【二丁目】「三池さん、僕の話を聞いてください」
文字数 3,280文字
すごいなー
「
耳元で怒鳴られ、ハッと我に返る僕。
隣でハンドルを握るキャップを被ったボーイッシュな女性…
僕は慌てて携帯電話に話しかけた。
「
『次、左。その先の神社へ追い込む』
携帯電話からは、冷静なこれまた女性の声。
「間車さん、次を左!」
「あいよ!」
ハンドルを切り、鮮やかなターンで方向を変える白の軽自動車。
道幅ギリギリの路地も、天才的ドライビングテクニックを持つ間車さんにかかれば、普通の道と然程変わらないのだろう。
狭い路地を傍若無人に爆走する軽自動車から、決死の形相で逃げ惑うお爺ちゃんの無事を横目に確認しつつ、僕は住宅地図に地図に目を落とした。
確かに、この先には小さな神社がある。
子どもたちが遊べるような遊具施設もあり、この時間なら人気も乏しい場所だ。
「間車さん、あの神社の前で停まってください」
急停車した車から降りると、僕は神社の境内に入っていった。
摩矢さんの予告通りだ。
境内には一人の女性がいた。
歳は僕より少し下…十代後半に見える。
長い髪に白いワンピースの目がパッチリとした美少女だ。
うららかな午後。
人気のない神社の境内。
二人きりの若い男女。
ちょっとしたロマンスの到来…にはならなかった。
少女は全力疾走した直後のように荒い息をつき、敵意に満ちた目で僕を睨んでいる。
まるで手負いの猛獣である。
えーと、まずは相手を落ち着かせなきゃ。
「
「嫌」
にべもなく、そっぽを向かれてしまった。
「そんなこと言わないで。せっかく第3ステージまで来たんです。あと少しで普通の生活を送れるんですから、もうちょっと我慢してくださいよ、ね?」
「それ、第2ステージの時も言ってたわね」
ジロリと鋭い視線になる三池さん。
僕はそっと視線をそらした。
「あはは…そうでしたっけ?」
「人間の生活習慣の勉強ってツマラナイし、面倒くさくて嫌。昔みたいに勝手にさせてもらうわ」
「ま、待って!落ち着いてください、三池さん。ここで辞めてしまったら、今までの苦労が水の泡ですよ?あんなに頑張ったのにいいんですか?憧れの東京ライフ、諦めていいんですか?」
その一言に彼女の表情が動く。
彼女がこれまで受けてきた、とあるカリキュラム。
その中には、彼女の夢を叶えるための訓練もあった。
そのために、彼女が頑張ってきたのは、僕もよく知っている。
僕は彼女に手を差し伸べた。
「さあ、行きましょう。今ならまだ研修時間に間に合います。僕も精一杯応援しますから」
「…」
三池さんは戸惑いの表情を浮かべている。
よし、もう一押しと見た!
だが、その時…
「おーい、巡。摩矢っちがいつでも
凍りつく僕と三池さん。
あからさまな台無しの空気に、おっとり刀でやって来た間車さんは、頭を掻きながら、豪快に笑った。
「ありゃ、獲物も居たのか?わりー、わりー」
「…間車さん…何か僕に恨みでも?」
ジト目で尋ねる僕に、間車さんはあっけらかんと笑って言った。
「いやいや、マジで悪い。追い込み場所、よく聞いてなかったからさ」
「せめて、空気を察してください!」
「いいじゃん、どーせ荒事になるんだし。そのためのあたしらだろ?」
「…やっぱりね」
抑え込んだ低い声。
見ると、三池さんがワナワナと身を震わせている。
うつむいているので、その表情は分からないが、笑顔である訳がない。
あ、ほら、髪の毛も逆立ってる。
「調子のいいこと言って…最初から無理矢理捕まえる気だったんでしょ…!」
「い、いや、違います!落ち着いてください!僕らは、ちゃんと話し合いを…」
「そーだぞ、ちゃんと話し合いしてから、隙をみて捕獲するつもりだったんだ」
「間車さんは黙っていてください!」
のほほんと横槍を入れる間車さんに、僕は思わず噛みついた。
そんな僕らに、三池さんが鼻をならした。
「その妖気…あんた“朧車”ね。人間の味方をする気?」
間車さんは、肩を竦めた。
「別にぃ?確かにしがない雇われドライバーだけど、あたしはただ、気ままに車の運転ができりゃいいの。それに…」
被っていたキャップのつばを押さえると、間車さんは挑発的にニヤリと笑った。
「たまに刺激的なドライブも出来るし…ま、今日のは及第点かな?もうちっと根性入れて逃げ回ってくれたら、こっちも楽しめたんだが」
「…ッ…バカにして…!いいわ、捕まえられるものなら…」
スッと身を丸める三池さん。
まるで猫科の獣が、獲物に跳びかかるような体勢になる。
「やってみたら!?」
次の瞬間。
彼女の身体に、あり得ない変化が起きた。
肌が毛皮に覆われ、頬からはピンと髭が伸び、お尻から二股の尻尾が飛び出す。
とどめはピョコンと尖った猫耳。
三池さんの姿は、一瞬で猫のように変化した。
いにしえの文献にはこうある。
「猫は年を経て 死人の気を吸ひ あやかしとなる
“猫又”…年を経た猫の妖怪で、伝承では変化の術を使い、よく人を惑わすという。
そう、三池さんは人間ではない。彼女は妖怪…特別住民なのだ。
「み、三池さん…」
後ずさる僕に、三池さんは目を細めた。
笑ったのだろう。
「…さよなら、十乃君。人間の勉強は嫌いだったけど、貴方は嫌いじゃなかったわ」
三池さんは身を屈め、跳躍しようとする。僕は思わず叫んだ。
「三池さん!待って!」
跳躍。
かなりの高さがある社殿の屋根まで、一瞬で跳び上がる三池さん。
「
「え」
再び叫んだ僕に三池さんが気を取られた瞬間、銃声が響いた。
直後、三池さんの身体が雷に撃たれたように、硬直する。
「お見事」
口笛を吹いて、間車さんが感嘆の声を上げた。
三池さんは、フラフラとよろめき、ふぎゃ、と声を上げて地上に墜落した。
「命中」
不意に近くの繁みが揺れ、一人の少女が姿を現す。
長い黒髪を無造作に結った、小柄な女性だ。
手にした旧式の猟銃が、体格に比べてえらくアンバランスな印象を与える。
格好もパッと見ると、何と言うか…マタギそのものだ。
「おぅ、お疲れ、摩矢っち」
「ん」
マタギ少女は、間車さんの労いに軽く手を挙げ、応える。
彼女の名前は
何を隠そう、僕の同僚だ。
そして“
「摩矢さん…
「君がこいつと遭遇した時」
顎で三池さんを指す摩矢さん。
その先で、三池さんは呻き声を漏らしている。
あの高さから落ちたのだ。
打ち所が悪かったのか?
慌てて駆け寄り、抱き起こす。
猫又の姿をした三池さんは、ぐったりとして抵抗する気配もない。
「三池さん、しっかりしてください!」
「あにゃ~、お
「み、三池さん…!?」
「にゃ~?あたひ~、なんかぁ、いい
僕は、ゆっくりと振り向き、摩矢さんに目で問い掛けた。
「濃縮マタタビエキス弾」
びし!と親指を立てる摩矢さん。
「お、新作か」
面白そうにケタケタ笑う間車さん。
「…」
黒塚主任への報告の
現在、午後3時半ちょっと過ぎ。
こうして、今日の捕り物は終わりを迎えた。
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人口約1万人ほどのこの町は、三方を山に囲まれ、南には海が広がる地方都市だ。
町の中心部には市街地や新興住宅地があるものの、その周囲には水田や耕作地、里山が残り、田舎の風景が広がっている。
古い寺社や遺跡もあったりするが、かと言って名所観光で賑わうような町ではない。
古さと新しさが絶妙に交わり、お互いを侵さず、そっぽを向き合っているような町である。
ただし、この町は普通の町とは違う、変わった特徴がある。
そう、この町は人間だけでなく「妖怪」も住む町なのだ。