【百一丁目】「それでも『誰か』を憎まないのですか?」

文字数 9,904文字

「あ痛っ…!」

 地面に放り出された僕…十乃(とおの) (めぐる)は思わずそんな声を上げた。
 二弐(ふたに)さん(二口女(ふたくちおんな))主導のイベントジャックにより、ゲリラ的に開催された「六月の花嫁大戦(ジューンブライド・ウォーズ)
 その優勝者が決定されようという最中、僕は当の優勝者である謎の銀髪眼鏡美女に誘拐されてしまった。
 会場のステージ上で、煙幕によって視界を奪われた中、両手足を呪符で拘束され、突然現れた巨大な鳥の爪に引っ掴まれた僕は、程なく空の上を飛翔した後、小高い丘の上に放り出されたのだ。

 そこは「ウィンドミル降神(おりがみ)」の外れにある、古代ギリシャ神話に出てきそうな神殿の複製(レプリカ)がある丘だった。
 この丘は天気の良いこんな日には、彼方に蒼い海も見渡せる場所だ。
 その丘の上にある白亜の神殿の中に、僕は放り出されたのである。
 大した高さではなかったが、そこそこ痛い。
 痛みに顔をしかめていると、巨大な鳥は瞬時に消え失せ、一枚の呪符と化した。
 そして、呪符は鳥の背に乗っていた銀髪の眼鏡美女の手に収まった。

「乱暴にして御免なさいね、十乃 巡さん」

 薄く笑いながら、美女がそう言う。
 呻きながら何とか身を起こすと、僕は美女を見上げた。

「貴女は…!?

「私は凍若衣。三ノ塚(さんのづか) 凍若衣(ともえ)と申します。貴方なら“舞首(まいくび)”と言えば分かるでしょう?」

 そう名乗ると、凍若衣と名乗った女性は、短く呪文のようなものを唱えた。
 同時に、両手足を束縛していた呪符が燃え上がり、僕は自由になる。
 やれやれ…イベント中に二弐さんに突然拘束されて以来の自由だ。
 しかし、こんなタイミングで自由にされても、素直に喜んでいいものか困るが。

「“舞首”…では、貴女は特別住民(ようかい)なんですね?」

「ええ」

 凍りついた滝のような銀色の髪を掻き上げながら、凍若衣さんが頷く。
 僕は続けて尋ねた。

「こんな所に連れてきて、僕を一体どうするつもりですか?」

「率直に言えば、抹殺(まっさつ)します」

 躊躇(ちゅうちょ)なく、そう答える凍若衣さんに、僕は焦る以前に呆気にとられる。

 ………完全に予想外の答えだ。

 しかも、彼女が向けてくる氷のような視線からして、どうやら冗談とかドッキリとかというわけではないみたいだ。
 予告なしで命の危機にさらされることになったが、僕は気を取り直して、再び問い掛けた。

「あの…何故でしょう?」

「済みませんが、雇い主(クライアント)の依頼なので、理由は知りません」

 そう言いながら、凍若衣さんは懐から数枚の呪符を取り出し、扇のように広げて見せると、ヒラヒラと煽ぎ始めた。
 …どうやら、 僕のことをすぐにどうこしようという気は無いようだ。
 よし…ならば、もう少し相手の真意を探ってみよう。
 幸い、相手は僕との会話に乗ってきている。
 ひとまず、この流れを絶やさずにいくしかない。
 僕は、彼女の発した一言に食いつく素振りを見せた。

雇い主(クライアント)?…ということは、貴女はもしかして…」

「ええ。分かりやすく言えば『殺し屋』ということです」

 うわあ。
 「殺し屋」って、本当に居るんだ。
 漫画や小説の中には、ごまんといる存在だけど…まさか、本物を目にすることになろうとは。
 あっさりと白状する凍若衣さんは、僕に向かって続けた。

「先程『理由は知りません』とは言いましたが、経験上の推測でなら何となく分かりますよ?貴方、誰かから恨まれたりしていませんか…?」

 僕は考え込んだ。
 ごく普通に日常を生きている一小市民としては、仮に知らずに誰かの恨みを買っていたとしても、そんな物騒なことを考える人物に心当たりがない。
 考え込む僕に、凍若衣さんはクスリと笑った。

「例えば『誰か』の邪魔をしたとか?」

「そんなこと…」

 言いかけて、僕ははたとあることに思い至った。

 「()()()()()()()()…?

 そう言われると…実は思い当たる節は無いわけではない。
 ただ、その「()()」は僕の想像通りであれば「個人」ではない。

 …いや、ちょっと待てよ。

 仮に()()が凍若衣さんの雇い主(クライアント)だとして、何故()()()()()()()()()が分からない。

「…どうやら、少しは思い当たる節があったようですね」

 呪符を煽ぎながら、冷たく微笑む凍若衣さん。

「人の良さそうな顔をしている貴方も、結局は誰かの恨みを買い、そして誰かを憎まないと生きていけない…つくづく滑稽で哀れですね、人間というのは」

「…え?憎む?」

「ええ。だって、貴方も憎いでしょう?私に貴方を殺すように依頼した『誰か』が」

「いえ、別にそんなことはないですけど…」

 即答した僕に、呪符を煽いでいた凍若衣さんの手がピタリと止まった。

「…やせ我慢ですか?」

 ほんの少しだけ、その声に苛立ちに似た感情が混ざった。

「この状況で、貴方が助かる道はない。間違いなく私に殺されます。それは全て貴方を憎む『誰か』のせいでしょう。そんな『誰か』を憎むのは、人間として自然な感情です」

 そして、彼女は嘲笑めいた笑みを浮かべる。

「勘違いをしているようだから教えて差し上げますが、こういう場合に虚勢を張る事は『勇気』とは言いません。いまさら平静を取り繕っても、逆に見苦しいですよ?」

 僕は少し考えてから、それに首を横に振った。

「別にやせ我慢ではないです。僕は、本当にその『誰か』を憎む気が無いんです。悲しいことだ、とは思いますけど」

 凍若衣さんの目が剣呑な光を帯びる。

「…そうですか…なら…」

 不意に、凍若衣さんは僕の上に覆い被さるように押し倒した。
 白銀の長い髪が流れ、僕の顔を覆う。
 日の光を遮られた青白い闇の中、彼女は氷そのものの目で真下にいる僕を見下ろし、囁くように告げた。

「改めて断言しましょう…私は、貴方が想像する百倍は残酷な方法で、貴方を始末することができます」

 「魂が凍る」というのは、こういう目のことを言うのだろうか。
 一体、どれだけの負の感情を貯め込んだらこういう目になるのだろう。
 女性に押し倒されるなんて、初めての経験だし、シチュエーション的に普段なら慌てふためくところなのだろうが、僕はその凍った瞳に息を飲むばかりだった。
 凍若衣さんは、一切の感情を込めない声で淡々と続けた。

「例えば、まず、私の術で貴方の意識を完全に(つな)ぎとめる。そして、式神の蟲共に全身を徐々に食い荒らさせる。貴方は気絶することも叶わず、骨になるまで絶叫し続け、いずれ許しを請うでしょう。『早く殺してくれ』とね。でも、私はそんな願いは聞き入れませんし、発狂だって許しません。失血死もね。貴方の心も身体を生かさず殺さず、殺し、癒し、そしてまた殺す。無限に近い地獄の中でみっともなくのたうちまわる貴方。そして私は、その様を(さかな)に極上のワインでも開けるでしょう」

 そこで彼女は再び微笑した。
 いままで見た中で、最も冷たい微笑みだった。

 本気だ。
 そして、本当だ。

 彼女は、全てそれを実行できるし、する気なのだ。
 そう考え、僕は思わずゴクリと喉を鳴らした。
 すると、彼女は満足そうに、

「それでも『誰か』を憎まないのですか?」

 眼鏡越しの氷の視線が、僕を射抜く
 僕は…意を決して答えた。

「はい」

 彼女の笑みが消える。
 が、構わずに僕は続けた。

「ところで、失礼ですが、()()()()()()()()()()()()()()()…?」

 不意にそう聞く僕に、凍若衣さんは一瞬意表を突かれた顔になった。
 そして、頷いた。

「勿論です。獲物(ターゲット)の情報を丸裸にしてから追い込むのが『狩り』の基本ですから」

「なら、貴女は単純に僕のことを『()()()』だけで『()()』はしていないようですね」

「…何ですって?」

 その一言に、凍若衣さんの目に明らかな殺意が宿る。
 だが、それにも(ひる)まず、僕は続けた。

「僕は人間です」

「…そうですね」

「何の力も無い、ただの人間です。知恵も力もないし、すごい能力だって持っていない」

「その通りです」

「まあ、仮に異世界に転生しても、きっと無力なままの人間でしょう。それくらいに僕は平凡です」

「…結局、何が言いたいんですか?」

 僕は彼女の氷の瞳を見詰めながら言った。

「そんな僕ですが、ご存知の通り、とんでもない能力を持った妖怪(あなた)達と対話し、共に歩んでいけるような世界を作るために働いています…凍若衣さん、ハッキリ言わせてもらいますよ」

 凍若衣さんは無言だ。
 僕は続けた。

「妖怪相手の交渉ってのはね、怪我もすれば、傷も負う。時に命懸けだし、僕みたいなただの人間にとって割に合う仕事(もん)じゃないんです。でも、それでも、僕は僕を傷付けてくる妖怪達(かれら)と向かい合わなければならない…いや、向かい合おうと決めたんです」

 彼女の目に、一瞬戸惑いの色が浮かぶ。
 僕はそれを見逃さなかった。

 ()()だ…!

 敵意をもった相手との話し合いで重要なのは「飲まれて縮こまらないこと」
 そして、相手が揺らいだ時は、一気にたたみ掛ける。
 特に彼女のように理知的な相手なら、考える隙は与えないように。
 僕は腹筋に力を込め、彼女を押し戻すように上体を起こした。
 その間も彼女から目は逸らさない。
 身を起こし、奇しくも彼女と同じ目線になった僕は続けた。

「だから、いちいち『誰かを憎む』なんて考えに捕らわれていたら、()()()()()()()()()()()()()()

 凍若衣さんは大きく目を見開いた。
 そして、気圧されたように僕の腰の上にぺたん、と尻餅をつく。
 しばし向かい合う僕達。

「貴方は…」

 凍若衣さんが何かを口にし掛けた時、パンパンという拍手が不意に響いた。
 視線を巡らせる僕達の目に、黒衣の女性の姿が映る。
 その女性を見た僕は唖然となった。

「エ、エルフリーデさん!?

 そこには。
 漆黒のウェディングドレスに身を包んだエルフリーデさん(七人ミサキ)が、笑いを(こら)えるような表情で、拍手をしていた。

「ククク…見事だ、十乃。そして、貴様の負けだ『CERBERUS(サーベラス)』」

「『SEPTENTORION(セプテントリオン)』…!」

 凍若衣さんがそう呟く。
 『CERBERUS(サーベラス)』?
 確か…ギリシャ神話に出てくる“地獄の番犬(ケルベロス)”の異称だったような…?

「ど、どうしてここに?」

 僕の問いに、エルフリーデさんは髪を掻き上げながら答えた。

「二弐という女に乞われてな。まあ、ゲルトラウデの付き添いみたいなものだ」

「…よくもおめおめと顔を出せたものですね」

 そう言う凍若衣さんの目には、ハッキリとした敵意があった。

「それに『私の負け』とはどういう意味です?」

 しかし、それを気に介した風も無く、喪服のような黒いドレスにを風に揺らし、エルフリーデさんは微笑んだ。

「言葉通りの意味さ。仕方あるまい。()()()()()()()のだ」

「…相手が悪かった?」

 エルフリーデさんを睨みつけながら、凍若衣さんが問う。
 それに黒衣の花嫁は答えた。

「その男はな、妖怪を差別する意識がない、根っからの『妖怪バカ』だ。そして、いま聞いた通り『究極の平和主義者』で『筋金入りの頑固者』だよ」

 …良く分からないが、褒められているのだろうか…?

「『憎悪』に由来する“舞首(きさまら)”の在り(よう)にとって、その男は()()みたいなものだ。気を付けろよ?そんな風に真っ向からまともに見詰め合っていると…」

 そこで、エルフリーデさんはニヤリと笑った。

骨抜き(メロメロ)にされるぞ?私のようにな」

 凍若衣さんの顔に朱がのぼる。
 氷のような彼女が初めて見せる表情(かお)だった。
 凍若衣さんは、キッとエルフリーデさんを睨みながら言った。

()()()()の忠告になぞ、耳を貸すつもりはありません…!」

 …えっ?

 「裏切り者」って…まさか、この二人は知り合いなのか!?
 一体どういうことだ!?
 思わぬ展開に言葉も出ない僕。
 エルフリーデさんは、凍若衣さんの銀髪とは対照的な黄金の髪を再び掻き上げた。

「酷い言われようだ…しかし、その件については最初に言った筈だ。『我々は好きにやらせてもらう』とな」

「ほざきなさい」

 凍若衣さんが鼻で笑う。

「独立愚連隊風情が、詭弁を弄するつもりですか?」

「貴様こそ、金さえもらえれば誰にでも尻尾を振る牝犬だろう」

 からかうようなエルフリーデさんの言葉に、凍若衣さんの目が更に剣呑な光を帯びる。

「…忠告します。いま、私はとても気分が悪い。次に下らない台詞を吐き出すためにその口を開けば、無駄に現世を彷徨(さまよ)う貴女達を、すぐに煉獄(れんごく)に突き落としますよ?」

「フッ…怖い怖い」

 エルフリーデさんは肩を竦めて笑った。

「だが『CERBERUS(サーベラス)』よ、あと一つだけ忠告してやろう」

 凍若衣さんが怪訝そうな顔になる。
 それには構わず、エルフリーデさんはあらぬ方…丘の麓へと目をやった。
 
 ?
 何だ…?
 何かが丘を駆け上ってくる「ドドドド…」という音が聞こえるよーな…

 そして、丘を見下ろしていたエルフリーデさんは、凍若衣さんへと視線を戻すとニヤリと笑った。

「気を付けろ。以前、私も食らったが…()()()()()()()()()()()()?」

「…一体何のこと……ッ!?

 そう言いかけた凍若衣さんが、何かに気付いたように僕の上から飛び退きつつ身構えた。
 そのまま胸元から符を取り出すと、素早く呪文を唱える。

符転剛垣(ふよてんじてかべとなれ)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」

ドドドドドド…バッ!

「見付けたぁぁぁぁぁぁッ!!

 そんな声と共に、何者かが丘を登りきり、太陽を背に宙へと舞う。
 長い黒髪が広がり、影になって分からない顔の中で、二つの黄金の目が僕達を認め、大きく見開かれた。
 そして、凍若衣さんの放った符が、鋼の光沢を放つ障壁に変化するのと、そこに何者かが物凄いスピードで突っ込んできたのは同時だった。
 轟音と共に、障壁が粉々に砕けて降り注ぐ。
 もうもうと立ち上る土埃の中に、二つの影が見えた。
 一つは恐らく凍若衣さんだろう。
 もう一つは…?

「…えっ…?」

 次第に晴れていく視界の中に、僕はよく見知った人物の姿を見た。

「み、美恋(みれん)!?

 そこには。
 花嫁のヴェールを(まと)った妹…美恋の姿あった。

「何…してたのよ…貴女…」

 美恋がそう呟く。
 僕は目を疑った。
 美恋の目が金色に輝いている。
 そして、ヴェールとほつれた長い黒髪の合間から見えるアレは…()()()!?
 言葉を失う僕の前で、美恋はギン!と前を睨みつけた。

「お兄ちゃんを誘拐しただけでなく…馬乗りになって、一体ナニしてたのよ!?

 ……

 ええと。
 まあ、いま冷静になって思い起こせば。
 確かに傍から見ると、()()()()()にも見れなくもないが…
 妹よ、激しい誤解だぞ。

「絶ッ対に許さない…!」

 勝手な妄想で猛り狂う美恋。
 …何か、以前もこんなことがあったよーな…
 一方の凍若衣さんの姿は、土煙に遮られて確認できない。
 どうにか防御壁の展開が間に合い、直撃は避けられたように見えたが…

「…!」

 瞬間。
 土煙を裂いて、巨大な何かが飛び出して来た…!

キキイイイイ!!

 それは百足(むかで)だった。
 ただの百足ではない。
 目視できる限りで10mはある…!
 大百足は巨体に似合わぬスピードで美恋へと迫った。

 いけない!!

「美恋、逃げろ!!

 僕は思わず絶叫した。
 毒牙を剥いて迫る大百足。
 一方の美恋は、立ちすくんだのか逃げる素振りも無い。
 思わず、僕が駆け寄ろうとしたその時。
 美恋は迫る大百足をギロリと睨みつけた。
 そして、

「うるさい!!

ごすっ!

ギイイイイイッ!?

 …

 ……

 ………

 …う、ウソだ…

 い、いま…
 美恋が片手の一振りで…大百足をブッ飛ばしたように見えたんだけど…??
 理不尽極まりない暴力(いちげき)を受けた大百足は、なす術無く呪符へと変化する。
 そ、そうか。
 突然現れたので驚いたが、どうやら大百足は凍若衣さんが放った式神だったようだ。

「バ、バカな…」

 そんな声と共に、土煙の中から驚愕の表情を浮かべた凍若衣さんの姿が現れた。
 直撃は避けたようだが、呪符で生み出した障壁を美恋に砕かれてダメージを負ったのか、ウェディングドレスはところどころがボロボロだ。
 先程まで冷笑を(たた)えていたその美貌も、信じられないものを見るように美恋に釘付けになっている。

「たかが人間が…私の式神を…素手で…!?

「…そこにいたのね」

 美恋の黄金の瞳が、捕食者(プレデター)の輝きで凍若衣さんを射た。
 こ、これは…
 時折、家で見せる冷たい視線よりも遥かに迫力がある…!
 美恋はゆっくりと凍若衣さんへと近付いて行った。

「私を騙して、お兄ちゃんを誘拐して…挙句に()()()()()()まで…」

「は…れんち?」

 ワナワナと震える美恋の誤解に、凍若衣さんも一瞬キョトンとなる。
 美恋は、くわっと牙を剥いた。

「五体満足で帰れると思わないことね、この泥棒猫…!」

「くっ…符転顕刃(ふよてんじてつるぎとなれ)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」

 凍若衣さんが、美恋の迫力に押されたように数枚の呪符をばらまき、呪言を唱える。
 すると、空中で静止した呪符から幾重もの剣が(あらわ)れ、美恋を取り囲んだ。

穿(うが)て!」

 掲げた手を振り降ろす凍若衣さん。
 同時に数十本の剣が、まるで矢のように射出される。
 三百六十度、全方位から迫る刃の群れを、美恋は…

「うりゃあああああああああああああああ…!」

 ガン!ギン!ゲン!ガアン!

 何と。
 最初に飛来した剣を、両手で数本まとめて引っ掴むと、それを振るい、襲い来る刃の雨を片っ端から叩き落とし始めた…!
 持っていた剣が折れると、迷わず投げ捨て、飛来してきた別の剣を引っ掴み、新たな得物にして迎撃していく。
 その動きたるや、もはや明らかに人間業ではない。
 反応するスピードも残像すら見えるレベルだ。

「ラスト…!」

 最後の一射を打ち落とすと、美恋は息一つ乱さずに両手の剣を投げ捨てた。
 そして、呆然となっている凍若衣さんに笑い掛ける。

「…で?」

「な…何て…非常識な…」

 あまりの出来事に、呆然となる凍若衣さん。

「貴女に言われたかないわね、誘拐犯」

 そこで、美恋の目が鋭くなった。

「さあて、もう変身(わるさ)できないように、その首、ひっこ抜いてあげましょうか」

 バキボキと指を鳴らす美恋。
 …我が妹ながら、そういう台詞がシャレに聞こえないところが怖い。
 凍若衣さんは、一旦目を閉じると、観念したように立ち上がり、両手を軽く挙げた。

「…分かりました。降参です」

 美恋の歩みが止まる。

「…何ですって?」

「『降参する』と言ったのです。正直、いまの術をあんな風に破られては、私にも抗する術がありません。よって、ここは素直に降伏をさせていただきます」

 不承不承といった風に、凍若衣さんは続けた。

「私、術理戦には自信がありますが、そもそも戦闘は専門外なのです。こうした荒事は『二の首』の分野ですしね」

「何をわけの分からないことを…」

「とにかく、降伏します。いかようにも好きにしてください」

 その様子に、しばし思案していた美恋は、ゆっくりと凍若衣さんに近付いて行った。

「…ったく。降参するならするで、最初からこんな騒ぎを起こすなってのよ」

 不服気にそう言う美恋。
 その後ろで、一部始終を見ていたエルフリーデさんが呟く。

「まだ()()、な」

 その言葉が終らぬうちに。
 凍若衣さんに近付いていた美恋の足元に、八角形の呪紋が浮かび上がった。

「これは…!?

「言ったでしょう?『術理戦には自信がある』と。呪符だけが“陰陽道”の神髄ではありません」

 言い放ちながら、凍若衣さんが大きく跳び退(すさ)る。

八将神(はっしょうじん)大将軍(たいしょうぐん)”!彼の者を塞ぎ止めよ!」

 印をきりながら、呪紋を指し示す凍若衣さん。
 すると、美恋の動きがピタリと止まった。

「か…体が…動か…ない…!?

 それに凍若衣さんが勝ち誇った笑みを浮かべる。

「“八将神”は陰陽道における方位神のこと。そして、その一柱“大将軍”は『三年塞がり』を司る万事における大凶の神」

 薄い笑みを浮かべながら、凍若衣さんは続けた。

「その方位印の中にいる限り、貴女は全方位に動くことは出来ません」

「く…そ…この…お…!」

 歯を噛み締め、渾身の力で動こうとするも、美恋は彫像ように棒立ちのままだった。

「諦めなさい。貴女の馬鹿力でも、それは破れません。そこで、大人しく見ていなさい」

 そこで、凍若衣さんはチロリと舌を出して指先を舐めた。

「貴女のお兄さんが、私の餌食になるところを…ね」

 呪符を取り出しながら、凍若衣さんは次にエルフリーデさんを見た。

「貴女はどうします…?」

「フッ…お手並み拝見といこう」

 そう言いながら、腕を組んで笑い返すエルフリーデさん。
 ええええええ!?
 助けてくれるんじゃないんですか!?

「果たして、貴様に私の良人(おっと)()るが出来るかな?」

 余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)のエルフリーデさんに鼻を鳴らして背を向けると、凍若衣さんはゆっくりと僕に近付いてきた。

「お待たせしました、十乃さん。さあ、素敵なショーの始まりですよ?」

 怜悧な美貌が喜悦に歪む。
 僕は身動きできずに、立ち尽くしているだけだった。

「妹さんの前で、思う存分聞かせてくださいね…最高の苦悶(ファンファーレ)を…!」

「させ…るか…ああああああああああああああああああッ!!

 瞬間。
 死を覚悟した僕の目の前で、美恋の身体から炎のような陽炎(かげろう)が立ち上る。
 そして、

「こンのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ…!!

ミキ…

「そ…んな…」

 凍若衣さんの表情から笑みが消えた。
 身体を捕える目に見えない鎖を断ち切ろうとするように、身をよじる美恋。
 その足元に展開された八角形の方位印が(きし)みを上げる。

「破ろうというの、アレを…!?

 呆然となる凍若衣さんに、エルフリーデさんが告げた。

「寝ぼけているのか?『CERBERUS(サーベラス)』」

 聞き咎めるように振り向く凍若衣さん。
 エルフリーデさんは腕を組んだまま笑った。

「見ての通り、奴は『鬼族』の類だ。貴様も知っているだろう?奴らは人間が定めた『方位』の外から来るモノ共だ。連中を方位印の中で無力化したいなら、()()()()を閉ざさなくてはならん」

「…『鬼門(きもん)』!」

「そうだ。丑寅(うしとら)…つまり、北東の方位を塞がない限り、連中は方位印の中で力を失うことはない」

 そう言いながら、エルフリーデさんは面白そうに笑った。

「そら、どうする?もうすぐ自由になるぞ?」

 エルフリーデさんの言葉通り、方位印の中で美恋の動きが徐々に滑らかになっていく。
 それと同時に、その足元の方位印が、少しずつ崩壊を始めていた。

ミキ…ミキミキ…!

 その様を見ていた凍若衣さんは、一つ嘆息した。

「冗談じゃありません。脳筋の鬼族と肉弾戦など、それこそ『二の首』の分野です」

 そう言いながら、手にした呪符をしまう凍若衣さん。
 そして、僕の方をじぃっと見詰めてくる。

「…命拾いしましたね、十乃さん。その命、しばし預けておきますよ」

「…」

「勘違いしないように。万全の装備なら、このまま仕事を続けてもいいのですが、今日はその装備がないだけです」

 そう言いながら、凍若衣さんは鋭い視線を向けてきた。

「私はプロです。ですので、次に出会った時こそ、仕事は確実にこなします。よく覚えておいてくださいね」

 そう言うと、今度はエルフリーデさんを見やる凍若衣さん。

「貴女もです。次はありません。今度私の前に現れたら、そのドス黒い魂魄を地獄の釜を焚く(たきぎ)にしてさしあげますよ?」

「フッ…()に銘じておこう」

「…元より無い癖に」

 薄く笑うエルフリーデさんに、鼻を鳴らす凍若衣さん。
 そして、一枚の符を取り出して呪言を唱える。
 符は一瞬で巨鳥へと変化した。
 その背に乗りこむと、凍若衣さんは僕を見下ろした。

「十乃さん、()()()()()()()()()。必ず、ね」

 冷笑を浮かべると、凍若衣さんはそのまま宙へ舞い上がる。

「に、逃がすかあああああ…!」

 遂に自由を得た美恋が追いすがるも、巨鳥は既に空高く飛翔している。
 美恋は空を見上げたまま歯噛みしていたが、不意にその身体をぐらつかせた。
 ハッとなる僕。

「美恋!?

 僕は慌てて駆け寄った。
 そして、崩れ落ちる寸前に辛うじてその身を抱き止める。

「…お…兄…ちゃ…ん」

 僕を認めると、美恋は安堵の笑みを浮かべた。

「無事で…よかった…」

 そして。
 ゆっくりと目を閉じる。
 ボロボロになったヴェールと黒髪が風に揺れた。
 その下から覗いていた二本の角は既に見えない。
 いつもの美恋だった。

「美恋…?」

 僕の呼び掛けに、美恋は軽い寝息で応えた。

「ふふ…まるで、幼子のようだな」

 それを見たエルフリーデさんが、クスリと笑う。
 僕はその髪を優しく撫でて囁いた。

「お疲れさま…美恋」

 ふと、遠くから鐘の音が聞こえた。
 時報代わりに鳴らされている、園内にある鐘楼の鐘だろう。

カラ―ン…
カラ―ン…
カラ―ン…

 白亜の神殿の中、天と地に輝く蒼い空と彼方の海が僕らを包む。
 鳴りやまぬ鐘の音。
 それは、長い戦いを終えてまどろむ花嫁達に向けられた、祝福の鐘(ウェディング・ベル)のように優しく鳴り響いていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

■十乃 巡(とおの めぐる)

 種族:人間

 性別:男性

 「妖しい、僕のまち」の舞台となる「降神町(おりがみちょう)」にある降神町役場勤務。

 主人公。

 特別な能力は無く、まったくの一般人。

 お人好しで、人畜無害な性格。

 また、多数の女性(主に人外)に想いを寄せられているが、一向に気付かない朴念仁。


イラスト作成∶魔人様

■黒塚 姫野(くろづか ひめの)

 種族:妖怪(鬼女)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 人間社会に順応しようとする妖怪をサポートする「特別住民支援課」の主任で、巡の上司。

 その正体は“安達ヶ原の鬼婆”こと“鬼女・黒塚”。

 文武両道の才媛で、常に冷静沈着なクールビューティ。

 おまけにパリコレモデルも顔負けの、ナイスバディを誇る。

 使用する妖力は【鬼偲喪刃(きしもじん)】


イラスト作成∶魔人様

■間車 輪(まぐるま りん)

 種族:妖怪(朧車)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(送迎・運転担当)。

 その正体は“朧車(おぼろぐるま)”

 姉御肌で気風が良い性格。

 本人は否定しているが、巡にほのかな好意を寄せている模様。

 常にトレードマークのキャップを被ったボーイッシュな女性。

 使用する妖力は【千輪走破(せんりんそうは)】


イラスト作成∶魔人様

■砲見 摩矢(つつみ まや)

 種族:妖怪(野鉄砲)

 性別:女性

 降神町役場勤務。

 特別住民支援課保護班に所属(保護担当)。

 その正体は“野鉄砲(のでっぽう)”。

 黒髪を無造作に結った、小柄で無口な少女。

 狙撃の達人でもある。

 自然をこよなく愛し、人工の街が少し苦手で夜型体質。

 あまり表面には出さないが、巡に対する好意のようなものが見え隠れすることも。

 使用する妖力は【暗夜蝙声(あんやへんせい)】


イラスト作成∶魔人様

■三池 宮美(みいけ みやみ)

 種族:妖怪(猫又)

 性別:女性(メス)

 降神町に住む妖怪(=特別市民)。

 正体は“猫又(ねこまた)”

特別住民支援課の人間社会適合プログラムの受講生の一人。

 猫ゆえに好奇心は旺盛だが、サボり魔で、惚れっぽく飽きっぽい気まぐれな性格。

 使用する妖力は【燦燦七猫姿(さんさんななびょうし)】 


イラスト作成∶きゃらふとを使用

■妃道 軌(ひどう わだち)

種族:妖怪(片輪車)

性別:女性

 走り屋達が開催する私設レース“スネークバイト”における無敗の女王。

 正体は“片輪車(かたわぐるま)”

 粗暴な口調とレースの対戦相手をおちょくる態度で誤解を生み易いが、元来面倒見が良く、情が深い。

 使用する妖力は【炎情軌道(えんじょうきどう)】


※「片輪車」の呼び名は、資料に忠実な呼び名を採用しており、作者に差別的な意図はございません。


イラスト作成∶Picrewを使用

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み