星の雫・Ⅳ

文字数 2,307文字

   


 二人は慌てて外へ飛び出し、更に絶句した。

 空の波紋は、彼方にも此方にも、里をぐるりと囲うように現れていた。
 里の真上はまだ清浄な星空だが、黒い雨雲のような波紋は、地平からジワジワとこちらへ向かって伸びている。

 里の中心の執務室には既に明かりが付いている。
 ユゥジーンは即座にマントを引っ掛けて走り、ヤンも後に続いた。

 家々の間に、起き出して空を見上げるヒト達が見える。皆不安そうだ。


 執務室の入口に手を掛けようとして、ユゥジーンは止まった。
 中から荒い声が聞こえたからだ。

「あの波紋は何なのですか。いい加減、我々にも教えて下さい!」
 執務室メンバーの一人だ。
「私は蒼の長様を信頼しているから、何があっても着いて行く心づもりです。しかし教えて置いて頂かない事には、いざという時に判断を誤るかもしれません」
 別のメンバーの声。いつもは寡黙で不満のひとつも言わないヒトだ。


「ユゥジーン、部外者の僕は居ない方がいい雰囲気だよね。下宿の部屋へ戻っていようか」
 ヤンが言ったが、ユゥジーンは首を振って、彼の手を引いて建物の横へ回った。

 直後、大きな身体を揺すってノスリが入り口を入って行った。

「親父、ナーガは?」
 執務室統括者のホルズの声。

「もう出た。結界をガチガチに張って行ったから、里にアレが入って来る事はない。結界が効いている内に片を付けると言っていた。皆には、ホルズの指示のもと、冷静に動くようにとの事だ」

「我々も長と共に闘いたいです」
 最初に喋っていたメンバーの声。

「『長は民の為に働き、民の心が長を支える』。後方の俺達が一枚岩で支えているから、長は安心して矢面(やおもて)に飛び出して行けるのだ。お前の受け持ちの範囲だって、崩れたら取り返しの効かない大切な所だぞ」

「でも……あまりにも隠し事をされると」

「親父、俺もそう思う。もう少し話してくれても良かぁないか」

 一息吸ったノスリが押さえた声で言った。
「ホルズ、お前の母親フィフィは、知ってしまったが為に、心を持って行かれ命を落とし掛けた」

 外の窓の下で聞いていた少年二人も、建物内の空気が一気に緊張したのを感じた。

「この波紋を生み出している場所の、禁忌に関する事だ。波紋に関わり過ぎるとそれに触れてしまう恐れがある。フィフィの時はカワセミが、術で記憶をゴッソリ抉(えぐ)り取る荒業で、彼女を救済したんだ。今はそんな便利な術を使える者はいない。俺はまかり間違っても、お前達をそんな危険に晒す訳にはいかん」

 説得には充分な台詞だ。これで収まるだろうとヤンは思った。が、メンバーの一人はまだ残す言葉があるようだ。

「じゃああの子供は? 長様はあの子だけに多くを教えて常に近くに置いている。あの子は何が違うというのです」
 ヤンは息を呑んで、顔を向けないで隣のコバルトブルーの少年を見た。
 彼は口を結んでいる。

「あの少年には哀しむ身内がいない」
 ノスリの言葉に、ヤンの背筋がヒュッと冷えた。
「親父、そんな言い方」
 さすがに咎める者がいる。

「それが全てだ。何かあった時躊躇(ちゅうちょ)なく、長の為に全てを捨てられる身軽な子供。あの子を長の側に置いているから、俺らはある程度安心していられるんだ。そうだろ、ホルズ。哀しむ家族のいる者にそんな役割は宛(あて)がえない」
 心臓が凍り付く冷たい台詞。
 それでもう、熱かった場はすっかり冷え鎮まって、大人達は本日やる仕事を具体的に話し合い始めた。


「俺は捨て駒かよ」
 窓の下でポツリと呟いたユゥジーンの両肩を掴まえて、ヤンが口端をへの字に折って首をプルプルと振った。

「言ってみただけだよ。冗談、冗談、本気にするな」
 少年はヤンの手を引っ張って、執務室を離れて来た道を戻った。

「あれは皆を納得させる為の屁理屈。ノスリ様、自分が冷血役になって、俺に向いた不満の矛先を変えてくれたの。俺がちゃんと理解していれば問題ない」
「……そうなの? そういうの、予(あらかじ)め決めているの?」

「いや? でも分かるから。ノスリ様、俺の剣の師匠なんだ。あのヒトを普段からちゃんと見ていたら、どういう考えで言っているのか。一瞬で俺への恨み節が憐れみに変わったじゃん。さすが年の功だよな」
「…………」

 そうして話しながら歩いている間にも、朝焼け空に不気味な波紋が地平から伸びている。
「でもナーガ様、出掛けちゃったのか……」
「そう言っていたね」
「う――ん」
 ユゥジーンは歩きながら腕を組んで考え込んだ。

 ヤンは隣で首を捻った。
 執務室の一員なら、皆と一緒に決められた仕事に参加した方がいいんじゃないかな? 
 今、入りにくいだろうけれど。

 前方の灌木帯で人影が動いた。長い三つ編みを足らした女性。

「エノシラさん?」
 ユゥジーンが駆け寄った。
「どうしたの? また急患?」

「いえ、夕べの患者さんに薬を届けた帰り。これから帰宅して寝る予定だったんだけれど、空があんなでしょう。具合を悪くする患者さんが続出しそうだから、とっととお腹に何か入れて、オウネお婆さんの診療所へ行こうと思う」

「ご、御苦労様」
 空への不安より、それによって起こる事への対処を考えている。見習わなきゃ、と二人は思った。

「ね、ユゥジーン、今朝ナーガ様どうだった?」
「もう出掛けたらしいから会っていないんだけれど。どうかしたの?」

「薬を届けに行く時に、馬繋ぎ場でお会いしたの。何かお仕事かしらと、会釈だけしてすれ違おうとしたんだけれど…………ちょっといつもと違う、おかしな事を言ってらした」
「……どんな?」

「『自分の気持ちに正直になりなさい。後悔のないように』って。唐突によ。変でしょ」
「…………」






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登場人物紹介

シンリィ:♂ 蒼の妖精  愛馬は白蓬(しろよもぎ)

蒼の長ナーガの甥っ子。

言葉を使わないのに人付き合いが出来るのは、汲み取る力が突き抜けているから。

ヤン:♂ 三峰の民  愛馬は四白流星

狩猟部族の子供で弓の名手。家族は母一人。フウヤとは相棒同士。

指笛が得意なのは、幼い頃亡くなった父から唯一教わった物だから。

フウヤ:♂ 三峰の民  愛馬は栃栗毛(愛称・黒砂糖)

フウリの弟。風露を家出して、ヤンの家に転がり込んで居候。

ナーガを嫌っているのは、自分の無力を思い知らされるから。

ルウシェル:♀ 西風の妖精  愛馬は粕鹿毛

西風の長モエギの娘。シドとソラは教育係。

蒼の里へ行きたがっているのは、違う教育を受けたら自分は変われると思っているから。

ユゥジーン:♂ 蒼の妖精  愛馬はコバルトブルー(大器晩成タイプ)

幼名ジュジュ。執務室の見習い。シンリィと友達だがそれ以上にはならない。

ヒトとの関係を深めたがらないのは、失う事を怖がっているから。


リリ:♀ 蒼の妖精  愛馬はまだいない(白蓬が大好き)

ナーガとフウリの娘。身体の成長だけ早くて中身がアンバランス。

言葉の覚えが早いのは、自分の事を他人に知って欲しいから。

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精  愛馬は闘牙の馬二世

当代の蒼の長。長に就任した途端、数万年ぶりのご先祖様の逆襲が始まって大変。

父親としてポンコツなのは、『親』という物に高い理想を抱き過ぎているから。

シド:♂ 西風の妖精  愛馬は青毛

西風の長モエギの側近。修練所の教官。

エノシラを意識しだしたのは、生え方がエグくて悩んでいた胸毛をスルーされたから。

ソラ:♂ 西風の妖精  愛馬はパロミノ

西風の長モエギの側近。西風の外交官。

大長を追い掛けたのは、自分を叱ってくれるヒトがいないと不安だったから。

フウリ:♀ 風露の民

二胡造りの名人。ナーガの妻。フウヤの姉。

何があっても仕事がぶれないのは、大昔に諭してくれたヒトの言葉を忘れていないから。


大長:♂ 蒼の妖精  愛馬は先日亡くしました。今は夏草色の馬を拝借。

先先代の蒼の長。アイスレディの兄。行方不明扱いに乗じて、身分に縛られず行動。

名前が無いのは、授けてくれるべきヒトが急逝してしまったから。

ノスリ:♂ 蒼の妖精  愛馬は里で一番筋肉の多い馬

先代の三人長の内の一人。

おちおち隠居もしていられないのは、ヒヨコ長のナーガが危なっかしいから。


ホルズ:♂ 蒼の妖精  愛馬はぽっちゃり系

蒼の里執務室の統括者。ノスリの長男。

文句を言わず黙々と働くのは、縁の下の力持ちに誇りを持っているから。

エノシラ:♀ 蒼の妖精  愛馬はソバカス馬

助産師のヒヨコ。シンリィやルウシェルの世話をしていた事がある。

ダイエットを始めたのは、生まれて初めてのお姫様抱っこで相手がよろめいたから。


アイスレディ:♀ 蒼の妖精  愛馬はごく普通の馬(本人談)

ナーガの母。シンリィの祖母。大長の妹。風の神殿の番人。

妙に儚くなったのは、自分の役割がそろそろ終わる事を悟っているから。


赤い狼:?? ???

ヒトの欲望を糧に生きる、戦神(いくさがみ)。

何事にも動じなければ永遠に生きられる、そういう時間に価値を見いだせなくなったから…

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