鼓動・Ⅱ
文字数 1,982文字
木々に秋の色が付く前に、ヤンとフウヤは三峰の麓、壱ヶ原の街まで辿り着いた。
山の尾根を突っ切る近道や、情報で得たショートカット方を駆使して、最短で歩き通したのだ。
ここまで来れば、夜には三峰に帰り着ける。族長の許しを得ずに勝手に飛び出したのだから、せめて出来得る限り早く帰る事で誠意を示したい。
だがヤンは、壱ヶ原の投函箱だけはチェックして行きたいと希望した。その点はフウヤも賛成だった。
投函箱を通して、ヤンは様々な者達と手紙のやり取りをしている。商人や発掘職人等の旅を生業とする者、その伝手伝手(つてづて)で知り合った辺境に住む者等、自分より遥かに見分の深い大人達から、彼は知識を得ている。
今回の旅、ここに来るまでに通過した村や人里で、二人は今までと違った違和感を感じている。波紋の影響なのか、ただの思い過ごしなのか? 文通相手達の見解を知りたい。
しかし街の入り口で、二人は止まって顔を見合わせた。
間違いなく、何かが違う。
見知った風景なのに、全然別の街みたいだ。
行き交う人々の顔に活気がなく、忙しくはしているのだが、余裕なく眉間にシワを寄せている。
冗談交じりの値切りの声や、威勢のいい口上も聞こえない。
居心地の悪さを感じながら、いつもの壁地図の休憩所に行って、二人は愕然と口を開いた。
「ゲ、ゲート?」
元々は誰でも自由に休める休憩所で、飯屋位の広さに大きな間口があるだけの簡素な建物だったのが、今は入り口にガッツリ扉が付いて塞がれている。
四角い穴だけだった大窓も、格子で目隠しされている。
「な、何でこんな事に?」
「休憩所を丸ごと借りきって、店舗にしちまった奴がいたのさ」
顔見知りの毛皮商の店主が教えてくれた。
休憩所は街の商工会の物だが、ヤンは話を付けて、壁だけを無償で借りていた。
壁地図が皆の役に立って喜ばれたので、商工会もむしろ応援してくれていた。
が、休憩所その物を高額で貸りたいという者が現れたら、そちらを取るだろう。
皆が座って休むだけの場所なら、広場や酒場などがあるから問題にはならない。
借り主は、休憩所内で茶屋を営み、地図や情報の掲示のルールはそのままに、茶屋の客にしか見られないシステムにしてしまった。
「しかもその茶の値段がバカ高い。明らかに情報を得たい客の足元を見ている。当てにして来た初見の旅人は、嫌々ながらも代金を払って入場している」
『ここの情報は金になる』
気付いていなかった訳じゃないが、誰もやろうとはしなかった事。
茶屋を始めたのは、あの革腕輪を持って来た雑貨商人だという。
今まで無償で情報をくれていた旅人達に、茶を無料にするという『特典』を与えて契約し、あちこちの街で同じような店を開いているとの事。
確かに定石に捕らわれず、商売になりそうな物は何でも取り込む目敏いヒトではあった。
でも…………
毛皮商の男性は肩を竦めて小声になる。
「ヤン、儂はお前が善意で始めた事だと知っておるが、中には、お前が要らぬ事を始めたせいで休憩所が使えなくなったと揶揄する者もいる。耳にしても気にするんじゃないぞ。分かってくれている者の方が多いからな」
店主は気の毒そうな顔をして、茫然と項垂(うなだ)れる少年の肩を叩いてくれた。
二人が商工会に顔を出すと、目を背けて面倒そうに席を立つ者と、親身に説明をしてくれようとする者と、半々だった。
説明を受けても結果は同じ。
対価を払って正式に借り受けた者の方が強い。
事務員は申し訳なさそうに、掲示板の下から撤去されていた投函箱を渡してくれた。
だが沈んでいたヤンの顔が、その時初めて輝いた。
「中身の手紙がそのままだ。よかった。大切に預かって頂いて、ありがとうございました」
少年の明るい顔に、事務員はホッとして、しばらくなら手紙は個人的に預かって置いてあげるからまたおいでと、送り出してくれた。
「ヤン、壁地図、どうするの?」
広場のベンチで手紙を広げるヤンに、フウヤが心配そうに聞く。
「どうもしないよ」
一通り手紙を読み終えたヤンは、顔を上げて前をキッと見据えた。
「元々他人頼みの試みだったんだ。有料でも皆に役立つシステムが続いて行くのなら、誰がやったっていいんだ。本当に手放したくなかったのは、この手紙のやり取りをしている人脈、情報網。これだけは続けたいから、何か方法を考えるよ」
既存の郵便機構はあるが、料金が高額な上、ヤンが今やりとりしている辺境の者等は集配範囲に入っていない。蒼の里だってそうだ。
今現在、直接世界を行き来して、好意で手紙を運んでくれる旅人同士の絆が実は一番大切で、ヤンは掛け替えのない自分の財産だと思っている。
「やはり各地で波紋の被害が出ているんだ。皆の手紙で分かった。フウヤ、もうちょっとだけ待っていてくれる? 蒼の長さまへの手紙を書くから」
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