【百八丁目】「精々気を付けろ、人間」
文字数 5,602文字
旅館「
午前の講義が終了した後、お昼御飯を挟んでから、夕方までは旅館の業務を手伝う「接遇研修」になる。
昨日同様、執事の様な制服に着替え、給仕をこなしていた僕…
そこで、織原さんから沙槻さん(
「そう言えば、午前の講義から姿が無かったな…てっきり、体調でも悪いのかと思ってたけど」
雄二が言う通り、沙槻さんの姿は朝から見えなくなっていた。
僕も心配していたのだが…まさか、研修を途中離脱するなんて。
「何か、おうちの事情って言ってましたけど…」
早瀬さんが、遠慮がちに小さな声でそう言う。
その視線を追うと、何となく雄二の方を気にしているように見える。
昨晩、偶然聞いてしまった彼女の雄二に対する好意。
こういう分野が苦手な僕としては、第三者ながら何だか本人以上に緊張してしまう。
一方の雄二は、彼女の気持ちを知ったにも関わらず、普段通り接している。
相変わらずだ。
口が上手く、お調子者の印象が強い雄二だが、求心力があり、ムード―メーカー気質ということもあって学生時代は、それなりにモテた。
雄二の親友ということで、僕も何度かキューピッド役を頼まれたがある。
で、当の本人は、告白された女の子とつきあいはするものの、現在まで交際が継続している特定の相手はいない。
かといって、とっかえひっかえ女の子とつきあっている訳でもない。
以前、何人目かの彼女と別れた後に、その恋愛観を追求したことがあったが、本人は…
「お互いを認めて付き合い始めて、納得して別れたんだから、一片の問題もねぇさ。それに俺は誰とつきあってても最初から最後まで
…と、自らのポジティブな恋愛観を語っていた。
恋愛経験に乏しい僕にとっては共感しづらいが、
実際、雄二と付き合って、最終的に別れた娘達は、色んなタイプがいたが、どの娘も別れた後も雄二のことを悪しざまに言っていない。
雄二の言う通り、彼女達にとっても「実りはしなかったが、納得のいく恋の始まりと終わり」だったのだろう。
だから「相手が悪いから『別れた』」というドロドロしたものもなく、双方サッパリと終わったのだ。
でも、そうなると早瀬さんとは、どうなるのだろう?
と、そこまで考えて、僕はその先を考えることを止めた。
それは二人の問題だろう。
彼女の気持ちを知った雄二がどうするのかも、同様だ。
僕よりもしっかりとした恋愛観を持っている雄二なのだから、少なくとも彼女を傷付けるようなことはしない筈である。
「沙槻ちゃんの実家って、確か神社だったっけ?研修を切り上げて呼び戻されるなんて、一体どんな用事なんだろ」
織原さんの言葉に、僕は無言で
沙槻さんの実家「
そこからお呼びが掛かったなら、それは十中八九、退魔関係の用事だろう。
あまり考えたくないが…もしかしたら、
そう考えると、早瀬さんの前でそれを口にすることは
その人柄で、役場に勤める
その役目は、
しかし今回、わざわざ研修を切り上げさせてまで沙槻さんを呼び戻したとなると、五猟一族は余程の案件を彼女に任せるつもりなのだろう。
「おう、ここにいたか。探したぜ、十乃」
と、そこに「深山亭」の主、
「力也さん?僕に何か用ですか?」
「ああ。お前さんにお客さんだぜ。いま、正面玄関の応接セットに待たせてるんだが…」
「僕に…お客?」
僕は思わずそう聞き返した。
研修中の僕に…お客?
一体どこの誰だろう。
「名前は名乗らなかったが、何でもお前さんと面識があるとさ。しっかし、何か妙な奴だったな。チビで厳めしい顔つきでよ。それに、帽子やコートが黒づくめの胡散臭い奴だったぜ?」
僕はハッとなった。
その特徴に一致する人物に一人だけ心当たりがある。
「分かりました。すぐに行きます…雄二、悪いけど後、いいかな?」
「そりゃ、いいけどよ…お前、一人で大丈夫か?」
力也さんの言葉に何かを察したのか、ジロリと目線を向けてくる雄二。
ここのところ、ちょくちょく厄介事に巻き込まれている僕のことを気にかけているのかも知れない。
僕は曖昧に笑って見せた。
「まあ…多分。無事だったら、この埋め合わせはするからさ」
そうして皆と別れて、正面玄関に向かう。
そのすぐ横に並んだ応接セットの一つに、その人物は居た。
案の定、僕が想像した通りの相手だった。
「やっぱり!
僕の呼び掛けに、ソファーに座りながら分厚い本を
以前会った時と同じ、黒のポークパイハットを取ることも無く、無愛想な表情を僕へ向けてくる。
「久しいな、人間」
愛想の欠片も無く、形式じみた挨拶をする神無月さん。
素っ気ないところは相変わらずだ。
彼は“
謎の外資系企業「
その後、僕や
「良かった、無事だったんですね。心配してたんですよ?」
「心配…?」
怪訝そうに眉根を寄せる神無月さんに、僕は頷き、周囲をはばかるように小声で言った。
「何せ
それを聞くと、神無月さんは少し意外そうな表情をした後、小さく咳払いした。
「…ヒマな連中だな。俺のことなど、放っておけばいいものを」
「そうはいかないでしょ!僕達は、一緒に危機を乗り切った仲間なんですから」
僕の言葉に、今度は何ともいえない表情になり、帽子を目深に押さえながら溜息を吐く神無月さん。
「…忘れていた。貴様にかかると命を狙ってくる相手も『仲間』になるんだったな」
…?
何だか呆れられているみたいだけど…気のせいかな?
僕は気を取り直して尋ねた。
「それより、どうして貴方が
「ああ。少し貴様の力を借りたいと思ってな」
「僕の、力…?」
神無月さんは頷いた。
「貴様、知りたくないか?消えた“
------------------------------------------------------------------
“
彼は降神町役場の人間社会適合セミナーの受講生だった。
心優しい彼には、二人の姉妹がいる。
病弱な末妹の
彼は、舞織ちゃんの医療費を稼ぎ、働く姉の華流さんを支えるために、必死になって人間社会への適合を目指していた。
そして、より効率の良い学びの場を求めて、役場のセミナーを離れ「
紆余曲折を経て「
彼が何処で何をしているのか…目下、全く不明である。
その彼の行方を、神無月さんは知っているというのだろうか?
もしそうなら、それは是非僕も知りたいところだ。
「断っておくが、俺も奴の居所は知らん」
…はい?
拍子抜けした僕に、神無月さんは手にした本を捲る。
「…が、貴様の存在が、手掛かりになるやも知れんと思ってな」
「僕が…ですか?」
「そうだ。奴の行方について調査している中で、分かったことが一つある」
神無月さん本から僕へ視線を上げる。
「鎌鼬の所在を探しているのは、俺達だけではない…『K.a.I』の連中も同じだ」
「『K.a.I』が!?」
意外な名前に、僕は驚いた。
民間企業「
かつて、その顧問を務めていた
僕は、てっきり彼らが太市君を匿っているんじゃないかと思っていたけど…
「俺は鎌鼬の行方と『K.a.I』の調査を並行して進めていた過程で、連中もまた、鎌鼬の所在を追っていることを知った。そして、鎌鼬を捕えようとしていることもな」
神無月さんの言葉に、僕は息を飲んだ。
「そんな…太市君は『K.a.I』に参加していたんですよ?それが何故、追われる身になっているんです?」
「詳細は不明だ。しかし、現在『K.a.I』所属の『実行部隊』が、秘密裏に動いているのは間違いない」
「実行部隊…」
何やら物騒な単語に、僕は呻くように呟く。
それに、神無月さんが声を潜めて告げる。
「貴様自身も出会っているだろう。先の“
思わぬキーワードに、僕はハッとなった。
「まさか…
無言で頷く神無月さんに、僕は唖然となりつつも、彼女…三ノ塚さん(
あの時、三ノ塚さんに拘束され、二人きりでいた間に、彼女は確かこう言っていた。
「先程『理由は知りません』とは言いましたが、経験上の推測でなら何となく分かりますよ?
「
その時、僕はその「誰か」について、ある連想をした。
「誰か」とは即ち…「
もし、彼らが「
その復讐に、三ノ塚さんが暗殺者として雇われ、僕を狙ってきたと思ったのだが…彼女には太市君の捜索という別の目的があったということか?
でも、だったら何で僕を襲ったんだろう…?
神無月さんが静かに言った。
「…これは俺の憶測に過ぎんのだが…連中は
「ある方針って…何です?」
「鎌鼬の居所は、今のところ連中もつかめていないようだ…故に分からないならば、
理解できず、僕は目を瞬かせた。
それに、神無月さんは声を落として続けた。
「要するにだ。連中は旧知の仲である貴様達にちょっかいをかければ、鎌鼬が姿を現すのではないか、と考えているのだろう」
僕は絶句した。
単なる恨みではなく、僕達をエサに太市君をおびき寄せようということか。
「あの鎌鼬は、情が深い性格だと聞いた」
神無月さんは、手元の本に視線を戻した。
「変質してしまったとはいえ、元の性分が残っているならば、ある意味『K.a.I』の狙いは妙手ではある。と、なれば、俺も貴様の傍にいる方が、奴を見つけるには最も手っ取り早いということになるわけだ」
溜息を吐きながら、僕は言った。
「成程。それは分かりました…でも、わざわざそれを言うための僕を呼び出したんですか…?」
「そこまで俺も暇ではないぞ」
本を閉じつつ、僕を見る神無月さん。
「貴様の耳に入れておかねばならないことがあってな」
「何です?」
「最近、この周辺で『K.a.I』の連中が
「おかしな動き?」
神無月さんは頷いた。
「連中の情報を分析した結果、どうやら、この宿の近隣に『
「夜光院」…聞いたことのない名前の寺だ。
しかし「K.a.I」が秘密裏に動いているのには、何か理由があるのだろうか…?
「断定はできないが…もしかしたら、あの鎌鼬がその夜光院とやらに潜んでいるのかも知れんな」
「太市君が…!?」
神無月さんの言葉に、思わず声を上げかけ、僕は慌てて口を閉じた。
「精々気を付けろ、人間」
そう言いながら、神無月さんが本を手に立ち上がる。
「可能性がある以上、俺はこのまま「K.a.I」の動向調査を続けるつもりだ。言うまでもないが、貴様がこんな近くにいると連中が知れば、何らかのちょっかいをかけてくる可能性は大きい」
そう言うと、神無月さんは僕に背を向けた。
「これは忠告だ…そうだな、貴様を利用させてもらうこと…そして、俺を心配をしてくれた礼だと思え」
そして、彼は一人立ち去った。
後に残された僕は、床に目を落とした。
この近くに太市君が居るかも知れない。
あの日「
あの時。
僕達を仕留めようと思えば出来たはずなのに、彼はそれをせず、ただ立ち去った。
それは、まだ彼の中に、昔の優しい部分が残っていたからではないだろうか。
(…確かめなきゃいけないよな)
僕は意を決して、顔を上げた。