ジュジュ・Ⅱ
文字数 3,837文字
シンリィが旅に出て数ヵ月。
冬も終わりに差し掛かっていたが、その夜は酷く冷え込んだ。
凍えるような月明かりの下、ジュジュは執務室への坂を登る。
空いた時間に宿題をした時、どこかに教科書を置き忘れたのだ。
あれがないと宿題が仕上がらない。
「う~~寒……」
目的の書物はすぐに見付かり、ホッとして外に出た時、建物の裏手から人影が歩いて来た。
そちらにはナーガ長の住居しかない。
(えっ!?)
頭からストールをすっぽり被ったそばかすの女性。
「エノシラさん?」
思わず声を出した少年を振り向いて、女性は困った顔をした。
「ああジュジュ、え、えっとね、ナーガ様に急用があったの。大した事ではないのよ、ではね」
彼女はストールを被り直して去ろうとする。
ジュジュは何も言わなかった。
彼女には婚約者がいる。
夜中に別の殿方の家から出て来るなんてはしたない所を見られても、俺なら他言しないと信用してくれているのだろう。
(でもそれはそれで嫌だ。俺が何も感じないと思われているみたいで)
ジュジュの心情に呼応するように、女性はすぐに引き返して来た。
「あのね、貴方なら話してもいいと思うから、話すわ」
「いいよ、無理に話さなくても。俺には関係のない事でしょ?」
という拗ねた言い方は、
「シンリィと旅に出た子供逹が、山の中で病気で倒れてしまっているようなの」
という返しで吹っ飛ばされた。
「で、でも、エノシラさんの見た、『夢』の話だよね?」
一通り話を聞いたジュジュは、一応そう言ってみた。
ヤン達が雨の中、山奥の廃屋で苦しんでいる。一人は意識も無い。
しかもシンリィは、彼らを助けようと、邪(よこしま)な魔物の力に頼ってしまった。
夢であって欲しいけれど、所々がリアル過ぎる。
「ただの夢だったらいいんだけれど……」
エノシラも、目を覚ました直後は、言いに行こうかどうか迷ったという。
「でもあの赤い魔物は以前に会った事があるの。寝ている者の夢を連れ出せるのは本当なのよ」
それでもジュジュは半信半疑だった。
シンリィが危険だと言う割りに、目の前のエノシラは不思議に落ち着いている。
「ナーガ様は何て?」
「あの方は……よく分からない」
「どういう事?」
「シンリィはいつも、行くべき所を自分で決めて、やるべき事をやりに行く、って仰るの。だから心配しなくてもいいって。そんな事を言われても、ねぇ……」
ああ、俺と同じ考えなんだ……ジュジュは思った。
そして、蒼の長の言葉は、納得出来ないながらもこの女性の心を安らげている。
彼女は何だかんだ言いつつも、明日の仕事の為に自宅へ帰った。
エノシラを見送った後、ジュジュは執務室に引き返した。
ほどなく執務室に入って来たナーガ長は、カンテラが付いていたのと、そこに居たのが小間使いの少年一人だったのと、彼が大机に地図を広げてスタンバっていたのに、目を丸くした。
「ヤン達は、街道を使わないで、山脈越えのルートを使うと言っていました。エノシラさんの雨が降っていたという証言と、地形、猟師小屋らしき廃屋から、かなり絞り込めると思います」
「ジュジュ……」
「行くんでしょう?」
どっしり構えている振りをして、エノシラさんや皆を安心させなきゃならない立場なんだろうけれど、貴方今、スゴい顔をしていますよ。
それと……
***
『俺で役立てる事があれば手伝います』
そう言ってくれた少年を後ろに乗せて、ナーガ長は、高速気流で山中を目指した。
ジュジュが地図でアタリを付けてくれた事、雨雲の範囲が小さかった事で、猟師小屋は比較的すぐに見付かった。
二人、音をさせずに地上に降り立って、ナーガ長が小屋に向けて、そっと眠りの術を掛けた。
戸口を潜ると、白い髪の子供が、看病の濡れ手拭いを掴んだまま、病人の前で突っ伏している。
もしかしたら眠りの術を掛ける前から力尽きて眠ってしまったのかもしれない。
具合を悪くしている二人の子供は、看病の甲斐あってか、大分落ち着いているようだ。
「お前が風邪ひいたら元も子もないだろうに」
ジュジュがぐったりしたフウヤに毛布に被せて寝かせている間、ナーガは病人二人に治癒の術を施した。
最後に小さく祝福を唱えて、外に出る。
「ジュジュ、この事は」
「内緒ですね、いいですよ。フウヤには俺も世話になりましたから」
「恩にきるよ」
言いながらナーガは、小屋の前の獣らしき大きな足跡の前で屈んだ。
「あの、シンリィはやっぱり、魔物に連れて行かれてしまったんでしょうか?」
魔物の術で、医療知識のあるエノシラを呼んで貰い、その代償として我が身を差し出した……
ここへ来る前、ナーガ長はそう予想していたが、来てみたら本当にシンリィがいない。
魔物……足跡は、エノシラの言っていたように狼っぽいが、禍々しい程に大きい。
「いやナーガ様、この魔物大き過ぎ。ヤバくないですか、ねえ……」
返事がないので見ると、ナーガは目を閉じて、両手をぬかるんだ地面に押し当てている。
(『地の記憶を読む』って奴だ!?)
そこで起こった出来事を、地べたに教えて貰う……今の里ではこのヒトぐらいにしか出来ない、太古の術。
ジュジュは口を結んで大人しく待った。
しばらくしてナーガは顔を上げ、やにわに、小屋の中へ引き返した。
「ナーガ様、何か分かったんですか?」
後を追って扉を潜ると、ナーガは、術が効いて熟睡しているフウヤを覗き込んでいる。
「可哀想に」
「……?」
「シンリィを行かせてしまった自分の不甲斐なさにベソをかきながら、残った友達の看病をしていたのか」
さっきは気付かなかったが、フウヤの頬は涙と鼻水の跡が筋になっている。
「えっ、いや、だから、魔物を追い掛けないんですか!? 俺を気遣っているんならここに置いて行ってくれていいですよ。何とでもなりますから」
ジュジュは焦って言うが、ナーガは俯(うつむ)いて焦然としたまま動かない。
「……ないんだ」
「え?」
「分からないんだ。本当に分からない。シンリィの方から、あいつを追い掛けて行ったんだ」
「は・・!?」
「あの獣には子供の頃から付きまとわれている。『お前の欲望を寄越せ、本当は腹の底にたんまり溜め込んでいるんだろ』とか、こちらが弱っている時に現れてはネチネチと。だから今回だって僕に対する嫌がらせかと思っていた。でも、どう見たって、シンリィが自分の意志であいつに着いて行っていた」
「…………」
「あいつとは相性が悪い。話が通じない、破邪も効かない。はっきり言って大嫌いだ。そんな奴に、何で着いて行ってしまうんだ……」
ナーガは下を向いたまま、吐き捨てるように呟く。心底打ちひしがれている口調。
そりゃ、大切にしていた子供が大嫌いな奴に着いて行ってしまったら、そうなるだろう。
それでもこのヒトは蒼の長だ。
フウヤみたいに涙でベショベショになっている訳には行かない。
(っていうか、何でいつもいつも俺の前でそういう所を見せちゃうんだよ、このヒト……)
・・・
「えっと、シンリィにとっては、相性が良いんじゃないですか?」
ナーガは青ざめた顔を上げた。
ジュジュは、板間の上り口に落ちていた石を拾い上げる。
シンリィの首に掛かっていた、半月型の半透明の石。
「『お前の欲望を寄越せ』なんて、シンリィには暖簾(のれん)に腕押しでしかないじゃないですか。ナーガ様が言うように、ネチネチ系の精神攻撃が身上の魔物相手なら、あいつは最強だ。何か理由があって行ったんですよ。いつもそうでしょ、あいつ」
長殿は、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で少年を見つめた。
***
手が泥だらけなナーガに変わって、ジュジュが、眠っているフウヤの頬を拭いてやる。
ついでに半透明の石も握らせてやった。
「気持ち良さそうにクゥクゥ寝ちゃってさ。偉そうに突っ張ったって、結局ナーガ様の手の内なんだから」
「ジュジュ」
強めの口調で遮られ、少年はビクッとなった。
「本当に内緒で頼むよ。この子は自由なんだ。何処にでも行けて、何者にでもなれて」
「…………」
帰りの馬上。
ナーガの後ろで黙っていたジュジュが、思い定めたように、切り出した。
「俺、執務室の他のヒト達みたいに、草原の平和の為とかに、身を粉にして働く程の使命感、無いんです」
「うん、そうか」
「だから、正規メンバーになるつもりはありません。小間使いの後釜が入ったら、執務室から離れて、平々凡々に生きます」
「うん、そうか…………ぇ?……ええっ!? 困るっ!!」
「困りませんよ。俺くらい働ける奴なんか、他に幾らでもいます」
「いないいないいないいない!!」
手綱を握る手が興奮して、馬も何事かとこちらに耳を向ける。
「ジュジュがいないと困る!」
「ホルズさんが?」
「僕が困る、僕が!!」
「ふ――ん、じゃあ・・」
少年は意味深に間を置く。
今回の『内密に』は、フウヤ達に対してだけではない。執務室のホルズやノスリに対してもだ。
偉大なる蒼の長が、夜中に勝手に私情で出掛けて、勝手に摩耗して帰って来るなんて、バレたら滅茶苦茶叱られる。「お前の身体はお前一人の物じゃないんだぞ」と。
ナーガの身体は、ナーガの意志の自由にはならない。
「草原の、蒼の里の、執務室の、蒼の長の配下ではなく。俺は表向きはメンバーを名乗っても……貴方の為だけに働く、ナーガ様個人の配下になりたいんですけど。それでいいですか?」
あ――あ、言わされちゃった……
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