呼び声・Ⅲ
文字数 4,965文字
地平線に金の線が入り、朝陽が登る。
ヤンとフウヤの二人は、サクサクと山を降りて平地に掛かった。
まだ起き出さない壱ヶ原の街の前を通過する。
昼近くに、大きな川の畔に出た。
ひんやりした風が火照った頬を撫でる。
「ねぇ、ぼちぼち休もうよ」
「そうだな、馬にも飼いをやらなきゃ」
下馬して腹帯を緩め、馬の汗を拭いてやる。
自分達は簡単な携行食をかじり、馬には麦を与えた。
「あ、空」
フウヤの声に見上げると、一頭の草の馬が見えた。
何処かへの通り道になっているらしく、この辺りで蒼の妖精の騎馬を見掛けるのは珍しい事ではない。
「あれ? あの馬」
目の良いヤンが、覚えのある色に気付いた。
「ジュジュだ!」
「え? 本当?」
フウヤはもう一度目を凝らすが、馬は高い所を通過して行く。
「あぁん、気付いて貰えないか。しようがないよね」
フウヤは気を取り直して目を下ろしたが、隣のヤンはまだ空を凝視したままだ。
「ヤン?」
「あれは……」
「どうしたの?」
フウヤに気付けない物が、ヤンには見えているらしい。
「危ない!」
ヤンは叫んで、馬に飛び乗って急発進させた。
「ヤン!?」
フウヤも慌てて付いて行く。
「ジュジュ、後ろ! 後ろだ――!」
必死で追い掛けるフウヤにも、やっと見えた。
ジュジュの騎馬の後ろの空が、不穏に歪んで波打ち始めているのだ。
「ジュジュ――!」
しかし、空の騎馬は地上の二人の声に気付かない。
そのまま高度を上げて飛び去ろうとしている。
空の波紋は、そんなに速度は出せないようで、まるで諦めたかのようにその場に留まった。
「大丈夫だったんじゃない?」
「ああ、そうだな…………んんっ!?」
まるで目が合ったように、空の波紋が一瞬止まり、その後こちらへ向いて下り始めた。
目標を僕らに変えたって事!?
波紋は大きさを増しながらどんどん迫って来る。
「う、嘘だろ!」
「何か分かんないけど逃げろ!」
二人は左右に散ろうとしたが、馬だって疲れている。
あっと言う間に追い付かれてしまった。
「フウヤ!」
「ヤン――!」
二人は馬から投げ出され、バラバラに飛ばされた。
地面が無い、空も消えた、訳の分からない波に翻弄されるばかり。
何処だ、こ・こ・は・・!
もがくヤンの向かい合わせに、すうっと何かが流れて来た。
フウヤじゃない。
黒い瞳、自分と同じ顔。
《 無駄無駄、今から砂漠へ向かったって何が出来るよ。成人の儀礼を反故にしてさ。どうしてこういつもいつも損する方向に走っちゃうの? 貧乏クジって分かっているのに 》
「な、なんだ?」
フウヤの耳元にも、背後から白い少年が摺り寄っていた。
《 ねぇ、いつまでヤンにくっついてるの? 迷惑かけてるのが分かんないの? 》
「えっ! 何、ナニ?」
――開けぇぇ――――!!
少年の叫び声と共に光がなだれ込み、二人に絡み付いていたマボロシは目を覆って怯んだ。
「そこの二人! こっちに向かって走って!」
「む、無理ィ……」
「足が……地に付かない……」
「それでも走れ! こっちももうもたないぞ!」
「まま待って」
「ちくしょー!」
もがく内にフッと身体が軽くなり、二人は現実感のある土の上に投げ出された。
「いったぁーい」
「フウヤ!」
ヤンは即座に身を起こしたが、酷い吐き気にうずくまった。
何だったんだ、今の。
ホンの一時だったけれど、凄く嫌な気持ちになった。
「大丈夫か? 頭、しっかりしてるか?」
声のする方に顔を向けると、コバルトブルーの髪の少年が、草の馬から下りて走り寄って来る所だった。
「ジュジュ……」
ヤンは頭を振らないようにしながら、ゆっくりと身を起こした。
「馬は無事みたいだぞ、巻き込まれずに逃げたな」
少年が指す地平に、二人の馬が怯えながらもこちらへ歩いて来る。
「あ、ありがとう。助けてくれたんだよな」
何か、彼に会う時って、こんなばっかりだな。
「砂利呑んじゃった・・」
フウヤも、口の中の砂を吐きながら起き上がった。
三人は慌ただしく再会を喜び合い、ユゥジーンは拝名して名前が変わった事を告げた。
「いいな、カッコイイ名前」
「うん、良い名前だね、西の方では、『誉れ』とか『誕生』とかの意味がある」
「おお、ヤン、知ってるんだ」
「今、色んな土地のヒトと文通しているから。最近新しく習ってる言語でも意味があったな、確か『羽根』の……ぁ」
「ん、何? そこまで言って止まられたら気になるだろ」
「羽根の、『悪魔』……」
「…………」
「カッコイイ!」
フウヤがあっけらかんと断定して、二人も苦笑いになった。
何でこんな所に? という話になって、ヤンは赤メノウの腕輪を見せて、経緯を話した。
「ほぉ、それで市場で偶然その腕輪を見掛けたってだけの理由で、正確な事とか何も知らずに、ただの憶測で砂漠へ向かっていると?」
ユゥジーンが両手を腰に当てて呆れた声を上げた。
・・確かに言っちゃえばそうなんだけれど、そんな纏めて一気に言わなくても……
しかしユゥジーンは次の瞬間、片手で額を覆ってその場にしゃがみ込んだ。
「はあ、まったく君らには敵わない」
言いながら、腰の革袋から一枚の手紙を引っ張り出して見せてくれた。
鷹の手紙によく使われる、薄くて小さい紙片。
簡略した文章で、西風の里の長娘ルウシェルの婚姻が決まった事、急な事ゆえ蒼の長殿の招待無き事への深謝、が記されていた。
やっぱりルウの婚姻だったんだ。けれども何だか雑な文字から、寿(ことほ)ぎ事からかけ離れたおざなり感が、ひしひしと感じられる。
沈み込む二人にユゥジーンは、今度は懐から、大切にしまっていたらしい紙片を取り出した。
最初のより更に小さい。開くと、丸っこい可愛らしい文字。
ルウ……!
《私は大丈夫です。ご心配に及びません。皆々様の末長いご健勝をお祈りしております》
三峰の二人は目を見開いた。
そして眉間にシワを入れ唇を噛み締めて、憤懣(ふんまん)やる方ない表情になる。
「ルウ・・!」
ユゥジーンはそんな二人を黙って見つめた。
手紙というのは不思議だ。
読むヒトによって、何と受け取り方の違う物か。
「そんで……そんで、ナーガさんは何て!?」
フウヤが叫ぶ。
「蒼の里は、西風の中で決まった事には口出ししない方針なんだ。ずっと前の代から」
「大人ってダメ! ホント、ダメダメ!」
「フウヤ、他部族の事に口出ししないのは、平和にやって行く為の定石(セオリー)だよ。上に立つ者なら尚更」
「ああっもぉっ、正論ハラ立つっ!」
「だからさ」
ユゥジーンは、今度は大きな羊皮紙を取り出して広げた。地図だ。
「今朝、執務室に入ったら……ああ、朝一番に執務室に入るのは大体俺なんだけれど……小机に、昨日来たこの手紙と一緒に、地図が置いてあった。西風の里の場所が赤の二重丸で印されて」
指差す先に、ヤンの持つ『写し』より正確に、西風の里の所在地その物が記されている。
「え、どういう事? ユゥジーンに、勝手に飛び出したって体で、行けって事?」
「それ以外に何があるの」
「…………」
「確かに行きたいとは思った。そんな顔をしたと思う。でも、行って何が出来る訳でもないって考えの方が前に出て、すぐに引っ込めた。ナーガ様がこうやって背中を蹴飛ばしてくれなかったら、多分旅発たなかったと思う。だから、君らは凄いよ」
ヤンは、手に持つ腕輪を見つめた。
これはユゥジーンに託すべきだろう。
空飛ぶ馬を駆る彼の方が、断然早い。
でも……
フウヤはヤンをじっと見ている。
ルウが今どんな気持ちでいるかを考えると、一刻も早く腕輪を届けてあげるのが一番だ。
でもヤンにはきっと、別の気持ちもある。
三頭の馬が同時にいなないた。
不意に地面が暗くなる。
目を上げると、頭上に音もなく、さっきのと同じ渦巻きが迫っている!
ユゥジーンは跳ねるように立ち上がった。
「またかよ!」
……胸の翡翠は震えない。
シンリィが来ないという事は、退治する必要もない小者なのだろう。
先程はこの二人が吸い込まれるのを目撃したから、一緒に飛び込んで内側からぶち破ったが、押さえ役がいないと完全に消滅させるのは無理か。
「二人とも馬と一緒に避難して。俺も時間を稼いでから飛んで逃げるから」
「お、おう」
ヤンとフウヤは慌てて自分の馬の手綱を取った。
「あ……」
ユゥジーンの後ろ姿が、いきなり剣を下ろして止まった。
「ねぇ、ヤン、フウヤ」
「何? 何か手伝う事ある?」
「西風の里へ行きたいだろ?」
ヤンより先にフウヤが、「行きたい!」と叫んだ。
「そう、オッケー、あちらまでの距離を縮める方法がある」
「ホント!?」
「西風の里……あっちだな、この方向に向いて、渦に飛び込む。そのまま方向を違えずにひたすら馬を走らせれば、地上より遥かに距離を稼ぐ事が出来る」
「マジ!?」
「ただし、やった事はないんだ。『理論上はそう』ってだけで。それにあの空間には質(たち)の悪い『マボロシ』が現れて、結構危険な……」
ユゥジーンが喋っている間に、二人は馬を引き寄せて乗馬していた。
「さあ来い渦巻きちゃん」
「出来るだけ西風の近くまで運んでおくれ」
「最後まで聞けよ!」
「マボロシって、さっきの真似ッコ妖怪が来て、ちょこちょこっと煽る奴だろ。ぜぇんぜん、どぉって事ない!」
「うん、気分悪いけど、あんなのマトモに取らなきゃいいだけだし」
「お前ら……」
怖いもの知らずって言うか、知らないってある意味強力だな。
ユゥジーンは刀を鞘に収め、自分も馬に飛び乗った。
「行くぞ! 固まって、はぐれるんじゃないぞ!」
「え、ユゥジーンは飛んで行けるじゃん?」
「誰が内側から穴を開けるんだよ。第一、危険な道を教えといて『じゃあ頑張ってね』なんて出来る訳ないだろ、カッコ悪い」
言っている間に目の前に渦巻きが広がり、三人は息を合わせて西風の方向へ向いてジャンプした。
***
空気の塊が水流のようにぶつかって来る。
泥みたいな感触で気持ちが悪い。
三頭はユゥジーンを先頭に三角形に固まって駆けていた。
フウヤの横にスゥッと白い少年が摺り寄った。
《 教えてやろうか、本当は成人の試練って、一人で鹿を一頭捕って持ち帰るだけで良かったんだ。ヤンが、二年後に挑むお前の為に、族長に交渉して、手伝ってもいい代わりに回数を増やす方式に変えて貰ったんだ。な、どんだけ迷惑をかけてるか、分かった? 》
「うん、知ってた」
白い子供の答えに、マボロシは意外な顔をした。
「糸球夫人の所の親方が教えてくれた。だからってどうするの。暴いたって何にもならない。迷惑をかけたのなら、他の事で精一杯返すしかないんだ。僕とヤンの間は僕達だけの物だ。シッタカぶって割り込んで来ないで!」
ピシャリと言うと、もう二度とマボロシに耳を貸さなかった。
ヤンの目の前にもマボロシが飛んで来た。
《 貧乏クジはつまんないよ 》
「貧乏クジ上等。どんなクジにも宝物が埋まっているんだ。君は知らないだろうけれど」
マボロシはつまらなさそうな顔をした。
ユゥジーンは手こずっていた。
コバルトブルーのマボロシは、舌なめずりして囁き続ける。
《 お前が世話を焼かなくても、この二人は気が付いたらお前の先を行っているんだ。それでまた傷付くんだから、もう関わるなよ 》
「俺は……平凡なんだ。そういう役回りでいいんだよ」
《 ええ――っっ、ウソウソ、ぜぇんぜん納得していない癖に。慕ってくれるトモダチに、心の底では嫉妬で一杯なんだろ 》
ああ、確かに俺は嫉妬しているよ。
捨てきれていないよ。
「ユゥジーン」
「ユゥジーン!」
肩を落として力の無くなった少年の後ろ姿に、背後から二人が呼ぶ。
マボロシは本人にしか見えない。
ユゥジーンは目を見開いてマボロシを睨んだ。
「俺の平凡な嫉妬なんかどうって事ないんだ。こいつらは面白いんだ、ワクワクするんだ、見過ごせる訳ないだろ! それが俺の本心だ、いい加減受け入れろ!」
ユゥジーンのマボロシが黙り、ヤンが叫んだ。
「黄色い砂の原だ!」
彼の目は揺らめく壁を通して、向こうの景色を見ていた。
ユゥジーンは鞍上で剣を抜き、呪文を唱えて空中を斬った。
空間に出来た裂け目に、三人は順番に飛び込んだ。
~呼び声・了~
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