【百三十丁目】「御機嫌よう、皆様」
文字数 5,183文字
「
薄暗くて分からなかったが、どこかで大きな何かが倒れたような音だった。
「町長、今のは何の音でしょう…?」
すると、傍らにいた
「…誰か、派手に暴れてる奴がおるようじゃな」
「あ、暴れてるって…」
息を呑む僕に、御屋敷町長は事もなげに言った。
「心配せずともよい。荒事は、全部あの連中が何とかしよう」
町長はそう言うと、顎をしゃくって示した。
見れば、薄闇の空を、何人もの黒い影が、一斉に音のした方へと向かっている。
暗いけど、僕にも正体は分かった。
あれは「
内閣府「特別住民対策室」に属する天狗神“
彼ら木葉天狗は、彼女の眷属であり、今回の「
その警備網は、蟻の子一匹通さない程の厳戒態勢にあるらしい。
当然だろう。
ここにやって来る来賓は、いずれも妖怪の中でも大物中の大物揃いだ。
彼らに何かあれば、人間に対する妖怪達の見方が変わってしまう可能性がある。
それも、悪い方向へ。
もしそうなったら、人間にとっても妖怪にとっても良い結果にならないのは明白だ。
「ま、まさか…テロか何かでしょうか!?」
「そうだとしたら、ロクな結果にならんのう」
僕の言葉に、御屋敷町長は溜息を吐いた。
「ここに来ていない大妖は、残すところあと三体。そのうちの二体は、血の気が多いとされる連中じゃ」
血の気の多い、二体の妖怪。
推測するまでもない。
一体は“
「魔王」の異名を持ち、日本で最も危険視されている大妖だ。
実力、抱える手勢の数、いずれも要注意レベルとされている。
そして、もう一体。
血生臭い逸話を持つ、鬼族の王“
血の気の多い鬼族の中において、他の鬼族と常に抗争状態にあるとされる大鬼だ。
噂では、お互いに出会っただけで血で血を洗う抗争が勃発したのも、一度や二度ではないという。
「確率三分の一…まあ、いずれにしろ、いい結果にはならんじゃろうが…ん?」
不意に、御屋敷町長が門の方を見やる。
見れば。
まっすぐにこちらにへと向かう二つの光が見えた。
「噂をすれば何とやらじゃな。ホレ、出迎えるぞ。精々気張るがよい、
言いながら、玄関先に並ぶ御屋敷町長。
それに、僕も慌てて続いた。
その間、光は思いがけない速度でこちらへ近付いてくる。
近付くにつれて、聞き慣れたモーター音も耳に届いた。
「車?」
そう呟いた瞬間、門を通り、ヘッドライトを点けた一台の車が玄関先で停車した。
黒塗りの、高級そうな車だ。
車には詳しくないが、武骨なボディラインに黄金の装飾が施された大きな車だった。
窓はフルスモークで、中の様子は見て取ることが出来ない。
棒立ちになる僕たちの目の前で、後部座席のドアが開いた。
「ここか」
僕は目を見張った。
中から出てきたのは、背の高い眼鏡の女性だった。
目つきは鋭いが、凛とした感じの「万能秘書」チックな美女である
白銀の髪を背中まで伸ばし、かっちりとしたビジネススーツに身を包んだその女性は、周囲を確かめるようにその赤い瞳を巡らせると、運転席の窓を叩いた。
それが合図だったのか、運転席と助手席から、二人の屈強な男性が出て来る。
サングラスを掛け、筋骨隆々とした身体をダークスーツで包んだ二人の巨漢は、手にした赤い布地をいそいそと運び、後部座席の反対のドア…玄関側のドアの下に置いた。
そして、そのまま一気に放り投げる。
すると、赤い布地は巻物が解かれるように勢いよく転がり、玄関の端でピタリと停止した。
「レ、レッドカーペット!?」
唖然となる僕の目の前で、最後のドアに銀髪の女性が手を掛ける。
「どうぞ、お嬢様」
「有り難う、
そう答えた人物が、銀髪の女性…白菊さんに手を取られ、地に降り立ったその瞬間。
周囲の空気は変貌した。
突然だが「宵ノ原邸」は、全然たる和風の大屋敷である。
内部には洋室こそあれど、その造りはほぼ日本式。
来客の目を楽しませる庭園も、日本庭園の粋を凝らした一級のものだ。
が、その時、その場は明らかに違う世界に変わった。
風に彩る薔薇の香り。
立ちそびえる白亜の宮殿。
鳴り響く宮廷音楽団の荘厳な調べ。
そう。
その時「宵ノ原邸」は、中世時代の王侯貴族が行き来するような、豪奢な王宮と化したのだった。
「御機嫌よう、皆様」
後部座席から降り立った、一人の女性がにこやかに微笑む。
それだけで、咲き誇る花すらも恥じ入りそうな美しさだ。
細くたおやかな身を包むのは、鮮やかな深紅のドレス。
名だたる工芸家も再現不能かと思わせる、黄金の縦ロールとそれを引き立てる白金の
手にした白い洋風扇子で口元を隠しつつ、しずしすと歩むその姿。
まごうことなき。
豪華絢爛お嬢様だった。
「久しいの、
謎のお嬢様の美しさと、醸し出される高貴なオーラに硬直する一同。
そんな中、御屋敷町長のみはいつもの平常運転だった。
それに、完全無欠のお嬢様…紅刃さんが笑みを深くする。
「まあ、俚世様。お久し振りでございます。お元気そうで何よりですわ」
「
呆れたような空気を含む、何とも物騒な会話に、紅刃さんが花のように微笑む。
「うふふ。お恥ずかしいですわ」
洋風扇子を緩やかに仰ぎつつ、その紅の唇が、薔薇の花弁のように揺れる。
「
優雅に微笑みつつ、物騒な極道言葉を吐く紅刃お嬢様。
あまりのギャップに、居並ぶお偉方のデレデレした笑みが、ピキーンと固まる。
「この前も、
まるで「この前の外国旅行は楽しかったですわ」などという会話を交わすように、紅刃さんは笑った。
僕をはじめ、人間のお偉い方一同の血の気が引く。
どうにも思い当たる事前情報を思い出した僕は、こっそりと御屋敷町長に耳打ちした。
(町長、この美し怖い
「ん?おお、こいつは紅刃と言ってな。またの名を『七代目 酒呑童子』じゃ」
「…やっぱし」
僕は脱力しつつ、目を覆った。
今の今までに目にしてきた伝説の大妖達。
実力は別として、神話・伝承で語られる逸話とはかけ離れた個性の数々に、言い得ぬギャップを感じてはいたが…これは極め付けだ。
名を持つ鬼として有名な、かの“酒呑童子”が、代替わりしたとはいえうら若い女性で、しかも見た目は虫も殺せないようなお嬢様なのに、中身はまごうことなき生粋の極道者ときた。
予想を裏切るのも大概にして欲しい。
「あら?」
僕が、伝説と目の前の“酒呑童子”のギャップに
「俚世様、こちらの方は?」
「む?ああ、こ奴か。こ奴は儂の部下じゃ。今回のサミットで補佐役をさせておる」
そう言うと、御屋敷町長が僕に目で促す。
あ、そうか。
挨拶をしろということだな。
「は、初めまして。僕は十乃と申します。降神町役場に勤めております」
「まあ、あなたが?それに、降神町役場ということは…もしかして、黒塚さんの…」
「はい、部下です」
その一言に。
紅刃さんの相好が崩れた。
気のせいか、行き過ぎる程である。
「まあまあまあ!そうでしたのね。それはそれは。成程成程」
紅刃さんの反応に、僕は何か言い得ぬ悪寒を感じた。
「…あの、何か?」
そう問う僕に、優雅に笑い掛ける紅刃さん。
「いいえ、別に…でも、私、貴方に大変興味が湧きました」
「は、はあ…どうも」
どぎまぎしながらそう言うと、紅刃さんは白魚のような指を伸ばし、僕の頬をなぞった。
突然のことに身動きできない僕へ、紅刃さんが耳元に唇を近付けて囁く。
「今度、ゆっくりとお話しましょう。できれば…」
紅刃さんの笑みが深くなる。
その様が、何故か僕には妖美な食虫植物に見えた。
「二人きりがいいですわね」
“ほう『七代目』も色恋を知る歳になったか”
突然。
そんな深い男性の声が聞こえる。
同時に、僕の背筋を、恐ろしいまでの寒気が走った。
「危ない!」
「お嬢様…!」
僕が身を
その瞬間。
ドゴォォォォォォォォオオオオオオン!
辺りを凄まじい光と轟音が埋め尽くした。
「な、何だ…!?」
「雷か!?」
その場に居合わせた全員が、呻き声を上げる。
普通なら、五体満足では済まない距離での落雷だ。
だが、不可解なことに、その場にいた全員が無事だった。
そして。
ようやく戻った視界の中、僕は雷が落ちた場所に、今まで居なかった一団がいることに気付いた。
一目で目を引いたのは、豪奢で古風な
その周囲には、騎馬や徒歩の従者みたいな連中が
いでたちといい、まるで、昔の大名行列のようだ。
「だ、誰です?」
チカチカする視界を堪えつつ、辛うじてそう問いかける僕。
すると、一団の中から進み出た黒毛の馬に乗った若武者が名乗った。
「遅参の非礼、ご無礼
若武者は下馬すると、数十人が囲む古風な駕に近付くと、その扉を引いた。
「さ、お館様。着きましたぞ」
「ああ、ご苦労さん。流石にこれだと速いな。その分、つまらないけど」
「
「ああ、分かってる」
そう言いながら、駕から現れたのは、黒い
細身で眉目秀麗。
後ろに流した長髪と、頬を走る傷跡が目を引く。
若武者が、一同に大声で告げる。
「一同、控えられい!『魔王』山本五郎左衛門様のお成りである!」
「大袈裟だな。まあ、いい。全員宜しくな」
そう言うと、裃姿の男性…山本五郎左衛門は、渋い笑みを浮かべた。
「さ、山本…五郎左衛門…」
僕は身を震わせた。
見た目は人間と変わらないし、伝承の中で語られていた風貌とはいささか異なるもの、その佇まいはまさしく大妖。
ごく自然に威厳を放ち、臣下達に付き従われ、さりとてそれに甘んじることのない威圧感。
そこに在ったのは、まさしく「魔王」
原典である「稲生物怪録」でも正体不明とされ、妖怪達の頂点に立つとされた魔物だった。
「…何故、泣いてらっしゃいますの?」
「いや、何ていうか…ようやく想像通りの大妖が出てきてくれたって…うわああああああっ!?」
僕はつとつとと語りながら、自らの状況に気付いて、思わず声を上げた。
僕はあろうことか。
紅刃さんを地面に押し倒していたのだ…!
「な、なななな…!?」
「この私を押し倒すなんて…見た目によらず、強引なお方…♥」
慌てふためく僕に、微塵も慌てない紅刃さん。
何だか、とても嬉しそうにも見える。
あわわわ…
お、落ち着け!
どうして、こうなった!?
彼女を押し倒した覚えなんて、全然…
その時、僕はハッとなった。
…そうか!
さっきの落雷の直前…何故だか寒気を感じて身を翻したあの時、足をもつれさせて転んで、近くにいた彼女を偶然押し倒してしまったのか…!
「いや、あの、これは…!」
「…おい、貴様…」
「ひぃっ!?」
突然、背後から白菊さんの声が響く。
声に含まれた冷たさが尋常ではない。
恐る恐る振り向くと…
「!?」
そこには。
額に一本の角を生やし、刃のような目で見下ろす白菊さんの姿があった…!
付け加えれば、その口からは、白い蒸気が漏れ出ている。
「お嬢様に、何をしている…?」
「は、あの、その…!」
さらに補足。
立派な牙も見えた。
「三秒でいいから、そのまま動くな」
あ、爪も伸びた。
「一瞬で
「誤解ですぅぅぅぅぅぅ…!」
脱兎の如く逃げ出す僕。
それを追う白い鬼。
「待て!逃がさんぞ、不心得者が…!」
そんな様子を見ていた紅刃さんは、ゆっくりと身を起こし、言った。
「白菊は、かの“
「いや…止めないのか?」
皮肉にも。
その場で助け舟を出してくれたのは「魔王」だけだったという。