冬茜・Ⅵ
文字数 3,795文字
「炎の狼の情報、ホンットに出て来ないな」
蒼の里への連絡方法と並行して、シンリィを連れ去った魔物の情報も聞いて回っているのだが、こちらは全く進まない。
行動範囲の広い商人や発掘職人、長く生きている妖精の翁も、そんな生き物は知らないと言う。
「あんだけインパクトのある外見なのに」
「もしかしたら姿を変えられる魔性かもしれない。それだったらお手上げだ」
「罠を張ったらどうだろう」
ルウシェルが怖い事を言った。
「狼をこちらから誘(おび)き出すって!?」
「いやでも餌なんか無……」
言い掛けてフウヤは止まった。
――『お前さんもある意味面白いが』
ヤンも同じ事を思い出しているが、口に出さない。
「何? 何かあるの?」
ルウシェルは他人の機微に鋭い。
「何にも無いよ。第一餌があったって、狼にコンタクトを取る方法なんて分かんないし」
フウヤが打ち消してこの話は終わったが、彼が何か思う所あるのは、これだけ一緒に過ごした二人に気付かれない由はなかった。
その日は、河川敷の灌木帯で天幕を張った。
夜通し水音が止まない、秘め事にはもってこいの場所。
青い三日月の下、綿帽子頭の子供は天幕を抜け出し、飛び石を渡って、明るい内に目星を付けておいた大きな中洲に立った。
中央が小高く柳の樹林に覆われていて、天幕から死角になっている。
手の中に半月型の石と、ルウの衣服から抜いた緋色の羽根。
それらを胸に当て、一心に呼び掛けてみる。
シンリィは、炎の狼を呼び出す術(すべ)を知っていた。
自分にそれは知りようがないから、シンリィが残して行った物に僅かな望みを託すしかない。
あの狼が欲深く、欲しいモノは全て手に入れたいと思っているなら、可能性はある筈だ。
「狼、炎の狼、僕はお願いしたい事があるの。代償だって払うよ」
冬の終わりの流川は山の雪融けを連れて来て、中洲は立っているだけで底冷えがする。
足の裏の感覚がなくなりかけた頃、上流に幽かな灯りが見えた。
――来た・・!!
水面に一筋の炎の帯が流れ、その上を、野牛程もある巨大な獣が歩いて来る。
全身くまなく燠(おき)炭のようなオレンジが瞬き、近付くにつれ熱に圧倒される。
(本当に、来た……)
ただ、何だろう、前回会った時より、恐ろしさが少なくなっているような気がする。
慣れたんだろうか?
狼は中洲の端で四肢を揃えて立ち止まり、白い子供を睨んだ。
「身の程知らずのクソガキが」
声は前と同じに、地の底から湧くように禍々しい。
「え、えっと、ありがとう、来てくれて」
フウヤは頑張って声を振り絞った。震えている暇なんて無い。
「能書きはいい。願いを言え」
「シ、シンリィを返して」
「それは出来ねぇ」
「じゃあ、シンリィをここに連れて来て」
「それも出来ねぇな」
「願いを聞いてくれるんじゃなかったの?」
「出来ねぇ事は、出来ねぇ」
狼の声は変わらず粗暴だが、意外に会話のキャッチボールはしてくれる……と、フウヤは思った。
「あの羽根のガキは、今、手が離せねぇんだ。ちょいとあいつにしか入れない場所があって、そこへお使いに行って貰っている」
「え……」
拍子抜けした。
支配欲に溢れた魔物がコレクション的に子供を欲しがるイメージを抱いていたのだが、単純に何か用事があったのか?
「お使いが済んだら帰してくれるの?」
「それは、その時にあのガキが……」
「ああああああ――――っ」
天に突き抜ける女の子の悲鳴。
碧緑の髪の娘が、粕鹿毛と共に夜空を急降下して来る。
「ルウ、まだ早い!」
「だってもう馬を抑えら……」
言い訳する前に娘の手を離れた水をパンパンに詰めた風船が、狼の頭上に降って来た。
だがそんな物は、炎の獣に触れもしないで、シュンと消滅する。
「しゃらくせぇ」
低い声で呟き狼は、落ちて来る娘めがけて、前肢を振り上げた。
――パシッ
地表で弾き音。
水を含んだ柳の太枝が、地面スレスレを鞭のように飛んで来て、狼の足元を薙ぎ払う。
猟師に定番の弾き罠。
罠を発動させたヤンが岩陰から飛び出し、石弓を構える。
狼の視線を上方に誘導していた西風の娘は、落下途中で翻(ひるがえ)って、樹林の向こうに軟着陸した。
フウヤは既に第二地点に走り込み、そこのロープを切っている。
――ザザァッ!
樹林に隠されていた濡れた投網が、勢いよく狼の頭上に広がる。
・・・
シュウシュウと白い水蒸気が上がって、それが晴れると、焼け散った網と柳の燃えカスが残り、狼は空中に四肢を揃えて立っていた。
「――で?」
まぁ、やっぱりね……
「だって、これくらいやらなきゃ、僕らの本気度は伝わらないと思って……」
「ガキの『だって』は、大ッ嫌いだぁあ!!」
狼の背中から炎が噴き上がった。
三人は身構えた。
怖いけれど、一人じゃない。
そう、一人きりで頑張ったってロクな事にならないのは、三人とも学習していた。
僕らは弱い。
だから、補い合わなきゃならない。
***
「ねぇ、僕のお願いを聞いて」
「僕の願いも聞いて下さい」
「私の願いも聞いて欲しい」
三人の子供が三方から叫ぶ。
狼は赤い炎を沸き立たせながら、三人各々をねめつけた。
「お前らに、願いの代償が払えるってぇのか?」
「その前にお願いの確認だよ、シンリィに関しては、どんな事なら叶えてくれるの?」
狼は、もう心底面倒くさい、という風に、顔を歪めた。
「例えば、シンリィの身の安全と、いつかは無事に帰してくれるようにとの、お願いは出来ますか?」
「ヤン、ちゃんとご飯も食べさせて貰えるようにって付け足さなきゃ」
「あと、夜に独りぼっちにしないようにとか」
「がああああ――ーっっ!! うううるせぇえ!!!」
また狼の背中から炎が上がる。
しかしそれは、クスクスという笑い声で、一旦静まった。
上流で影が動き、狼が歩いて来た方向から、また何かが近付いて来る。
まずい、狼一頭でも敵いっこないのに、これ以上敵が増えたら対処出来ない。
ヤンとフウヤは目配せして、ポケットの唐辛子玉を握りしめた。
無鉄砲に突入するばかりでなく、逃げなきゃならない時の算段も、勿論している。
そしていざとなったら、何を置いてでもルウを最優先に逃がす事も。
しかし、当のルウは、上流を見つめて、ボケッとしている。
「キレイ……」
女の子を呟かせたのは、蛍をまぶしたように身を瞬かせながら、水上を歩いて来る騎馬だった。
二人の少年も呆気に取られた。
スッと垂直に垂れた鼻筋、力を溜めた鞆(とも)、背骨同士が繋がったような騎座。
人馬のバランスが取れた騎馬の美しさというのを団子鼻に熱く説かれた事があるが、そこに歩いて来た者は、非の打ち所のないソレだった。
中洲の先端まで来て、乗り手が馬を下りると、蛍のような灯りはスッと消えた。
群青色の長い髪の、法衣をピシリと着こなした男性。
「ナ・・」
フウヤが叫びかけて、慌てて両手で口を押さえる。
ナーガに似ているが、まったくの別人だ。
「お前かよ、余計な口出ししに来たんなら、今すぐ帰(けぇ)れ」
狼にとっても、予想外の者だったようだ。
「いやいや、貴方に忠告しに来たのです。この子供達の願いを聞いて、代償を貰うつもりなのですか?」
涼やかな声までナーガさんに似ている。
フウヤはちょっとイラッとしながら口を挟んだ。
「そうだよ、僕達はちゃんと払うつもり。ただし、三人とも同じ願いだから、三人で分割払いだよ!」
男性が口の端をヒクヒクさせながら、狼に寄って、何やら耳打ちをした。
狼はビクンと揺れた後、苦虫を噛み潰したような顔になり、「チッ」と吐いて踵を返した。
「あっ?」
少年達が止める間もなく、赤い獣は砂利を蹴って来た方向へ飛び上がり、シュッと音を残して、かき消えてしまった。
辺りが一気に暗くなるが、馬がまた発光を始める。
「何て事するの! せっかく召喚したのに!」
怒るフウヤと、他の二人を順番に見やって、男性はゆっくり語りかける。
「今の貴方達は、狼の欲しいモノを持っていない。負担を分け合う気持ちなど、あの獣にとっては害悪にしかならないのですよ」
「??」
「それに気付いていないようだったので、教えてあげました。もしかしたら気付いていて、貴方達に構ってみたかっただけかもしれませんが。どちらにしても、願いを聞いてくれる気は無かったと思いますよ」
「そんなぁ・・」
「心配しなくとも、シンリィは大丈夫です」
三人は弾かれたように顔を上げた。
「知っているの!?」
「何処にいるんですか!?」
「寂しがっていない!?」
そのヒトはニコニコしながら、噛んで含めるようにゆっくりと話した。
「あの子は自分の意志で、狼に着いて行ったんです。去ろうと思えばいつでも去れるのに、自分で選んで狼の側に居る。貴方達が心を痛める事はありません」
教えてくれているようで、結局何も答えてくれていない。
でもこのヒトがただの気休めで言っているのではない事は、何となく分かった。
男性が後ずさって馬に乗りそうになったので、今度はヤンが慌てて聞いた。
「あ、あの、僕達、これからどうしたらいいんでしょう。何をするのがシンリィの助けになりますか?」
男性は振り向いて、
「そのまま、狼の嫌う貴方がたのまま、真っ直ぐに生きて下さい」
そう言うと、もう素早く乗馬し、立ち尽くす三人を残して、来た道を駆け去ってしまった。
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