【十丁目】「お前、やっぱり嘘つきだ」

文字数 2,292文字

 不思議なもので。
 深山の空気に触れると、身体の奥が沸き立つ感覚があった。
 古き昔に戻ったような、懐かしい気分になる。
 人の世に「再び」触れて二十年。
 久方ぶりに目覚め、発展した人間達の社会に、最初は大いに動揺したものだ。
 (ともしび)は人工の光に変わり、囲炉裏(いろり)の火は燃える気体になり、荷馬車は走る鉄の箱になった。
 乱立する石の塔は、きらびやかな電飾看板で闇夜を汚し、申し訳程度の広場にある木立や水溜りで、人はいきいきと過ごす。
 霞に埋もれた深い緑の山々。
 魚が群れて賑やかだった川。
 空も、海も、(おか)も。
 そして、世界を二分していた夜の闇も。
 ほとんどが失われてしまった。

 そして、思った。

自分(ようかい)達の居場所が、無い)

 かつて、人の身であった自分は、まだいい。
 時の果てに、世界が変わっても、人は変わっていないと気付くことができるから。
 だが、他の同胞(ようかい)はどうなのだろう。
 変貌した世界を、どう受け入れるのだろう。
 自分達の住処(すみか)も、名前さえも薄れつつある今の世に、取り残された自分達はどう在るべきなのか。
 その答えを見出すことができるのだろうか。

 何よりも。
 自分達が居た、あの時代にはもう立ち戻ることができないのだろうか。

「…未練、だな」

 その思考に、黒塚(くろづか) 姫野(ひめの)鬼女(きじょ))は一人漏らした。
 そもそも、立ち戻ったところで、自分にあるのは悔恨と慙愧(ざんき)の念のみなのに。

 薄暮の深山は肌寒く、吐く息も(ほの)かに白い。
 周囲には彼女一人のみ。
 目の前には、残光に色を失いつつある深い森が広がっていた。
 鳥も通わぬ深い山だが、辛うじて残った道をたどり、ここまでやって来た。
 辺りには人家もなく、人の気配はない。
 時たま気配を感じて仰ぎ見れば、ひらひらと飛ぶ蝙蝠(こうもり)の姿があるだけだった。
 その中を、黒塚はビジネススーツにハイヒールといった、(はなは)だ場違いな格好で歩いていく。
 この場所に至るまでの険峻の道筋を考えると、あり得ない服装だった。

「さて…報告ではこの辺りだったと思うが」

 周囲を見回していた黒塚は、気配を感じて頭上に目をやる。
 木々の間から辛うじて見える薄暗い空を、蝙蝠が舞っていた。
 溜息をついて、視線を周囲に戻し、やおら右腕で頭上を払う黒塚。
 その手には、先程上空を舞っていた蝙蝠が、つかまれていた。

 音も無く背後から黒塚の首に迫った一匹の蝙蝠。
 それを黒塚が捕らえたのである。
 キー!キー!と耳障りな声で鳴く蝙蝠を放り出し、再び周囲を見回した。

「そのまま聞いて欲しい」

 いるはずの相手に向けて、黒塚は続けた。

「私は、降神町(おりがみちょう)役場特別住民支援課の黒塚という。妖怪達が人間社会に適合できるよう、サポートするのが仕事だ。今日は、そちらと話し合いに来た」

 静寂。

「今の出迎えについては無かったことにしよう。今日話したいのは、先日貴方が人間に加えた暴力行為についてだ」

 静寂。

「法に触れる内容だったが、相手の人間も理解があってな。迂闊(うかつ)に立ち入り禁止区域に入ったことには非を感じているそうだ」

 静寂。

「なので、被害届は出さないと言ってくれている。しかし、今回のような奇跡はそうそう続かない」

 …静寂。
 黒塚は少し間を置いた。

「率直に言おう。私と共に来て欲しい。貴方が人間を理解できるよう、手伝いをしたいのだ」

 気配。

 背後の大樹を見上げた黒塚の目に、一人の小柄な少女が映った。
 年のころは十代半ばだろうか。
 黒髪を無造作に紐で結い、毛皮のような上着を着ている。
 手には不釣り合いなまでに長い、旧式の猟銃を持っていた。
 少女は歳に似合わない無表情な目で、黒塚を見下ろしている。可憐な顔立ちなのに、野の獣を思わせる殺気を発していた。

「帰って」

 静かな、しかし強い意思を含んだ、(かたく)なな声。
 深山の冷気が濃くなった気がした。
 同時に、黒塚は、相手の姿に少し驚きを感じた。

「ほう…野鉄砲(のでっぽう)とはな…」

 “野鉄砲”…北国の深山幽谷に棲み、日暮れに通りかかる人間の視界を奪って、血を吸う妖怪である。
 蝙蝠を操るとも言われており、これで目を塞ぐとも言われていた。
 姿は定まらす、一説には狸や鼫(むささび)、モモンガのような獣ともされる。
 視界を奪われるため、姿は滅多に見ることはかなわない妖怪で、永い時を渡ってきた黒塚も、実際に見たのは初めてだった。
 黒塚は、害意が無いことを示すように微笑んだ。

「姿を見せてくれるとは、ありがたい。これで話しやすくなった」

「帰って」

 しかし、少女…野鉄砲は、にべもなく繰り返す。

「…話だけでも聞いて欲しい。私は…」

「いらない」

 野鉄砲は手の猟銃を構えた。

「お前、人の匂いがする。私、人間、好きじゃない」

 引き金に指がかかる。
 黒塚の目が、スゥッと細くなる。

「…気持ちは分からんでもない。だが、我々に理解を示す人間もいる。ならば、我々も彼らを理解する努力が必要なのだ」

 静かに、言い聞かせるように黒塚は説得する。
 嘘は言っていない。
 実際に、人間社会は妖怪との共存に動いている。
 特別住民支援課の存在はその成果だ。

「お前、人間が好きか?」

「…好みはあるがな」

 野鉄砲の問いに、黒塚はそう答えた。
 が、

「嘘」

 野鉄砲は感情を込めずに続けた。

「お前、血の匂いがする」

 言葉が、刺さる。
 黒塚の目に、鋭い光が宿った。

「鼻が良いことだ」

「…お前、人間殺したことあるな」

「否定はせん」

 かつて“安達ヶ原の鬼婆”として、人の世を恐怖に陥れた存在だ。
 人の命も、山ほど奪ってきた。

「何故、人間殺した?」

「私が…愚かだったからだろうな」

「違う」

 野鉄砲は狙いを定めた。

「お前、やっぱり嘘つきだ」

 そして。
 引き金は引かれた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

■十乃 巡(とおの めぐる)

 種族:人間

 性別:男性

 「妖しい、僕のまち」の舞台となる「降神町(おりがみちょう)」にある降神町役場勤務。

 主人公。

 特別な能力は無く、まったくの一般人。

 お人好しで、人畜無害な性格。

 また、多数の女性(主に人外)に想いを寄せられているが、一向に気付かない朴念仁。


イラスト作成∶魔人様

■黒塚 姫野(くろづか ひめの)

 種族:妖怪(鬼女)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 人間社会に順応しようとする妖怪をサポートする「特別住民支援課」の主任で、巡の上司。

 その正体は“安達ヶ原の鬼婆”こと“鬼女・黒塚”。

 文武両道の才媛で、常に冷静沈着なクールビューティ。

 おまけにパリコレモデルも顔負けの、ナイスバディを誇る。

 使用する妖力は【鬼偲喪刃(きしもじん)】


イラスト作成∶魔人様

■間車 輪(まぐるま りん)

 種族:妖怪(朧車)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(送迎・運転担当)。

 その正体は“朧車(おぼろぐるま)”

 姉御肌で気風が良い性格。

 本人は否定しているが、巡にほのかな好意を寄せている模様。

 常にトレードマークのキャップを被ったボーイッシュな女性。

 使用する妖力は【千輪走破(せんりんそうは)】


イラスト作成∶魔人様

■砲見 摩矢(つつみ まや)

 種族:妖怪(野鉄砲)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(保護担当)。

 その正体は“野鉄砲(のでっぽう)”。

 黒髪を無造作に結った、小柄で無口な少女。

 狙撃の達人でもある。

 自然をこよなく愛し、人工の街が少し苦手で夜型体質。

 あまり表面には出さないが、巡に対する好意のようなものが見え隠れすることも。

 使用する妖力は【暗夜蝙声(あんやへんせい)】


イラスト作成∶魔人様

■三池 宮美(みいけ みやみ)

 種族:妖怪(猫又)

 性別:女性(メス)

 降神町に住む妖怪(=特別市民)。

 正体は“猫又(ねこまた)”

特別住民支援課の人間社会適合プログラムの受講生の一人。

 猫ゆえに好奇心は旺盛だが、サボり魔で、惚れっぽく飽きっぽい気まぐれな性格。

 使用する妖力は【燦燦七猫姿(さんさんななびょうし)】 


イラスト作成∶きゃらふとを使用

■妃道 軌(ひどう わだち)

種族:妖怪(片輪車)

性別:女性

 走り屋達が開催する私設レース“スネークバイト”における無敗の女王。

 正体は“片輪車(かたわぐるま)”

 粗暴な口調とレースの対戦相手をおちょくる態度で誤解を生み易いが、元来面倒見が良く、情が深い。

 使用する妖力は【炎情軌道(えんじょうきどう)】


※「片輪車」の呼び名は、資料に忠実な呼び名を採用しており、作者に差別的な意図はございません。


イラスト作成∶Picrewを使用

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み