【二十八丁目】『『『…見つけた…』』』
文字数 5,757文字
薄暗い地下歩道に、ヒールの甲高い足音がこだまする。
明滅を繰り返す照明の下を、いま一人の少女が駆けていた。
歳の頃は十代半ば。
鮮やかに染めた金髪に攻撃的な化粧。派手な服装は、決して模範的な十代には見えない。
そもそも、未成年がうろついていい時間はもう既に超過している。
それは彼女も承知の上だし、今更改める気もない。
彼女にとって、気の合う仲間とつるんでの深夜徘徊や反社会的な行為は日常茶飯事だ。
学校の担任が自分のことを無視し始め、父親が酒やギャンブルに明け暮れ、家庭を顧みないことも、正直どうでもいい。
母親は彼女を更正させようと、何かと口出しするが、所詮何もできやしないから、相手にもしていない。
憂さを晴らしてくれる仲間とハイになれる
しかし…
そんな刹那的な日常から彼女を引き剥がすモノに、今夜出会ってしまった。
カンカン…と反響する足音が、少女の足に鞭を打つ。
まるで、誰かが自分を追ってくると錯覚してしまうのは、実は間違いではなかった。
実際に彼女は追われていた。そのモノから逃げていたのだ。
「何よ…何なのよ、アレ…!?」
絶望に彩られた声で少女は呟く。
苦しさに、ともすれば立ち止まりそうになる。
だが、それは出来ない。
出来るわけがない。
早く逃げなければ「アレ」が来る。
その前に少しでも遠くに逃げなければならない。
酸素を求めて暴走する肺と、
もつれそうになる足を必死に動かし、彼女は前へと進む。
背後は見ない。
いや、見ることができない。
「アレ」がすぐ後ろにいるような気がして恐ろしい。
その恐怖が振り返ることを許してくれないからだ。
「…!?」
突然。
背後から金属がたてる「シャラン…」という音が響く。
それは彼女のヒールがたてる足音を無視し、ハッキリと聞こえた。
背筋を戦慄が走り抜ける。
(来た…)
そう考えた途端、恐怖に
視界が涙で滲み、胸の
駄目だ、という絶望。
何で、という疑問。
来ないで、という哀願。
それらが恐怖という伴奏にのって、少女の中をループし続ける。
バツン
不意に、地下歩道の照明が一斉に落ちた。
広がるは闇一色。
出口はまだ遠いのか、一片の光も差さない。
視界を奪われ、思わず立ち止まる少女。
シャラン…
再び響く
先程よりずっと近い。
「…ひぅ…!」
悲鳴は辛うじて飲み込めた。
だが、身体は
少しずつ
周囲は闇だ。
上手くすれば、アレは自分に気付かず通り過ぎるかも知れない。
シャラン…
シャラン
シャラン!
シャラン!!
追い付いてきたソレが、少女の前を通り過ぎていく。
そして…彼女の前で止まった。
「………!」
決死の思いで声と息を止める。
大丈夫。
周囲は闇だ。
相手にも自分は見えていない筈だ。
シャラン…
シャラン……
シャラン………
音が遠ざかっていく。
やがて、地下歩道に静寂が戻った。
少女に気付かず、音の主は去ったようだ。
「…助かった、の…?」
バツン
少女の呟きに呼応するように、地下歩道の照明が回復する。
周囲には誰もいない。
少女は深く息を吐いた。
ガクリと力が抜けたように壁にもたれ、そのままズルズルと腰を下ろす。
「マジでビビった…アレって、一体何なの!?」
『『『…見つけた…』』』
不意に
間近で
声がする
複雑に
重なって
響く声
少女は、死人のように青ざめる。
そこに誰かが立って、自分を見下ろしている。
しかも、一人ではない。
(駄目だ…)
その誰かが一歩近付いた。
シャラン…!!
(駄目だ!見るな…!)
少女の頭の中で、警報が鳴り響く。
目の前の誰かが、また一歩踏み出した。
(駄目!駄目!駄目!駄目!見るな!見るな!見るな!見るな!見るな!見るな!…)
肩に。
ひんやりとした。
手が置かれた。
思わず、少女は顔を上げる。
そこに「ソレ」が居た。
少女が絶叫する。
しかし、狂気のようなその悲鳴は、町の隅で夜の闇に呆気なく呑まれた。
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町内に住む特別住民(=妖怪)が人間社会に適合できるように、そのサポートを行う部署である。
そんな特別住民支援課では、今日も“
あと、課内には僕…
僕はデスクワークに専念し、摩矢さんは自前の猟銃を丹念に手入れしている。
普段は地下倉庫に
二弐さんは「最近、課内にいるのが増えたわねぇ」と首を
同じ職場で働く仲間なのだから、一日一回は顔を会わせたほうが良いに決まってる。
「連続失踪って…マジかよ?」
間車さんが、胡散臭そうな顔をした。
不穏なワードに、僕は耳だけで雑談に参加する。
「ホントよ。ここ最近増えてるんだって」
「確かな筋の情報なのよ」
前後の口を使い、真剣な表情で話す二弐さん。
情報通で知られる彼女は、どこで仕入れてくるのか、町内の旬な話題を誰よりも早く提供してくれる。
時々ガセネタもあるが、その信憑性は侮れない。
「今月に入って、もう四、五人行方不明だって」
「しかも、ほとんどが十代の若い子みたいよ」
「ん~…でもよ、新聞もテレビも何も言ってないし…ちょうど夏休みだから、連中、どこぞで悪さでもしてんじゃねぇの~?」
間車さんは然程気にしていないようだ。
「…その話、多分本当ですよ」
書類に目を落としたまま僕がそう言うと、間車さんと二弐さんだけでなく、摩矢さんも注目した。
「何だよ、証拠でもあるってのか?」
意外そうな表情になる間車さんに、僕は頷いた。
「僕の妹が降神高校に通ってるんですが、何か『同じクラスの娘が一人、失踪した』って騒いでました」
「…妹、いるの?」
摩矢さんが尋ねてくる。
「ええ。いま高二です」
「確か…
「お兄ちゃん大好きな、可愛い娘だよね」
…さすがは二弐さん。
彼女には、妹…美恋の事は一切話した記憶が無いというのに、既に個人情報を掌握済みとは。
まあしかし、
高校生になってからは、会話も減ったし、前みたいになついてくることも無い。
時折、こっちをじっと睨んでいたか思えば、目が合うとすぐに逸らしたりすることもある。
きっと、思春期の女の子特有の何かがあるのだろう。
「けどさ、そんな事件なら、警察も動いてるんだろ?そういう噂は聞こえてこないけどな」
間車さんがそう言うと、二弐さんが再び真剣な表情で声を潜めた。
「それがこの事件の謎なのよ」
「どうも警察には、家族からも捜索願が出てないらしいの」
「はあ!?何だそりゃ。自分の子どもが行方不明になってんのに、随分
間車さんの意見はもっともだ。
だが、その話も事実のように思える。
美恋の学校でも、教師も保護者も騒ぎ立てる様子がないらしい。
ただ、その子は元々素行が悪く、あまり学校にも来ていない生徒のようなので、周囲も失踪したという実感が乏しいのかも知れない。
そう考えていた時だった。
「お前達、少しいいか?」
特別住民支援課が誇る才媛、“鬼の
何かあったのだろうか?
何だか、真剣な表情だ。
「最近、町内で発生している連続失踪の噂は知っているか…?」
出し抜けにそう尋ねてくる主任。
僕達は顔を見合わせた。
「知ってるっていうか…ちょうどいま、その噂話で盛り上がっていたところだけど…」
間車さんがそういうと、主任は頷いた。
「なら、話は早い。当課でその件について、調査することとなった。各位の健闘に期待する」
…
……
………はい?
「ええと…主任?」
「話がよく見えないんですが…」
二弐さんの質問に、主任は腕を組んだ。
「“
…また、話が飛んだぞ。
主任のいう“件”とは、妖怪の一種だ。
牛から生まれ、人面の牛の姿をしており、人語も解する。
そして、特筆すべきは「予言」を得意とする点にある。
この予言はほぼ的中率100パーセントを誇り、外れたことはないという。
また、予言をした後、必ず死んでしまうことで有名である。
そんな“件”こと、九段下さんは主任の旧知で、降神町役場のOGでもある。
伝承とは違い、外見は人間の女性と変わらないが“件”としての「予言」の力は持っている。
その力により、昔から特別住民課の職員として活躍し、引退した現在も相談役として陰で役場を支える、重要な役割を持った女性だ。
ただ、予言の力には伝承通りの「代償」もあった。
「先日、彼女から、今回の一連の失踪が妖怪に属する怪異の手によるものであることが『予言』された」
主任の一言に、全員が息を呑む。
間車さんが、思わず腰を浮かす。
「マジかよ…!?ってことは…」
「もしかして、主任…」
「九段下さんは…」
すがるような二弐さんに、主任は沈痛な表情で首を横に振った。
「…いま、病院だ」
そして、溜息を吐く。
「不整脈だそうだ。今回もあと一歩で危なかったらしい」
途端に間車さんが頭を抱える。
「だああああっ!またかよ、あの死にぞこない!」
「また、お見舞いに行かなきゃ駄目ね」
「お給料日前に不意の出費はキツイわぁ」
「毎度毎度、はた迷惑」
二弐さんと摩矢さんが、身も蓋もなくそう続く。
あんまりと言えばあんまりだが、九段下さんによる「予言→入院→予言」の無限ループは、今回に始まったことではない。
しかも、予言は外れないが「明日はどこどこのスーパーであれが安い」「今日は窓口にこんな苦情が来る」という…こういっては何だが…どうでもいいレベルのものも、たまに混じっていたりする。
その度に死にかけて入院するので、月一回はお見舞いが定例行事みたいになっているのだ。
しかし、役場にとっては恩人、僕達にとっては先輩でもあるので、無視するわけにもいかない。
本人は「お構いなく」というものの、病室で一人「千の風になって」を歌いながら、虚ろな目で窓の外の木の葉を数える彼女の姿を見ると、誰もが何だかいたたまれなくなるのである。
何にせよ、伝承では一回の予言で死ぬ“件”だが、彼女については一部で「どうやら死に対して耐性を備えつつあるのでは」とも囁かれていたりする。
ざわつく場を、主任は咳払いで鎮めた。
「まあ、見舞いの日取りについては後で調整するとして…連続失踪の方について話そう」
眼鏡を光らせ、主任は続けた。
「今回の事件は、九段下女史の預言である以上、
「そいつは分かるけどさ、そういうのって警察の仕事じゃないの、
間車さんの意見はもっともだ。
いくら犯人が妖怪だとしても、僕達役場の職員には、警察のような捜査権も逮捕権もない。
そんな真っ当な意見に、主任はジロリと間車さんを見やった。
「『姐さん』はよせと言っただろう、間車。それにそんなことは百も承知だ。しかしな…」
主任の声のトーンが低くなる。
「今回、この件については警察は関与しないらしい」
え…?
それって…
場に沈黙が降りる。
固まる一同の中、間車さんが慌てて言った。
「ちょ、ちょっと待った!何だよそれ!?失踪事件が起こってるって分かってて、それでも警察が動かないって、話が無茶苦茶だろ!」
「もしかして…」
「捜索願が一切出てないって…本当なんですね?」
二弐さんの呟きに、主任は頷いた。
「憶測だが、その線が濃いようだ。そうなれば、警察側から動くことはない。何せ、
訴えがない
以上事件ではないからな」回りくどいが、警察とはそういう組織らしい。
事が起こり、訴えがあってから、捜査が行われるわけだ。
「だが、そうだとしても今回の一件は妙な部分がある。警察の不介入はともかく、残された家族が一様に捜索願を出さないのは、どう考えても不自然だ」
「…
摩矢さんが、いつもの無表情のままそう尋ねる。
主任は頷き、
「九段下女史の予言にあった『妖怪が関与している可能性』については憂慮している。同時に可能な限り、情報収集を行うそうだ。もっとも、警察とは必死に情報交換も試みているものの、具体的な情報は手に入っていないらしいが…」
そのまま全員を見回す。
「そこでだ。妖怪絡みとなれば、うちの課が見過ごすわけにはいくまい。捜査も逮捕も出来ないなら、それ以外で出来ることをしようと私は思う」
「具体的には?」
摩矢さんがそう聞くと、主任はフッと笑った。
「“
成程。
主任の言いたいことが、少しずつ分かってきた。
「要するに『事件だって証拠を掴んで、警察が動くきっかけを作れ』ということですか…?」
僕の言葉に、主任は不敵な笑みを浮かべた。
「無茶苦茶な内容だが…少しでも事件性が明るみになれば、警察も動くかも知れん」
「マジで?姉御ってホントに鬼?狸じゃねーの?」
軽口を叩きながらも、間車さんは楽しそうだ。
またとんでもないことになった。
こんな仕事は、いつかの“スネークバイト”潜入以来だ。
だが、妖怪が犯罪を繰り返すのを黙って見ているわけにもいかない。
仕方なく書類を片付けながら、僕は胸の内で呟いた。
“どうか、今度の仕事は穏便に片付きますように”