【百四丁目】「あざーす!!!」
文字数 6,467文字
僕…
「どうぞ。ホットティーでございます」
トレイに乗せた紅茶や日本茶を、訪れた来客に差し出す。
最初は、お茶菓子を出し忘れたり、ポットのお湯を切らしたりと細かい失敗もしていたが、しばらく接客をしているうちに徐々に慣れて気がした。
先程、女子職員一同から叩き込まれた「執事のイロハ」が功を奏したのかも知れないが、実はこうしたウェイター自体は経験がある。
学生時代に、アルバイトや学園祭で、こうした役回りを務めたことがあったのだ。
お陰で、最初よりは周囲の様子などに気を配る余裕も出てきた。
「よぉ、どうだい、調子は?」
この「深山亭」の主人でもある
降神町役場の新人職員一同、各々が慣れない接客に悪戦苦闘している中、比較的余裕のある僕や
僕は苦笑しつつ、
「まずまずです。やはり、役場の接客対応とは違いを感じますね」
「俺はこっちのが天職のような気がしてきたッス」
そう言いながら、胸を張る雄二。
実際、コイツの接客対応は見事の一言だった。
にこやかな笑顔での出迎え。
率先して荷物を持つ気配り。
雑談・世間話のやりとり。
老若男女全てに実にそつない対応でこなしていく。
小さい子と
女子大生の一団と一緒に記念の写メを撮ったりしているのを見た時は、付き合いの長い僕でもさすがに唸ったものだ。
恐らく、雄二のそうした動きを見ていたのだろう。
力也さんは豪快に笑った。
「がはははは、そうだな!お前さんは実に見所がある!役場をクビになったら、うちで雇ってやるぞ!」
「あざーす!」
役場をクビって…ほぼ不祥事が原因なんじゃないかな。
そう心の中で、笑い合う二人にツッこんでいた時だった。
「何をするか、貴様!!」
客間の一室から、そんな胴間声が響いてくる。
同時に、か細い女性の悲鳴が聞こえてきた。
僕達は顔を見合わせて、その部屋に駆け込んだ。
「どうしましたか、お客様?」
そう言いながら、室内を覗き込む僕。
そこには、一人の中年の男性客と、仲居姿の役場の女子職員が二人、身を寄せて縮こまっていた。
先程の声の主らしい男性客が、ジロリと僕を見る。
「どうしたもこうしたもない!この仲居が、儂にお茶を引っ掛けたんだ…!」
仲居の一人を指差す男性客。
僕は男性客の全身を確認するが、彼の背広のどこにも染みらしきものはない。
「ええと…見たところ、どこも濡れていないようですが…」
「あん?どこに目を付けておるんだ、貴様は!」
男は右の袖口を見せつけてくる。
見れば、確かに僅かに高級そうな背広の袖が濡れている形跡があった。
しかし…
どう
「あの…失礼ですが、お客様。これを僕…いえ、私共の仲居が?」
「当然だ!」
偏屈そうな中年男性は、威張りくさった口調で僕をねめつけた。
「この仲居がお茶を出している最中に気付いたんだ!どうせ、こいつがお茶をこぼしたに決まっている!」
そうして指差された女子職員には見覚えがあった。
“コサメ小女郎”は、紀州日高郡龍神村(現・和歌山県日高郡田辺市)に伝わる
伝承では美しい女性に化け、人を水辺に誘い出し、水中に落として襲うという。
が、実際の彼女は小柄で大人しい性格の女の子だ。
外見も“コサメ小女郎”としての特徴である蒼い瞳と、耳の横からちょこんと出ている人魚にあるような
可哀想に、早瀬さんは怒鳴り散らす男性客の迫力に身を
「あの!私、ずっと一緒にいましたけど、この娘はお茶をこぼしたりはしてません!」
そんな彼女を
彼女も早瀬さん同様、僕の同期だ。
快活な子で、
今回の研修では、女子職員は常に二人組で接客に当たるようになっており、この部屋の接客は織原さんと早瀬さんの二人が担当していた。
毅然とした織原さんのその言葉に、男性客は収まりがつかないように言い返す。
「じゃあ、何で儂の背広が濡れるんだ!?」
「それは…!」
言い合いになる前に、僕は慌ててその間に割って入った。
興奮している相手には、例え正論で言い返しても効果は薄い。
落ち着いて、
「すみません、お客様。私共の方に明らかに過失があったならお詫びいたします」
「ほう…貴様は話が通じそうだな」
男性客は頭を下げる僕に、見下すような視線のまま続けた。
そして、ニヤリと笑う。
「ならば、ここですぐに謝ってもらおうか…まあ、儂は心が広いから、土下座で許してやろう」
その言葉に、僕は思わず歯を噛み締めた。
くそ。
本当に嫌な客だ。
嫌だが…仕方が無い。
ここで抵抗しても、深山亭に迷惑を掛けることになるだろう。
僕が我慢すれば、この場は凌げる。
唇を噛み締め、片膝をつこうとしたその時、男性客が言った。
「待て。誰が貴様に謝れと言った?」
「え?」
「謝るのは、そっちの娘だろう」
そう言いながら、男性客が早瀬さんへ視線を向ける。
早瀬さんは、目を見開いて息を飲んだ。
それに男性客は侮蔑の視線を向ける。
「どうした?やっぱり、妖怪風情は人様に謝罪も出来んのか?」
「あ…」
突然の事に身を震わせる早瀬さん。
男性客が、サディスティックに笑う。
「ふん!やれ妖怪保護だ、希少種族だ、などともてはやされてはいるが、所詮『化け物』は『化け物』という訳か。そんなザマで儂ら人間と対等に暮らそうなどとはな。身の程を知れ『化け物』が…!」
その時。
僕は一体どんな顔をしていたんだろうか。
覚えているのは、一筋の涙を流す早瀬さんの悲しそうな顔。
あとは、目の前が真っ赤になるような…純然な怒りだった。
無意識に拳を握り締め、思わず身を乗り出そうとする僕。
しかし、その肩を誰かが強引に後ろへと引いた。
そして、その誰かは僕と入れ替わるように前に出て、
「どうもスミマセンッした…!」
雄二だった。
半纏姿の雄二が、畳に伏せ、深々と頭を垂れている。
目を見開く一同。
それにも構わず、雄二は続けた。
「当方のミスで、お客様にご不快な思いをさせてしまい、本当にスミマセンでした!以降、当室の担当は自分達が行いますので、一つご勘弁ください!」
大声でそう謝罪する雄二。
空手で気勢を上げる声よりもなお大きい。
部屋中どころか、旅館全体に響きそうな声だ。
それを聞きつけたのだろう。
廊下が騒がしくなり、部屋の前に他の宿泊客が集い始める。
それを見た男性客が顔をしかめた。
「おい、止めろ!誰が貴様に謝れと言った!?儂はその娘に…」
「いいえ!!この深山亭で働く者として、お客様のお許しが出るまで、この頭は上げられません!!」
「~ッ…!!」
更に大きな声を上げる雄二に、男性客はゆでダコのように顔を真っ赤にする。
が、更に増えつつあるギャラリーの視線に気付き、
「ええい、もういい!許す!許すから、とっとと出ていけ!」
「あざーす!!!」
そう言いながら直立不動で立ち上がると、雄二は勢いよく男性客へお辞儀する。
そして、僕や早瀬さん達に目配せした。
廊下に出た僕達を尻目に、雄二はトドメとばかりに室内に向けて愛想の良い笑顔と大音量の声を放った。
「では!!!!失礼します!!!!御用があれば、自分達に何なりとお申し付けくださいませ!!!!」
「いちいち、やかましいっ!」
そんな声を背中に、雄二は僕にウィンクしたのだった。
…こいつ。
僕は心の中で「サンキュー」とだけ呟いた。
-------------------------------------
その後、ちょうど休憩時間となったため、僕と雄二、早瀬さんと織原さんの四人は、力也さんの計らいで空き部屋へと移動した。
外には夕暮れの光を受けた山々の紅葉が、美しい姿を見せている。
力也さんが
「はっはー!あー、スッキリした!」
ニカッと笑う雄二に、僕はジト目を向ける。
「まったく…いきなりデカい声出して。耳がおかしくなりそうだよ」
「いやあ、悪い悪い。つい、な」
まったく悪びれていない雄二と呆れ顔の僕に、早瀬さんがおずおずと頭を下げる。
「あの…二人共…ごめんね、私のせいで…」
か細い声で目を潤ませる早瀬さんに、僕は慌てて言った。
「謝らないでよ!あれはどう見てもクレーマーだし、僕はああいうの慣れてるし。それに、
「そうそう。まだまだノルマが…って、おめー、人を何だと思ってんだよ…!?」
思わず頷きかけた雄二が、僕の頭を軽く叩く。
そんな僕達のやり取りを見た早瀬さん達は、ようやく顔をほころばせた。
「でも、酷いよね!あんな言い方って、なくない!?水愛はちゃんと接客してたのに…!」
憤慨したように織原さんが不満を漏らす。
その意見には賛成だ。
けれども、妖怪保護の風潮が強いと言われる現在でも、ああいう妖怪蔑視の人間はまだ多い。
降神町役場の人間社会適合セミナーを頑張って卒業しても、その努力がそうした心ない差別で無為に帰す例も僅かだが存在する。
僕の脳裏に前に「
彼の話では、姉の
あの一件以来、全く音信不通になった彼だが、いま何処で何をしているのだろうか…?
「何だよ、
お茶を口に含みつつ、飲みほしながら雄二は、織原さんに事もなげに告げた。
「あのおっさん、
その名前に、僕達は目を剥いた。
「えっ!?あの政治家の!?」
「確か、特別住民(ようかい)排斥派の一人だよね!?」
そういえば、改めて思い起こせば、どこかで見たことがある顔だった。
驚く僕と織原さんに、それまで黙っていた力也さんが言った。
「そういうこった。
「力也さん、知ってたんですか?」
僕が聞くと、力也さんは頷いた。
「まぁな。テレビでも何度か見たし、あのいけ好かねぇ顔は一度見たら忘れねぇよ」
「じゃあ、何で泊めたんです!?あの人、妖怪嫌いで有名じゃないですか!?」
非難するようにそう言う織原さんに、力也さんは腕組みしながらピシャリと言った。
「何だぁ?今の降神町役場じゃあ『妖怪嫌い』ってだけで客を追い返すように教えてんのか…?」
「そ、それは…」
口ごもる織原さんに力也さんは静かな声で告げた。
「いいか、お前ら。客を迎えるってのはな、いわば正々堂々の真っ向勝負みたいなもんよ。特にこういう商売をやってりゃあ、それこそやって来る客も千差万別だ。いちいち選り好みなんてしてたら、成り立たねぇだろうが」
力也さんの言葉はもっともだ。
もし、うちの役場にそうした特別住民(ようかい)嫌いの来庁者が来たとして、問答無用で追い返すということは出来るわけが無いのだ。
更に言えば、役場にクレームを持ち込む来庁者は多い。
中には自分勝手な意見を述べるばかりで、役場の都合や皆で定めて、守っている条例・規則などお構いなしで文句を言ってくる人もいる。
そうした理不尽な来庁者を、問答無用で追い返すのは(心情的な部分はともかくとして)許されるものでもないのだ。
「ましてや、気にくわないから一発くれてやろうなんてもってのほかだ」
ジロリと僕を見る力也さん。
う…バレてる。
た、確かに、あそこで雄二が止めてくれなかったら、僕はとんでもない過ちを犯していたのかも…
力也さんは続けた。
「まあ、目に余るような奴なら、こっちも然るべき手段を講じる必要はある…けどな、色眼鏡だけで見て、下手にそういう手合いを追い返してみろ。そういう連中に限って、声高に叫ぶもんさ…『やっぱり、特別住民(ようかい)は人間社会になじむ気はない』ってな」
そして、力也さんはニッと笑った。
「そうなったら、他の
「力也さん…」
僕は目からうろこが落ちた気分だった。
僕は妖怪が大好きだ。
彼らは古くから闇夜に生きた、ある意味、人間の天敵である。
が、同時に遥か昔から人間達と共に歩んできた「道連れ」みたいなものだと思う。
そして、彼らは純朴で、今は人間達から失われた大切なものをちゃんと守って、現代に生きている。
僕には、それは僕達人間にとって、とても尊いもののように感じられるのだ。
だから、彼らを理解しようと思う。
人類にとって、再び巡って来た隣人との歩みを、良い形にできればと思う。
それで人と妖怪が、一つの社会で結ばれれば、きっと素晴らしい未来が開けるのではないだろうか。
だから、それを否定する黒田さんのような人間が許せなかった。
分かりあうために差し伸べられた手を取ることもなく、偏見や差別で払い除けるようなやり方が気に食わなかった。
それでも。
力也さんのように、辛抱強く僕達人間を待ってくれている妖怪がいる。
それがたまらなく嬉しかった。
「いざとなりゃあ、俺が出張るつもりだったんだが…ま、今回は七森の坊主のお手柄ってワケだ」
「別にそんなんじゃないッスよ。俺だって、水愛ちゃんを差別しやがったあのクソ野郎を叩きのめしたかったし」
力也さんに背中を叩かれ、むせりながら苦笑する雄二。
そして、手をまわし、僕と肩を組みながら言った。
「ただ、ああ来たら、妖怪好きの
「雄二…お前」
恐らく雄二は、いち早く黒田さんの素性に気付き、かつ、妖怪を悪し様に言われて、僕が暴走するのを予測したのだろう。
そこで、あんな風に身代わりになって土下座をしたんだ。
やれやれ…これは本当にデカい
雄二とは保育園からの長い付き合いだけど、こんな風に僕のフォローに回ってくれたことはままあった。
だから、こうして腐れ縁になっているのだ。
まあ、それ以上に僕がフォローすることの方が多いのだが…
すると、感心したように織原さんが言った。
「へぇ…七森君ってバカばかりやってるかと思ったら、案外鋭いじゃん!見直したわ」
「『案外』は余計だ。それに、デキる男ってのはな、ここぞって時にビシッと決めるもんなのさ」
そう言うと、雄二は親指を立てて、ニヒルに笑う。
「そういう訳だから、あんなの気にすんなよな、水愛ちゃん!」
「う、うん…ありがとう、七森君…」
…おや?
早瀬さんの顔が、真っ赤だ。
が、肝心の雄二は気付いた風もなく、バカ笑い中である。
そんな雄二を、早瀬さんは真摯な眼差しで、見詰めていた。
…これは…もしかして…
ゴーン…
その時だった。
どこか遠くから、夕刻を告げるお寺の鐘の音が響く。
それを耳にした力也さんの顔から、笑み消えた。
「…
真剣な表情で、山並みを見詰める力也さんに、全員が顔を見合わせた。
「力也さん?」
ゴーン…
静かな鐘の音が再び響く。
それに聞き入るように、無言で立ち尽くす力也さん。
その姿に、僕は言い得ぬ胸騒ぎを感じたのだった。