蜃気楼・Ⅳ
文字数 3,550文字
――な、なんで――っっ!!??
疑問を声に出す暇も無く、太い筋肉から繰り出される玄翁(げんのう)のような拳が飛んで来た。寸でで避けて後退したが、スオウは攻撃の手を緩めない。
冗談じゃない、身体の造りが違うんだ、あんなの当たったら痛いじゃ済まないだろ。
「突然で驚くのは分かる。だけれどこれしかないと思ったのだ。エノシラの心が君にある限り」
――はぁ??
「だからどうか正々堂々、私に打ちのめされてくれ」
――い、嫌だっ!!
何でこんな目に遭わなきゃいけない? とにかく何をしてでも相手に止まって貰わなけりゃ。
シドは地べたに転がり、地面を叩いて術を発動させた。
――舞い上がれ!
砂煙が上方目がけて吹き上がる。
うっ、と相手が怯んだ隙に、煙幕に紛れて距離を取る。
もうもうと上がった砂が落ちて視界が開くと、スオウが顔の砂を払いながら憮然と立っていた。
「き、君の決闘には術も含まれるのか? 拳(こぶし)のみにしてくれ、不公平だろう」
「子供時代に潤沢な栄養を得られる家で育ったから、今そんな恵まれた体格をしているんだろ? それで不公平?」
「…………」
「こちとら、そういうのをリカバリーする為に、血反吐を吐く思いで術を習得したんだ。勿論決闘に使ったりはしないが、貴方が不公平だなどと口にするとカチンと来る。何でも持っている癖に」
言い過ぎかとも思ったが、いきなり理不尽に殴り掛かられたんだ。いつも溜めている事くらいは吐き出させて貰う。
「何でもは……持っていない。子供時代は、君達が羨ましかった」
「??」
「蒼の里の大長様や駐在員達に可愛がって貰えて、いつもいつも一緒に行動して」
「え……それは、厩番で、あのヒト達の馬の世話をしていた延長で……」
「留学にまで連れて行って貰えたじゃないか。私には手も届かない事だった。私の実家の立ち位置を思うと、とても自分から行きたいなんて言い出せなかった。何物にも縛られない君達がどれだけ羨ましかった事か」
「…………」
「それでも、今は西風の未来を担う子供たちの為に共に働く身だ。尊敬を持って仲良くやって行こうと思っていたのに、生まれて初めて心惹かれた女性まで持って行かれるなんて、あんまりだ、あんまりじゃないか!」
「いや待て、そこが分からない」
シドは一生懸命頭を働かせた。そんな場面あったか? 自分はエノシラとほとんど関わっていなかったぞ。
「壁の向こうで聞いてしまったのだ。厩係の少年がエノシラに、『教官のお嫁さんになるのか?』と聞いて、彼女は『約束している』と答えていた」
――???
「約束している教官とは誰だ? あの少年が教官と呼ぶ者は限られている。その瞬間、君の顔が浮かんだ」
――ええっ それだけっ!?
「彼女が里へ来たその日に木から落ちたのを助けたと聞いた。初めて会った時も一緒に居たよな。そりゃそうだ、彼女の大好きなルウシェル様の側近、信頼出来る仲間。私が彼女と過ごした時間よりも遥かに長く一緒に居たんだろうな。ずるいじゃないか、あああ悔しい」
――いやあんたのせいでそんな暇なかっただろが!
(*ここまでスオウがほとんど切れ間無しでまくしたてたので、シドは心で突っ込みを入れるのみで喋らせて貰えなかった)
「だからだから、私に残された手段は、君を決闘で降(くだ)して、彼女に申し込む権利を剥奪するしかないのだ!」
色恋にトチ狂った筋肉ダルマは、再び聞く耳閉じて突進して来た。
「だあぁ――っ、もぉお、めんどいっっ!」
シドは素早く身を沈ませて相手の懐に潜り、下からバネを効かせた拳を突き上げた。
グフッと喉をならして色男はのけぞり、意外な顔でシドを見る。
「蒼の里では剣と術ばっかだったけど、野良試合(ストリート)の方は『漆黒の暴走バイソン』に散々仕込まれてんだわ」
「ハトゥン殿か、成る程。ではこちらも手加減せずともよいね」
「だからその上から目線が大っ嫌いなんだってぇの! ・・ガッ」
「心の奥底で見下しているのは君だってそうだろう! ・・ギッ」
「あんたが、空気、読まない、からだ! ・・グゥッ」
「何もして、いないのに、理不尽に、嫌われる者の身にも、なれ! ・・ゲフッ」
「やめろ――――!!!」
馬から飛び降りて叫ぶのは、オレンジの瞳の長娘。
「エノシラは婚約者がいるんだぞ! 蒼の里のサォ教官!」
同時に他所に意識が行った二人だが、繰り出した拳は止まらず、呆けたままのお互いの顔面にクリーンヒットした。
***
・・・
・・・・・
……何だっけ?
……ああ、そうだ
……色男と殴り合って……
……エノシラ、婚約者がいたんじゃないか…………
……気の毒にな、スオウ教官……
……しかし、この心地よさは何なのかな
……ふわふわして、柔らかくて………………
――!!!
シドの意識が呼び戻された。
目を開けると、目の前にふわふわ。薬の青臭い匂い。
「ああ、良かった、目を開けた。ルウ、シドさん目を覚ましたわよ」
目の前をお下げの毛先が横切る。ふわりと広がる甘蔓(あまかずら)の香り。
ああ、何となくジャレ付きたくなる気持ちが分かった。
天井が見える。長様宅の見慣れた広間。どうやらあそこの長椅子に寝かされているらしい。
身を動かそうとしたら、身体中に激痛が走った。殴られた所以外も痛いんだけれど、何で?
「急に動かないで。今、腫れ止めを塗っているから」
ふわふわは、彼女の柔らかい白い指だった。気持ちが良すぎる、何だこの指は、淫術か?
「シド、気が付いたか? 頭どうだ、ハッキリしてるか?」
視界に入ったオレンジの瞳のルウシェルは、心配と呆れが入り混じった顔をしている。
「位置が悪かった。シド、斜面の下側に居たろ。相打ちが決まって吹っ飛んだ後、下まで転がり落ちたんだ」
「…………」
「スオウはその場に倒れただけだから無事だった。まぁボコボコだったけれど」
「……すみません」
切れた口で謝るシドに、ルウシェルは鼻から息を吐いて答えた。
「しようがない、申し込まれた決闘は受けなきゃならない。っても、西風ではあんまりやる者はいなかったんだがな。スオウ教官が言い出したってのが、驚きだった……ああ、まだあちら側からの話しか聞いていないのだが」
「多分、あのヒトの言った通りですよ。嘘を言うヒトじゃありません」
「そうか、まあ……助かる。元老院が、『スオウ殿はお優しいから相手を庇っておられる』なんて騒ぎ出していたからな。これからちょっと行って来る」
「呼び出されているのですか?」
「ああ、まぁ」
「僕も行きます」
起き上がろうとしてシドは、再びの全身の痛みに悲鳴を上げた。
「無理をするな、こちらは大丈夫だ、寝ていろ。エノシラ、後は頼む」
「ええ、あの、私も行って証言した方がいいのでは?」
「必要になったら呼びに来る。今はシドの介抱を頼む」
「分かったわ」
ルウシェルはマントを羽織って出て行き、エノシラは気まずい空気を埋めるように、てきぱきと手を動かし始めた。
「手足の指を一本づつ意識して動かしてみて下さい。特別に痛む所はありますか?」
「え? ん――ん、骨的な部分は大丈夫そう。肋骨はどうだろ……ウァッチチチ」
「ちょっと待って」
三つ編み娘は、掛布をめくって、シドの上衣をドバっとはだけた。
「うわっ、いいよ」
「私は医療師の助手もしていました。貴方の胸毛ぐらいどうって事ありません。じっとして……ここですか?」
「うん……」
胸毛とかピンポイントで言われる方が恥ずかしいんだが。
しかし何だろう、さっきもそうだったけれど、このヒトの柔らかい指で触られると、痛いのに痛くならないんだよな。
また三つ編みが、催眠術のように目の前で揺れる。
薬草の逆上(のぼ)せる匂いも相まって、シドはまたウトウトして来た。
本当に淫術の類いかもしれないな。まぁいいや、今は助かる、こういう魔法も。
――すみませんでした、私が不用意な行動を取ったばかりに
(いやいいんだ、ユゥジーンや君に気を使わせなきゃならない自分達が悪い)
――でも聞いてビックリしました。この土地では、女性を決闘で得る習慣があるのですね
(野蛮だと思うかい? 君ら上品な北の部族から見たら考えられない事だろうけれど)
――ビックリしたけれど……何だろうな、思っていたのと違う。何でわざわざ怪我するのとか、医療に携わる身としては腹も立つけれど、いざ自分を得る為に殿方が殴り合ったなんて聞いたら
(まぁ、スオウ教官の勘違いに巻き込まれただけなんだけれどね)
――ドキドキする物なんですね。胸がキュッと引き締まるっていうか。この文化の根底に流れるモノに触れたっていうか
(おいおい……)
――もぉ、一人で喋らせないで、相槌ぐらい打って下さいよ…… あ、寝てる
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