水の底・Ⅰ
文字数 3,658文字
…………………………………う~ン……
母さま、寒いよ、お布団掛けて……
リリは意識を戻した。
そうだ、ゆぅじんと一緒に、変なのに吸い込まれて……流されて……どうなったんだっけ。
(うっ!)
口中にハッカみたいなツンツンが広がって鼻に抜ける。
ナミダと一緒に目が開いたら、真ん前に水色の瞳。
「!!!!!!」
リリは跳ね起きた。
水色の瞳の主と、思いっきり額をゴッツンする。
目から火花が散って頭がウァンウァンするけれど、それ所じゃない。
「なに何ナニしてくれてんのよ!!」
髪も薄い水色のその子供が、目の前で額を押えて、黙ってうずくまっている。
「ひっひっひどい!!」
リリの慌てっ振りはどこ吹く風に、子供は起き上がって、手の中の薬草を揉んで口に入れた。
「返して返して返して、あたしの……!!」
止まらない口を、もう一度唇が塞ぐ。
ショックが二重になったリリの目が、ぐるぐる回る。
噛み砕いた薬草を口移しで与えてくれているのだ。
それは分かる。
分かるけれど、他にやりようは無かったの!?
「やめてってば!」
我に返ったリリは、子供を突き飛ばして立ち上がった。
足がフラ付く。でも頑張って、脇をすり抜けて駆け出した。
子供の背に羽根が見えたが、そんな事はどうでもいい、とにかくこの無神経な子から離れたい。
(えっ、何、これ?)
空気が糊みたいにまとわり付く。
一歩足を前に出すのに、大変な労力を要してしまう。
それでもリリは、手足を振り回して変な格好になりながら、必死で走った。
大分走ったと思った所で振り返ると、あの子供は見えなくなっていた。
ホッと胸を撫で下ろす。
でも、ここ、何処なんだろ……
辺りは薄暗くて、木も草もない。裸足の脚に、地べたが妙に滑らかで変な感触。
とにかく空気がどんよりと身体にのしかかって、気持ちが悪い。
空は……真上に大きな三日月。
青い光が辺りをぼんやり照らしていて、水の中みたいに揺れている。
リリは、風露の集落と向かいのお山しか知らない。
羽根のある子といい、世の中には色んな不思議があるんだなと、少し冷静になって来た。
「確かに、さっきのは気付けのお薬だった。前に母さまに飲まされた事がある。あの子にとっては口移しは普通の事だったのかもしれない。うーん、突き飛ばしたのは悪かったかな?」
《 ――そんな事ないんじゃない? 》
急に声を掛けられて、リリは横っ飛びした。
「誰っ?」
いつの間に、隣に、リリの姿の女の子が立っていた。
青い月に照らされて、空間と一緒にユラユラと揺れている。
「ふぅむむ?」
リリはそんなに驚かなかった。
風露にはあまり精巧な鏡がなくて、自分の姿を正確には知らないのだ。
その女の子はリリの真横に来て、耳に顔を近付けて来た。
《 いくらお薬でも、女の子にいきなり口移しなんて、失礼に決まっているじゃない。あたしを誰だと思ってるのかしら 》
「誰なの?」
リリはその女の子をマジマジと見る。
《 はあ? あんた、何言ってんの? あたしはあんたで、あんたはあたし。あたしの喋る事があんたの気持ちなのよ! 》
「へえ……ふうん?」
リリは相変わらず気の抜けた返事だ。
外の世界は知らないコトだらけ、へえ、そういうコトもあるんだ……ぐらいの気持ち。
《 ふふん、じゃあ教えてあげる。母さまは、あたしをとっとと蒼の里へやりたいのよ。馬鹿みたいな早さで育つあたしが気持ち悪いの。次の子供は風露の子に産んで、早くその子にだけ愛情を注ぎたいのよ 》
「そうよ、よく分かっているわね」
女の子はちょっと怯んだが、気を取り直したように続けた。
《 父さまも、あたしなんか好きじゃない。欲しいのはあたしの血統だけ。あたしが何をしても無関心、叱ってもくれない。これであたしが何の才能も無いって知ったらどうするでしょうね 》
「ね、ホントにどうするつもりかしら」
女の子は、会心の嫌がらせを放ったつもりだったのに、リリにあっさり肯定されて、つまらなそうな顔をした。
そんな女の子の表情には無頓着に、リリは、今度はあたしの番、とばかりに喋り出した。
「あんたがあたしなら、あたしだって世界中で一番あんたを知っているわ。あんたが一番好きなのは、唄う事、どう?」
《 ――そうよ 》
女の子は苦虫を噛み潰した顔で答えた。
「蒼の里へは行きたくない。でも職人にもなれないのも分かってる。皆に分かる音の違いが、全然分からないもの」
《 ……そうよ 》
「皆あたしの事を気に掛けている素振りで、実はどうでもいいのよね。そういうのが分かって来る程に、本当は嫌いになりたくないのに、嫌いに・・なってしまう」
《 ……そう……・・・ 》
女の子は俯(うつむ)いて、涙をこぼした。
「可哀想に。あたしが分かってあげる。こっちへおいで」
女の子は素直に近寄って、リリはその子の背中に腕を回して、ギュウと抱いた。
「大丈夫、あたしだけがあんたを分かる。大好きだよ」
ああ、でも……
リリはふと顔を上げた。
さっき、ちょっと違うヒトに会った。
ゆぅじん……
あたしの話、ちゃんと最後まで聞いてくれたなぁ……
「あれ、あれれ!?」
リリの腕の中で、女の子はスゥッと薄れて消えてしまった。
「オ、オバケ?」
さすがのリリも、ゾクッとした。
怖い! と思った途端、辺りが急に激しく揺らぎ出した。
上を見てビックリ。
さっきまで静かだった月の空が、大雨の後の川みたいに沢山の波紋を作って波立っているのだ。そうしてだんだんに下へ降りて来る。
「ひゃああっ」
怖いっ! リリは闇雲に駆け出した。
でも、真上から来るモノに対してどこへ逃げるっていうの?
溢れた川が、渦となって迫って来る。
どど、という重そうな音。
「やだあぁっ! 母さま!」
***
………??
うずくまった状態からリリが目を上げると、裸足の白い足があった。
さっきの子供が、両手を天に突き上げて立っている。
まるで、その細い手で空を支えてるかのように。
事実、空は落ちて来るのを止めて、発酵し損ねたパンのようにへこんでいる。
子供はゆっくり羽根を広げた。
古い櫛みたいな、所々歯抜けになっている羽根。
空の渦が反転して、真ん中に大きな穴が開いて行く。
その穴の向こうに、上から見下ろす角度で、二人の青い髪のヒトが見えた。
一人は剣を掲げ、一人は突っ立ってこちらを見上げている。
(あれ? ゆぅじん?)
次の瞬間、穴から翡翠色の光が飛び込んで来て、何も見えなくなった。
・・・
・・・・・
光が治まると、元の澄んだ三日月。
羽根の子供は手を下ろして佇み、怖かった波紋の渦は影も形も無い。
ヘタリ込んでいるリリの、周囲の景色は変わっていた。
さっきは何も無かったのに、今度は青灰色の変な木やキノコみたいなのが林立して……そしてやっぱり水の中みたいに揺らいでいる。
「何なの、もう、変なの……」
木の陰から、白っぽい馬が顔を覗かせ、歩いて来た。
この馬も、子供と一緒で揺らいでいない。
羽根の子供と鼻をこすり合わせてクルルと喉を鳴らしている。
「あんたのお友達?」
リリの問い掛けに子供は答えず、今度は屈んで、リリの鼻に自分の鼻を押し付けようとした。
「いや、あたしはやらないってば」
後ずさって避けると、子供はそのまま前のめりに傾き、女の子の膝の上に倒れ込んでしまった。
「ちょ? ちょっとあんた」
くぅくぅと寝息を立てている。
「何っ? どんだけ自由なのよっ」
五つも数えない内に眠れるなんて、才能だわ才能。
重いし動けないし……でも、地面にゴロンと落っことしては可哀想。
リリはそっと降ろそうと、子供の身体に手を掛けた。
「!!」
触った背中がじっとりと汗ばみ、肩は熱を持って熱い。
「具合悪いの? ねえ? どうしよう……」
いつもリリが熱を出すと、母さまがお薬を飲みやすくして与えてくれ、柔らかいお布団に包んでくれる。ここにはそんなの、何も無い。
「…………」
リリは静かに膝を伸ばして、子供の頭をしっかり支えた。
それから玉汗の額を自分の袖で拭って、細い指を握る。
「あたしがずっとここに居るよ。だから安心しておやすみ。お熱は遠いお山に飛んでいけ、ねんころ、ねんね、ねんころ、ねんね」
ただ、自分が熱を出した時の母さまの真似をしてみただけだ。
他に出来る事がないんだもの。
それでも子供は全身の力を抜いて、穏やかな表情になった。
髪と同じ色の睫毛。
あたしの睫毛って何色なんだろ、さっきの子の睫毛を見て置けばよかった。
馬が、小さな二人をまるで腹の下に庇うように、寄り添って立った。
座り直したリリは、ポケットに何かあるのに気付いた。
「あ、ゆぅじんの御守り」
掴んだ瞬間変な波に襲われて、必死でねじ込んだんだった。
そういえば……
リリは御守り袋の封を開けて、中の羽根を摘(つま)み出した。
「あ」
ホント、世界は不思議に満ち満ちている。
袋から出て来た羽根は、今、膝に乗っている子供の背中のそれと、同じだった。
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