西風・Ⅱ
文字数 4,052文字
快晴とは行かず、灰雲のどんよりとした空。
西風の里は老いも若きも着飾って、お祝いムードに浮き足立っていた。
広場で菓子が配られ、子供達がそれを持って嬉しそうに駆けて行く。
「子供の笑い声が聞こえるな」
自宅の広間で重い衣装を着付けられたルウシェルが、首だけ動かして窓の外を見ようとする。
「おめでたい日ですからね」
ピンで髪を整える女性が、頭の位置を戻しながら忙しない口調で言った。僧正の縁者と言うが、ルウとはあまり面識がない。少なくともピンが肌を突くと痛いという事を知らない人種ではあるようだ。
この日彼女の側からは、親しい者は様々な理由を付けて遠去けられていた。
「はい出来ました」
「母者に見せて来る」
「あまり動くと崩れちゃいます」
「……花嫁の、母だぞ」
高く結った髪を屈んでくぐらせ、母の寝室に入る。
「母者、どうだ?」
相変わらず反応のない母に、ルウシェルは一回転して見せ、独り言のように呟いた。
「子供達が笑っている。それは良いコトなんだろう?」
儀式の場所は、里奥の大池の前の古い聖域に建つ、白い小さな祭祀場。
メインの道々で、子供達が花を投げようと準備をしている。
女性陣が歓声を上げた。
花嫁が姿を現したのだ。
介添えの老婆達に囲まれて、ゆっくりゆっくり、里の道を歩いて来る。
祭祀場の中に設えられた祭壇の前には、既に花婿という人物が待っている筈だ。
元老院の者達もその周辺に陣取っている。
(……??・・・ 誰の婚礼の儀式だっけ? ……ああ、私のだ……・・・)
ルウシェルはボゥッとしていた。ピンでひきつめられた頭がとにかく痛い。
里の景色が見た事もない物に感じられ、子供達の投げる花がスローモーションでくるくる回る。
遠くの砂丘の遺跡に、三人の少年と一人の大人の影。
「あああ! もう始まっちゃうよ!」
「やっぱ僕が行くよ!」
少年達はヤキモキと地団駄を踏んでいる。
「駄目ですよ、決闘の権利を勝ち取ったのは私ですからね~~ ふふふのふ」
「大長、本気なんですか?」
大長の術で、この遺跡からも、結界に覆われた西風の里が見渡せている。
婚礼衣装に身を包んで別人のようなルウシェルも、はっきり見える。
こんな時じゃなかったら、もっと見惚れていたいのに。
「まぁ考えてもご覧なさい、ユゥジーン。今私が乗り込んで、婚礼に異議を申し立てて花婿に決闘を申し込んだら、どうなりますかね?」
「…………」
ユゥジーンは唾をゴックン呑み込んだ。
蒼の里の二代前の長、プラチナ血統の保持者、術力はオールマイティ、しかも西風の里再建の功労者でもある。
元老院どころか西風の里の誰一人として断る理由がない……むしろ、里の将来を思う者にとっては願ったりじゃないのか?
用意されている花婿がイノシシでもない限り、決闘なんて物騒な事態には至らないだろう。
「そりゃ丸く収まるでしょうけれど…… マジでルウシェルと一緒になりたいんですか?」
「ふふふ、いいですねぇ、あんな素敵な娘はそうそういません。現に貴方達のように、彼女を心配して遥々(はるばる)駆け付ける者がいる。嬉しいですよね、ねぇハトゥン」
少年達が振り向くと、遺跡の柱の影から、黒ずくめの男性がヌッと現れた。
目付きがが悪く、身体中筋肉と古傷だらけの、細い路地ですれ違ったら壁に張り付いて避けたいタイプだ。
ドスのきいた声で苦々しそうに応じる。
「その前に聞き捨てならん台詞を聞いたような気がするが……まぁ、俺はただ、あいつらが度を越さぬよう監視に来ただけだ」
ど、どなたですか? と少年三人が聞く前に、西風の里の方で悲鳴が上がった。
***
「きゃあああ!」
まず里の入り口で、里娘の甲高い悲鳴。
次いで、ドカドカと乱暴な蹄音。
灰色の騎馬に跨がった五人ばかりの少年が、柵を飛び越えてなだれ込んで来た。
砂の民の集落でルウシェルとつるんでいた面々だ。
「嬢を花嫁にしようってぇ勇者様は何処だ!?」
「決闘に来てやったぜ!」
「俺ら全員相手にして立っていられたら認めてやらぁ!」
祭祀場を目前に、ルウシェルは騒ぎをぼんやり遠くに聞いていた。
とにかく髪が痛い、ジンジンする。針山のようなピンを一秒でも早く抜き捨てたい。
え……っと……なんだっけ……??
老人やその身内達が、早く建物に駆け込めと叫ぶ声が、耳の奥でゥワンゥワンと響く。
・・はやく・・祭祀場の入り口をくぐれば・・神域に身を入れれば・・婚姻は成立する・・・
ああそうか、ならば早く入らねば、早く済ませてピンを外そう。
介添えの老婆や、あと多くの手が伸びて、祭祀場へ押しやられる。
――きゅっ・・と
右の手を、握る手がある。
その手が反対側へグイと引く。
振り向かなくても、その手が誰の物か分かった。
次の瞬間
ルウシェルは何の考えも打算もなく、水が流れるようにその手に従った。
引き留める幾本もの手を振り切って、踵を返して駆け出す。
窮屈な金糸の靴を放り脱いで三歩駆けると、あれほど痛かったピンがすべて弾け跳び、碧緑の髪が解放された歓びになびいた。
風が流れる。
気持ちの良い風。
その場の者々すべて置き去りに、ルウシェルと手の主は、羽根が生えたように里の道を駆け抜けた。
「追え! 追うのじゃ!」
我に返って追い掛けようとした者々の前に、灰色の騎馬達が立ち塞がった。
「おらぁ、俺達の用事が済んでないぞ!」
「花婿を出せぇ、花婿を!」
そうこうしている間に、里の裏側の厩から、略奪者の馬が花嫁を前に乗せて飛び立った。
「追うのじゃ、行かせるなぁ……」
僧正が力無く叫んだが、里の若い者達は、動かず立ち尽くしていた。
咄嗟にシドが引き出して渡してくれた馬は、手綱だけで鞍を付けていなかった。
馬主の懐で横乗りのルウシェルは、たてがみにしがみ付きながらボソリと言う。
「飛ぶのは苦手じゃなかったのか?」
「……そうでした」
「凄い事するな……ソラ」
緊張の指で手綱を握る青銀の髪の青年を見上げると、真ん前を見据えて唇をカタカタと震わせている。
「……分かりません……気が付いたら手が出ていたんです」
「そうか……」
***
遺跡の石の床に佇む四つの影。
前列に座り込むフウヤとヤンとユゥジーン、そして後ろに背の高い大長。
ハトゥンは、灰色の騎馬達が羽目を外し過ぎなのを見て、舌打ちしながら駆け下りて行った。
「ほぉらね、心配しなくても大丈夫だったでしょう?」
「はぁ……(あれは大丈夫と言うのか?)」
「皆で申し合わせて仕組んでいたの?」
「いえいえ、おそらくは各々が思うままに行動した結果です。ナーガも何となく予見していたんじゃないですかね」
「ソラがルウを助けるって?」
「誰が、じゃなくて。あのルウが誰にも助けられない訳は無いって」
「そんな、あやふやな」
「現に、貴方達だってこうして来ているじゃありませんか」
「…………」
少年三人は改めて、空を行く二人乗りの騎馬を見やった。
ソラの愛馬のパロミノは、空に溶けそうな淡いクリーム色。
前に乗るルウシェルが自分達に気付き、興奮してソラに伝えている。
騎馬はゆっくり下降して、遺跡横の砂地に着地した。
「ヤン! フウヤ! えっと、ユゥジーン!」
少年少女は、しばし再会を喜び合う。
鷹の通信で改名は知らせていたが、ルウシェルに呼ばれるとユゥジーンは、またこの名が自分に沁み込んだ気がした。
ヤンは赤メノウの腕輪をルウに渡し、抱き付き攻撃を喰らって、年数分変化した彼女の増えた部分に気圧されて、色々ちょっと大変だった。
「それで、ソラ」
大長が畏まって、青銀の髪の青年に向き直った。
あ、励ましてハッパ掛けたりするのかなと、少年三人は一歩退いて静かにした。
「私、ルウシェルに求婚しようと思っていましてね」
はあぁ――――!!??
その話、冗談で終わったんじゃなかったの!?
「元老院は黙らせられますし、砂漠の地での西風の立場も強固になる。蒼の里との絆は深まるし、悪い事は何一つありません」
「はい、そうですね」
無表情の青年が、半眼でサラリと答えた。
少年達の隣に立つルウシェルが、顔を強張らせてビクンと揺れる。
彼女が何か言う前に、ソラは両手をスゥッと頭上に掲げた。
――?? 何を??
足元の砂が細かく震え、やがてザワザワと浮き上がる。
空中から光の粒子が集まり、両手に魔力の結晶が出来上がって行く。
「何をやってるんですか、何を――っ!」
ユゥジーンが泡食って叫ぶが、大長は目を見開いて、口角を上げている。
「私に決闘を挑むって事ですね」
彼の群青の髪も一気に逆立つ。
「はい、手合わせ願います」
「勿論!!」
勿論じゃないよ!
ソラの魔力は緑の槍の形を作り、チリチリと物騒な音を立てる。
当たり前だが、昔ルウの作った物より何十倍も強力そうだ。
対峙する大長は、両手を前に翡翠色の魔力を溜め、完全に迎え撃つ体制。
何考えてんだこのヒト達!
ユゥジーンは慌ててルウシェルを庇いながら後ずさり、ヤンもフウヤを引っ張って目と耳を守った。
――キュン!!
青銀の妖精の槍が軌跡を描いて飛ぶ。
大長なら軽くいなすだろうと思っていたら、彼は微動だにしない。
危ない――――!!
少年達の悲鳴は、大長の後方で音もなく迫っていた波紋の、鈍い轟音にかき消された。
息を呑む少年達の前で、槍は光を放ちながら、渦を反転させて蹴散らし、消滅させた。
「美しい槍でした」
大長は両手の魔力を散らせながら、ケロリと言った。
槍を投げた体制のままのソラは、真剣な表情だ。
「大長様、何なのです、それ。以前ルウシェル様も似た物に襲われました」
あ、なんだぁ、決闘はフェイクか、良かったね、ルウ。
と、少年達がルウシェルを見ると、全然良かった顔をしていない。
うん、まぁ・・・・・・うん。
そんな一同の傍(かたわ)らを通って、大長は遺跡の端まで歩き、西風の里を見やった。
「来ましたね」
次の瞬間、里の上空一杯に、爆発するように巨大な波紋が広がった。
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