呼び声・Ⅱ
文字数 2,961文字
行き交う旅人で活気付く、壱ヶ原の街。
休憩所の人混みの向こうで赤っぽい黒髪をのぞかせながら、ヤンが壁沿いで作業をしている。
投函箱の手紙を確かめて、地図に張られた古い情報を剥がし……
高い所の紙へ背伸びしていると、後ろからヒョイと取ってくれる者がいた。
「ご苦労さん」
振り向くと顔見知りの雑貨商人。
親から身上を譲られたばかりでまだ若く、ヤンの壁地図を気に入って、積極的に応援してくれている。
なかなかのやり手で、行動範囲が広くフットワークも軽いので、持っている情報はダントツ。
ヤンは彼に教わる事がとても多い。
「お久し振りです、今回は南でしたっけ」
「ああ、砂漠の先の鯨岩の港街まで足を伸ばした。まぁ、土産話は後でな。それよりそれ、見事な毛皮だな! 猪か?」
少年の背負っている珍品を、目敏い商人は見逃さない。
「はい、後で毛皮商へ持って行こうと」
「俺に回してくれ。金毛の猪なんて、縁起を担ぐ金持ちが欲しがりそうだ」
「縁起が良いんですか?」
「そういうのはこっちでデッチ上げるの。客に満足を提供するのも商売人の使命なんだぜ」
青年商人は片目を瞑って見せた。
「貨幣じゃなくて、宝石とか輝石と交換したいんですが、イケますか?」
「ああ構わないぞ。何だ、女のコへのプレゼントか?」
「そんなんじゃないです。借金を返したいヒトが、貨幣よりも石を好んでいると聞いて」
「へぇ、変わった御仁だな」
「中々返す機会がなくて、貯めている途中なんですが」
青年は腰に付けていた宝飾品の入った皮ケースをテーブルに引っくり返し、対価に合った石を幾つか選り分けてくれた。
「この中から好きなのを選びな…………どうした?」
今ひっくり返した宝飾品の中の一点を凝視して固まっている少年に、青年は首を傾げた。
***
夜更けの寝静まった三峰の集落。
そっと抜け出す二騎の影があった。
岩尾根に辿り着いて、二人はやっと声を出す。
「良いのか、フウヤ。無駄足かもしれないんだぞ」
「ヤンこそ、どれだけの物を棒に振るのか分かっているの?」
二人はこれから全力で砂漠地帯へ向かう。
ルウシェルの住む西風の里を目指して。
「今行かなきゃ、棒に振ってしまう物の方が大きい気がする」
***
「ああ? 確かに西風の里の者と名乗っていたな、それを持って来た爺さん達は」
何の変鉄もない平凡な革腕輪に食い付いて問い詰める少年に、青年商人は戸惑いながら答えた。
「細工は良い出来だが、赤メノウは大して珍しい石じゃない。要らないと言ったんだが、縁起であるからどうしても引き取ってくれと」
「縁起……?」
「女性は嫁ぐ時、古い物を持っていると縁起が悪いとか。それまで身に付けていた装飾品や財産全て手離して、対価で花嫁衣装と先方への持参品を揃えるんだとさ」
「嫁ぐ? えっと嫁ぐって……この腕輪の持ち主が……ですか?」
商人は、蒼白な少年に何かを察して、座り直して細かく説明してくれた。
「売りに来たのは会話の噛み合わない年寄り集団だったが、まぁ、そういう話だったな。他にも色々売り払った対価で、花嫁衣装用の反物を購入して行ったし」
だが、と商人は続けた。
あちらの地方に何度も商売に行っているが、そんな慣習は聞いた事が無いと。
商売仲間に聞いても誰も知らず、唯一、辻占いのシワクチャの老婆だけが「あるにはあった」と答えてくれた。「百万年前に廃れた化石じゃがな」と、鼻で笑いながら。
元々は、地上の娘が神々の国へ嫁ぐ宗教神話の一節から来ているらしいが、そういうのを捻じ曲げて都合のいいように改竄(かいざん)する輩は、何処の時代にも沸くのだと。
「娘のそれまで生きて来た身ぐるみ剥いで送り出すなど、ちょっと考えたらおかしな事だと分かりそうな物なのにな」
***
「それって……」
呟いて、フウヤは呑み込んだ。
花嫁はほぼ間違いなくルウシェルだろう。
フウヤより一コ歳上なだけだけれど、部族によっては嫁いでもおかしくない。
西風の年寄り連中は百万年前の化石だとよく言っていた。
腕輪は十中八九、無理矢理取り上げられたんだ。
ルウがあの腕輪を手放す訳がない。
そんな状況の婚礼が、嬉しい事である筈がない。
だけれど……
(僕達が行って、何が出来るの?)
白い少年の複雑な表情を見て、ヤンが馬を進めながら口を開いた。
「ごめん、自分でも考え無しだと思う。でももう、居ても立ってもいられないんだ。ただ一秒でも早くに、この腕輪をルウに返してあげる事しか考えられなくて」
「うん、でも何だか……」
「んん?」
「いつもと逆だね。いつもは僕が考え無しで突っ走って、ヤンがたしなめる役なのに」
フウヤはそれ以上何も言わないで、当たり前みたいに馬を進めた。
(ヤンにもこういう所、あったんだな……)
壱ヶ原の街の情報網で、ヤンは西風の里の場所も探していた。
ルウと別れて、次の冬とその次の冬、二回砂漠地方を旅したが、見付けられなかった。
部族間の仲が決してよくないあちらの地方では、交易地や商業街以外……各部族の本拠地は隠されている事が多い。会合等も、それ専用の場所がある。
西風の里は、先代の長が亡くなって以来特に閉ざされていて、入り口もしょっちゅう変わるという。
しかし、先の雑貨商人や様々な旅人達からの情報で、ヤンは、『だいたいこの辺りか?』ぐらいまでは掴んでいた。
その場所を記した、イフルート族長の地図の『写し』を開く。本体は借りて来られなかった。
「族長さんに大目玉だよ」
「ひたすら謝るしかない。どんな処分でも受けるさ」
夕べ一応、族長の所へ旅の許可を貰いに行った。
当然の如く却下された。ヤンは成人の儀礼の真っ最中なのだ。
今年を逃すと来年また最初からだし、それだけならまだしも、大人達の心証次第では資格を失くするかもしれない。
「その娘と旅してから三年も経っているのだろう? 女性は大人になるのが早いぞ。子供時代の情熱が薄れても不思議ではなかろう」
「腕輪を売りに来たのがルウ自身なら、そう思って納得します」
いつもは大人しいヤンが反論すると、族長は困った顔で黙したが、立場上やはり許してはくれなかった。
「フウヤは僕が無理に誘った事にするからね。事実そうなんだし」
「ヤンに置いていかれても、僕は追い掛けただろうけどね」
尾根道を遠去かる二騎を月明かりに見やる、桑畑の丘の人影。
イフルート族長と、後から二人ばかりの側近が上がって来た。
「言われた通り、厩の側の住民には気付いても素知らぬ振りをして貰ったが。いいのか族長、幾ら何でも成人の儀礼を反故にするなど、咎め無しに済ませる訳には行かぬぞ」
「罰は受けて貰うさ。だが形式ばかりの儀礼より、あの子達がどんな大人への階段を登って戻って来るか、楽しみだとは思わぬか?」
「全く族長は夢想家(ロマンチスト)だな。今から山を越えて行ったとて、砂漠まで何日掛かる事やら。その娘の婚礼の儀とやらにも到底間に合わぬだろう」
「まぁ、彼らが到着する頃には人妻だな」
「逆に可哀想ではないか」
「何も出来なくとも、出来ないなりに一歩を踏み出す者が居る。何かを変えるとしたら、そういう者なのだ。歩き出さぬと可能性は零(ゼロ)だが、歩き出すと零ではなくなる。零と零でない事の違いは大きかろう」
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