スノウドロップ・Ⅰ
文字数 5,875文字
「エノシラさん、これどうしたの?」
蒼の里、里裏の山茶花(さざんか)林の奥、エノシラ宅。
執務室からの届け物を持って来たユゥジーンが、戸口を開いて呆れた声を上げた。
部屋の中央に座り込んだソバカス娘の周り、床一面に投げ出された生なりの毛糸。今しがた乱暴にほどききったばかりの綿埃が舞っている。
「ああ、ユゥジーン、調度良かった。枷(かせ)にするのを手伝って頂戴」
「ごめん、修練所にも届け物があるんだ」
「そう……」
「ハウスのチビ共にやらせりゃいいだろ。通り掛けに声を掛けて行くよ」
「ありがとう、お願いするわ」
返事はする物の、長いお下げを垂らした娘は、足の踏み場もない毛糸の海に座り込んで、片付けを始める気配も無い。
ユゥジーンは、短く「じゃあ」と行って戸口を閉じた。
ここの所彼女が心ここに非ずで、編み棒を構えて何やら編んでは解(ほど)いてを繰り返しているのは知っている。理由もだいたい察しが付く。
下手に突ついて飛ばっちりを喰らうのはゴメンだ。
放牧地を右に、居住区の端のひなびた場所に、『ハウス』・・修練所のサォ教官の自宅がある。独身の教官にはやや広い二間続きのパォは、今日も小さい子供達で溢れ返っている。
「あ、ジュジュ……じゃなくて、ユゥジーン兄ちゃんだ」
「剣教えて、剣!」
「ああ、今日は用事の途中だから無理。誰か暇な奴いる? エノシラさんが手伝いが欲しいって」
「行く、行く――」
「お菓子くれるかな」
「それは分からん。じゃ頼むな」
サォ教官が修練所を修了して教官見習いになった頃、黒の災厄の爪痕で、里内には少なからずの孤児が居た。
大概は親族が引き取るのだが、その頃はどの家も心の余裕が無かった。
まだ小僧だった教官は『あぶれた』子供達をまとめて引き取り、一緒に暮らし始めた。
保護者というより兄貴のような存在で、誰でも自由に出入りさせている内に、いつの間にやら、親が忙しくて寂しい子供や、親族に引き取られたものの居場所のない子供まで集って、蜜蜂の巣のようになってしまった。雑魚寝なのに、家のある子も帰りたがらない。
最初、小僧が何をやっているんだと胡散臭げに見ていた周囲の者も、子供達が生き生きと、しかも礼儀正しくなって行くので、だんだんに食べ物や増築の協力をしてくれるようになった。
今では教官は、『実践を伴った立派な教育者』として里人に一目置かれている。
『ハウス』という言葉は、『子供が安心して帰って来られる家』という意味で、それはサォ教官の信念でもある。
ユゥジーンもそこ出身だ。災厄で両親失くして親戚をたらい回しにされていた彼は、ハウスが無ければ今の自分は無かったと思っている。だから教官には感謝を抱いているし、その婚約者のエノシラさんも大切にしたい。
サォ教官が、助産師見習いのエノシラに一目惚れしてプロポーズをしたのは四年前で、彼女は修行中の身だった。
一人前の助産師になってからという返事に、教官は快く承諾して気長に待ってくれている。
周囲も、子供の事に長けたエノシラと彼は最良の組み合わせだと、温かく見守っている。昨今、助産師として板に付いて来たエノシラに、そろそろ正式に祝言をあげては、と話も立ち上がり始めた。
何の障害も無い筈だ。
ユゥジーンだって、大切な二人の幸せを、諸手を上げて応援していたい…………けれど……
・・
・・・・
「やぁ、ユゥジーン」
修練所に通じる土手の上で、今頭に浮かべていた顔に鉢合わせて、少年はギクリとした。
「シ、シドさん」
「こっちに用事?」
「はい、修練所の所長の所へお使いです」
「そう、僕は仕事が早く終わったからちょいと来てみた。懐かしいな、相変わらず蹴り玉が流行りなんだな」
この飴色の肌の気さくな青年は、砂漠の西風の妖精で、今、無茶苦茶忙しい蒼の里の執務室を手伝いに来てくれている。子供の頃こちらに留学した経験があり、修練所は勝手知ったる場所だ。
何でも器用にこなす彼は、すぐに執務室の即戦力となり、統括者のホルズを喜ばせている。
この夏、西風に出向したユゥジーンには、向こうにいた時からの、親しい間柄だ。
「そうですね、あ、所長が帰っちゃいそう。じゃ!」
ユゥジーンは短く会話を切って土手を駆け降り、そこでもう一度振り向いた。
「ああ、もうちょっと厚着した方がよくないですか? 西風の妖精って寒さに弱いんでしょう?」
「うん? これぐらいまだ大丈夫だよ、ありがとう」
何も分かっていない感じで、飴色の肌の青年は呑気に手を振った。
そうしてまた、修練所とは関係のない、『普段エノシラが通り道にしている場所』を、うろうろし始める。
ユゥジーンは口を結んでそのまま走り抜けた。
(端から見て大丈夫じゃなさそうだから、気を揉んでセーターなんか編み始めるヒトがいるんだ。ちょっとは気付けよ。そして空気読め)
***
その日は降ったりやんだりのはっきりしない天気だった。
ユゥジーンは雨の隙間をついての一仕事の後、小雨パラつく中、帰還の空の上。
一雨毎に寒くなる。山の裾野はもう白い。
寒さに弱い西風の妖精シドの帰宅のタイミングについて、執務室でも話し合われ始めている。
「波風立たせない内に穏やかに帰ってくれればいいんだが…………んん?」
ヒュイッ・・と短く音が聞こえた気がした。口笛?
ふと見る地上に、奇異な物。
草原の真ん中に岩が点在している場所があるのだが、その一つの上に、何者かが横たわっている。自分と同じヒト型の種族。
(こんな雨の中?)
高度を下げて近付いて、しゃっくりしたみたいに息が止まった。
素っ裸の女のコがシナを作って、仰向けで腕を上げて誘っているのだ。
「うそだろっ!」
離れた所に馬を下ろして、草に隠れながら、少年はそぉっと声を掛ける。
「あの~……風邪ひきますよぉ……」
次の瞬間、女のコの艶(なまめ)かしい腕がバサリと落ちた。
「ひっ?」
「わっ!!」
「ひいいいぃ!」
後ろからいきなり驚かされて、情けない悲鳴をあげるユゥジーン。
「あはははは、引っ掛かった、引っ掛かった!」
「風邪ひきますよだって、きゃはは!」
頭から蕗の葉を被った二人の友達が、満面の笑顔で抱き付いて来た。
「ヤン、フウヤ!」
岩の上の女のコは粘土を盛ったフウヤの自信作。
「心臓が口から飛び出るかと思ったぞ!」
「あはは、ごめんごめん。さっきユゥジーンがあっちに飛んで行くのが見えたからさ」
それで、帰りを狙って、大急ぎで粘土を集めて作り上げたらしい。
「暇だなっ!」
「こんなにきれいに引っ掛かってくれるなんて、本当にありがとう。この恩はしばらくは忘れないよ」
「はいはいどうも。けど俺の好みは、もうちょっとあちこち出っ張ってるタイプだ」
言い合いながら三人は、雨を避けて、待ち伏せ用に張ってあった灌木の下の天幕に移動した。
「そうか、今年も二人は旅の時期か。三峰はもう冬なんだね」
「鷹の訓練を兼ねてるから、結構緊張してる」
「うん、頑張れ」
そんな雑談をしている内に、西風のシドの話になった。この二人も、西風の友達ルウシェルを通して、シドとは縁が深い。
「へえ、シドさん来てるんだ。もう結構寒いけど、帰らなくて大丈夫なの?」
「蒼の里に、気に入った女のコでも出来ちゃったかな」
ヤンの天然な一言に、ユゥジーンはビクリと揺れ、それを見逃してくれるほど甘いフウヤではなかった。宥められたりすかされたりで、結局全部喋ってしまうユウジーン。
「まぁ、知らぬは本人ばかりだよ。執務室のメンバーも里内の女将さん連中も、おおむね気付いてる。態度で見え見えだもの。でも本人は隠しているつもりだし、仕事は出来るし良い奴だしで、誰も何も言えない」
「婚約者がいるのは知っているんでしょう?」
「うん。知った上で、何をどうしたい訳でもないんだと思う。ただその件に関して腫れ物に触る扱いをしなきゃいけないのが、地味に周囲を疲れさせるというか」
「お、おつかれ・・」
シドの一番困った所は、自分の体調に無頓着な所だ。それが医療に従事しているエノシラを、ひたすらイライラさせている。
西風の妖精は寒さに弱く、突然身体が活動停止して休眠状態に入ってしまう。砂漠地方だけで暮らしていたら一生知る事のない症状だ。掛かってしまうと習慣になり、後遺症も残る。
先日までその症状で寝込んでいたルウシェルを看ていたエノシラは、西風の者よりもその怖さを知っている。
だから彼女は遠回しにホルズやユゥジーンに頼んで、保温に気を付けろと訴え掛けているのだが、子供の頃に平気だった体験だけを嵩に着て、シドはまったく言うことを聞かない。
「やれめんどくさいだの重いだの、ホルズさんの持って来たノスリ家伝統柄のセーターを、『お揃(そろい)はやだ』とか」
「子供かっ!」
「シドさんってたまに頑固な所があるよね」
ヤンは熱いお茶を差し出して、一息吐いてユゥジーンに向き直った。
「それでエノシラさんはどうなの?」
「え? エノシラさんは・・勿論、このままサォせんせと一緒になるよ、婚約してるんだし」
彼女がついセーターを編んでしまうのは、自分の編んだ物なら着てくれるだろうと確信しているからだ。
でもそんな物を渡したら、どんな厄介な展開になるかは火を見るより明らか。
『けれどこのままじゃ、あのヒトは今日にも倒れてしまうかもしれない、セーターくらいいいじゃない、医療行為の一環よ、ああ、でもやっぱり……』
そんな葛藤で編んでは解いてを繰り返し、彼女は目の下に隈を作っている。
「周囲も祝福してるんだ。このままが一番なんだよ、その筈だよ」
「ホントに子供な大人って始末におえないよね」
フウヤが知った風な口をきいた。
「エノシラさんがゴタゴタ悩んでいないで、自分の気持ちに整理整頓を付けられればいいんでしょ。僕に作戦がある」
***
雨のあがった隙に、エノシラは枷にした毛糸を抱えて染め場を後にした。
生成(きなり)だった毛糸を、真っ赤に染めて貰ったのだ。
「これで毛糸があっても、つい編み始めたりしなくて済むわ。こんな派手派手しい色を着たい男のヒトなんていないもの。さてさてチビッ子達の帽子でも編んでやろうかしら」
「エノシラさん、丁度良かった」
後ろからユゥジーンが駆けて来て追い付いた。
「あのさ、魔物を見たんだ。里のすぐ側で」
「ええっ!」
真っ青になったエノシラが毛糸のカゴを取り落としそうになる。
「髪の毛の代わりに蛇が一杯生えてて、目が赤くてさ、いかにも妖しい魔力を持っていそうな奴。さっき馬繋ぎ場でシドさんには知らせた。これから執務室に報告に行くんだけれど……エノシラさん、ハウスのチビッ子に注意しに行ってくれる? 里の中なら結界に守られて安全だけれど、最近、度胸試しとか言って、結界の境目付近で遊ぶ子がいるんだ」
「わ、分かったわ」
真剣な顔のエノシラにちょっと胸を痛ませながら、ユゥジーンは別れ道で執務室へ行く振りをして、素早く方向を変えた。
エノシラは毛糸を抱えたまま、居住区の外れのハウスへ向かう。
髪が蛇の魔物なんて恐ろしい。まるで神話の絵本に出て来る怪物じゃない。そんなの、本当にいるんだ……
「あら?」
放牧地の手前の土手に、見慣れぬ子供。
後ろ姿でフードを目深に被っているけれど、蒼の妖精ではないのが分かる。
「ねぇ、あなた」
里人に気付くや、子供は放牧地の中へ駆け出した。そちらは結界の境目だ。
「あ、駄目、怒ったりしないから、止まりなさい」
走って追い掛けるも、子供は結界を越えて消えてしまった。
エノシラは手前で立ち止まって躊躇するが……
「きゃあ――! 助けて!」
その悲鳴を聞いて放って置ける彼女ではない。
毛糸のカゴを放り出し、そこにあった干し草用の三本ホックを掴んで、エイヤッと境目に飛び込んだ。
外では、ヤンとユゥジーンが大忙しだった。
「フウヤ、こっちこっち」
駆けて来たフウヤの上衣を受け取って『大道具』をスタンバイし、少年達は茂みの中へ素早く隠れる。
直後、三本ホックを振りかざしたエノシラが走り込んで来た。
「ねえ、さっきの子、何処にいるの? ここへおいで!」
草原は、何か大きなモノが移動した跡のように踏み倒されている。
少し先の地面に、先程の子供の着ていたフードの上衣が見えた。
慌てて駆け寄るが
「ひぃっ」
子供は土塊の人形と化していた。
エノシラの頭の中に神話の怪物が降臨する。
そこから十歩も離れていない先にも、一回り大きな土の塊。
見たくない、けれども、確かめなくては……
そろそろと近付いて、覗き込んだエノシラは、この世の者ではないみたいな悲鳴をあげた。
「あああ、シドさん――!!!」
「一目で分かって貰えた、僕、彫刻家になろうかな」
短時間で超リアル人形二体を作り上げたフウヤは、茂みの中で満悦そうに鼻の下をこする。
「それは後、ほら行くぞ」
今すぐ『やーい、引っ掛かった』と飛び出さねば。イタズラってのは加減が大切だ。
今ならまだ、エノシラは拳を振り上げてプンスカするだけで済ませてくれる。ユゥジーンは『セーターくらい編んでやりゃいいじゃん。今、そう思ったろ!』と、かましてやる予定。
しかし……そういう時に限って予定外な事態は起こる。
バラ、バラ、バラ・・・・
大人しかった空が急に息を吹き返し、大粒の雨を落とし始めた。
エノシラの顔から血の気が引く。
雨が土塊(つちくれ)人形を溶かしてしまう!
次の瞬間、茂みの三人の血の気も引いた。
ビ、ビビビビ――――!
お下げ娘がいきなり、自分のスカートを剥ぎ取って引き裂いたのだ。
それを広げてシド人形を覆い、更に上衣を脱いで破り、子供の人形に被せる。
今やお下げ娘は、下着だけのあられもない姿。
あまりの事に藪の中で固まる三人。
しかも予想外な事態は重なる。
「あっ、ナーガ様! ナーガさまぁ――!」
何と上空を、ナーガ長の騎馬が通過したのだ。いやそのタイミングいらない!
「ナーガ様、シドさんが! シドさんを助けてぇ!」
ぴょんぴょん飛び上がって両手を振る半裸の娘。
目の良いヤンは、蒼の長さまでもあんな情けない仰天顔をする物なんだと、一瞬だけ思った。
それでも必死な呼び声に、何事かと素直に降りて来る蒼の長さま。
やっと少年達は硬直を解いた。
「だ、駄目――――!」
藪から飛び出して、自らの上衣で下着姿の娘を被(おお)う三人の少年。
青くなって赤くなって、後にさぁっと能面みたいに白くなるお下げ娘。
困惑して固まる蒼の長さま。
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