緋の羽根・Ⅱ

文字数 3,044文字

   


《 民は羽根を求めている。羽根を持つ者に阿(おもね)る安寧を求めているのだ。お前達風の民は本来羽根を持ち、神に近付く存在に納まらねばならぬ 》

「神に近付かなくてもいい」
 ルウシェルが抑えた声でゆっくりと言った。
「少なくとも西風に、そういう者は居なくていい」

「あんた、皆を自分と同じ考え方にしたかっただけじゃないの? ルウやユゥジーンに羽根をくっ付けて見せびらかして、羽根が有り難がられる世界を作りたかったんだ、そうでしょ」
 フウヤは本当に身も蓋もない事を言う。

 リリはビィドロみたいな瞳で、石像の上から下まで重なった羽根を眺めた。
 風露のお山で、ドングリの大きいのが凄いと言い続けていた男の子は、自分が大きいドングリを沢山持っていたからだった。

《 神は必要だ。凡庸な市井(しせい)の民には導く者が必要だ 》

「凡庸な市井の民は、薄っぺらな欲だけの心にした方が支配しやすかったんですか?」
 ヤンは何気にフウヤを庇いながら、巨大な像を睨み上げた。


《 我は民の心の操作などしていない 》
 石像なので表情は変わらない。だが声の調子で沸々と憤っているのが伝わる。
《 逆だ。民が我を選んだのだ。民の羽根を求める心が、波紋のエネルギーを作り出し、深層意識の世界を通って我の元へ押し寄せて来たのだ 》

「え」
 五人は狐に摘ままれた顔をした。

「あの意地悪な波紋って、あんたが作ったんじゃないの?」
 フウヤの問いに、石像は居住まいを正すようにスンと答えた。
《 我にあのような物を作り出す力があれば、長年こんな所に封じられておらなんだ 》

 石像は声の調子を落として語り始めた。
《 そも、一度目覚めさせられたとはいえ、ここに籠り続けていた我に、下界に干渉する力など無かった。しかしたまたま何の悪戯か、地上にただ一対の羽根が生まれ落ちる。お前達も知っている翡翠の羽根。あれが全ての始まりだった。
 我等の時代から極々稀に、羽根を持って生まれる者はいた。が、近年ではほぼ途切れていた。それが幾星霜を経て何故に唐突に現れたのか、我にも分からぬ。だが黒い災厄が訪れた時、それは大いに意味をなした 》

 ヒクリと揺れたのはヤンだった。

《 羽根の護りの力を目にした民が……通常時なら、その偉大さにおののき尊(たっと)ぶのみであったろうが……悪魔に舐め尽くされ絶望の淵にあればどうだった? 身も世もない悲しみの底で、病を跳ね返す羽根の存在を知ったらどうなった? 
 欲しがっただろう、何故あいつだけと不満を抱いただろう。羨望からの嫉妬、欺瞞(ぎまん)憎しみ憤り……それら羽根を求める欲望が、我に力をもたらしたのだ。民が我を求めたのだ 》

「嘘!」
 フウヤが叫んだ。
「皆、一時は羨ましがってたけど、すぐにやめたよ。ねえ、ヤン」

「う、うん……」
 肯定したものの、ヤンは自信がない。
 羽根を欲しがる三つの部族が争った悪夢のようなあの夜は、いまだ心に傷を残している。優しいと思っていた普通のヒト達が、シンリィを見た途端、昔の不満を噴出させて、簡単に変貌してしまったのだ。確かにあそこには、黒いドロドロとした猛烈な力が渦巻いていたように思う。

「ヒスイ色の羽根ってなに? シンリィの羽根と違うの?」
 よく分かっていないリリは、不安そうに周囲を見回す。
 ユゥジーンが寄って、小さな声で教える。
「リリが生まれる大分前に、世界に怖い病気が広まったんだ。昨日まで元気だったヒトがバタバタ倒れて、どうしようもないまま三日ももたずに死んでしまう黒い災厄」

「・・蒼の妖精のヒトも?」
「蒼の里だって五人に一人を失った。俺は小さかったけれど、周囲のヒト達が櫛の歯が抜けるように毎日ボロボロ居なくなって行ったのを覚えている。それでも防疫の知識があったから、まだ他所よりはマシだったんだ」

 リリは表情を硬くして唾を呑み込んだ。

「そんな中、弱い部族を巡り、病気の防ぎかたを教えて回った蒼の妖精がいた。そのヒトだけは病気に掛からなかった。背中の翡翠色の羽根に護られていたからだ。でもそれを見たヒトの中には、ズルいと思ってしまうヒトもいた」

「ち、違うよ。三峰の皆も族長も、ずっと感謝してるって言ってたよっ。確かにちょっとだけ色々あったけど、ちゃんと思い直したよ。そうでしょ、ヤン」
「う、うん……」
 ヤンはまた言い澱む。
 その時の抗争で当のフウヤが全身に矢を受けて、三つの部族はやっと我に返ったのだ。あれが無かったらどうなっていたか分からない。しかしあんな目にあったのにちょっとした事扱いのフウヤはどうかしている。
「僕も母さんも、防疫の知識を貰ったお陰で生き残れました。感謝している、とても感謝しているんです……」

 リリは紫の瞳を揺らしながら、フウヤとヤンを交互に見た。この子達が嘘を言っていないのは分かるけれど、どうしてこんなに自信無さげなのかしら。


《 感謝はするだろう。だがその後に何が来る? 必ず不満が来るのだ。あいつは大丈夫なのに何故自分達だけが損をする? と。必ずだ! 何年も経って感謝が薄らいで、神のエコヒイキだったなどと、唱え始める者もいたな 》

 ヤンはますます自信を失くし、意識もせずに一歩退いた。

《 ヒトの本質は結局そうなのだ。貰っても満足せず、それが当たり前になるだけ。貰えば貰うほど欲しがる ・・欲しがる、欲しがる、欲しがるのだ!! 》

 ユゥジーンは喉をクッと鳴らして口を結んだ。
 自分は蒼の里でその話を聞いた時、素直にイイ話だと思った。てっきり感謝されて終わりだと思っていた。里から遠く離れた三峰の山の者達に触れて、初めて彼らの複雑な感情を知ったのだ。

《 お前たちは我が意識して民の心を薄っぺらにしたと思っているようだが、違うぞ。民は元々がああだったのだ。
 最初に得たエネルギーで我がした事は、己の素(す)を映す鏡を深層世界にばらまいただけ。寧ろ民に問うたのだ。今の時代に神は必要か? と。
 結果は知っての通り。民草の欲望が惹かれ合って雪玉が転がるように膨れ上がり、我の元へ膨大なエネルギーとなって返して来てくれた。お陰で封印を破壊する事が出来た。
民が望んだのだ。これが答えだ。やはり神は要るのだ。この大地の為にも 》

(それはそうなのだろう……)
 ヤンは唇を噛み締める。
 豹変してしまった街人や商人は、意地悪なマボロシに取って代わられた訳ではなく、鏡に映った素の自分になっただけだったのだ。結果、それまで築いた社会をいとも簡単に壊してしまった。
 自分達のような子供が叫んだって何の力にもならない。

 考え込んで黙った黒髪の少年の横で、フウヤはキッと像を睨んでいる。彼はヤンほどヒト好きではないし、世の中に期待を抱いていない。
 それでもこの石像の言う事はムカつく。言い返せない自分にもムカつく。

《 孤高より見下ろす存在こそが民に安堵を与える。同じ場所に降(くだ)っては駄目だ。愚か者どもを付け上がらせるだけだ。手の届かぬ上に居なくてはならぬ。
 ああだがやはり、お前達では幼過ぎたやもしれぬ。青き理想に凝り固まって現実が見えていない。辛酸舐めた大人の方が、民の愚かさも厄介さも分かっているだろう。
 では試しに羽根を背負い里へ帰ってみればよい。苦い顔をしつつも結局は迎え入れられるぞ。病に伏す西風の長でも、若く力足りぬ蒼の長でも、上辺は何と言っていようが…… 》


「・・ざっけんな!!」
 知らない声が響いた。
 違う、ユゥジーンだ。ユゥジーンの聞いた事もない声。







ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

シンリィ:♂ 蒼の妖精  愛馬は白蓬(しろよもぎ)

蒼の長ナーガの甥っ子。

言葉を使わないのに人付き合いが出来るのは、汲み取る力が突き抜けているから。

ヤン:♂ 三峰の民  愛馬は四白流星

狩猟部族の子供で弓の名手。家族は母一人。フウヤとは相棒同士。

指笛が得意なのは、幼い頃亡くなった父から唯一教わった物だから。

フウヤ:♂ 三峰の民  愛馬は栃栗毛(愛称・黒砂糖)

フウリの弟。風露を家出して、ヤンの家に転がり込んで居候。

ナーガを嫌っているのは、自分の無力を思い知らされるから。

ルウシェル:♀ 西風の妖精  愛馬は粕鹿毛

西風の長モエギの娘。シドとソラは教育係。

蒼の里へ行きたがっているのは、違う教育を受けたら自分は変われると思っているから。

ユゥジーン:♂ 蒼の妖精  愛馬はコバルトブルー(大器晩成タイプ)

幼名ジュジュ。執務室の見習い。シンリィと友達だがそれ以上にはならない。

ヒトとの関係を深めたがらないのは、失う事を怖がっているから。


リリ:♀ 蒼の妖精  愛馬はまだいない(白蓬が大好き)

ナーガとフウリの娘。身体の成長だけ早くて中身がアンバランス。

言葉の覚えが早いのは、自分の事を他人に知って欲しいから。

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精  愛馬は闘牙の馬二世

当代の蒼の長。長に就任した途端、数万年ぶりのご先祖様の逆襲が始まって大変。

父親としてポンコツなのは、『親』という物に高い理想を抱き過ぎているから。

シド:♂ 西風の妖精  愛馬は青毛

西風の長モエギの側近。修練所の教官。

エノシラを意識しだしたのは、生え方がエグくて悩んでいた胸毛をスルーされたから。

ソラ:♂ 西風の妖精  愛馬はパロミノ

西風の長モエギの側近。西風の外交官。

大長を追い掛けたのは、自分を叱ってくれるヒトがいないと不安だったから。

フウリ:♀ 風露の民

二胡造りの名人。ナーガの妻。フウヤの姉。

何があっても仕事がぶれないのは、大昔に諭してくれたヒトの言葉を忘れていないから。


大長:♂ 蒼の妖精  愛馬は先日亡くしました。今は夏草色の馬を拝借。

先先代の蒼の長。アイスレディの兄。行方不明扱いに乗じて、身分に縛られず行動。

名前が無いのは、授けてくれるべきヒトが急逝してしまったから。

ノスリ:♂ 蒼の妖精  愛馬は里で一番筋肉の多い馬

先代の三人長の内の一人。

おちおち隠居もしていられないのは、ヒヨコ長のナーガが危なっかしいから。


ホルズ:♂ 蒼の妖精  愛馬はぽっちゃり系

蒼の里執務室の統括者。ノスリの長男。

文句を言わず黙々と働くのは、縁の下の力持ちに誇りを持っているから。

エノシラ:♀ 蒼の妖精  愛馬はソバカス馬

助産師のヒヨコ。シンリィやルウシェルの世話をしていた事がある。

ダイエットを始めたのは、生まれて初めてのお姫様抱っこで相手がよろめいたから。


アイスレディ:♀ 蒼の妖精  愛馬はごく普通の馬(本人談)

ナーガの母。シンリィの祖母。大長の妹。風の神殿の番人。

妙に儚くなったのは、自分の役割がそろそろ終わる事を悟っているから。


赤い狼:?? ???

ヒトの欲望を糧に生きる、戦神(いくさがみ)。

何事にも動じなければ永遠に生きられる、そういう時間に価値を見いだせなくなったから…

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み