いは上手いぜぇ?」
そう言うと、一人の男が間車さんの肩をいきなり抱き寄せる。
「ちょっと、君…!」
さすがに身を乗り出そうとする僕。
すかさず、先程の酒臭い若者が、僕の肩に回した腕に力を込める。
「おっと。じっとしてなよ、彼氏さ~ん」
下卑た笑いを浮かべる若者。
仲間が追従するように笑い声を上げる。
そのうちの一人…間車さんの肩を抱き寄せた若者が、不意に悲鳴を上げた。
「…悪い。バーテンさん、おかわり」
何事かと目を向ければ、空のグラスを手にした間車さんの姿が見えた。
どうやら、戻ってきたバーテンダーから烏龍茶を受け取るやいなや、自分の肩を抱く若者の顔面にぶちまけたようである。
「…この
冷たい烏龍茶を浴びせかけられた男の目に、危険な色が宿る。
バーテンダーに空のグラスを渡すと、サングラスを外し、間車さんは不敵に笑った。
「あたしをどうこうしようなんて百年早いんだよ、小便くさい餓鬼共が」
…あちゃあ。
また、この人の悪い癖が出た。
本当にトラブルが三度の飯より好きなんだから…
「…上等だ」
案の定、男達全員の眼の色が変わる。
これは…もう穏便に済みそうな雰囲気ではない。
すると、何を思ったのか、間車さんは僕の背中に回り込んで身を隠した。
「いや~ん、コワイ。助けて、ダーリン♡」
………は?
「い、いやいやいや!何言ってんですか、間車さん!?自分で喧嘩売ったんでしょうが!」
「だって、あの便所虫、臭いんだもん。ニオイが移っちゃう♥️」
いや、指で指すな!
ホラ、さっきのお兄さんの目線が一層デンジャーな感じになった!
「自分でまき散らした種でしょうが!責任とって収穫してくださいよ!」
「えぇ~、
「『モン♪』じゃないッ!!」
あ、あわわ…
こ、これはマズイ!
相手は不良が四人。
こっちは二人。
しかも一人は悪ノリ中ときたもんだ。
僕は喧嘩なんて一度もしたこともないし、武道の心得がある訳でもない。
正に絵に描いたような絶体絶命展開!
と、そこに…
「へぇ、随分面白そうな事してるな、坊や達」
救世主、キター!
その野太い声に振り向けば、店の奥でポーカーに興じていたバイカー集団が立っていた。
揃いも揃って、外国人レスラーみたいな体型の皆さんである。
…救世主というか…むしろ世紀末に「ヒャッハー!」とか言って、バイクを駆っているのが似合いそうな感じだ。
「おう、坊や達。その人達に手をあげるなら、まず俺らが相手になってやるぜ?ん?」
グラサンかけた金髪の男が、身を乗り出す。
応じるように背後の面々が、拳をボキボキ鳴らすは、肩をコキコキ鳴らすは、物騒な準備運動をし始める。
僕達に絡んでいた若者達は、血色を失うと、目配せしあい、そそくさと店を出て行った。
「…ど、どうも、ありがとうございます」
おっかなびっくり、そう礼を口にする。
すると、金髪の男が姿勢を正し、勢いよくお辞儀をした。
それに倣い、全員が僕達にお辞儀をし始める。
「いえ、こっちこそ詰まらない茶々を入れました」
「気付くのが遅れてすいませんでした」
若者達に向けた声音とは違い、真摯な口調になるバイカー達。
…何だ…?
この人達、僕達を知ってるのか?
「さっき名前が聞こえてきたんで、まさかと思ったんです。でも、こんな場所でお会いできるなんて…マジで光栄です…!」
モヒカンの男が、目を輝かせる。
続けて、スキンヘッドの男が身震いする。
「あの時の
その一言で謎が解ける。
かつて、僕と間車さんは“スネークバイト”と呼ばれる私設レースで、無敵を誇っていた
結果は引き分けに終わったが、風の噂で“スネークバイト”開始以来の伝説に残る名勝負になったと聞いた。
その結果、多くの走り屋達の間で、僕達の名前が知れ渡っているという。
察するに、この人達はあの時現場におり、一部始終を見ていた走り屋さん達なのだろう。
「その後の警察との
「…は、はは…どうも…」
金髪の言葉に、僕は引きつった笑いを浮かべた。
「…ところで、こいつもさっき聞いちまったんですが…京塚って
「あん?知ってんのか、あんたら」
握手責めに遭いながら、間車さんが問いただす。
金髪は頷き、
「ええ、大した情報じゃないですが…」
僕と間車さんは、目を合わせ、頷いた。
「…聞かせてくれ。どんな事でもいい」