【八十二丁目】「そうか…そうだったな」

文字数 8,165文字

太市(たいち)君…?」

 そう呼びかけると、茜色(あかねいろ)に染まる室内で、沈みゆく夕日を見詰めていた風峰(かざみね) 太市君(鎌鼬(かまいたち))は、ゆっくりとこちらへ振り向いた。

 降神町(おりがみちょう)役場の多目的室。

 普段、特別住民(ようかい)向けの人間社会適合セミナーの「教室」に使用されるその部屋。
 今日の授業も終了し、施錠に来た僕…十乃(とおの) (めぐる)は、人気の無い室内で、一人残っていた彼を見つけたのだった。

「十乃か…」

 僕の姿を認めた太市君が、静かにそう呟く。
 普段、同じセミナーに通う飛叢(ひむら)さん(一反木綿(いったんもめん))と仲が良い彼は、飛叢さんとは違って物静かな性格だ。
 しかし、真逆の性格にも関わらず、彼らはよくつるんで騒いでいた。
 そのため、大人しい性格の太市君だったが、仲間の輪から外れることはなく、人付き合いも悪い方ではなかった。
 そんな彼が、こんな人気の無い場所で一人で黄昏(たそがれ)ているのは珍しいと思った。

「どうしたの?もう、役場も閉庁する時間だけど…」

「ああ、ごめん。少し考え事をしていたんだけど、どうやら時間を忘れてしまったらしい」

 かすかに笑う太市君。
 どうしたんだろう?
 いつもより元気がない気がする。
 そう考えた時、僕はふとあることに思い至った。

「…いいよ。まだ少し時間はあるからね」

 そう言いながら、僕は後ろ手に部屋のドアを閉めた。
 そのまま、彼が座る席の横に腰を下ろす。

 しばし、無言の時が流れた。

 色彩を失いつつ空を見詰めながら、太市君は動かない。
 僕も彼と同じ空を眺めていた。
 やがて、残光が雲間に失せる頃、彼は口を開いた。

「…なあ、十乃。一つ聞いていいか…?」

「うん」

「君は、どうして今の仕事を続けているんだ?」

 彼の眼は空から離れない。
 僕は少し考えた後、答えを口にする。

「…好きだからかな」

「そうか…でも、大変だろ?妖怪達(おれたち)の相手はさ」

 僕は苦笑した。

「そうだね。僕達人間とは、色々違うからね」

「…それでも好きなのか?」

「うん」

 僕は頷いた。
 太市君が少しだけ笑う。

「変な人間だな。お前は」

 そこから再び無言になる太市君。
 僕は床に視線を落とした。

「…舞織(まおり)ちゃんの具合はどう…?」

 返事には少しの間があった。

「…ああ。お陰さまでまあまあかな」

 声は変わらない。
 だが、その目は何処か遠くを見ていた。
 舞織ちゃんとは、彼の妹の“鎌鼬”の女の子だ。
 古来からの“鎌鼬”の伝承にあるように、彼らは三兄妹なのである。
 先陣で相手を転ばせる姉の華流(かる)さん。
 続いて相手を切り裂く太市君。
 最後に秘伝の薬で痛みを消していく舞織ちゃん。
 そうして三位一体のフォーメーションを組むのが、彼ら兄妹の常だった。
 しかし、末妹の舞織ちゃんは、生まれつき身体が弱く、最近は入退院を繰り返していると聞いた。
 原因はよく分からないが、現代の人間社会の環境が、彼女の身体にうまく合わないらしい。
 そのため、華流さんと太市君は、彼女の治療費を稼ぐため、必死になって人間社会に適合しようとしている。
 先に役場のセミナーを卒業した華流さんは、無事に就職を果たし、兄妹の大黒柱となっていた。
 が、それでも舞織ちゃんの治療費を賄うには余裕がない。
 太市君は、一刻も早くそんな姉を支え、妹を助けるため、必死になって人間社会の勉強を続けているのだ。
 僕は静かに息を吐いた。

「そっか。良かった」

「でも…姉さんはそうでもないみたいだ」

 ポツリとそう呟く太市君。
 僕は思わず顔を上げた。

「華流さんが?一体どうしたの…?」

「分からない。でも、昨日の夜、遅く帰って来た後、一人で泣いているのを見たよ」

「…」

 僕は何も言えなかった。
 華流さんは向日葵(ひまわり)の花のように陽気な人だ。
 セミナーに在籍していた時も、ムードメーカー的な存在で、いつも明るく、元気で芯の強い女性だった。
 そんな華流さんが泣いている姿を、僕は想像することが出来なかった

「多分、職場で何か辛いことでもあったんだろうな…でも、姉さんは何も言わなかった。だから、俺も…何も聞けなかったよ」

 太市君の声は穏やかだった。
 だが、僕には感情の揺らぎを無理に抑えている風に聞こえた。

「俺は妖怪が人間社会で暮らしていくっていうのは、とても難しいことなんだと思うよ」

「太市君…」

 言葉を失う僕に、彼は再びかすかに笑った。

「十乃、俺達はここで生きていけるかな?この町は、俺達が居てもいい場所なのかな…?」

 陽が沈む。
 辺りには、闇が忍び寄ってきていた。
 結局。
 彼への答えも出ないまま、僕達は一緒に薄闇へと溶けた。

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「気を付けろ!奴の妖気は普通じゃない…!」

 神無月(かんなづき)さん(紙舞(かみまい))が、珍しくそう怒鳴る。
 僕達の目の前で、変化を遂げた太市君が、ニヤリと笑った。

「さあ、始めよう」

 その姿が文字通り一瞬で消える。

鏡冶(きょうや)、後ろだ!」

 (なぎ)磯撫(いそな)で)が、声を上げる。
 見れば、鏡冶さん(影鰐(かげわに))の背後に、太市君の姿があった。
 そんな…!
 一体いつの間に…!?

「まずは、さっきの礼を返すよ」

 腕の鎌を振り上げる太市君。
 その表情は喜悦に歪んでいた。
 振り向くことなく、鏡冶さんは嘆息した。

「こんな形で意趣返しとは…いやまったく、律儀なことで」

斬…!

「鏡冶ぁぁぁッ!」

 (かがり)牛鬼(うしおに))が絶叫する。
 皆の視線の先で、鏡冶さんは肩口から一刀両断にされた。

「こう見えて、俺は結構根に持つタイプなんだ」

 崩れ落ちる黒い姿を見下ろしながら、太市君が薄く笑う。

「許さんぞ、貴様…!!

 怒りの声と共に凪が【潜波討艪(せんはとうろ)】の大釣針を放つ。
 大気に溶けた必殺の一撃が、太市君に迫った。

(せん)

 そう言いながら太市君が腕を振るうと、彼の周囲に物凄い風が渦を巻く。
 その吹き荒ぶ風が、凪の大釣針の迷彩を暴きたてた。 

「そこか」

 真横から迫る大釣針を認めると、太市君は素早い回し蹴りを放った。
 すると、足の鎌から真空の刃が飛び出し、大釣針を弾き返す。
 それを見た凪が舌を鳴らした。

「チッ!」

「凪、次はあたいがやる…!」

 歯噛みする凪に、篝が声を掛ける。
 見れば、篝は先程放り投げた大岩と同じくらいの岩塊を持ち上げていた。

「ぶっ潰れちまいなっ!」

 軽々と持ち上げた巨岩を、全力で太市君へと投げつける篝。
 轟音を立てて迫るそれを、彼は目を細めて見詰める。

(れつ)

 空中でピアノを弾くように指を動かす太市君。
 その瞬間。
 耳が痛くなる音と共に大気が唸り、飛来する巨岩を迎え撃つ。

ガラガラ…!

 空中で速度を失った巨岩は、微細な風の刃に切り刻まれ、あっという間に風化して墜落した。
 投げた篝当人が、目を丸くする。

「…嘘だろ…!?

「人に物を投げつけるのは、いけないことだと教わらなかったのか?」

 言いながら、太市君が再度回し蹴りを放つ。
 足の鎌から放たれた風の刃を認めると、篝は咆哮を上げた。
 すると、彼女の全身が一瞬で硬質化する。

「来な!弾き返してやる…!」

 先程同様に、篝は風の刃を完全に受け止めるつもりだ。
 が、その身体が不意に地面へと沈む。

!?

 水没したように姿を消した彼女の居た位置を、風の刃が通過した。
 標的を失った風の刃は、そのまま後ろに広がる森の木々を次々に切断していく。

 馬鹿な…
  な、何て威力だ…!
 深い森が、百メートルくらい先まで見渡せるように伐採されてしまった!

「…やれやれ、間一髪でした」

 そんな声と共に、凪の傍らに落ちた影から鏡冶さんが浮かび上がり、続いて呆気にとられた顔の篝が引っ張り出される。
 鏡冶さん、無事だったのか!

「鏡冶、生きてたのか!?

「危ない所でしたけどね。さっきスライスされたのは、咄嗟に身代わりにした私の影です」

 驚く凪に、鏡冶さんはそう答えながら、掴んでいた篝の襟首を離した。
 状況が飲み込めず、目を瞬かせたまま地面に放り出された篝へ、鏡冶さんが溜息を吐く。

「まったく、熱くなりすぎですよ、篝。今のを受けたら、いくら完全防御の貴女でも、無事には済まなかったでしょう」

 そうか。
 太市君の風の刃の威力を看破した鏡冶さんが、間一髪で篝を影に引っ張り込み、救出したんだ…!
 それを聞くと、篝が憮然としてそっぽを向く。

「そ、そんなのやってみなきゃ分かんないだろ!」

「声、震えてますよ」

「うるさい!黙れ、死に損い!」

「そこまでだ、二人とも。まだケリはついていないんだぞ」

 凪の鋭い声に、鏡冶さんが目を細め、篝が太市君を睨みつけながら立ち上がる。
 相対する三人に、太市君は牙をむき出して笑った。

「心配しなくていい。ケリならすぐにつくさ」

 彼の周囲で風が渦巻き始める。
 対する三人の表情は硬い。
 無理もない。
 先の応酬で、太市君の実力は嫌という程分かっただろう。
 決して三人が弱い訳ではない。
 ただ、それ以上に太市君が強過ぎるのだ。
 容姿の変貌といい、妖力の増加といい、一連のパワーアップは彼の言う「

」がもたらしたものなのか…?
 でも、一体どうやって…!?

「マズイでござる…このままでは、いくらあの三人でも返り討ちにされるでござるよ…!」

 (あまり)さん(精螻蛄(しょうけら))が、うわ言のようにそう呟く。
 僕は思わず彼の両肩を掴んで言った。

「教えてください、余さん!一体『K.a.I(カイ)』のサーバーの中で何を見たんです!?太市君が何でああなったのか、分かったんでしょう…!?

 余さんは、ゴクリと唾を飲み込むと、分厚い眼鏡を正しながら、おもむろに言った。

「前にも言った通り、(それがし)の妖力は

だけで、覗いた情報の内容までは解析できる訳ではござらん…ただ言えるのは、さっき太市殿が言った『進化』とやらに『mute(ミュート)』が関わっているのは確実でござる…!」

「『mute(ミュート)』が…?」

 余さんは頷き、

「実は、某が覗いていた『K.a.I』のサーバーに中に、厳重にロックされた『mute(ミュート)』所轄のデータが一つだけあったのを偶然見つけたでござるが…その中に、太市殿のデータが収まっていたのでござる」

「太市君のデータって…どういうことです!?

 彼と「mute(ミュート)」に何の関係があるというのか。
 僕の問いに、余さんが硬い声で告げる。

「何故、太市殿のデータがそこにあったのか…それは、某にも分からないでござるよ。無論、連中が太市殿とどんな関係があって、どんな方法を使ったのかも同じでござる。ただ、某が見た太市殿のデータから、これだけははっきりしているでござる」

「何です?」

「今の彼の性能(スペック)は、間違いなく

と思っていいござる…!」

「なっ!?

 僕以外にも神無月さんや鉤野(こうの)さん(針女(はりおなご))も、思わず余さんに注目した。
 「神霊」とは、いわゆる神々のことを指す。
 神話、あるいは伝説とされる旧き時代、この世界に君臨した高次の存在だ。
 僕はつい最近、とある事件でその一端となる妖怪神を目の当たりにしたが、その力は凄まじいものだった。
 かくいう僕もその力で、女性化してしまった程だ。
 実体験した者としては、ついさっき、余さんが口にした「怪物」という表現も、神霊に当てはめるものなら、あながち的外れではないと思う。

 その神霊と同等の力を、今の太市君が持っている…?

 いや、待て。
 今思えば、違和感はあった。
 太市君は“鎌鼬”である。
 彼らは風に潜み、風に乗る妖怪だが、先程まで彼が見せた様に「精密に風を操る」という芸当は、伝承にはないし、元来彼らにはない能力だ。
 瞬間移動のように素早く動き、真空の刃を蹴り放ち、飛来する巨岩を切り刻んで風化させるなど、そもそも“鎌鼬”には無理な話なのである。
 しかし、彼はそれをやってのけた。
 それは、余さんの言葉を裏付ける要因になり得る。
 そして、彼がいう「進化」とは、そうした能力を何らかの方法で得たことを指すのではないか。
 立ち尽くす僕達へ、太市君が笑い掛ける。

「そうか…お前のことを忘れていたよ、余。確かにお前なら、その妖力でこの島の情報を知ることも出来るな。それに…俺のことも」

「どういうことだい、太市君!君は一体『K.a.I』に…いや『mute(ミュート)』に何をされたんだ!?連中は何が目的なんだ…!?

 僕がそう叫ぶと、太市君は笑みを消した。

「十乃…お前は本当に妖怪(おれ)達に関わるのが好きなようだな。お静さんの為だか何だか知らないが、こんな島までやって来て、首を突っ込んでくるなんて」

「太市君…」

「俺は…お前みたいに夢ばかりみている能天気な人間が大嫌いだよ。



 (くら)い瞳で、そう吐き捨てる太市君。

「人と妖怪の共存?馬鹿馬鹿しい!妖怪(おれ)達と人間(おまえ)達は元来、相反する存在だろう。それにお前達は俺達を化け物呼ばわりするが、俺に言わせれば

…!」

「何の、こと…?」

 呆然となる僕に、太市君は続けた。

「…以前、お前に話したな。姉さんのことを」

 記憶がよみがえる。
 彼の姉、華流さんが泣いていたという話か。
 太市君は激情を(こら)えるかのように、静かな声で言った。

「姉さんはな、就職した会社の中で、(いわ)れのない差別を受けていたのさ。ただ、特別住民(ようかい)ってだけでだ…!」

「そんな…」

 絶句する僕。
  だが、全く否定はできない。
 世間では「妖怪保護」の風潮が広がってはいる反面、それを良く思わない人間もいる。
 悲しい現実だった。

「それでも姉さんは、俺や舞織のために堪えていた。俺達の前では、気丈に振舞っていた…だけど、奴らはそんな姉さんを…!」

 そこで彼は口を閉ざした。
 ただその身体が細かく震えている。
 華流さんがどんな目に遭ったのか。
 彼の様子を見る限り…正直、想像したくない。

「姉さんは何もしていない!人間(おまえ)達と仲良くやっていこうと、一生懸命努力だってしていた!なのに妖怪だってだけで、人間(おまえ)達は妖怪(おれ)達を迫害したんだ!何が共存だ!何が人妖一体だ!甘い題目で騙しておいて、こちらから近付けば平然と牙を剥く…人間(おまえ)達こそ悪辣(あくらつ)な『化け物』じゃないか…!」

 血を吐くような叫びに、誰もが無言だった。
 太市君は暴れる息遣いを押さえ、静かな声で続けた。 

「俺は『K.a.I』に入って、人間(おまえ)達のことを学ぶにつれて、ようやく分かったのさ。人間(ばけもの)達に侵し尽くされたこの世界には、俺達妖怪の未来がもう無いってことにな。お前達人間の社会を知れば知る程、俺達の居場所なんてとっくに無いって思い知らされたんだよ…!」

 姉を支え、妹を助けるために太市君は人間社会の事を一生懸命学んでいた。
 降神町(おりがみちょう)役場のセミナーから「K.a.I」へと乗り換えたのも、より効率の良い勉強の場を選択しただけに過ぎない。
 それについては、僕には何も言えないし、応援してもいいと思う。
 だが、皮肉にも、彼が人間のことを理解しようとすればする程、その間に横たわる溝の深さを知ったのだろう。
 そこに、華流さんが受けていた迫害の事実が拍車をかけた。
 物静かで、姉妹思いの心優しい青年だった彼の言葉は、僕の胸を激しく(えぐ)る。
 言葉を失う僕に、太市君は続けた。

「そんな時に俺は出会ったのさ。妖怪を超えた魔…『妖魔』としての新しい生き方と、その力を得る(すべ)に」

 彼は哄笑した。
 周囲を渦巻く風が強さを増す。

「見ろ、この力を!俺はこの力を使って、妖怪(おれ)達と人間(おまえ)達の正しい在り方を再現してやる…!」

「正しい在り方…だと?」

 神無月さんの言葉に、太市君は唇の端を釣り上げた。

「『

』だ。昔のように、人は妖怪を恐れ、闇夜に身を縮こまらせているのがお似合いなのさ…!」

 風が荒れ狂う。
 ひょうひょうと、哀しい音を立てながら。
 そんな中、

「下らねぇ」

 不意に。
 空の上から、聞き覚えのある声が降ってきた。

「飛叢さん…!」

 空を見上げた僕達の目に、包帯まみれのまま浮遊する飛叢さんの姿が映る。
 怪我をした飛叢さんは、意識を失った他の特別住民(ようかい)の皆さんと共に休んでいた筈だが…

「飛叢…」

 飛叢さんの姿を認めた太市君の表情が、僅かに揺らぐ。
 そんな彼に飛叢さんは、溜息を吐きながら、頭をバリバリと掻いた。

「ったく…鉤野のいい、お前といい、どうして俺の周りにいる奴はこうクソ真面目な奴ばかりなのかね」

「あ、貴方がいい加減過ぎるんですわ!」

 引き合いに出され、思わず非難の声を上げる鉤野さん。
 だが、それについては僕も少しだけ彼女に同意したい。
 降下してくる飛叢さんに、太市君は目を鋭く細めた。

「下らない?いま、下らないって言ったのか、飛叢…?」

「おう、言ったぜ」

「なら聞かせてもらおうか…一体どの辺が下らないんだ…?」

「テメエ一人が悲劇のヒーロー気取りで、被害者ヅラしてるところがだよ」 

「…何だと?」

 太市君の目に危険な光が宿る。
 だが、構わず飛叢さんは続けた。

「テメエの身の上話は、いま聞かせてもらったぜ。華流さんのこともな。それについては、胸糞悪くてテメエの肩を持ちたくもなった。そういうクズみたいな人間共は、俺も反吐(へど)が出るくらい大嫌いだからな」

「…」

「けどな、そいつらだけが人間じゃねぇだろう?思い出せよ、太市。今まで降神町役場のセミナーで会った講師の連中を」

 太市君の目に、幽かな揺らぎが浮かんだ。

「あいつらもいまテメエが言ったクズ共と同じ『人間』だ。けどよ、あいつらは俺達妖怪の為にあんなに一生懸命になって、色々教えてくれてたじゃねぇか?授業で騒いだり、トンチンカンなことをしてる俺達を差別したり、見捨てた講師が一人でもいたか…?」

 飛叢さんが一歩踏み出す。

「それによ、ここにいる巡だって同じだぜ」

 不意に名前を呼ばれて、僕は目を瞬かせた。

「こいつはな、根っからの妖怪バカだ。俺達妖怪と人間達との間を取り持つために、何の力も持たないコイツが、仕事とはいえ今までどんだけ危ない橋を渡って来たか…そいつはテメエだって良く分かってる筈だろうが」

「…」

「太市さん…お姉様の件は、(わたくし)も同情申し上げますわ。私も会社の代表として、人間の世に出た際に少なからず偏見の目で見られることがありました…ですが、それで(くじ)けて、全ての人間を切り捨ててしまっては、本当に私達妖怪の未来は無くなってしまうのではなくて…?」

 鉤野さんがそう追従する。
 太市君は、無言で二人を見ていた。

「太市といったか?それについては、俺達も同じ意見を言わせてもらう」

 一部始終を聞いていた凪が口を開いた。

「俺達も一時、お前のように人間に恨みを持ったことがある…でも、それを払ってくれたのも、他ならぬ人間…そこにいる十乃だ」

 凪の声には熱い感情があった。
 あの夏の日の出来事が、不意に僕の胸に浮かび上がってくる。

「何の縁も無く、見返りも求めず、十乃はただ妖怪と人間の争いを失くすために奔走してくれた…お陰で、俺達は平和に暮らすことが出来るし、他の人間達とも以前よりも打ちとけることが出来た。それは俺達妖怪だけでは、決して実現しなかった世界だろう」

 凪の言葉に、太市君は(うつむ)いた。

「そうか…そうだったな」

 小さな声で、そう呟く太市君。
 一瞬、その場の空気から張り詰めた感覚が消える。

「俺は…錯覚していた」

「太市さん…」

 少し安堵したように、鉤野さんが息を吐く。

「本当の元凶は、人間の本質から目を逸らさせ皆を惑わす十乃…お前のような

だ!」

 太市君の姿が掻き消える。
 そして、一瞬後に彼の姿が僕の目の前に現れた。

「え…」

「消えろ、十乃。お前は邪魔だ」

 氷のような視線で、腕の鎌を振り上げる太市君。
 僕はそれを身動きできずに見詰めていた。
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登場人物紹介

■十乃 巡(とおの めぐる)

 種族:人間

 性別:男性

 「妖しい、僕のまち」の舞台となる「降神町(おりがみちょう)」にある降神町役場勤務。

 主人公。

 特別な能力は無く、まったくの一般人。

 お人好しで、人畜無害な性格。

 また、多数の女性(主に人外)に想いを寄せられているが、一向に気付かない朴念仁。


イラスト作成∶魔人様

■黒塚 姫野(くろづか ひめの)

 種族:妖怪(鬼女)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 人間社会に順応しようとする妖怪をサポートする「特別住民支援課」の主任で、巡の上司。

 その正体は“安達ヶ原の鬼婆”こと“鬼女・黒塚”。

 文武両道の才媛で、常に冷静沈着なクールビューティ。

 おまけにパリコレモデルも顔負けの、ナイスバディを誇る。

 使用する妖力は【鬼偲喪刃(きしもじん)】


イラスト作成∶魔人様

■間車 輪(まぐるま りん)

 種族:妖怪(朧車)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(送迎・運転担当)。

 その正体は“朧車(おぼろぐるま)”

 姉御肌で気風が良い性格。

 本人は否定しているが、巡にほのかな好意を寄せている模様。

 常にトレードマークのキャップを被ったボーイッシュな女性。

 使用する妖力は【千輪走破(せんりんそうは)】


イラスト作成∶魔人様

■砲見 摩矢(つつみ まや)

 種族:妖怪(野鉄砲)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(保護担当)。

 その正体は“野鉄砲(のでっぽう)”。

 黒髪を無造作に結った、小柄で無口な少女。

 狙撃の達人でもある。

 自然をこよなく愛し、人工の街が少し苦手で夜型体質。

 あまり表面には出さないが、巡に対する好意のようなものが見え隠れすることも。

 使用する妖力は【暗夜蝙声(あんやへんせい)】


イラスト作成∶魔人様

■三池 宮美(みいけ みやみ)

 種族:妖怪(猫又)

 性別:女性(メス)

 降神町に住む妖怪(=特別市民)。

 正体は“猫又(ねこまた)”

特別住民支援課の人間社会適合プログラムの受講生の一人。

 猫ゆえに好奇心は旺盛だが、サボり魔で、惚れっぽく飽きっぽい気まぐれな性格。

 使用する妖力は【燦燦七猫姿(さんさんななびょうし)】 


イラスト作成∶きゃらふとを使用

■妃道 軌(ひどう わだち)

種族:妖怪(片輪車)

性別:女性

 走り屋達が開催する私設レース“スネークバイト”における無敗の女王。

 正体は“片輪車(かたわぐるま)”

 粗暴な口調とレースの対戦相手をおちょくる態度で誤解を生み易いが、元来面倒見が良く、情が深い。

 使用する妖力は【炎情軌道(えんじょうきどう)】


※「片輪車」の呼び名は、資料に忠実な呼び名を採用しており、作者に差別的な意図はございません。


イラスト作成∶Picrewを使用

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