冬茜・Ⅳ
文字数 4,088文字
古い猟師小屋は壁が櫛の歯状態だったが、屋根は残っていた。
四人横になれる広さと、真ん中に囲炉裏。
助かった、火が焚ける。
馬を軒下に繋ぎ、敷布を広げてルウを寝かせた所で、小雨が屋根を打ち始めた。
「ギリギリだったね、ヤン」
フウヤは息を吐いて、馬から鞍を下ろした。
まだ薪を集めたり、馬の養生をしたりせねばならない。
あと食事、ルウにも薬を飲ませなきゃ。
何から手を付けよう、ヤン……
――トサ・・
背後の嫌な気配に振り向くと、ヤンが、自分の鞍を抱えたまま尻餅を付いている。
「ヤ、ヤン……?」
「ごめん、ちょっとの間、座っていいかな。少し休めばすぐに動くから」
「~~!!」
フウヤは背筋がざぁっと冷たくなった。
ヤンがそんな言葉を口に出すなんて、聞いた事がない。
よく考えたら、前日も前々日もろくに寝ていない上に、今日はずっとルウの世話も焼いていた。
「僕がやるから横になって!」
「そう、ごめん、フウヤ。カンテラ付けて。僕の鞍袋のポケットにある。燃料はその隣。ごめん、すぐに動けるようになるから」
「い、いいから休んで」
ルウと別の壁際に彼を寝かせ、慌ててカンテラを引っ張り出す。
確かに明かりが一番なのだ。
いつもはヤンが当たり前にやってくれていたから、気が行かなかった。
そうだ、シンリィは?
ピシャンと水音がして、外から両手に水筒を抱えたシンリィが入って来た。
「何でこんな時に通常運行なんだよ!」
「怒らないでフウヤ」
床に頭を落としたまま、ヤンが絞るような声で言う。
「水は大事だよ。ルウには大量の湯冷ましが必要だ。馬にも……シンリィ、悪いけれど皆の馬を水場へ連れて行って、水を飲ませて……鞍下の汗だけでも拭いてやって。フウヤは外が濡れる前に薪を集めて。風上の壁穴を天幕で塞ぐんだ」
フウヤは懸命に指示通り動いた。
シンリィもあれこれ手伝うが、いかんせん背も力も足りない。
「ああ、もっとちゃんと掴んでて!」
つい声を荒げてしまい、泣き出しそうな羽根の子供をハッと見る。
しかし
「フウヤ」とたしなめるいつもの声が聞こえない。
「……ヤン?」
カンテラを掲げて、フウヤはヤンの方へ歩いた。
黒髪の少年は睫毛の周りを黒くしたまま、反応しない。
呼吸は細く早く、唇が紫だ。
――~~!!!
怖い大人に追い掛けられても、見上げるような魔物に遭遇しても、フウヤは平気だった。
隣にヤンがいてくれたからだ。
彼にとって一番怖い事、それはヤンが隣から居なくなる事だ。
「シンリィ!!」
振り向いて、後ろに着いて来た子供の両手を握る。
意地もクソもない。
世界一カッコ悪くったって、情けなくたって、そんなの、何でも、どうだっていい。
「・・お願い、助けを呼んで。蒼の里のナーガさんの所へ、助けを頼みに行って・・」
羽根の子供は手を離して、フィッと外へ駆けた。
***
心許なく外に出たシンリィは、一応白蓬に跨がってみる。
シュゥ……という気の抜けた音と共に、馬の爪先ほど浮き上がってすぐ落ちた。
彼の術力にだって限りがあるのだ。
そしてシンリィはそれを伝える術(すべ)を知らないし、伝える必要も感じていなかった。
大切なトモダチが助けを求めている。
自分に出来る事を、出来得る限りやるだけ。
小屋の外で足音がし、フウヤは顔を上げた。
シンリィが出て行ってまだ半刻も経っていない。
幾ら白蓬でも早過ぎる。
外れそうな戸を潜って入って来たのは、全然知らない、若い女性だった。
丸顔に長い三つ編み、髪が青いのは蒼の妖精だろうか、何だか見え方が変だ。
輪郭がぽやけて、水を通して見るみたいにユラユラと揺れている。
「ええと……」
女性は顎に指を当てて、小屋を見回す。
妙にくぐもった声。
「私にこの子供達の診察をしろという事ですか? 狼さん」
外を見やる彼女の視線を辿って、フウヤは腰が抜けた。
壁の隙間から、ギラギラ光る巨大な銀の目が覗いているのだ。
「見りゃ分かるだろうが、とっととやれ」
こちらは地の底から湧くような恐ろしい声だった。
「人使いが荒いですね」
女性は室内に進み、寝かされている二人を見比べて、まずヤンの方へ寄った。
「汗が酷い。ねぇ、貴方」
幻みたいな女性に話し掛けられ、フウヤは飛び上がった。
「乾いた衣類に着替えさせてあげて。ごめんね、あたしは触れないから。シンリィ、手伝って」
今度は扉が大きく開いて、羽根の子供が入って来た。
こちらの輪郭はハッキリしている。
蒼の里へ行く以外の方法で何かをやってくれたようだが……
「ひぃっ」
フウヤは思わず声が出た。
戸口から見えた外に居るモノは、野牛程もある巨大な狼だったのだ。
しかも首の周りで炎がメラメラと燃えている。
「狼さん、この子が怖がるからあまり姿を……」
「余計なお喋りしてたら時間が無くなるぞ」
「はいはい」
女性は今度はルウシェルに寄った。
「体温が低い……でもそんなに逼迫(ひっぱく)した感じじゃないわ。これは……」
フウヤを振り向く。
「ね、この子は南の方の種族じゃないの?」
「う、うん……」
「オウネお婆さんに聞いた事があるわ。砂漠の西風の妖精が来た時、こんな風になってしまった子がいたって」
「そう! そうだよ、この子、西風の妖精なんだ」
「ああやっぱり」
女性はまた顎に指を当てて、説明してくれた。
西風の妖精は寒さに弱く、自分を守ろうと身体が勝手に代謝を落としてしまう事がある。特に大きな術を使って体調を崩しそうな時、先んじて休眠状態になって体力を温存するのだとか。
「暖かい土地では一生経験しない症状だから、知られていないのでしょうね」
目を白黒させるフウヤに、女性はテキパキと対処法を教えてくれる。
どうやらこの女性は実体の無い存在で、病気の診察をする為だけに来たみたいだ。
小さい水筒を湯タンポにして抱かせ、言われた通りのマッサージをすると、女の子は少しづつ反応を戻し始めた。
「この子はこのまま朝まで寝かせて置くだけでいいわ。そちらの男の子は、過労から内蔵が弱って脱水を起こしてる。とにかく湯冷ましを与えて。薬は段階的に飲ませて。量は……」
指示を出し終え、女性は立ち上がって戸口に向かった。
シンリィも一緒に立ち上がる。
「あ、えっと、貴女は……だれなの?」
ルウの湯タンポを追加していたフウヤが、慌てて声を掛けた。
「私はエノシラ。ああ、最後の指示よ。貴方ももう横になって眠りなさい」
「え、まだ大丈夫だよ、僕が二人を看ていなきゃ」
「そういう考えで、そちらの子はそうなってしまったのではないの?」
「…………」
「教えてやるなや、そんなコト。ガキは倒れるまで気付かないから面白ぇのに」
外の銀の目が愉し気に歪んで、フウヤは背筋がゾッとする。
「怖がらせないで下さい。眠れなくなってしまうでしょう」
「お前さんはそろそろ起っきだな」
「そうね、ではシンリィ、元気で。フウヤもまたね」
***
呆然と女性を見送って、2、3、4拍・・ フウヤは我に返った。
(僕の名前、知ってた?)
泡喰って戸口を飛び出す。
「!!!」
小屋の前に、炎をまとった巨大な狼。
いやそんなのを凌駕する、もっと大きな驚きがあった。
狼を中心に、空間が水底みたいに歪んでいる。
空も山も周囲の木々も、ただただ泥のように渦巻くばかり。
三つ編みの女性が暗闇の中、遠くの幽かに明るい場所を目指して歩いていく。
狼は首を傾けて、彼女の後ろ姿を眺めていた。
白い裸足の足跡が、炎に照らされて楕円の波紋を広げる。
羽根の子供が突っ立って、小さく手を振って見送っていた。
フウヤも慌てて貼り付いた喉を開き、「ありがとう」と叫んだ。
女性は振り向きもせず遠去かり、明かりと共に消えた。
「さぁあてぇ~」
狼が口端から炎を漏らしながら、羽根の子供を振り向いた。
「行こうか」
シンリィは固まっているフウヤの横を通り過ぎ、小屋の軒から白蓬の綱を引いて戻って来た。
既に馬具や鞍袋が付けられている。
「シン……リィ?」
子供は無表情で、狼の傍らに立つ。
「・と言うコトだ。俺様の力を頼るなら、『代償』を差し出さにゃあならんのだよ」
長い尾を滑らせて狼は背を向ける。
「このガキはもう、 俺 の モ ノ だ」
「ぇ……えええっ!??」
「まさかタダで、『寝ている者の夢を連れ出す』なんて面倒臭い術を使って貰えると思ったのか? 冗談じゃねぇ。そもそもこのガキが俺を呼んだんだ。文句を言われる筋合いはねぇぞ」
フウヤは一所懸命頭を働かせて、話を整合させた。
シンリィは、蒼の里まで飛ぶ力が残っていなかったんだ。
それで、他の、自分に出来る方法を、取った…………
「ぼ、僕じゃダメなの? 貴方と行くの、僕じゃダメ?」
「へぇ、尊い尊い自己犠牲って奴かい?」
「違うよ、僕がシンリィに頼んだんだ。元々は僕の願い事だったんだよ」
「ほぉ~~」
狼は銀の目を糸のように細めて少年を見据えた。
「お前さんも『ある意味』面白そうだがな。でも今欲しいのは、こっちのガキなんだわ。おら、行くぞ」
狼が空を見上げると、雨空だったのに何故かそこに青い三日月が現れた。三日月の真ん中に波紋が広がり道が開く。地獄へ続くような、黒い黒い道。
「ま、待って、待って待って……」
フウヤは手を伸ばすが、泥に漬かったように足が動かない。
何を怖がっているのか、シンリィを止めなきゃ、すがり付いて止めなきゃ!
足が上がった! 重い空気を掻いて前に進む。
しかし狼はせせら笑って道に飛び乗り、炎を散らせて振り向いた。
「早く来な」
シンリィは慌てた感じで白蓬に跨がり、狼を追った。
フウヤの方を振り向きもしない。
もう少しで羽根先に届きそうだった右手が、空を握る。
ああ……!
二人が道の奥へ消えると、波紋は直ちに塞がり、空間の渦が逆回転して正常に戻って行く。
右手を突き出したまま声も出せないフウヤを残して、何事もなかったかのように空は雨を落とし始めた。
***
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