【八十九丁目】「初めまして、見ず知らずのお姉さん。覚悟してください♪」
文字数 7,365文字
「
降神駅からバスで約30分。
郊外に広がる近隣最大の公園「ウインドミル降神」は、快晴の天気の下、大きな賑わいを見せていた。
それもそのはず、今日は降神町役場主催の「特別住民交流イベント」の開催日だ。
「特別住民交流イベント」は、毎年、降神町役場が開催する地域住民同士の交流を目的としたイベントである。
そうした類のイベント自体は、どこの自治体でもやっていそうなものだが、ここ降神町では少し事情が変わっていた。
そう、この町には人間以外に、
人間とは異なる価値観、社会性を持つ彼らが、同じ町で暮らしていれば、それなりの
それを少しでもなくすため、そして、隣人同士で気軽に交流を深める目的がこのイベントには含まれているのだ。
まあ、それを差し引いても、毎年趣向が凝らされたイベントになるため、人妖問わず人気のあるイベントでもある。
しかも、今年は兄…
それというのも、少し前に、
「無料のチケットがあるから、よかったら来なよ」
と、兄から誘いがあったからだ。
「さては、私のウェディングドレス姿が目的か!?」と、大いに期待したものの、すぐに、
「僕は担当者であまり相手はできないけどね。代わりに…ハイ、お友達の分もあるよ」
と、にこやかに言われ、私の淡い望みは打ち砕かれた。
…まあ、腐っていても仕方がない。
女の子である以上、ウェディングドレスや白無垢は憧れである。
見に行くだけでも、十分楽しむことは出来るだろう。
「これ、巡さんが企画したんだって?すっごいじゃん!超面白そう!」
そう言ってはしゃいでいるのは、級友で親友でもある
小学校で知り合い、そのまま高校進学も一緒になった無二の親友である。
活発的な娘で、気さくで陽気。
そして、クラスでも人気者の彼女は“おとら狐”という
“おとら狐”は愛知県に伝わる
何でも、人間に取り憑き、様々な悪戯を行ったりするらしい。
そして、取り憑かれた人間は常時では考えられない言動を行うといわれている。
伝承の通り、彼女は人間に憑依する妖力を持っており、悪戯こそしないが、本人が忘れている記憶なんかを掘り起こして見せることができる。
そのため、失せ物探しのエキスパートととして、何かと頼りにされることも多い。
そんな彼女は、今回イベントに誘うと「行く行く!」と二つ返事で答えてくれた。
「あんまりはしゃいでると転ぶよ、お
妖怪名そのままのニックネームで、彼女を注意する。
しかし、彼女の気持ちが分からないでもない。
開場して間もない筈だが、メイン会場は早くも多くの来場者でごった返している。
そのほとんどが女性で、ウェディングドレス姿なのだが、中には何人か白無垢を着こなしている人もいる。
アーチゲートの白いユリの輝き。
純白のテーブルクロスが敷かれた円卓。
卓上やステージに美しく飾られた色とりどりの花々。
その間を笑顔で行き来する花嫁衣裳の女性達は、誰も彼も一様に可憐で、きれいだった。
こんな華やかな場に来れば、女の子なら誰しも気分が高揚するだろう。
「ねぇ!『女性なら人間・妖怪問わず着替えられます』だって!どうする?あたしらも着替える?」
ドレッシングルームらしい仮設ユニットの前で、きゃあきゃあ言いながら、盛り上がるお虎。
これだけ喜んでもらえると、声を掛けた甲斐があるというものだ。
しかし、私は手を引く彼女に首を横に振った。
「うーん…いいや。私は遠慮しとく。お虎、行ってきなよ。荷物預かるからさ」
「ええ~!?行かないの?ウェディングドレス着放題がタダだよ、タダ!こんなチャンス、滅多にないって!」
「うん…でも、遠慮しとく。見ているだけで楽しいしね」
不満の声を上げるお虎を、私は苦笑して見送った。
そして、一人になってから、会場を彩る花嫁達を眩しく見詰める。
兄が考えた企画だし、別にこういうイベントでウェディングドレスに着替えるのが気恥ずかしいとか、面倒くさいという気持ちはない。
兄からの誘いに肩透かしを食ったから、
何というか、こう…
そう、こういう「特別な衣装」は。
「特別な人」の前で「特別な日」に着るまで、大切にとっておきたい気持ちがあったのだ。
所詮は小娘が抱く乙女チックな感傷なのかも知れないが、私はやはりその気持ちを大事にしたいと思った。
そんな時だった。
「よう、妹じゃんか」
陽気な声と共に、一人の女性が片手を挙げて近付いてきた。
Tシャツに袖なしジャケット、ショートパンツというラフな姿に、キャップを被ったボーイッシュな女性だ。
「あ…どうも」
私は見知ったその顔に会釈する。
兄である巡の職場仲間の一人…つまり、降神町役場の職員だ。
先に起きた「
…いや。
「知り合った」とは言ったが、訂正しよう。
実は私はすでに彼女のことを知っていた。
というのも、彼女は私が兄の役場における女性関係を調べ上げた際、危険人物としてマークした一人なのである。
兄とは付き合いも長く、気さくで姉御肌。
おまけに美人でプロポーションも文句なしと来れば、私には「悪い虫」にしか思えない。
しかし、「天毎逆事件」を切っ掛けに直に接し、親しくなってから分かったのだが、困ったことに間車さんは悪い人ではなかった。
故に、なかなか距離感に苦しむ相手である。
間車さんはニカッと笑い、
「久し振りだな、元気にしてたか?」
「はい。間車さんもお変わりなく」
「おう、おかげさんでな。ところで…」
不意に、間車さんは私の首に腕を回すと、ぐっと引き寄せ、周囲をはばかるように小声で言った。
(姫さんの様子はどーよ?)
(
(やれやれ…しゃあない。また、
(あ、こないだみたいにドライブに連れ出そうとするのはダメですよ?また、
(大丈夫、同じヘマはしないよ)
(もう!…一応、昨日お気に入りの雑誌を山ほど届けておきましたから、しばらくは大丈夫ですよ、多分)
「そっかそっか」
普通の声量に戻しながら、私の肩をポンポンと叩く間車さん。
「ホントによく出来た妹だよ、お前さんは」
再び笑顔になる間車さん。
本当に気持ちのいい笑い方をする人だ。
こんな笑顔を見ていると、距離感がどうとか悩んでいるこっちが馬鹿みたいに思えてくる。
「それはそうと、今日は一人か?」
間車さんの問いに、私は首を横に振った。
「いえ、友人と来ました。いま、ドレッシングルームに行ってまして」
「お前さんは着替えないのか?」
不思議そうに聞いてくる間車さん。
私はそれに苦笑しながら頷いた。
「私は…見ているだけで楽しいので」
すると、間車さんは、
「
「そんな…間車さんこそ、着替えないんですか?」
「え゛」
その一言に。
間車さんが一挙に挙動不審になる。
「いや、その、ホラ…あたしは送迎バスの運転係だし…」
「でも、次の送迎バスの発車って、確か夕方でしょ?」
「う…いや、まあ、そう、なんだが…」
「私は間車さんみたいな人こそ、ああいうドレスが似あうと思いますけど」
私の言葉にしどろもどろになっていた間車さんは、ポリポリと頬を掻いて笑った。
「よせやい。あたしみたいな男女、あんなの着ても笑いネタにしかならないさ」
「そんなことないですよ!」
私は思わず大きな声で言ってしまう。
周囲の花嫁さん達が驚いて私達の方を見た。
それに間車さんと愛想笑いで誤魔化しながら、私は声のトーンを落とした。
「間車さんは女性として素敵な方だと思います。明るくて元気だし、頼りになるところもあるし、プロポーションだって…」
「わ、分かった、分かったよ」
ずずい、と詰め寄る私の勢いに、間車さんが両手でストップをかける。
そして、幾分赤面しながら、モジモジし始めた。
「いや、まあ、な…あたしだって、一応女だし?ああいうのに憧れなくはないんだぜ?」
「ですよね!ウェディングドレスは、全女性の最強装備ですし!」
「で、でもな…普段のあたしがこんなだろ?だから、めぐ…いや、他の皆が見たら、絶対可笑しいって思うよーな…」
今度は下を向いて、自信なさげにごにょごにょ言い出す間車さん。
ああああああああ…!
もう!
何だか本当に、もう…!
私は段々とイライラしてきた。
ガシッ!
「…へ?」
やおら腕を掴まれ、キョトンとなる間車さんに、私は告げた。
「行きましょう」
「行くって…どこへ…?」
そう言いながら、私の視線の先…ドレッシングルームが並ぶ一角へと目をやる間車さん。
次の瞬間、私の意図を察したらしい間車さんは、急に暴れだした。
「お、お前、まさか…!」
「大丈夫、私が選んであげます。すんげぇきれいなやつを…!」
「ちょっ、マジか!?
本気でもがく間車さんを、私は羽交い絞めにした。
ついでに、そのまま後ろ手に関節を極める。
「あ?あ、痛いっ!痛いって!お前、何してんだ…!?」
「私、こう見えても合気道の有段者でして」
にっこり笑う私。
「いーから、ちょっと
「やっ!?こらマテ、お前!くそっ、放せぇぇぇぇッ!!」
と、そこに着替え終わったお虎が帰ってきた。
「たっだいまー!どう?きれい?あたし、イケてる?ヤバくない?」
かわいいフリルが特徴的な、プリンセスラインのドレスに身を包んだお虎が、私と間車さんを見て、ポカンとなる。
「…って、美恋?あんた、よそのお姉さんと何してんの?」
「ちょうど良かったわ、お虎。手伝ってくんない?」
「手伝うって…何を?」
なおも喚き続ける間車さんを見てから、私はお虎に笑い掛けた。
「乙女の夢の成就」
「おう、コラ!そこのJK!こいつのダチか!?なら、こいつを何とかしろお!」
私と間車さんを交互に見ていたお虎は、不意にニッコリ笑った。
「乗った♪」
「JK、お前もかぁぁぁぁ!…オイ!嘘だろ、何だこの展開ぃぃぃぃ!」
絶叫しながらじたばたする間車さんの足を、ドレス姿のまま器用に両脇に抱え込むお虎。
「初めまして、見ず知らずのお姉さん。覚悟してください♪」
「よーし、
「いやぁぁぁぁッ、誰かぁぁぁぁッ!!」
ちなみに。
泣き喚く間車さんを連行する私達を、止める人は誰もいなかった。マル。
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「どうされましたか、まやさま?」
不意に立ち止まった
それに摩矢が、首を横に振って応える。
「何か悲鳴が聞こえた気がした」
「ひめい…ですか?」
「きっと、気のせい」
何だか、輪の声に似ていたような気がするが、摩矢はそれ以上気に留めることを止めた。
ここはイベントのメイン会場の一角。
警備班の一人として会場の見回りを一通り終えた摩矢は、同じく受付係になっていた沙槻と同じタイミングで休憩に入り、鉢合わせることになった。
ちなみに、沙槻はその手によく冷えたドリンクを持っていた。
「その…十乃様に冷たいものでも、と思いまして」
はにかむ沙槻を見て、摩矢は素直に感心した。
出会った頃、摩矢は沙槻の一挙一動を気付かれないように監視していた。
何しろ、相手は退魔の一族「
いつ何時、殺し合いになるか分からない相手だ。
そんな相手と職場で毎日顔を合わせているのだから、摩矢自身は非常にピリピリしていた。
だが…
「まやさま、この『そうじき』というきかいは、どうつかえばいいのでしょうか?」
「たいへんです、まやさま!『こぴー』とやらから、かみがでつづけてとまりません!なにかの
「これは、さんさいのおなべですね…え?わたしにもくださるのですか?ありがとうございます…ああ、とてもおいしいです、まやさま」
当の沙槻本人は
最初は自分たちの気をそられるためのための演技かと思ったが、そうではなかった。
この少女は、摩矢以上に世俗に疎く、そして純粋だった。
そして。
何より「彼」へとむけるその想いもまた。
(この娘のこういうところ、私も見習うべき?)
ドリンクを手に足取りも軽く、自分の前を進む沙槻を見ながら、摩矢はそう考えてしまう。
摩矢が知る野生動物のほとんどは、雄が雌の気を引くために求愛行動をする。
それはきらびやかな羽毛だったり、たくさんの餌だったりと様々だ。
しかし、人間社会では必ずしもそれは当てはまらない。
女性が男性に尽くすことで、生まれる恋もあるという。
それは「彼」に対し、実に甲斐甲斐しく尽くす沙槻の姿を見ていれば、摩矢にも実感できた。
今のところ、劇的な効果は認められないが、当の「彼」自身も、自分に尽くしてくれる沙槻の姿を見ていれば、悪い気はしない筈である。
そうなれば…
「わたしは、とおのさまのこを…」
慌てて摩矢は首を振り、幻聴を退けた。
沙槻の想いが、どれだけ「彼」に届いているのかは、摩矢には分からない。
分からないが…
(たぶん、私、負けてる…)
そう考えてから、摩矢は愕然となった。
負けている?
何故、
そもそも。
摩矢自身、いつから今のこの現状を
摩矢はこっそり歯噛みした。
この訳の分からない感情を、押し込めようとするように。
ふと「彼」の顔が胸の内をよぎる。
我知らず、摩矢は呟いた。
「…人間の、くせに」
「?なにかおっしゃいましたか、まやさま」
「別に」
そう言いながら、摩矢は沙槻に並ぶために早足になる。
そんなこんで、本部テントに辿り着いた二人を、厳しい表情の黒塚(
「お前達か。休憩中済まないが、頼みがある」
尋常ではない雰囲気に、摩矢と沙槻は思わず顔を見合わせた。
黒塚が続ける。
「現在、
「とおのさまの!?」
「…どういうこと?状況、詳しく教えて」
血相を変える沙槻の横で、摩矢が鋭い目になった。
黒塚は頷いた。
「スケジュールを見れば分かると思うが、現在、イベントは中盤に差し掛かりつつある。これ以降の大きな動きとしては、終盤のメインイベントが控えているだけだ」
テントに張られたイベントの進行表を指しながら、黒塚が説明した。
それに頷く二人。
「たしか、さいごの『めいんいべんと』は『さぷらいずきかく』でしたね」
「そうだ。本来なら、十乃が企画した通り、来場している花嫁数人に対し、サプライズで恋人の男性がステージ上から彼女達にプロポーズを行う内容になっている…
「『筈だった』?」
黒塚の言葉を聞きとがめ、摩矢が眉をひそめる。
「どういうこと?企画が変更になったの?」
「平たく言えばそうだ」
と、とんでもない事を黒塚は告白した。
「私が目を通した企画書は、いま話した通りの内容になっていたが、現在、別の形の『サプライズ企画』が存在し、進行表がすり替えられた上でそれが進められているようなのだ…!」
「そんな馬鹿な」
イベント進行には明るくない摩矢だが、そんな展開は聞いたことがない。
しかも、黒塚をして当日まで
「いったいだれがそんなことを…!?」
不安そうな沙槻に、黒塚は歯噛みした。
「分からん。そもそも、それを問いただすために十乃を探しているのだが…当の本人と全く連絡がつかんのだ」
手にしたスマートホンを睨み付ける黒塚。
それに摩矢が、会場内のスピーカーを指差す。
「いっそ、会場内の放送で呼び出したら?」
「そうしたいのはやまやまだが、見ての通り、ステージイベントで町民オーケストラが生演奏中だ。その最中に呼び出しの放送など入れられん」
「目撃情報は?」
「何人かのスタッフがあちこちで見たと言っているが、どれも時間帯が曖昧だ。どうやら多方面に指示を出しに行っていて、開催後はあまり本部テントには居なかったらしい」
黒塚の切羽詰まった様子に、沙槻は表情を曇らせた。
「…あの、くろづかさま。とおのさまがゆくえしれずになったこといがいにも、なにか…?」
担当者一人が姿をくらまし、突然企画が入れ替わったくらいでは、この鬼女は揺るぎもしない筈だ。
だが、初めて見る黒塚の焦りの表情に、沙槻は疑問を抱いた。
「黒塚殿」
そこに、
彼女の登場に、沙槻は驚かなかった。
今回のイベントの会場警備は、彼女とその配下である「
だが。
彼女が浮かべる黒塚同様の厳しい表情に、嫌な予感がした。
「日羅氏、どうでした?」
黒塚の問い掛けに、秋羽は首を横に振る。
「残念ですが、現時点では十乃殿の姿を会場内では確認できておりません。目下、引き続き部下に探索を命じております」
「そうですか…」
耐え切れず、沙槻は秋羽に尋ねた。
「あきはさま、いったいなにがあったのですか?」
それに、秋羽は沈痛な面持ちで告げた。
「実は…開場後、間もなくしてこの本部テントに何者かからの映像メールが置かれてありました」
懐から一枚のDVDを取り出す秋羽。
卓上に置かれたその表面には「降神町役場の皆様へ」とだけ書かれている。
「中身は?」
摩矢がそう尋ねると、秋羽がチラリと黒塚を見る。
黒塚は意を決したように頷くと、重い口を開いた。
「中身はイベント企画提案者…つまり、十乃の殺害予告だ」