第一章 【ヒビキ】(2/8)

文字数 2,411文字

 やっぱり、仮眠室のソファーベッドじゃ熟睡できない。このコーヒーまずー。なんだって厚生室の「挽きたてアルカイックコーヒー」はこんなにまずいのかね。目も覚めないっての。ここの厚生室いらないからシャワールームにしてくれないかな。シャワーなら一発で目が覚める。シャワールームは一応あるけど別棟の端の方だし、男子専用みたいになってるから行くの嫌なんだよね。
 厚生室ってば、バランスボールとか足裏ツボ踏みボードとか置いてあるけど、なんなの? しかもツーセットも。あんなの使うの社長に怒鳴られた北村シニアマネぐらいしょ。ボールに座って30分はぶーらぶーらしてる。まるで刑期が終わるの待ってるみたいにさ。そっか、なるほどこれこそ真のコーセー室だ。更生室なんてね。うわっ、あたしおやじギャグ言ってるし。オヤジ連に毒されて来てる。やっば。
 この部署、企画戦略室って聞こえはいいけど、創業の功労者たちの慰安施設みたいになってる。いるのはおじーちゃんばっかり。会話って言っても、口開けば二言目にはダジャレ、三言目には昔話。やんなるよ。あれ? 社長だ。今日、早いな。

「ヒビキ、ちょっといい? 社長室に」
「社長。おはようございます」
「あんた、その頭。また泊まったの?」
 なんかなってる?
「寝グセ。後ろはねまくってるよ」
 あ、ホントだ。
「あー、こうしてうちがブラックって噂が巷に広まっていくんだな。勘弁してよね。ヒビキは今日は休み。早々に帰宅しなさい」
「え? そうなんですか? さっきの、ちょっといいはどうします?」
「あ、そーだった。じゃ、ちょっとだけ。おい、北村。あとで社長室来いな。今じゃねーよ。あとでって言ったろ。ボケ」

 うちの社長室はシンプルだから好きなんだよね。無駄なものが一切置いてない。現代絵画とか、洒落た写真とか、見たこともないような観葉植物とかない。これみよがしに置いてある女性社長の部屋の写真、『プレジネス』に載ってたりするけど、あれは板についてないっていうか、おのぼりさんの記念撮影にしか見えない。似合わねーのにひらひら付いたピンクのおべべ着せられちゃってさ。あんたらさ、そんな余計なもん見向きもしなかったから這い上がれたんじゃねーの、って思う。
「あのね、ヒビキ。これはホントーに秘匿事項だから、口外は無用にしてほしいんだけど」
「殿。またコロシですか?」
「冗談じゃなく、カスがやらかしたみたいなんだよね」
 え? なにそれ。会社のSNSで釣りのことばっかり書いてる、怠け者で遊び人、浮気者のほっかむり男、引き籠りのセーヘキ持ち、自称起業家の不良債権、社長にとっては役立たずの共同経営者にして配偶者の会長がですか?
「今朝、お手伝いさんから渡されてね。これなんだけどさ」
 なに、このガラケー。折り畳み? じゃないな。これ、どうやって使うんだろ? あ、すみません。スライドさせるのか。こんな機種あったんだ。しかし、パールピンクにド☆キンちゃんのストラップって、極め付きのレディース仕様だな。
「これが、どうしたんです?」
「カスのパーカーのポケットに入ってたって、今朝。このハンカチと一緒に」
 レースのハンカチ。小さな青い花模様が乙女チックで、ネームは、……なしと。
「ちょっと、内々に調べてくれないかな」
 きたきた。社長の気まぐれ絶対命令。期限は社長が次に思い出した時。
「なんであたしなんでしょう?」
 釣りに(かま)けて違うものひっかけたんじゃ。わー、またオヤジみたいなこと考えてる、あたし。
「悪いんだけど」
「でもですね」
 会長の浮気なんて社長の眼中にあるわけないな。とすると、ハンカチに付いてるかすれたような赤黒いシミのほうか。
「わたしには手に負えそうにない。だからヒビキに頼んでるわけ。内々に」
 会長は社長の鬼門ですもんね。それに、これ以上は断るな光線が出てますよ、社長の目から。よ! は! よけらんない。
「ヒビキ、なにやってる?」
「あ、すみません。その件お受けしますけど、他とバッティングすると」
「あ、それは大丈夫。仕事じゃないから、これは」
 って、人はだれしもそうだと思いますけど、一応あたしの時間軸も一本なんですけどね。
「わかりました。でも、少し時間をください」
「もちろんよ。ヒビキがこの企画戦略室のなかで一番忙しいのはよく知ってるつもり」
 なら、他の人に振ってくださいませんかねって、無理か。
「じゃあ、日程感は今月中とかっていうのでいいですか?」
「いや、3か月あげる。それまでに解決して頂戴」
 なにをですか? とっかかりも見えてないのにいきなり。って言っても無駄なようなので。
「わかりました。3か月のプロジェクトということで。稟議書あげなくていいですかね」
「いいわよ。それでお願いした」
「ドキュメントの提出は、完了届だけということで」
「OK。じゃあ、ヒビキはすぐ帰りなさい。今日はゆっくり休んで、明日からまた頑張ってちょーだい」
「了解です。これ預かりますね」
 ばりレディース仕様のガラケー。
「うん、持って行って。返さなくていいよ。終わったら雄蛇ヶ池にでも捨ててね」
「して殿、報酬は?」
「近江屋、おぬしも悪よの。望みを言え」
「では、厚生室をシャワールームに」
「ヨキニハカラエ」
「失礼しました」
「あ、ヒビキ。北村呼んでくれる。どーせ忘れてるから、あのボケ」
 北村シニアマネ、カワイソーニ。なんだか社長の水平リーベ棒にされてる感じ。

「便利化学社の健康グッズ
 『水平リーベ棒』
あなたの乱れたココロを水平に保ちます」

 そういえば、子ネコちゃんどうしてるかな。ミルクあげに行きたくなってきた。今夜行ってみようかな。あたしの水平リーベ棒に会いに。
「くおら、北村! テメーちの屋号は『遅延証明』か? いつになったら、企画書上げてくんだよ。っていうか、企画書作ってねーだろ! はやく作れや。今日中だ!」
 あーあ、これは、バランスボール1時間コースだよ。
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