スノウドロップ・Ⅲ
文字数 2,698文字
朝の馬繋ぎ場、シドは執務室の面々に見送られ、靄の晴れた空の中、わりと呆気なく旅立って行った。ただ、飛び方が少し千鳥(ちど)っていた。
ヤンとフウヤは預かって貰っていた馬を引き出し、こちらも元気に出立した。
ユゥジーンは二日酔いの青い顔で、ホルズに叱られながら本日の仕事に出て行った。
里の一日はいつも通り動き出す。
夕方、牧草地の土手。
一日の仕事を終えたエノシラが、トボトボと歩いている。
大好きな夕陽の景色も干し草の薫りもいつもと同じなのに、何でこんなにボッカリ穴が開いたみたいに現実感がないのだろう。
「エノシラ」
いつの間に、サォ教官が隣にいて、お下げ娘は跳び上がった。
「どうしたの、どこか具合が悪い?」
「いえ」
エノシラは罰悪そうに俯く。
教官は大人で優しくて賢くて、暴力なんかとは一番遠い所に居るヒト。そんな非の打ち所の無い立派なヒトが、側で心配してくれている。なんて贅沢で罰当たりな事なんだろう……
教官はちょっと間を置いてから切り出した。
「ね、エノシラ、面白いおまじないを教えてあげようか。修練所の女の子の間で流行ってる」
「おまじない?」
「こうやって両手を組んで」
五本の指を交互に組んで、教官は目の前に持って来た。
エノシラも慌てて真似をする。
「では、指を組んだまま手のひらを離して……そうそう、それから親指同士をくっ付けて。最後に、二本の人差し指を、離したまま真っ直ぐ上に立ててごらん」
「こ、こうですか?」
言われた通り真剣に、娘は頑張って指を立てる。
「OK、ではイメージして。人差し指の右は自分、左は気になるヒト。はいスタート!」
「ぇええ!」
エノシラは目を寄り目にして真ん丸に見開いた。
どんなに離そうとしても指が勝手に近寄って行く。しまいにはピッタリくっ付いて離れなくなった。
「はは、凄いな、それおまじないじゃなくて、心理テストなんだって」
言われてエノシラは真っ赤になって、両手をブンブン振った。
「ここここんなの、子供の引っ掛けのの遊びだわ!」
「まぁそう、指ってのはそうやって組むと、力めば力むほどくっ付いて行く」
教官は穏やかに娘を見る。
「でも君は、『気になるヒト』と言われて、思い浮かべるのは私ではないのだね」
エノシラは更に耳の後ろまで赤くなった。
「せ、せんせは、当たり前に側に居てくれるから、気になるとか言うのは通り越しているんです、別枠です」
「うん……」
教官も瞬きしながら、エノシラから目を離さずに続けた。
「私もね、当たり前に側に居すぎて、深く考える事をやめてしまっていた」
「せんせ、違う、違う……」
「もう一度確かめに行きなさい。人差し指のそのヒトは、まだそんなに遠くは離れていない筈ですよ」
「…………」
「酒好きな割りに弱いというのは聞いていてね。二日酔いだとろくに飛べなくなる事も。だから昨日、彼の部屋に、葡萄酒の瓶に入ったうんと強烈な奴をプレゼントして置きました」
「え? せんせが、そんな事を……?」
「でも明日になったら回復して、あっと言う間に遠くまで飛んで行ってしまうだろう。今この瞬間が、君の残りの人生で、一番近い距離に居る」
「・・・・・・」
夕暮れた里外れの土手を、サォ教官は独りで歩いていた。
ノスリが横から現れて、静かに隣に来る。
「すまないな、理不尽な事を頼んじまって」
「いえ、私だって大人ですからね。愛だの恋だのに振り回されず、周囲に祝福して貰える『便利』な相手と一緒になった方が良いのは分かっています。多分プロポーズした時も、半分はそんな気持ちでした」
「…………」
「でもそんな事では近付けない。私が憧れた、貴方とフィフィ教官の、あの暖かな家庭には」
ノスリの亡き妻は長く教官をやっていて、その時代のノスリ宅は、今のハウスのようだった。
雑魚寝をしていた幼顔の中には、親を失くしたばかりのサォの姿もあった。
「はぁ、失恋っていうより、何と言うか、娘を送り出した父親のような喪失感です」
「じゃあうち来るか? 愛想の無い隠居家だが、取って置きの古酒がある。昔フィフィが仕込んだ奴」
「いいんですか?」
「いいに決まってる」
***
漆黒の森に、ポツンと寂しいオレンジの明かり。
頭痛に耐えきれず、早目の夜営に下りたシドだ。
予定の三分の一も飛べていない。まったく何なんだ、凶悪過ぎるだろ、あの酒。まぁつい飲んじまった自分のせいなんだけれど。
宿酔いのダメージの残った身体に、思ったよりの冷え込みのダブルパンチ。荷物の中のセーターに、命拾いをした。多分ホルズさんちの誰かが入れてくれたんだろう。色はアレだが、有り難い事この上ない。
しかし夜営は慣れている筈なのに、こんなに心許なく感じるのは、寒さのせいばかりだろうか。昨日まで賑やかな明るい場所に居たからかもしれないが……
「夜って暗いものだな……」
「本当に真っ暗ですね」
目の前のお下げ娘に、シドは座ったままの形で飛び上がった。
「えっ、うえっ、ぼぇっ!?」
「地霊とかじゃないですよ、いきなり斬り付けないで下さいね」
真っ直ぐこちらを見て来る絶妙な首の傾げ具合はエノシラだ、まごう事なきエノシラ。
「これがあったから、一直線に来られたんです」
娘の差し出した白い石のペンダントを、シドは怪訝そうに覗き込んだ。
「ウンメイ……ああ――、魔法の石です、シドさんを捜せる魔法の石だって。ナーガ様が下さったんです」
「本当に?」
シドは石をしげしげと眺めて首を捻った。
「ナーガ様が、これを魔法の石だって?」
「は……い……」
「だってそれ、子供のオハジキだよ。西風の里の水辺に幾らでも転がってる、ただの石ころ」
「…………」
冬枯れの暗い森に、白い物が落ちて来る。
オレンジの小さな灯りはチロチロと、雪舞いを染めて仄(ほの)かに揺れる。
雪に咲く花のように。
~スノゥドロップ・了~
――クシュン!
ガンガンする頭を抱えて、ユゥジーンは仕事終わりの帰途に着く。
「何だよあの強い酒。凶器だろ、凶器。フウヤは何でピンピンしてんだ。いやそれよりヤンは何なんだ。もう一本あった奴、ほぼあいつが空けただろ」
――クシュン!
「ヤン、ダイジョブ? 朝冷えてたのに、一人でフラフラ出歩いたりするからだよ」
「それホントに本当? 二度寝して起きたら何も覚えていないんだけれど」
「も――ぉ、お酒飲んで夢遊病になる癖、気を付けた方がいいよ。メッチャ喋るようになるらしいけれど、他の人からはシラフに見えるっていうから」
「反省してます」
***
これにて六連星すべて終了です。
お読み頂いて、まことにありがとうございました。
感謝です。
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