風出流山・Ⅲ
文字数 3,818文字
「「破邪!!」」
大長とナーガの併せ呪文が炸裂し、岩盤のようだった氷壁に風穴(かざあな)が通った。
「ぜぇぜぇ、み、道が出来ました」
幾重もの呪いの掛かった迷宮に行く手を阻まれていたのを、やっと突破したのだが、ナーガは息があがっている。一撃の力は大きくても持久力に欠けるのが彼の泣き所だ。
それにしても、長年封じられていた筈の祖先が、何処からこんな想定外の力を得ているのか。
「もう罠はタネ切れでしょうからね。次は実弾が来ますよ、ナーガ」
「実弾・・」
「物理的に襲って来るって事です。元々は魔物の巣窟だった場所です。守り人が追い払っていたのですが、その輝きが地に閉じ込められた今は、幾らでも呼び寄せられる」
大長は剣の柄を握りながら、横目でナーガを見た。
来るのは多分、獣やら蛇やらを下地にした普段なら木っ端のような魔性だろうが、今の彼の消耗具合ではギリギリ対応出来るかどうかだ。
「ナーガ、貴方は後方に回って下さい」
「そうは行きません」
「貴方に倒れられると困る」
「僕が倒れたら、もう一度蒼の長をやって下さい」
「……ぶん殴りますよ」
「今朝ノスリ殿に同じ事を言って、ぶん殴られ済みです」
「…………はぁ……」
「ねぇ、是(よし)と言って下さいよ」
「二度と御免被ります」
四方に邪気が渦巻き、ここへまとめて召喚されたらしき数多(あまた)の魔性の気配が、ビンビンと響いて来る。
「修行時代を思いだしますね。しっかり着いて来なさい、ナナ」
「はい、叔父上」
二人は剣を抜いた。
***
「ねぇ、重いでしょ。僕、歩けるよ」
先の見えない氷の廊下を歩くヤンの背中で、フウヤは三度目の同じ台詞を言った。
「フウヤみたいなやせっぽちなんか、仔猫ほどの重さも感じないよ」
ヤンはフウヤを背負い直しながら、三度目の同じ答えをした。
いつもは背中に背負っている石弓を前にぶら下げているので、歩きにくいのは歩きにくいのだが、フウヤに無理をさせる訳には行かない。今繋がっているのが不思議なくらい、両脚ともに深く抉られていたのだ。
――多分この子は、もう以前のようには走れない。
縫合を終えたウェン医師は、寂しそうな声でそう語っていた。
谷へ飛び降り、ムササビのように枝を渡って獲物の先へ回り込むのは、フウヤの得意技だった。それが出来たから、体格で遥かに劣る三峰の男達と並んで、狩猟の民を名乗れたのだ。
(あんなに狩猟の民の仲間入り出来た事を喜んでいたのに)
自分のせいでこの子の夢を壊してしまった。何だったら一生この子を背負って歩こうか。
「ヤン、ヤン!」
背中から呼ばれて、ヤンは現実に呼び戻された。
「しっかり! 周りを見て!」
顔を上げて見回すと、黒い墨を流したような筋が、自分を中心をゆっくりと回っている。
「何考えてたの。ここではマイナス思考は厳禁だよ」
「ご、ごめん」
「ちょっと降ろして。先も見えないし、どうもこの廊下、堂々巡りな気がする」
「う――ん」
――ガギン!!
会話は衝撃音に止められた。
二人がそちらを見るや、空中に波紋が広がり、そこに開いた穴から毛むくじゃらの巨大な前肢が突き出している。足先の鋭い蹄(ひづめ)が、氷の地面に刺さった音だったのだ。
えっ!? と思う暇もなく、鋭い牙を持った鼻先が、荒い息を吐きながらヌッと押し出て来た。
猪だ、牙が片側三本もある化け猪!
顔だけでフウヤの身長もありそうな巨大猪が頭を振って、今まさに狭い穴から出て来ようとしている。冗談じゃない、あんな牙に掴まったら一巻の終わりだ。
(魔性・・! 並みの猪とは違う)
ヤンは石弓を外しながら一所懸命考えた。長くて狭い廊下、隠れる場所が一切無い。第一、あんな大きな魔性相手に、この弓で致命傷を与えられるのか?
(周囲に波紋の渦が出来てくれたら、飛び込んで逃げられるかも)
しかし空間の黒い揺らぎは、化け猪の周囲に吸い寄せられている。それらが張り付いて、猪の毛皮をだんだらの縞模様に染め上げ、ますます妖気を増して行く。
ヤンが弓弦を張っている間に、フウヤは二歩三歩と離れた。
「フウヤ、僕の後ろに居ろ」
「ううん、僕が引き付ける。その隙に急所を狙って」
「駄目だ」
「いつもやってた事でしょ」
言うが早いか、白い子供はパンと手を叩いて駆け出した。
猪の目線を向けるのには成功したが、案の定子供は足をもつれされて転んだ。
ヤンに提示されたのは、冷静に猪の心臓を狙うか、泡喰ってフウヤに覆い被さるかの、二択だった。
彼は三択目の、一射で猪をこちらに向かせ、連射で頭蓋の穴を狙う道を選んだ。
――ピシ! ピシ!
一射目で頬を叩かれた猪の、怒って振り向いた右眼を、二の矢が深く射抜いた。――成功!?
が、何と猪は、頭をブルンと振って矢を抜き飛ばしてしまった。
眼球は復活しないが、ダメージを受けている感じがまったくしない。
二人が無事だったのは、猪がまだこちらに完全に出きっておらず、腰骨が穴に引っ掛かっていた為だ。
ヤンは三撃目を構えた。だが猪は武器を認識し、激しく頭を振って狙わせてくれない。
「フウヤ、猪が僕の方を向いている間に、腹の下を潜って、穴の隙間から向こうへ逃げるんだ」
「え、でも囮役は必要だ」
「頼むから逃げてくれ。今のフウヤじゃ居ない方が安心だ、だから……」
「い、嫌だ」
「フウヤ?」
「ヤンまで、僕を要らないって言わないで!」
魔物の腰骨が穴から抜けた。
フウヤは落ちていた矢を拾って、獣の注意を引こうとヨロヨロ動く。
(どうする、どうする・・)
獣は次の瞬間にはどちらかに突進するだろう。
また一瞬の判断で『失くす』事になるのか? もう御免だ!
・・?
予想に外して獣は動かない。いや、後肢を出してもまだ何かが穴に引っ掛かっているのだ。
「きゃぁあっ、ちょっと待って待って――!」
女の子の悲鳴?
と思ったら、猪はいきなり飛んで跳ねた。
少年達のどちらでもない明後日(あさって)の方向へ。
「えっ!?」
「はぁっ!?」
何と猪のお尻に、小さな女の子が乗っかっているのだ。しかも猪の銅丈と同じくらいの長さの太い木の枝と共に。引っ掛かっていたのはそれだったのだ。
女の子は変な風に身体を捻って、木の枝を抱えるように猪の体毛にしがみ付いている。
「な、何でそんな所に!?」
「あっ、あのね、きゃっ!」
猪の跳ね上げで、掴んでいた毛が千切れて女の子は枝ごと上に飛ばされた。
だが空中で枝と共に回転して、猪の頭めがけて落ちて来た。
――ズボッ!
何のイタズラか、枝は猪の左右の牙に、キレイに水平に挟まった。猪にしたら、鼻面の上に枝が横たわって、下顎から突き出た二本の牙に固定された、口枷(かせ)状態。
女の子は、右牙の外側に付き出した枝にしがみ付いたままだ。
魔性は当然怒って暴れ出す。
「離れて逃げろ!」
「む、無理ぃ、枝がお尻から離れないの!」
「は、何だってそんな事に!?」
「長くなるけど今聞きたいっっ?」
「ヤン!!」
異物に気を取られている猪の虚を突いて、フウヤが左に付き出した枝に飛び付いた。女の子と共に、猪の鼻梁の左右にぶら下がる形になる。
そのまま左牙も掴んで踏ん張り、猪の首を下に向かせる。
ヤンが流れるように矢を放った。
いつもやっている連携。
矢は見事に残った左目に通り、猪の動きを一時止める。
が、またポトリと排出されてしまった。やはりこの矢じゃ無理なのか。
怒った猪が枝ごと二人を持ち上げて頭を振り始めた。
「フウヤ、無理するな、逃げろ!」
「い、や、だ、今離したらもう捕まえられない」
「あんた、その武器で眉間を狙って!」
振り回されながら女の子が叫んだ。
「無理だ、そこは固い」
「いいから! 白いあんた、もう一度押さえるわよ、せーの!」
二人は息を合わせて同時に下へ体重を落とした。
猪は一瞬首を下げる。
ヤンは渾身の集中で、猪の額の真ん真中に矢を放った。
――破邪――!
奏でるような呪文。
矢は光をまとって、水に吸い込まれるように獣の眉間に突き通る。
猪の断末魔の悲鳴。
(え、ウソ、効いたのか!?)
弓を構えたままの姿勢で呆然と突っ立つヤンの前で、一拍置いて、魔獣は崩れ落ちた。
「やったね、ヤン」
フウヤは枝と牙に手を掛けたまま、両足を投げ出して地面にヘタり込んでいる。
顔色が悪く肩で大きく息をしているが、満足の笑顔。
「きず、傷大丈夫か、開いていないか?」
「僕は大丈夫。あの子を見てあげて」
右側の女の子は、枝にお尻を付けたまま、への字形で地面に突っ伏してジタバタしている。
本当にお尻がスカートごと枝に吸い付いているようだ。
ヤンは慌ててナイフを出して、枝を牙の所から切断してやった。
「大丈夫、君? えっと、ありがとう。あの呪文……」
「ああ、破邪の呪文、初めて出来たぁ、あははは、いたた」
女の子は仰向けになって、腰を押さえながら喋り出した。
「あのね、訳あって枝にお尻がくっ付く呪文が掛かっているの。カマイタチでチマチマ削って、やっと枝の幹から生えている側は切り離したんだけれど、お空の穴がもう塞がりそうで。慌てて反対側はそのままに飛び込んだら猪が居て。でもお山の方向へ向かっていたから、お尻に掴まらせて貰ってここまで来たって訳」
「そ、そう…………」
説明して貰ったがほとんど理解出来ない。だが聞き直す気にもならなかった。
取り合えずヤンがナイフを使い、お尻の枝を出来るだけ薄くまで削ってやった。
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