星の雫・Ⅱ

文字数 3,051文字

   


   
 小道に入ると頭を押さえられ、身を低くしたままヤンは、ユゥジーンの後を追い掛けた。
 狭い路地を走り抜け、裏道を曲がり曲がると、薄暗い厩の裏に出た。
 ユゥジーンがそっと忍び入り、自分の馬に鞍を着けて引き出して来る。

「ヤン、最初に言って置くけれど、フウリさんを連れ出す事は出来ない。あそこの部族が厳しいのは本当だ。正面から訪ねて行っても絶対に会わせて貰えないけれど、幸い俺はフウリさんの住む塔を知っている」
「え、……でも連れ出せないのなら……」

「フウリさんの所にいい物があるんだ。ヒトの姿を映してメッセージを伝えてくれる人形。本人じゃなくとも声と姿を届けられる」
「ホント? 凄い。貸してくれるかな」
「そこはヤン、誠心誠意頼むんだ。ほら乗って」
 ユゥジーンは先に跨がって、ヤンに後ろを促した。


「何をしているの?」
 暗がりからの突然の声に、二人飛び上がった。

 青い前髪を水平に切り揃えた三つ編みの女性が、鞍を抱えて歩いて来る。
「ユゥジーンなの? 決められた場所以外から飛び立つのは禁止でしょ?」
「ちょっとヤボ用なんだ、エノシラさん、見逃してよ」

 エノシラという名は、フウヤやユゥジーンから聞きまくっている。
 ヤンは初めての『生エノシラさん』に、感慨深げにお辞儀をした。これがフウヤの言っていた、しめ縄みたいな三つ編みか。

 女性はヤンを見て、あらあらという顔になり、上がっていた眉根を下げた。
「もぉ、何をするのか知らないけれど、見なかった事にしてあげるから。あんまり危ない事をやっちゃ駄目よ」
「うん。……エノシラさんは外に用事だったの?」
「近くの遊牧民の集落へ診察。これから薬を作ってまた届けに行くの。まったく妊婦さんに優しくない時代だわ」

「妊婦さんに?」
 思わず口を挟んだ黒髪の少年に、女性は優しい口調で答えた。
「世の中が不安だと、生まれて来る赤ちゃんも不安になるの。それで体調を崩す妊婦さんが多いのよ。ヒトの身体は一見丈夫そうでも、とても微妙なバランスで成り立っている。お腹に命を抱えるなんて、バランスを崩す最たる物なのよ。貴方達も将来の為に覚えて置くといいわ」


 エノシラは踵を返して去ってくれ、ユゥジーンは改めてヤンに後ろを促した。二人を乗せたコバルトブルーの馬は、灯りを避けてフワリと舞い上がる。

「ユゥジーン、ありがとうね」
「俺がフウヤに借りがあるんだ。初めて会った時にメッチャ助けられた。だからヤンは責任を感じなくていいよ」

 新月の夜闇が幸い、上も下も真っ暗で、ヤンはさほど恐怖を感じなかった。
「ユゥジーンが上手なのかな。草の馬で飛ぶの、凄く恐ろしくてトラウマになってたんだけど」
「ああ、最初に乗ったのが白蓬(しろよもぎ)だろ? しかも初騎乗のシンリィの後ろ」
「うん」
「そりゃ俺でも乗りたくないわ」


 山に挟まれた風露の谷に近付くと、夜更けとも言える時間だったが、いくつか明かりの灯った塔があった。
 ユゥジーンが以前送った事のあるフウリの居所にも、明かりが付いている。
 その棚の先端に、二人乗りの騎馬は、音をさせずにそっと降りた。

 窓辺に寄り、そろそろと覗くと、こちらを向いた女性がいきなり目の前にいた。

「ひゃっ」
 驚いて尻餅を付いたのは二人の少年の方だった。

「千客万来ですね」
 紫の髪を珠子の紐で結った無表情な女性は、ゆっくり歩いて戸口に移動した。
 上半身がそっくり返って、お腹が丸く大きい。
 ええっ、フウリさん妊婦さんだったの? しかも今にも、生まれ、そう、じゃ、ないかっ!?

 ユゥジーンは真っ青になった。そうだ、以前送った時に、他の皆が椅子を持って来たり気を使っていた。あれって、お腹に赤ちゃんがいたからなんだ。何で気付かなかったんだ、俺のアホ!

 ヤンは動揺したのか無言だ。ユゥジーンが彼を紹介し、二人は室内に招き入れられた。
 壁際に楽器の材料が並べられ、テーブルにはお茶のカップがある。
 小さな椅子を勧められ、二人は小さくなって座った。
 フウリは背を向けてお茶の支度を始める。

「あ、あのお構いなく」
「こんな時間に掟を破って訪ねて来て、お構いなくもないものだわ」
「……すみません」
「フウヤが世話になっているのですってね。あの子、利かん気が強いから大変でしょう」
「い、いえ、ぼ、僕、フウヤに会って、良い事ばかりです!」

 ヤンが吃(ども)りながら大声を出すと、女性は振り向いてそっと口に指を当て、静かにね、と言った。
 ヤンはまた小さくなる。

「あの、でも最近、少しホームシックで……」
 ユゥジーンが小声でそろりと言った。
「そ、そう、それで綺麗なお姉ちゃんの姿でも見たら元気が出るかなぁって」
 ヤンも慌てて同調する。

「だから、その、リリの映し身人形があったでしょう?」
「そうそれ、ちょっとだけ貸して貰えたら有り難いかと」

 ビクビクと言葉を繕う二人に、フウリは背中を向けたままシレッと言った。
「ありませんよ、もう。あの人形は」
「ええっ」
「ああ、カップが足りないわ。ナーガ様が使った物でいいかしら?」
「えっ、えっ、ええ?」
「ナーガ様、来たんですか?」

 フウリはカップの乗った盆を持って振り向いた。
 ヤンが素早く立って、盆を受け取る。

「あら、ありがとう。……そう、夕方頃にいらして、貴方達と同じような事を言って、人形に私を映して慌ただしく飛んで行かれたわ。冷めない内にお茶をどうぞ」

 少年二人は気まずい雰囲気で茶をすすり、フウリは寝台によっこらしょと腰掛けた。

「それでフウヤの容態はどうなのですか?」

 ユゥジーンは茶をむせて、ヤンは熱いのを飲み込んで咳き込みながら返事をした。
「た、大したことありません。ぜんっぜん、大したことない。山一番の名医が縫合したんだし、後は意識さえ戻れば」
 ユゥジーンの、『この馬鹿っ』という視線にハッとなったが遅かった。

 寝台のフウリはうつむき加減に視線を落としている。
「そう、ナーガ様に続いて貴方達まで押し掛けて来るなんて、間違いなくフウヤに何かがあったんだと思ったわ」

 ヤンの顔色がみるみる変わった。
 ――あの日、ビィを荼毘(だび)に伏した後、床に突っ伏した母の赤いスカートがみるみる黒く濡れて行く様が、フラッシュバックする。

「フウヤは治ります。絶対治る。僕が治す。僕の命に代えても。大丈夫だから。本当です。大丈夫だから……」

 女性がまた口に指を当てて、ヤンは泣き出しそうな顔のまま口を閉じた。
 ユゥジーンも、いきなり支離滅裂になった友達に目を白黒させている。

 無言の時間が流れて。

「ありがとうね」
 フウリが丸いお腹をさすりながら沈黙を終わらせる。
「フウヤは幸せ者だわ。こんなに優しいお友達に囲まれて。私は大丈夫ですよ。あの世間知らずで我が儘な子が、他所様でちゃんとやって行けるのかと、ずっと心配が頭を離れなかったけれど、今とても安らかな気持ちに変われたわ」


 
   ***



 フウリに見送られて、二人は手を振って上昇した。
 相変わらずの闇夜で、ヤンもユゥジーンも疲れて身体が鉛みたいだったが、気持ちは軽かった。

「綺麗だったなあ、フウリさん。優しいし。あんな天女みたいなお姉ちゃんだったら、僕もうわ言で呼んじゃうよ」
「うん。何せナーガ様が、厳しい掟を物ともせずに、奥方に選んだ方だもの」
「いいなあ、上手くやったなぁ、ナーガさま」


「それはどうも」

 二人の少年は電気に打たれたみたいにビクンとなり、恐る恐る上を見た。
 漆黒の中天から、ぼんやりした光に包まれた騎馬が降りて来る。











ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

シンリィ:♂ 蒼の妖精  愛馬は白蓬(しろよもぎ)

蒼の長ナーガの甥っ子。

言葉を使わないのに人付き合いが出来るのは、汲み取る力が突き抜けているから。

ヤン:♂ 三峰の民  愛馬は四白流星

狩猟部族の子供で弓の名手。家族は母一人。フウヤとは相棒同士。

指笛が得意なのは、幼い頃亡くなった父から唯一教わった物だから。

フウヤ:♂ 三峰の民  愛馬は栃栗毛(愛称・黒砂糖)

フウリの弟。風露を家出して、ヤンの家に転がり込んで居候。

ナーガを嫌っているのは、自分の無力を思い知らされるから。

ルウシェル:♀ 西風の妖精  愛馬は粕鹿毛

西風の長モエギの娘。シドとソラは教育係。

蒼の里へ行きたがっているのは、違う教育を受けたら自分は変われると思っているから。

ユゥジーン:♂ 蒼の妖精  愛馬はコバルトブルー(大器晩成タイプ)

幼名ジュジュ。執務室の見習い。シンリィと友達だがそれ以上にはならない。

ヒトとの関係を深めたがらないのは、失う事を怖がっているから。


リリ:♀ 蒼の妖精  愛馬はまだいない(白蓬が大好き)

ナーガとフウリの娘。身体の成長だけ早くて中身がアンバランス。

言葉の覚えが早いのは、自分の事を他人に知って欲しいから。

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精  愛馬は闘牙の馬二世

当代の蒼の長。長に就任した途端、数万年ぶりのご先祖様の逆襲が始まって大変。

父親としてポンコツなのは、『親』という物に高い理想を抱き過ぎているから。

シド:♂ 西風の妖精  愛馬は青毛

西風の長モエギの側近。修練所の教官。

エノシラを意識しだしたのは、生え方がエグくて悩んでいた胸毛をスルーされたから。

ソラ:♂ 西風の妖精  愛馬はパロミノ

西風の長モエギの側近。西風の外交官。

大長を追い掛けたのは、自分を叱ってくれるヒトがいないと不安だったから。

フウリ:♀ 風露の民

二胡造りの名人。ナーガの妻。フウヤの姉。

何があっても仕事がぶれないのは、大昔に諭してくれたヒトの言葉を忘れていないから。


大長:♂ 蒼の妖精  愛馬は先日亡くしました。今は夏草色の馬を拝借。

先先代の蒼の長。アイスレディの兄。行方不明扱いに乗じて、身分に縛られず行動。

名前が無いのは、授けてくれるべきヒトが急逝してしまったから。

ノスリ:♂ 蒼の妖精  愛馬は里で一番筋肉の多い馬

先代の三人長の内の一人。

おちおち隠居もしていられないのは、ヒヨコ長のナーガが危なっかしいから。


ホルズ:♂ 蒼の妖精  愛馬はぽっちゃり系

蒼の里執務室の統括者。ノスリの長男。

文句を言わず黙々と働くのは、縁の下の力持ちに誇りを持っているから。

エノシラ:♀ 蒼の妖精  愛馬はソバカス馬

助産師のヒヨコ。シンリィやルウシェルの世話をしていた事がある。

ダイエットを始めたのは、生まれて初めてのお姫様抱っこで相手がよろめいたから。


アイスレディ:♀ 蒼の妖精  愛馬はごく普通の馬(本人談)

ナーガの母。シンリィの祖母。大長の妹。風の神殿の番人。

妙に儚くなったのは、自分の役割がそろそろ終わる事を悟っているから。


赤い狼:?? ???

ヒトの欲望を糧に生きる、戦神(いくさがみ)。

何事にも動じなければ永遠に生きられる、そういう時間に価値を見いだせなくなったから…

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み